048. 旅立ちの準備(上)
俺がこのショッピングセンターにやって来て3度目の昼。
時期的にはまだ梅雨明けしていないと思うが、ここ数日は晴れや曇りの日が続いて雨は降っていない。今年は枯れ梅雨なんだろうか?
雨はなるべく降ってくれたほうが嬉しい。雨音が足音をかき消してくれるし、人間達も雨に濡れることを嫌がって外をあまりうろちょろしなくなるはず。つまり、外を出歩くには最良の日になるということだ。
これから長く過酷な冒険に出る身としては、せめて天候くらいは味方して欲しいが……。
昨日から、俺は今後に必要な道具をまとめ始めていた。
ショッピングセンター内の各店舗や倉庫には商品が豊富に残っていて、次にいつ補給ができるかわからない以上、役立ちそうなものは何でも持っていきたいところだが、あまり持ちすぎると動きづらくなるし、人間達に大荷物を持っている姿を見られれば襲われてしまう懸念もある。
そういうことを考えれば、せいぜいリュック1つと首かけポーチくらいが限度だろう。
持っていく物も厳選している。思いのほか役に立ったキッチンタイマーや包帯、防犯ブザーは勿論のこと、懐中電灯にソーラー充電のモバイルバッテリーをいくつか、なんとなく役立ちそうな万能包丁やガムテープも加えて、あとは地図帳と気になった小説などをリュックに詰め込んでいた。
着替えは必要に応じて調達するので不要だ。デザインとフィット感さえこだわらなければ衣服なんて道中の民家や店でいくらでも入手できるだろう。
ほかに野鳥や魚を捕まえるための投網くらいあれば良かったんだが、ここには虫取り網程度しかなく諦めるしかなかった。
ここまでいろいろと詰め込んだが、それでもまだリュックには空きが残っていて、他に何を持っていくべきかとぼんやり考えていたところ、このショッピングセンターで窮地に陥った時のことと、アイツの遺体を捌いていた時に見つけた物を思い出し、そこから"ある物"を運ぶ容器を準備をしている最中、だったのだが……。
『パリンッ!』
……またやってしまった。
さっきから栄養ドリンクの空ビンを用意するために必死になって蓋を開けようとしていたが、小さな蓋は俺の手じゃうまく掴めず、力加減を誤るとすぐにビンを割ってしまって中身をぶち撒けていた。既にスーツは栄養ドリンク塗れになっている……。
コツをつかんで開いた蓋を締めることくらいはできるようになったが、未開封の蓋まで開けられるようになるのはまだまだ遠そうだ……。
そうやって栄養ドリンク相手に悪戦苦闘していた俺だが、ふと顔をあげると、こっちに近づいてくる人影が前に見えた。
あの生き埋めになっていた、彼女だ。
ビニール袋を手に下げながらフラフラとした足取りで歩いており、そのまま俺の前にまでやってくると、そのビニール袋を床に置いた。
彼女は手が空くと、今度はスカートのポケットに手を入れておもむろにスマートフォンを取り出し、そのままスマートフォンを操作し始めた。
そして、最後に指で弾いて画面をタッチすると、それに連動したかのように俺の横に置いていたタブレットPCの画面が光った。
俺はそのタブレットPCを拾い、画面に視線を向けた。
<<お願いされた物はこれでいいですか、悠気さん?>>
タブレットPCの画面には、たったいま彼女が入力していたであろう文章が表示されていた。
俺はその文章を読み、続いてビニール袋に視線を移して中身を探ると、そこには栄養ドリンクの空ビンと蓋がいくつも入れられていた。ご丁寧に洗浄までされていて、表面の水気も拭かれている。
そこまで確認した俺は彼女と同じようにタブレットPCを操作して文章を入力し、最後に送信ボタンを押した。
<<うん、大丈夫そうだ。ありがとう、助かったよ阿依ちゃん>>
<<どういたしまして。必要なものを用意できて良かったです>>
感謝の礼をタブレットPC越しに伝え、阿依ちゃんはそれを読んでまたスマートフォンごしに文章を送り返してくる。
言葉を話せない俺達は、こうやってコミュニケーションを取るようになっていた。
この倉庫には家電製品フロアの商品も置かれていて、新品のスマートフォンやタブレットPCが大量に保管されていた。
それら通信機器の類はネットが使えなくなった今じゃ単なる板切れになったと思ったが、俺達の身体でも操作可能で、さらに好きな文章を入力できることに気づくと、今なおも便利なガジェットとしての役割を十分に発揮してくれた。
そして、俺達がたったいま使っていたアプリだが、それは端末にプリインストールされていたオフラインチャットアプリだ。
ネット接続していなくても端末が持つWi-Fi機能やBluetooth機能を利用することでトランシーバーのように端末同士で通信できるという代物で、今みたいな災害などでネットが使えなくなったときに活用するのを目的としたものらしい。
プリインストールされたアプリなんてどれも役に立たないと思っていたが、こんなところにも掘り出し物があったものだ。まったくもって文明の利器様々だ。
そうして俺は入力のしやすさからタブレットPCを、阿依ちゃんはスマートフォンを選んで持ち歩くようになっていた。
どうやら彼女の方はゾンビになっても手先の器用さがそれほど低下していないらしく、小さなスマートフォンでも使いこなし、先の栄養ドリンク開封も俺が行うよりスムーズにできるかと思って頼んでいたが、俺が苦心している間に難なくやり遂げてくれたようだ。
ゾンビ化の症状にも個人差があるということがわかったが、手先の器用さを失っていないのは心底うらやましい限りだ……。だが、俺に出来ないことを阿依ちゃんは出来るということは非常に心強い。
なんせ、しばらくは一緒に旅をすることになるのだからな……。
あのあと話し合った結果、阿依ちゃんは少し悩んだ様子だったが、俺がついて行くことをあっさりと許可してくれた。もっと強く反対されることを想定して色々と説得材料を考えていたが、嬉しいことに全部無駄になってしまった。
話を聞くと、彼女もここからすんなり家に帰れるだなんて思っていなかったそうだ。まぁ今の状況下で単独行動するのはどれほど危険かだなんて、言わなくてもわかる話だったか。
阿依ちゃんもそこまでは考えたそうだが、じゃあどうすればいいのかといった解決策まではわからなかったところ、俺の提案が出てきたというのが話の流れだ。
実際のところ、会ったばかりの男性がいきなり同伴させて欲しいだなんて、平時ならそのまま警察署に連れて行かれそうなものだったが、彼女だけじゃ今の混沌とした状況をどうしようもないということや、同じゾンビになったという境遇が判断を早めてくれる要因になったのかもしれない。
まぁ、とにかく話が変にこじれる事もなく、これで俺には当分の目的ができ、阿依ちゃんも家に帰れる可能性が高まったわけだ。
お互いにとってWin-Winの関係を築けたのは素直に喜ぼう。
それと、俺達はお互いに名前で呼び合うことに決めた。
別に名字で呼び合っても問題なかったが、メジャーな名字にはお互い普段から思うことがあったようで、名字で呼ばれるよりも名前で呼ばれる方が好みだというのが一致したからだ。
……それに、自分で言うのもなんだが、命懸けの危険な旅が『佐藤さんと田中さんの旅』だなんて無難過ぎるだろう。
<<それじゃ私はまた付近を探索してきます>>
<<了解、気をつけて>>
<<はい。まだ他のゾンビと出会うとびっくりしてますけど、なんとか慣れるよう頑張ります>>
阿依ちゃんはそう書き残して再び店奥へと戻っていくのを見送った。
阿依ちゃんにも旅の準備を少し手伝ってもらっているが、彼女はそれとは別にショッピングセンター内を隈なく歩き回っているようだった。おそらく一緒に逃げてきた同級生の痕跡が残っていないか探しているんだろう。
それも手伝ってあげたいが、同級生の容姿を詳しく知らない俺に出来ることは少なく、旅の準備は俺がなるべく担当して阿依ちゃんにはなるべく探索時間を作ってあげることくらいしかできない。
あぁ、それで思い出した。探索ついでにまた頼みたいことがあったんだ。
阿依ちゃんの姿はもう見えなくなっていたが、俺は再びタブレットPCを持ってチャットアプリから文章を入力し、送信ボタンを押した。
<<食べられそうなものを見つけたら回収してきてほしい>>
しばらくして──。
<<わかりました>>
という返事が帰ってきた。
よかった、チャットアプリの届く範囲は思ったより広いようで、障害物がある程度あっても大丈夫なようだ。
ただ、Wi-FiやBluetoothをつけっぱなしにしないと通信できないから、バッテリー消費には少し気をつけないとな。
話を戻して、旅の準備は着々と進めているが、その中でも最も問題になるのは食料だ。
何週間も食べずに活動できる身としても、ずっと飢えたまま過ごすのは精神的に辛く、そんな空腹な状況で人間達とばったり出会ってしまえばひとたまりもない。
死ななくても殺されないようにするために食べられるものなら何でも食べなくちゃならないが、その食べ物を探すのはここでも至難のことだった……。
まず、阿依ちゃんには俺達の身体だと食べられる物が非常に限定されているということを説明したが、それをあまり信じられなかったのか、あるいは信じたくなったのか、食料品が保管されている場所まで行くと、阿依ちゃんはチョコレートや菓子類を躊躇せず手に取って頬張り、そして盛大に嘔吐した……。
まだお腹が空いているのかと思って食べ残してあったアイツの腕も差し出してみたが阿依ちゃんは受け取ろうとはせず、その後もなにかと食べ物を見つけては食べて吐き、また食べては吐きを繰り返していた。
俺はもう慣れてしまったが、彼女にとってはまだ"人間を食べる"ということに心の折り合いがついていないようで、だからこんな行為を繰り返したんだろう。
その度に吐いて絶望する彼女の姿を見るのはとても心苦しいものを感じたが……。
言葉を話せなくなったことや肌の色が変わったこともそれなりにショックを受けていたようだったが、ゾンビ化による弊害の中で、阿依ちゃんにとって一番ショックが大きかったのはこの食事制限なのかもしれない。
まぁ、年頃の女の子から甘いものを取り上げることがどれほど残酷な行為かはわからないでもないが。
ただ、阿依ちゃんの行動はまったく無駄だったわけじゃなかった。
阿依ちゃんが身を挺していろいろ試食してくれたおかげで、俺達の食べられるものについてようやく整理することができた。
どうやら、俺達が食べられるのはいわゆる"動物性タンパク質"だけのようだ。
他の栄養素が多少含まれていても平気なようだが、大豆などの植物性タンパク質だと駄目で、さらに強く加熱調理されているものだと動物性タンパク質でも駄目らしい。
なぜ動物性タンパク質だけなのか、どうして加熱されていると駄目なのかはわからないが、納得できなくてもそういうものなのだと受け入れるしかない。
人間だったときに五大栄養素が必要だった理由はもう覚えていないが、5つ必要だったものが1つになったのだと納得しよう。
そして、ここまで条件が限定されていても俺達にとってピッタリな食べ物がここにはあった。
動物性タンパク質の塊でありながら、ある程度の日持ちする上に、調理せずともそのまま食べることができ、さらに通常は殻に覆われていて持ち運びにも適しているもの……そう、卵だ。
この倉庫内にもまだ品出しされていなかった卵パックが大量に見つかり、どれも賞味期限は切れていたが、試しに一つ割って食べてみたところ、この身体はすんなりと受け入れてくれて吐き気や腹痛も起きなかった。どうやらサルモネラ菌もこの身体に対してはお手上げなようだ。
他にも冷凍の生肉や生魚を解凍すれば食べることができ、嫌な臭いを醸し出している腐……熟成された肉でも腹を下すことなく食べることができた。どんな状態でも生であれば良いらしい。
阿依ちゃんも卵や生魚ならまだなんとか妥協できたようで、イヤそうな顔をしながらもそれらを食べて空腹を満たすことができた。
製造過程で加熱しているチーズや牛乳、ウインナー等は残念ながら食べても受けつけなかったが、それでも危険を冒さず食料を得る方法がわかったのは大きな収穫だ。旅の荷物にも、これらの食料をいくつか加えておきたい。
だが、食べられるものが見つかった状況でもまだ旅中の食料について不安が残っているのが本音だ。
なんせ、阿依ちゃんと目指す目的地が大阪なのだからな……。
昨日、阿依ちゃんに目的地を教えてもらってから日本地図を見たが、ここから大阪までの距離は目測でも400Km以上はあった。
車なら半日、飛行機やリニア、新幹線なら数時間で着く距離だが、それらが使えない以上、俺達は歩いて向かうことになるだろう。仮に一日20kmの距離を歩けたとしても20日以上かかる計算になる……。
道中で人間達に襲われる危険だってあるし、進路に人間達の集落が残っていれば迂回しないといけないかもしれない。少なくとも気楽なウォーキングにはならないだろう……。
リスクを考えれば考えるほど出てきそうだが、俺から着いて行くと言った以上は、やれる限りのことをして頑張ってみるしかない。
……最悪、道中で俺が殺されることになったとしても、阿依ちゃんが大阪まで帰宅することができれば良しくらいに考えておこう。
さて、少し休憩し過ぎた。そろそろ俺も次の場所に向かわなければ。
阿依ちゃんが用意してくれた空きビンとバケツ、コップ、漏斗を持って、俺は屋上へと向かった。




