044. 二人と探索
「ん……、寒い……」
明け方の寒さに起こされて阿依はゆっくりと目を覚ました。寝ぼけ眼で周りを見渡すと外はまだ薄暗かったが何事も無かったかのように静まっており、隣で寄り添っていた琴音は猫のように丸まったまま寝ている。
昨日はけっきょく公園から移動することを断念し、三人は休憩所内で一夜を過ごすこととなった。
非日常感に当てられて当初は談笑するくらいの余裕はあったものの、外が暗くなって空腹も増してくると次第に口数も少なくなり、辺りが完全に真っ暗になってからは三人とも黙り込んでしまって、いつしか眠っていたようである。
「……阿依、起きたん?」
「あ、琴音ちゃん。ごめん、起こしちゃった?」
「ううん、ウチも寒くてさっきから目は覚めてたわ……おはよう」
「おはよう。5月でも朝はまだ冷えるね」
「寒さもそうやけど、空腹がなぁ……」
「昨日の朝から何も食べてへんもんね……。あれ、泰智くんが居ない?」
阿依が休憩所内に泰智の姿が見えないことに気がつくと、琴音も上半身を起こして周りを見るがどこにも見当たらず、二人して外にまで探しに行ったが、泰智の姿は見えない。
「ウチらを置いて逃げた……ってキャラでもないか」
「うん、絶対ありえへんよ。でも、近くにはおらへんようやし……」
「また暴動の様子でも見に行ったんやろか。まぁここで帰りを待つしかないなぁ」
「暴徒に襲われてないといいけど……」
二人は泰智のことを心配しながら休憩所内から出ずに待ち続けた。空腹もあって焦る気持ちが高まっていき、泰智の身に最悪の事態があったのではと頭をよぎると、そうなった場合にはどうすれば良いのかと悩みを募らせていく。
しかし、そんな二人の不安をよそに、しばらくして泰智は何事も無くひょっこり帰ってきた。
「あっ、二人とも起きてるやん。おはようさん!」
「……おはよう、ってどこ行ってたんよ!」
「ウチも阿依も心配してたんやで!」
姿を見せた泰智に阿依が珍しく怒った声を出し、琴音がそれに追従すると、泰智は申し訳なさそうに少し頭を下げた。
「あぁゴメンな、ちょっとこの辺りの様子を見にな。今日これからどうするかってのも考えたかったし」
「そんなんなら、私らもついていったのに……」
「いやまぁ二人とも寝てたし、起こすのも悪いかなと思って。あぁでも、お土産があんで!」
そう言って泰智は後ろ手で持っていた袋を取り出すと、二人の前に中身をさらけ出した。袋の中には菓子パンや菓子類、飲み物、それと雑誌がぎっしりと詰まっていた。
「えと、これは?」
「途中で見つけた店で手に入れた物やで。誰もおらへんかったから無断にやけども……。一応、オレの住所と伝言を書いたメモは残しておいたから、あとで問題になってもオレがなんなり言い訳しとくから」
「自分、かなりグレーなことすんなぁ……」
「なにが起きても腹減ったままやと動かれへんからな。まぁ遠慮せんと食べてや」
そう言って泰智は手に取ったウインナーパンを開けると、その大きな口に放り込むように食べ始め、無くなるとまた次のパンへと手を伸ばしていく。
火事場泥棒のようで若干の後ろめたさを感じていた阿依と琴音も、その泰智の食べっぷりを見ていると自身の空腹を思い出し、やや遠慮しながらであったが琴音はメロンパンを、阿依は板チョコ入りデニッシュパンを取り出した。
阿依がおずおずしながら封を開けると、袋からチョコレートの甘い香りが洩れ始め、その匂いを嗅げば自然と口内が潤ってゴクリと飲み込んだ。
匂いに釣られ、ほぼ無意識にそれを口に含むと、パンの柔らかい食感と共に甘美なチョコレートの味が舌に広がっては溶けていく。一日ぶりの食事ということもあって、いつもより一層美味しく感じ、食べる手はとても止められそうにない。
琴音もメロンパンをかじりつくように食べ始めており、ときおり恍惚した表情を見せては幸せと共に味わっているようである。
その二人の熱心に食べる様子に泰智は少し癒されながら既に三つ目のパンに手を伸ばしていたが、そのついでに袋から雑誌を取り出すと、パラパラとページをめくって二人の前に置いた。
二人が食べながらその雑誌に注目すると、それは神奈川県近郊の地図が描かれた情報誌であった。
「二人とも食べながらでええから聞いて欲しいんやけど、近くの標識とかを見た感じ、オレ達が居るのはここら辺らしいんやし」
泰智は地図の中で神奈川県の真ん中辺りを指差した。地図上で見る限り、付近には特に目立った観光スポットも無い閑散とした場所であった。
「なんか、どこの都市からも離れた場所まで来てたんやね」
「人のおれへん方ばっかり向かってたからな。まぁそれ自体はええんやけど」
「今日これからどこに向かうか決めなあかんってことやな」
「そう、それを今からちょっと考えたいんやし」
三人は口をモグモグさせながら地図とにらめっこをし、それぞれが考えを巡らせながら話し合いを始めた。
東に向かえば横浜にたどり着きそうだの、北や南東に行けば自衛隊の基地がありそうだの、あるいは西にずっと向かえば最終的には大阪にまで帰れるだの話が挙がったが、けっきょく比較的近い場所に学校や公共施設が集まる文教地区があり、その辺りなら避難所もありそうだと考えてまずはそこを目指すこととなった。
「ここから数時間も歩けば着きそうやな。飯も食ったし、準備ができたらすぐに出発するで!」
「おーっ!!」
「……なんか二人とも、すごいポジティブやね」
「ええやん、なんかサバイバルな冒険っぽくてさ」
「そうやで阿依。こういうときはもっと前向きに捉えらな気が滅入るで」
「まぁ落ち込むよりはええかなとは思うけど……」
あまり楽観的に考え過ぎるのもどうかと阿依は思ったが、水を差すような真似は気が咎めたため、これ以上は突っ込まず、そうして三人は残った食料の片付けや手洗いを済ますと公園から出発した。
三人は地図と近くの標識を見比べながら進む道を決めて歩いていく。
まだ早朝の時間帯ということもあってか、他に道を歩く人の姿は無く、近くで騒ぎの音も聞こえてこないため、ここまでは順調に進むことができていたが、道すがらに誰か住んでいそうな住宅を見つけても電気が消えたままで静まり返っており、ためしにチャイムを鳴らしても反応は無い。
住民に助けを求められないまでも、せめて電話を借りたり、ニュースや避難情報だけでも聞けないかと期待したが、その思惑は外れた。
「あかんな、誰も出てけぇへんし。既に避難した後なんかもしらんけど、こんな状況やと居たとしても居留守されるわなぁ」
「やっぱりこのまま避難所まで行くしかなさそうやね」
まるでゴーストタウンのようになった場所を三人は進み続けた。周りは想像していたよりも木々や田園が多く、田舎のような景色が続いて話題のネタにもならないため、一言二言の雑談はしても無闇にお喋りすることもせず無く淡々と歩いていたが、坂を少し登って開けた場所に出ると、三人の足が止まった。
「あっ! 町が見えるで!」
「あそこが目的の場所?」
「地図とオレ達の勘が正しければそうやな」
「じゃあもう少しやん! よかった、なんとかたどり着けそうで!」
そこには、大小のビルが所々に生えた地方小都市の景色が広がっていた。遠くから見る限りでは平和そうな様子で、電気がついているらしき建物もチラホラ見えている。
避難場所ないしは救助を求められる場所がある見込みは十分にあり、少し歩き疲れ始めていた阿依と琴音も元気を取り戻していった。
そうして、三人は急ぎ足になって目の前の都市へと向かい始めた。都市へと伸びる道を一直線に進み、近づくにつれて期待も大きく膨らんでいく。
阿依は既に救助された後のことを考え始めており、まず心配しているであろう両親への連絡と、他のクラスメイトの安否確認、それに丸一日ぶりのお風呂に入りたいといったようなことを駆けながら考えていた。
泰智と琴音も概ね同じようなことを考えこんでいるようで、三人の顔には自然と笑みがこぼれている。
……だが、都市部に入って普段であれば人通りがありそうな広い道にまで出ると、その思惑は脆くも崩れていった。
「人が……倒れてる」
そこには、おびただしい数の人が倒れている様子が目の前に広がっていた。みな血だらけでボロ切れのような姿と化しており、中には人としての原形を留めていない者までいる。自動車もそこらじゅうにぶつかったまま放置されており、風に吹かれて鉄のような臭いが漂ってくると、阿依は思わず鼻と口を手で抑えた。
「これ全部、暴動の被害者?」
「たぶんな……。こんなエゲツないことを……」
三人はここまで来て、想像しているよりも酷い事態に巻き込まれているのだとようやく理解した。この国で暴動のようなものが起きたとしても、一日もあれば収まるだろうと心の中でどこか思っていたが、今はそれがとてつもなく平和ボケじみた考えだったと思い知らされている。
いまこの場所に生きている人の気配は感じられず、三人とも目の前の光景に圧倒されて立ち尽くすしかなかったが、その中で最初に正気を取り戻したのは阿依であった。
「ね、ねぇ、二人ともあそこ見て!」
声を上ずりながら阿依が少し先に見える交差点付近を指差した。その声に反応して二人も視線を向けると、その交差点に停まっている車のそばで黒い影が見えた。
「……なんか小さい女の子がおる?」
琴音が言った通り、その影は小学生くらいの女の子がしゃがんでいる後ろ姿のように見えた。
「あれ、ここで生き延びた子なんかな……」
「やろうな……どうする?」
「どうするって、まぁ見つけてしまったからには放っとかれへんわな」
「私も同じ。あんな小さい子を放っておいたら変な人に襲われるやろうし」
「よし、じゃ助けに行こ!」
意見が一致した三人は周りに注意しつつ女の子のもとへと駆けて行った。ある程度近づいてからは驚かさないよう背後から静かに歩み寄っていくと、女の子は目の前でうつ伏せに倒れている女性を何度も揺すっているようであった。
だが、その女性は頭髪や手足が血みどろになっていて、とても生きているようには見えない。
「あの人、この子のお母さんなんかな……」
「暴徒に襲われたんやろか、かわいそうに……」
阿依は倒れている女性をなるべく見ないようにして女の子へと近づいていくと、そっと肩に手を伸ばして優しくぽんぽんと叩いた。
「大丈夫……?」
囁くような声で阿依が声をかけると、女の子の手が止まった。
「ここに居ると危ないよ。ほら、お姉ちゃん達と行こ?」
女の子を怖がらせないよう細心の注意を払って阿依が語りかける。そして、それに応じるかのように女の子が阿依の方へゆっくりと振り向いた。
そこにあったのは女の子らしい可愛い顔ではなく、緑がかった白い肌に赤い眼と、血で染まった口が阿依の瞳に映っていた。




