043. 二人と避難
阿依がバスから降りると、そこには泰智が言っていたとおり、暴徒による乱闘がそこら中で起きていた。
暴徒達は自身や相手が血まみれになろうとも掴み合いの喧嘩を止める様子は無く、仲裁する人もいないせいか延々と争いが繰り広げられている。
また別の場所では、倒れた人に向かって何人もの人が覆い被さるように襲いかかっているようで、その辺りには大きな血だまりができていた。
乱闘に巻き込まれている同級生も何人か目についたが、それ以外に大勢の同級生の姿は見えず、殆どはどこかへと避難したようであった。
阿依には争いの理由が何なのか到底想像つかないが、目の前で起きている乱闘を割って止めに入るような勇気は無い。
ただ、喧嘩している様子を眺めることしかできなかったが、その阿依の様子に気づいたのか泰智は諭すように言った。
「ボケっとしてたらオレ達も襲われる。この子を背負ってるからさっきみたいに蹴っ飛ばすこともでけへんし、今は他の人を助けようなんて考えんと、とにかく逃げんで」
「……うん、わかった。それで、どこに逃げるん?」
「それは、え~っと……」
泰智は周りをキョロキョロと見渡しながら考えたが、土地勘が無いどころか現在地すらろくにわからない状況では考えても答えは出るはずもない。
それでもこの場で長く留まるよりはマシだと考えた泰智は、パッと目についた道をあごで指した。
「よし、あの道を行こ!」
「あっちは安全そうなん?」
「それは知らんし、行かなわからへんな」
「え、じゃあ何であの道を?」
「勘」
「…………」
「ほら、しっかりついて来てな!」
今の状況では直感に頼るしか無いということは理解しつつも、そのことに一抹の不安を感じた阿依であったが、代替案を思いつかなければ反対する具体的な理由も思い浮かばない。
渋々ながらも阿依は、駆け出していく泰智の後を追って走り出していった。
進んだ道の先は閑散とした路地であった。バスが走っていた幹線道路沿いと比べて人の気配は少なく静かな道であったが、その静かさが逆に不安を煽っている。
この道を進んでいっても安全な場所にたどり着くかわからないことも相まってか、阿依はオドオドとしながら泰智の後ろをついていく。
だが、泰智は恐れる様子もなく周りを注意しながら道をどんどん進んでいき、前方に人の姿が見えれば進む方向を変え、あるいは物陰や建物に隠れてやり過ごして、巧みに他者との遭遇を回避していく。
その見た目や物言いとは裏腹に、慎重かつ機敏な行動を取る泰智の姿には阿依も素直に感心していた。
「ここまで誰とも遭遇せずに進めるなんて、泰智くんすごい……」
「まぁ伊達にサッカーのレギュラーやってへんしな。周り見ながら進むのは得意やし、これくらいなら任せてや!」
「うん、でもこのまま進んで大丈夫なん? なんか、どんどん人気の無い方に行ってるけど……」
「暴徒と普通の人の区別がつかへんから、警察とかが騒ぎを収めてくれるまでは誰とも会わずにどこかで隠れて避難しておきたいところやけどなぁ」
二人が道を進みながら次の目的地を決めかねて悩んでいると、先ほどから黙って背負われていた琴音がようやく口を開いた。
「……もう少し行ったら公園があるって、そこの看板に書いてるで……」
「あっ、琴音ちゃん!」
「おぉ良かった。どう、落ち着いた?」
「うん……だいぶマシにはなった。……あとはもう自力で歩けるわ」
そう言いながら琴音は無理やり降りようとし、泰智は慌ててしゃがんで降ろすと、琴音は少しふらつきながらも自分の足で立ったが、バス内で見せていた明るい表情から考えられないほど暗く落ち込んでいる様子であった。
「……琴音ちゃん、ほんまに大丈夫?」
「自分、まだ顔色悪いで?」
「まだ少し気分悪いけど、歩くくらいなら平気やって……。なんか落ち込んでる場合でもなさそうやしさ」
「それはそうやけど……」
「うん、とりあえず二人とも公園の方に行こ。公園ならベンチくらいあるやろし、そこで少し休もう」
琴音は明らかに万全ではない様子であったが、それをここで言い合っても仕方がない。とにかく今は少しの間でも避難できる場所を求めて、三人は公園の方へと足早に向かっていった。
たどり着いた公園は、町中にポツンとある小さな憩いの場であった。
周りは木々とフェンスで囲われ、園内には申し訳程度に滑り台やブランコが設置されていたが、それ以外にも簡素ながら小屋が設けられており、そこに掛けられた看板には『休憩所』と書かれていた。
三人が周りを警戒しながらその休憩所内に入っていくと、中は薄暗く、ひんやりとした空気が流れている。
「……誰も居ないみたいやね」
「狭い公園やし避難場所になってないんやろな。まぁ、暴徒達も人がおれへんところまで来て暴れたりせえへんやろうし、ここなら安全そうやな」
そう言うと、泰智は中にあったベンチに寝転がって、「はぁ~~~」っと深い溜息を吐いた。
今まで素振りすら見せていなかったが、泰智は泰智なりに女子二人を守るプレッシャーを感じていたようで、そして、その重荷から解放されたせいか緩んだ表情となり、それを見た阿依もつられて表情が少し柔らかくなった。
「二人も座りよ。いろいろ疲れてるやろし。それで、ここで一旦休むとして、あとはどうしよっか?」
「うぅん……。私は暴動が収まるまで、ここで待っておくのが一番やと思う」
「よし、じゃしばらく留るか」
阿依と琴音もベンチに座ると、まるで糸が切れたかのように肩の力が抜けて脱力していった。これからどうなるのかまだ不安とはいえ、バスからずっと緊張しっぱなしだったものが緩んで落ち着きを取り戻していく。
そして、気持ちに余裕が生まれれば自然と頭が働き、いろいろなことが頭をよぎり始めていた。
他の同級生の安否のこと、暴動が起きている理由のこと、そして今後のこと──。それらのことが頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。
だが、その中でも一番気にかけていることが阿依の頭の中で大きくなっていくと、それが自然と口からこぼれ出ていた。
「琴音ちゃん、あのね……」
「……ん、なに?」
「その、先生のことやけど……」
いきなり先生の話題を振られた際、琴音は目を細めて少し険しい表情になったが、阿依は構わず言葉を続けた。
「今考えると、いつもより様子がおかしかったと思う。確かに、私達とあんまり仲良くない先生やったけど、いきなり生徒に暴力をふるうようなタイプや無かったし……」
「…………」
「だから、その……バス内で起きたことは琴音ちゃんが原因やなくて、もっと別の理由があるんやないかなって」
「……別の理由って?」
「それはわからへんけど……他に何か理由が無ければ、あんな酷いことはしないと思う」
阿依は慎重に言葉を選びながら思っていることを話した。遠まわしであったが、バス内で起きたことは何かもっと別の大きな理由があったためで琴音のせいではなく、だからそこまで気負うことは無いということを伝えようとしていたのであった。
だが、親友に言われたからといって琴音は、「はい、そうですね」と容易には納得しなかった。
「それでもウチが悪口を言わへんかったら、あんなことには……」
「きっかけはそうやったとしても、それだけで琴音ちゃんが全部悪いなんてならへんよ! 生徒に手を出したのは先生なんやし! 泰智くんもそう思うよね?」
「えっ、オレ? ……う~ん、その場でおらへんかったから細かい話はようわからんけど、阿依がそう言うんなら、そうなんやろな」
「ほら、泰智くんもああ言ってるし!」
「でも、あの子の親になんて言えば……」
「その時は私もついていって説明してあげるよ。とにかく、落ち込んでいてもどうしようも無いんやし、元気出して今の状況を乗り切ろう?」
「…………グスッ、うぅ……」
阿依の擁護はかなり無理矢理なものであったが、下手に理屈をこねて言われるよりも心に響くものがあったのか、琴音は鼻をすすりながら泣いていた。それを阿依は背中を撫でてなだめようとしている。
「グスッ……阿依はやさしいなぁ」
「もぅ、友達が落ち込んでたら励ますもんやんか」
「うん、ありがと……」
しんみりとした空気となって休憩所内にはすすり泣く声だけが聞こえている。三人とも無言のまま時間だけがゆっくりと流れていったが、しばらくして泰智は思いついたように立ち上がった。
「……ちょっとトイレついでに暴動の様子を見に行ってくるわ」
「あ、うん。気をつけてね」
「オレ達以外にはここに来えへんと思うけど、人の気配を感じたらすぐに隠れるんやで。絶対に助けに行くから」
「うん、その時は期待してるからね」
そう言って泰智は二人を置いて、そそくさと外へ出て行った。口には出さなかったが、あまり知らない人に泣いているところを見られるのも嫌だろうと琴音に気遣っての行動であった。
そうして休憩所内が二人だけになると、休憩所内はより静かさを増していったが、それが心を落ち着かせるのに功を奏したのか、琴音もじきに泣き止んで落ち着いていった。
「もう大丈夫そうやね」
「ほんまにありがとな……おかげでだいぶ気持ちが楽になったわ」
「よかった、元気になって。琴音ちゃんは少しお調子者なくらいが似合ってるよ」
「それは褒めてるのか微妙な言い回しやと思うけど……」
「ふふっ」
「フフフッ」
二人は軽く笑い合い、その声が休憩所内で響き渡った。阿依も琴音もバス内で居た時の気持ちを取り戻したようであった。
「じゃ、お調子者らしくちょっと聞きたいんやけどさ……」
「うん、何?」
「あの泰智くんって、阿依の彼氏なん?」
「……それ、いま聞くん?」
「うん。さっきからずっと気になってたしな!」
つい先ほどまで泣いていたとは思えないほどキラキラした目で見つめてくる琴音。その視線に阿依も観念したのか、黙ったまま軽く頷いて肯定した。
「おぉ~、泰智くんみたいなのが阿依の好みやったんか」
「いや、そんなん……でもあるけど……」
「恥ずかしがることないやん。ウチから見てもかっこええ子やと思うで。顔もええし、性格もええし、体つきもがっしりしてるし、なにより恋人のピンチに駆けつけてくれるなんてすごくええやん!」
「そこまで言われると、なんか私が照れてくるなぁ」
彼氏を褒めてくれる琴音の言葉に照れながらも笑顔を見せる阿依。その後、褒められてガードが緩くなった阿依はデートのときの話や、ちょっとしたエピソードを披露して、二人で盛り上がっていった。
そのまま二人が長い時間を話し込んでいると、しばらくして泰智も戻ってきた。
「ただいまっと。お、元気になってるやん」
「あ、おかえり」
「おかえりさん。阿依のおかげで回復したわ。えぇ彼女がおってええなぁ、ウチもこういう彼女が欲しいわぁ」
「そやろ、そやろ~♪ 自慢の彼女やけども、こればっかりは譲られへんで〜」
「ちょっと、二人とも! 恥ずかしいからやめて!!」
元気になった琴音を見て泰智も一安心したのかノリ良く返し、それにツッコミを入れる阿依。その様子は実に関西的であった。
「それで、どうだった?」
「あぁ、朝から我慢してたから、めっちゃ勢いよく出たで」
「そっちやなくて!」
「わかってるって。……騒ぎ声が聞こえる方に行ってみたけど、まだ暴動が続いているみたいやったわ。遠くから覗いただけやけど、かなり大勢の人が暴れてるようやで」
「そうなんや……」
「いま下手に動く方が危険そうやなぁ。どこに逃げればええかもわからんままやし……」
「最悪、ここで一晩過ごすくらいの覚悟はせなあかんやろな。それまでに暴動を鎮圧か救助が来てくれればええんやけど」
「ここで一晩、か……」
休憩所内とはいえ、ろくに設備の無いここでの一晩は野宿のようなものである。その上、人が来にくい場所だとしても暴徒がここまで絶対に来ないとは限らない。日が落ちて暗くなってしまえば逃げることも難しくなるだろう。
だが、阿依は不思議と不安は抱いていなかった。
まだ今の状況から助かる保証は無く、懸念もいろいろと残っているが、この二人と居ればどんな困難があっても乗り切れるだろうと……。
この時はそう思っていた。




