040. 扶助の精神
外はすっかり明るくなった様子で、もう昼前にはなっただろうか。
ところどころに設置されている採光窓から日光が入ってきているが、それでもショッピングセンター内は薄暗いままだ。
どこかに照明スイッチがあると思うが付近を探しても見つからない。客にイタズラされないよう見つけにくい場所にでも隠しているのだろうか?
まぁ、ここにはもう人間達が居ないので視界が多少悪くても気にする必要はないし、目も暗闇に慣れているので不自由することはない。
むしろ、明かりがついていると人間達を呼び寄せてしまう危険性を考えれば、このまま照明が消えたままの方が好都合かもしれない。
そして、そんな場所で俺が何をしているかというと、人間の右腕をターキーレッグのように持ちながら店内を練り歩いている最中だった。
あの戦いを終えてから安全な場所にまで逃げた俺は、ようやく手に入れた食料を目の前にして心躍る思いになっていた。
久しぶりの食事ということを意識しただけでも口の中で唾液の量が増えていき、胃腸は待ってましたと言わんばかりに鳴り響く。
さっそく、『いただきます』と手を合わせて念願の一口を囓ると、じゅわぁと肉の味が舌に染み込んでいくのがわかり、その美味しさと至福感には身体中が震え、さらに奥歯で噛む度に口内で味が広がっていく感覚を思い出すと、感動すら覚えて涙まで出そうになっていた。
当初はゆっくりと食事を楽しむつもりだったが、あまりの美味しさに手と口の勢いは止まらず、次々と肉を頬張っていっては舌鼓を打ち鳴らし、文字どおり骨の髄まで味わうつもりで俺は一心不乱に食べ続けた。
……が、しかし、人間一体分を食べ切るのは流石に無理な話だった。
全体の1割にも満たない程度を食べたあたりで俺の腹は一杯になって手も口も止まってしまい、これ以上は食べようにも食べられなくなってしまい、そうしてあとには中途半端に食い残した無残な遺体だけを残すこととなってしまった……。
考えればすぐわかることだったが、ゾンビになったからといって胃袋まで大きくなったわけじゃない。一度に食べられる量については生前とそう変わらないのは当然だ。
前から少し疑問に思っていたが、なぜゾンビは人間を捕食したあとに最期まで食べ尽くさないのか、その理由がよくわかった。
単純に量が多過ぎて食べ切れないから残してしまうだけだったんだな……。
そんなゾンビの胃袋事情はどうでもいいとして、それよりもこの食い残した遺体をどうするべきか早急に考えなければならないと、俺は頭を悩ますことになった。
アイツの命を奪ったのは俺だ。だからこそ、アイツの遺体を余す事なく使い切る義務が俺にはあると感じていたからだ。
とりあえず、当面の食料にする方法がないかを考え始め、乾燥させて干し肉にでもするのはどうかと思ったが、この湿気の多く腐ったりカビたりしやすい時期に干し肉なんて作れそうにはない。
その次は、肉を冷凍保存してしまうことを考えたが、冷凍肉は持ち運びには不向きなため日持ちはしても冷凍庫のあるこのショッピングセンターから当分離れられないことになってしまい、いつ人間が侵入してくるかも知れない場所に長居することになると思うと、あまり得策ではないという結論に至った。
結局のところ、いろいろ考えると早々に食べ切ってしまうのが一番だったが、俺は少なくともあと数時間は食べられそうにないし、遺体がゾンビ化してしまうリスクを考えれば気長に腹が空くのを待ってるわけにもいかない。
そういうことを踏まえながら短期間でなんとか遺体を消費する方法について考えに考え、しばらくしてようやく一つの答えにたどり着くことができた。
俺が食べられないのなら他の連中、つまりこのショッピングセンター内に居るゾンビ達に分け与えれば良いんだ!
腹を空かせたゾンビはいくらでも居るだろうし、今回だって他のゾンビ達が居てくれたからこそ結果的に人間を狩猟できたんだから、彼ら彼女らにも食べる権利は十分にあるはずだ。
そう思いついた俺は急いで戦った場所にまで戻って斧を回収し、その斧で遺体を切り分けてショッピングカートに積み込んでいった。
あらためて思い返してみても、斧で遺体を切り刻む俺の姿はかなり猟奇的な絵面だったと思うが、そういうのにも随分と慣れてきたことには悲しむべきだっただろうか……。
とにかくも、準備を終えた俺はゾンビ達に食料を振る舞うためショッピングカートを押しながら各フロアを回り始めた。
移動する道中でゾンビを見かけては食料をどんどん配っていく。配られた方のゾンビは別にお礼を言ってくるわけでもなかったが、嫌がりもせず素直に受け取ってくれたあと美味しそうに食べる姿を見ると、なんとなく嬉しい気持ちになった。
いままで人助けやボランティアを積極的にするような人間じゃなかったが、他者を助ければこうも精神的に和めることを覚えると癖になりそうだ。……惜しむらくは、人間だったときからそのことに気づければよかったか。
なんにしても、この人助けならぬゾンビ助けに気を良くした俺は、引き続きショッピングセンター内をうろついては食料をおすそ分けし続け、そうして近くのゾンビ達にあらかた配り終えたあと、最後に残ったのがこの右腕というわけだ。
外にまで出れば、まだ腹を空かせたゾンビが居そうだが、腕の一本くらいならば俺でも少し経てば食べ切れそうだったので、それまでは手持ち無沙汰に店内を探索することにしていた。
昨晩はゆっくり見ている余裕なんて無かったが、2階3階には何かと役立ちそうな商品を扱っている店も多そうで見応えも十分にあり、一通り見るだけでも半日くらいはかかりそうだ。
とりあえず、欲しい物については目星をつけながら散策し、あとで使い勝手の良さそうなバッグを見つけてから取りに戻ろうと店を見て回っていたが……その最中、ふとあることに気がついた。
確かに商品はまだたくさん残っているが、どれもこれも一番値段が高くて良い物から順に無くなっているようだった。
理由は容易に察しがつく。ここに居た人間達が先に持っていったんだろう。良いものから先に売り切れるのはわかるが、俺の分も残しておいて欲しかったのが本音だ……。
それでもまだ残っている商品をかき集めれば十分な装備になるだろう。だが、それで妥協するつもりは俺には無かった。
持っていく道具には俺の命が懸かるようなものだ。それに、どんな些細なものでも持っていれば役立つこともあると今回の戦いで理解した俺は、持っていく道具選びについては入念に吟味して選ぶと心に決めていたのだった。
そして、何の心当たりもなく無い物ねだりしているわけじゃない。店頭には確かに無いが、別の場所にはまだ在庫が残っている可能性は十分考えられるはずだ。
じゃあ、その在庫が残っている場所はどこだという話になるが……普通に考えれば、その手の在庫はバックヤードの倉庫とかになるだろう。
そう考えた俺は、さっそく倉庫を目指してバックヤードへと向かい始めた。
1階のバックヤードを通り、フロア案内板に従いながら奥の方へとしばらく進んでいくと大きな自動ドアを見つけた。案内のとおりならここが倉庫の出入り口だ。
ここにまだ人間が潜んでいる可能性は無いと思うが、念のため気を引き締めて自動ドアに近づいていくと、俺に反応して自動ドアが開いていく。
ドアが開き切ったそこには──大量に設置された背の高い棚と、そこに収められたダンボールが壁のようにびっしりと並んでいた。
棚の合間からは時折ゾンビが顔を覗かせてはノソノソ歩いている姿が見えている。
よし、倉庫の商品はまだ無事だ!
ゾンビ達が居てくれたお陰か、ここは人間達に荒らされず済んだようで殆どの商品がそのまま綺麗に残っている。まさに選り取り見取りだ。
倉庫を守ってくれていたゾンビ達には感謝しか無い。
目の前に広がる商品の山に俺はすっかり興奮し、まるでおもちゃ売り場にやってきた子供のように物色し始めていた。
頑丈さと持ち運びやすさを追求した高機能なショルダーバッグから便利なガジェット類、果ては暇つぶしに役立ちそうな本類までなんでも置いている。ここでなら俺が考える最高の装備だって実現できそうだ。
こっちを不思議そうに見てくるゾンビ達の事は気にせず目の前のダンボールを力任せに引き裂いては中身を確認し、そしてまた別のダンボールを漁る行為を繰り返す。
ショッピングをこんなに楽しんでいるのはいつぶりだろう。対価を払えないのは少し心が痛むが、せめて感謝の礼だけはきちんとして有効活用させていただくとしよう。
そうして、俺は誰にも邪魔されることもなくショッピングを楽しみ、このまま時間を忘れて持っていく道具を選び尽くす──はずだったのだが、その楽しみは思わぬ形で中断することになった。
しばらく倉庫の奥へと進み、適当な場所で角を曲がろうとしたところ、"それ"は突然に現れて行く手を遮った。
そこには、いくつもの棚が将棋倒しのように積み倒れていた。辺りには棚に置かれていたはずのダンボールが中身を撒き散らしながら乱雑に転がっている。
大きな棚が倒れるほどの何かが起きたんだと思うが、ゾンビが押し倒したんだろうか。まぁ何があったにしても、それについてはわかりようがない。
そして、転がっているダンボールの中身もファッション誌や週刊誌といった今はもう役に立ちそうな情報も載ってなさそうなものばかりで、ここで得られる物は何もなさそうだ。
ただ、倒れた棚が邪魔でここから先は通れそうになく、別の道に迂回するしか無い。
仕方ないが、悪態をつくほどのことでも無かったので、俺は素直に別の通路を行こうと振り向いたその時、妙な物が視界の中に入った。
崩れて積み重なった棚の隙間から、なにかフサフサしたものがはみ出ている。
最初は埃取り用のモップか何かだと思ったが、それは違った。かなり傷んでいる様子だが、それは紛れもなく人の髪の毛だった。
長さから女性のものだと思うが、棚が倒れて生き埋めになったんだろうか?
いつからここに居るのかはわからないが、もしゾンビ騒動が起きてから間もなくからだとすれば、もう一ヶ月くらいはここに閉じ込められていることになる。人間であれば圧死か、そうでなくても餓死は免れない。随分と壮絶な最期を迎えたもんだな……。
……だが、ここでふと頭を過った。
人間なら確実に死んでいるが、もしここでゾンビになっているとしたら、コイツはいつまで埋まり続けるんだろうか、と。
ゾンビに意識が無かったとしても、おそらく数年では済まない期間に渡って閉じ込められて身動きすらできないままになるだろうと考えると、それは余りにも酷な話だ。
もし、自分が同じ目に遭っていたらと想像するだけでも身震いが起きる。
どんな奴が埋まっているのかわからないが、その悲惨過ぎる末路に同情した俺は、せめてコイツをここから出してやりたいという気持ちになっていた。
これもゾンビ助けの一環だ。今世紀中に助けることができるのはきっと俺だけだろう。
そう判断した俺はさっそく救助にとりかかった。持っていたアイツの右腕を近くに置いておき、とりあえず棚を一つずつどかそうと試みる。
流石に金属製の大きな棚ということもあって重さもそれなりだったが、いまの俺でも辛うじて動かすことはできそうだ。ゾンビの腕力はやはり凄いものがある。
上に積み重なっているものから順に持ち上げてどかしていき、棚同士で引っかかっている部分は力づくで引き離す。そうして棚を除けたあとは覆い被さっているダンボールや商品を放り投げて掘り起こしていくと、それからすぐにゾンビの手が見え隠れしていた。
ゾンビ化せず腐乱死体になってるんじゃないかと少し心配していたが、どうやらそれは杞憂だったようでホッとしたあと作業を続けると、すぐにうつ伏せに倒れたゾンビの全身が見え始めた。
ゾンビは、背丈と着ている学生服から察するに高校生くらいの女の子のようだった。最初に見えていたのは彼女のポニーテールだったらしい。
いったい、何があってこんな場所に生き埋めになったのかは気になるが、それを想像しながらも手を動かし続け、そうして彼女の上に乗っかかっていた物を全部どかし終えた。
ひと仕事した気分になった俺は、少し休憩しながら彼女が起き上がるのを待つことにした。ゾンビに礼を言われることなんて期待できないが、せっかく助けたんだから元気に動き回る姿くらいは見たいと思ったからだ。
……だが、彼女が動き出す様子は無かった。起き上がることに障害となるものは何も無いハズだが、彼女は微動だにせず、それを見守っている俺も少しずつ不安になってくる。
ゾンビに対して言うのもなんだが、彼女はまだ生きているのだろうか……?
このまま待ち続けても埒が明かない。どうするべきか悩ましいが、とりあえず彼女の身体を揺すって反応を見ることにした。
ゆっくりと手を伸ばし肩を軽く揺すってみるが動き出す気配は無い。今度は少し強めに背中を叩いてみたが、それでも反応することはなかった。
ここまで反応が無いと死んでいると考えるしかなさそうだ。身体に目立った外傷は無さそうだが、ゾンビでも1ヶ月くらい断食すれば餓死してしまうらしい……。
助けられなかったことは残念だが、ゾンビが餓死する事実がわかっただけでも彼女には感謝したい。俺は彼女のために黙祷を捧げ、この場を後にしようとした。
──その時だった。
『ガシッ!』
突然、彼女が手を伸ばして俺の脚を掴んでいた。脚の骨が軽く軋むほどの力で掴まれており、予想外のサプライズに思わず情けない悲鳴を上げそうになったが、幸いにも声は出なかった。
……心臓が止まるほど驚いた。
生きているのならもう少し大人しく反応を返して欲しかったが……まぁ、とにかく生きているなら良かった。
俺がドキドキになりながら見守る中、彼女はもう片方の手で地面に踏ん張りをつけ、上半身を起こそうとしている。
久々に身体を動かしたせいか小刻みに震えているようだったが、それでもゆっくりと身体は持ち上がっていき、そしてある程度の高さまで持ち上がると、彼女は頭を上げて俺の方を見た。
青筋の張った薄緑の肌に半開きの口、そして死んだ魚のような虚ろな目。いままで何度と見かけたゾンビの顔がそこにあった。
他のゾンビ達と同じく、何を考えているのかまったく読み取れない表情だったが……それでも、彼女がいま一番欲している物が何かは容易に想像がついた。
俺は後ろ手を少し伸ばしてアイツの右腕を拾うと、彼女の顔先にそっと差し出した。
彼女は虚ろ気な表情を変えず、目の前に差し出された物が何なのか認識しているのかどうかも怪しかったが、俺の脚から手を離して右腕を受け取ると、しばらく虚ろな目でそれを眺め続け、そしておもむろに口元へと持っていって食べ始めた。
どうだ、数十日ぶりの食事は美味しいだろう。熱心に食べている姿を見ていると、こっちも気分が良くなってくる。
俺の昼食が無くなっていくことにすら気にならないくらいだ。……本当は少し後悔したが。
まぁ、これで彼女の方はもう大丈夫そうだ。面倒を見るのはここまでにして、あとは自力でなんとかしてもらおう。
彼女ができるだけ長生きすることを願って、俺はショッピングを再開するため踵を返した。
道具集めは継続して行っていくが、それのついでに食料も探してみよう。ビーフジャーキーやコンビーフといった肉製品が見つかれば食べられるか試してみたいし、他にも何か掘り出し物でも見つかれば嬉しい限りだ。
──『ガシャンッ!』
……ん、後ろから何か音がした?
後ろには彼女しか居ないはずだが……何の音なのか気になった俺は無意識に後ろを振り返った。
そこには、やはり彼女しか居なかった。
だが、音の発生源は彼女自身ではなかった。つい先ほど彼女に渡したはずの右腕が地面に転がっており、その近くの棚には血がついている。
さっきのは彼女が右腕を棚に投げつけた音だった……? 状況的にはそうなるように見えるが、どうしてそんなことを?
味がお気に召さなかったのかもしれないが、ゾンビが無造作に食料を投げつけるようなことをするのだろうか?
投げた動機がわからないが、俺は彼女に視線を戻した。
そして、彼女を見てすぐに違和感を覚えた。
彼女は顔を歪め、俺を睨みつけるように見ているその目は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほど泳いでいた。
そして、まるで何かに怯えているかのように小さく縮こまっている。
まさか……、彼女は──。




