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ゾンビシティサバイバル  作者: ディア
第1章 - サバイバル編
36/57

036. 大型商業施設攻防戦 当日 (十六)

 悠気(ゆうき)は、桜庭(さくらば)を目指してゆっくりとエスカレーターを降り始めた。

 1段1段と、慎重に降りては身体に異常が無いかを確認し、降りる度に濃度を増していく塩素ガスの中へと進んでいく。


(……一応、あまり吸い込まないようにしているが、痛みを感じないこの身体なら塩素ガスを吸引しても悶え苦しむようなことは無いはずだ。

 まぁ、まったく影響を受けないわけじゃないだろうから、あまり長居したくはないが……)


 いくらゾンビが死んでいるのと同然とはいえ、元が人間であれば塩素ガスが充満している中を進んで無事で済むという保証は無い。

 むしろ、身体の構造は人間とそう変わらないのだから塩素ガスによって悪影響を受ける可能性の方が高いだろう。

 そういった危険性を考えれば、このまま桜庭がより衰弱、ひいては中毒死するまで待つのが無難であった。

 だが、悠気はそれを待とうとはせず、自ら降りていくことを選んでいた。


(悠長に待っていれば、下の奴らが間違いなく助けに来るだろう。助けに来たとしても、この塩素ガスの中であれば殺される心配はまず無いが、この絶好の機会を邪魔されたくはない……まだ塩素ガスが濃いうちに、なるべく早く決着をつけなければッ!

 ……それに、この大男の方を長く苦しませてしまうのもかわいそうだ。早い目にとどめを刺してやらないとな……)


 多少のいざこざはあったが、悠気は桜庭に対して怒りや憎しみといった思いは抱いていない。

 むしろ、自分が仕向けたこととはいえ、桜庭を必要以上に苦しませることは忍びなく、このまま見逃すつもりは無いが、一思いに楽にさせてあげたいとまで考えていたのであった。


 人が人を殺すときのような、ある種の特別な感情ではなく、野生動物が獲物を狩るときのような淡々とした殺意だけを持って、悠気はエスカレーターを降りていく。

 一方、桜庭の方は(うめ)きながら、倒れたその場から動こうとはしていなかった。

 今の桜庭の状態であれば、悠気が軽く手を下すだけで簡単に仕留められるのは明白であった。


 そして、桜庭がそんな危機的な状況であっても避難者達の多くはどうすれば良いのかわからず、その様子をただ眺めているだけで、達也(たつや)もまた同様に固まったままであった。

 このままだと桜庭は為す術無く殺され、桜庭を失った避難者達もいずれ他のゾンビ達の餌食になってしまうだろう。

 そして、そうなるのも時間の問題かに思われた。


 ……だがしかし、それを黙って見過ごそうとしない人物が、ただ一人だけいた。


「桜庭さん!! 今すぐ助けに行きますッ!!!」


 そう叫んだのは、他ならぬ浩司(こうじ)であった。

 なぜ桜庭がいきなり倒れたのかはわからなかったが、浩司にそんなことをいちいち考えるつもりは無い。

 目の前で桜庭が苦しんでいる。それだけで行動するには十分であった。


 呆然としている他の人々を浩司は乱暴に押し退()けてエスカレーターへと駆け寄っていく。

 今からでも急いで向かえば悠気よりも先に桜庭の元へとたどり着き、そこから救助するには十分に間に合う距離であった。


 だがそれは、"塩素ガスが無ければ"の話である。

 無闇に突っ込んでも桜庭の二の舞になることは確実であり、そのことがわかっている悠気も(無謀な奴がいるな……)としか思っておらず、浩司のことを気にも止めず前進を続けた。


 そんな事実を知らずとも浩司の桜庭を助け出すという意志は揺るがず、それを体現するかのようにエスカレーターの最初のステップを力強く踏み込んだ。


 が、しかし──。



()るなァッ!!!!」


 突然、うずくまったままの桜庭が叫ぶように言い放った。

 あまりの大声に避難者達は驚いてビクつき、浩司も前のめりにつんのめってしまったが、すんでのところで転ばずにその場で留まった。


 まだ視力がまともに回復しておらず、呼吸も荒く、立ち上がることすらできない桜庭であったが、浩司が自分を助けに来ようとしている気配を察すると、それを止めるために残った力を振り絞って叫んだのであった。


 桜庭は、塩素の独特の臭いと自身の症状から、周囲に塩素ガスが漂っていることを看破していた。

 塩素ガスがどこから湧いてきたのかまではわからなくとも、それが人体にどれほど危険なものかは重々に認識しており、自分の身よりもこれ以上の被害者を出すことは絶対に避けなければならなかった。


 そして、その被害の拡大はすんでの所で阻止することができたが、桜庭自身が危険な状況であるということに変わりはなかった。


「で、でも桜庭さん! 上からゾンビが来てます!

 もう桜庭さんのすぐ後ろにッ!!」


 達也がそう叫び返したが、そのとおりであった。

 着々とエスカレーターを降り続けていた悠気は、桜庭まであと数段という場所にまでたどり着いており、もう屈(かが)んで手を伸ばせば触れられそうな位置である。


(あと、もう少し……!)


 そう思いながら、悠気は足を止めることなく桜庭へと向かっていく。

 桜庭が大声で叫んだことには悠気も少し驚いたが、それは助けを呼ぶためではなく、他の避難者達を近づかせないようにしたことは願ってもない状況であった。

 残りのステップを降りて桜庭までいよいよあと1段となり、悠気は桜庭の首元に手を伸ばそうとした、その時であった。


「……グ、グゥッ!」


 迫りくる悠気の気配に気づいた様子はなかったが、直感か、あるいは単なる偶然なのか、桜庭は悠気に捕まる寸前に全身の力を振り絞り、その場で身体を大きく(ひね)った。

 狭いステップ上で身体を捻れば当然のようにステップから(こぼ)れ落ち、そのまま桜庭はエスカレーターを転がり落ちていく。

 桜庭がもうまともに動けないだろうと油断していた悠気はギリギリで手を伸ばし損ね、転がり落ちていく桜庭の姿を見送ってしまった。


(まだそんな力が残っていたのか……ッ!)


 下手に追いかけても避難者達の返り討ちに遭うのが目に見えている。悠気は絶好の機会を逃したことに歯がゆさを感じつつも、その場で留まるしかなかった。


 そして、ところどころぶつかりながらであったが、桜庭はエスカレーターをなんとか自力で降りて難を逃れたのであった。

 だが、エスカレーターを降りきっても桜庭は立ち上がろうとはしなかった。


「大丈夫ッスか、桜庭さん!!」

「しっかりしてください!」


 浩司と達也が必死に声掛けするが、桜庭から返事の声は無い。

 桜庭はまだ苦しそうにして動けない様子で、さらにエスカレーターから転げ落ちている最中にぶつけたのか、(ひたい)からは血が垂れ始めている。

 他の避難者達も、今まで見たこと無いほど弱っている桜庭を見て流石に焦りを覚えたのか、不安そうにどよめきだしていた。


 浩司と達也は動かない桜庭を介抱しようとするが方法が解らず、とりあえず桜庭の体を揺すったり呼びかけ続けた。

 そして、それは何もしないよりはマシだったのか、桜庭は少しづつ意識を取り戻し始めていったのであった。


「ぐ、うぅ…………浩司と、達也か……」

「桜庭さん!!!」

「良かった! 生きてる!!」


 桜庭は痛む目をなんとか開けて辺りを見渡す。

 必死になって自分の身体を起こそうとしている浩司、それを泣きそうな顔をしながら手伝う達也、不安そうにその様子を見ている避難者達、そして、顔のすぐ横にエスカレーターが見えたことから、事態はまだ逼迫(ひっぱく)したままであることを悟った。


「俺の心配はいい……。それよりも、すぐにこのエスカレーターから離れて、逃げろ……」

「えっ、でもこのエスカレーターを通らないと屋上に行けないんじゃ……」

「このエスカレーターは駄目だ……。

 塩素ガスが充満していて、吸うと、お前達もやられるぞ……」


 浩司と達也は塩素ガスと言われてもそれが何なのかパッとわからなかったが、それでも桜庭をここまで衰弱させるほどの危険な何かがあって、それのせいでエスカレーターは通れないという事だけは伝わっていた。


「で、でも、ここ以外から逃げるって言ったってどこへ向かえば!」

「そうっスよ!

 エレベーターはゾンビが使ってくるし、階段まで行くにも途中でゾンビがいますし!!」


 二人が反論したとおり、エレベーター周辺はゾンビ達が溢れており、階段に行くにもエレベーター前を通る必要があるため、やはりゾンビの群れと遭遇してしまう。

 なによりも、浩司と達也にはこのエスカレーター以外で屋上へ行く経路は思いつかない様子であった。


 だが、このショッピングセンター内で働いていた桜庭には、まだ他に使える経路について心当たりがあった。


「バックヤードだ……あの緑の誘導灯が光ってる方に、向かえ……!」

「あっ!」

「そうだ! バックヤード!!」


 ショッピングセンター内には商品を売り場へと運ぶための通路となるバックヤードが設けられていた。

 通路は商品が保管されている倉庫や、従業員用の事務所などにも通じていたが、有事の際には避難経路となるため、屋上やトラックの搬入口といった外部出入口にも直接繋がる構造となっている。


 しかし、このバックヤードを確保する前に搬入口からゾンビ達の侵入を許してしまい、バックヤード内の安全を確保しようにも広い搬入口からゾンビが際限無く入ってくるため断念せざるを得なくなり、バックヤードから建物内に繋がる非常口を封鎖することで、ゾンビ達がショッピングセンター内に侵入できないようにしていた。


「バックヤード内にも、ゾンビが居るだろうが……屋上の方向には少ないはずだ……。

 そこを通って、行け……」


 バックヤード内にはゾンビが居る。そして、確認するまでもなく桜庭は戦えそうに無い。

 それはつまり、残っている避難者達だけでゾンビを撃退しながら進まなければならないということである。

 浩司と達也の他に、避難者の中でゾンビとまだ戦えそうなのは一人か二人ほどしか居ないが、今ここで迷っている時間はもう無い。


「このエスカレーターが通れないならバックヤードしか無い、か。

 ……達也、皆を連れてバックヤードに向かうぞ!」

「わかったけど、桜庭さんは……」

「皆で運ぶに決まってるだろ!」

「お、おうっ!」


 バックヤードに向かうことを即決した浩司は、近くに居た避難者達に二人がかりで桜庭を支えて運ぶよう指示すると、再び皆の先頭に立って一番近い非常口へと向かい始めた。


 達也もすぐに浩司のあとについていこうとしたが、ふとエスカレーターの方を振り返ると、エスカレーター上には(たたず)んだままのゾンビの姿が見えた。


 桜庭がエスカレーターから転げ落ちたとき、どうしてゾンビが追いかけてきて襲ってこなかったのかが気になったが、そんなことよりも今は逃げなければと達也は頭を切り替え、皆の後を追って非常口へと駆け出していくのであった。

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