035. 大型商業施設攻防戦 当日 (十五)
暗闇の中、避難者達の一行は東側のエスカレーターを目指して再び進みだしていた。
先頭には桜庭が立ち、そのすぐ脇を浩司と達也が固めて前方の安全を確保し、さらにその後ろから他の避難者達が小走りでついてきている。
一行は、先ほどまでとは違って隠密に行動しようとはせず、それよりも東側エスカレーターに向かって最短距離かつ、最速で移動することに専念していた。
後ろから迫ってきている大量のゾンビ達に追いつかれないように考えての判断であったが、十数人が集団で駆け出していれば相応に足音も大きくなり、その音は静寂な暗闇の中だと一段と大きく響き渡って周囲に広がっていく。
そして、その音は"別の存在"を呼び寄せるのに十分過ぎるほどの原因となっていた。
「桜庭さん! 前からゾンビがッ!」
真っ先に気づいた達也がそう叫んだと同時に、前方の物陰からゾンビ達が突如として現れた。
東側エレベーターからやってきたゾンビが"一回目の食事"を終え、次なる獲物を探して店内をうろつき始めていたところで避難者達の音に気づき、その方に向かってきていたのであった。
「任せろ、お前達は少し後ろに下がっていろ!」
ゾンビが目の前に現れても桜庭だけは臆することなく前進し続け、避難者達は後ろで留まって心配そうに桜庭の背後を見つめている。
ゾンビ達の方も桜庭に狙いを定めたのか一目散に駆け出し始めていた。
そして、暗闇でもお互いの顔がはっきりと分かるくらいまでの距離に近づくと、桜庭はゾンビの一歩手前で力強く踏み込み、手に持っていた斧を力強く振り切った。
『ゴッ』と鈍い音を立てながら、頭部に斧が当たったゾンビは衝撃で首をあらぬ方向に曲げて倒れていき、その後に続いて襲いかかってきたゾンビも、桜庭が返す刀で振り上げた斧が顎に命中すると、砕かれた顎を飛び散らせながらゆっくりとその場で沈んでいった。
「おぉ!」「すごい……さすが桜庭さんだ!」
後ろに待機していた避難者達は、桜庭が次々とゾンビを倒していくのに合わせるかのように驚嘆の声を上げて称賛する。
それぐらいしかできないということもあったが、あれほど恐ろしいと感じていたゾンビを呆気なく倒していく姿を見せつけられれば痛快な気分になるのも当然で、その気持ちは声にして出さざるを得なかった。
桜庭も歓声に応えるかのように戦ってゾンビを倒し続け、その度に避難者達は湧き上がっていく。
だが、そんな湧き上がる避難者達の中で、ただ一人だけ暗い表情をしながら桜庭を見ている人物がいた。
中央のエスカレーターに居たときからずっと落ち込んでいる浩司であった。
ゾンビを倒して皆から称賛を受ける桜庭の姿と、ゾンビと戦おうとせず逃げるだけだった上に、最後は追い詰められた自分の姿を比べてしまい、あの時どうして桜庭のように戦えなかったのか、どうして桜庭のように振る舞えなかったのか、どうして桜庭のように人を惹きつけられないのかと自問自答を繰り返しては深みへと嵌っていく。
それが今の自分と桜庭との単純な実力差ということは浩司の頭でも理解できていたが、それを素直に認められるほど大人では無かった。
そうして浩司が鬱積した思いを募らせているうちに、桜庭は前方のゾンビをすべて倒し終えていた。
「全部倒したな……皆は問題ないな?」
そう言いながら、桜庭は避難者達の方に危害が及ばなかったか確認しようと振り返ったところ、ふと浩司と目が合った。
思わず目をそらす浩司。桜庭に心情を悟られたくないためか無意識的に目をそらしてしまったが、その露骨過ぎる態度を見て浩司が良くない精神状態になっていると見抜いた桜庭は、少し頭を掻いた後、難しい顔をしながら浩司の元へと歩み寄っていき、静かに話しかけた。
「さっきは言う暇が無かったが……オレが居ない間によくここまで頑張ってくれたな、浩司」
「あ……、いや、オレ……」
浩司は、桜庭の顔を直視することができなかった。
自分の意思では無かったとはいえ、皆をまとめきれずバラバラにしてしまい、避難者の半数が居場所はおろか生きているのかどうかもわからない。
さらに、自分が率いて連れてきていた避難者達もまた窮地に陥らせてしまった。桜庭が助けに来ていなければ、あのまま全滅すらあり得ただろう。
もし、桜庭が最初から率いたままだったとしたら誰一人としてはぐれるようなことは無かったはずで、皆を危険に晒すようなことも無かっただろうと思うと、自分の無力さと後ろめたさで胸が締め付けられるような思いとなっていた。
だが、桜庭は浩司を責めたてるようなことはせず、落ち着いた声で話し続けた。
「大丈夫だ。お前は十分によくやった。元はといえば、オレが自分勝手に栄理を探しに行ったせいでお前達に余計な重荷を背負わせてしまった。
それに、ゾンビがエレベーターを使うなんてオレも予想できなかった」
「…………」
「そんな状況で、お前が引っ張っていなければ多くの犠牲者が出ていたはずだ。お前がいたからこそ、ここにいる皆の命が助かったんだ。……だからな、自分をそう下げるな」
「………………ッス」
浩司が肩を少し震わせながら蚊の鳴くような声で返事をした。
何を言ったのかまでは聞き取れなかったが、桜庭は聞き返すような野暮なことはせず軽く頷き返す。
緊急事態では肉体よりも先に精神的にやられてしまう人間を何人も見てきた桜庭にとって、浩司や他の避難者達もそうならないようフォローする大切さを重々に理解していた。
今はまだ気持ちを落ち着かせるための時間が浩司には必要だが、この様子であればすぐに立ち直ってくれるだろうと判断した桜庭は、頭を切り替えて再び避難者達の先頭に立った。
「よし、皆行くぞ!! ゾンビは見つけたらすぐに知らせてくれ!」
桜庭の掛け声とともに一行は再び前進する。
その後も移動中に何度かゾンビの襲撃に遭ったが、その度に桜庭が一人でゾンビを蹴散らしていった。
どんなにゾンビが現れようとも、桜庭が居る限りゾンビに襲われる心配は無いということを証明するだけである。
桜庭の活躍を間近で見ている避難者達からは危機感がどんどんと薄まっていき、今度こそ無事に脱出できるだろうと、確信に近い期待を抱いていた。
そうして暗い店内をひたすら前に進み、エスカレーターの場所を指し示す標識を追い続け、見覚えのある店の前を通り抜けていくと、ようやく東側エスカレーターが姿を見せ始めた。
エスカレーター周辺にゾンビの姿は無く、下の階に行くエスカレーターも止まらず動いている。
まだ近くにゾンビが潜んでいる可能性はあったとしても、桜庭が対処できないほどの数が出てくるようには到底思えない。
そんなエスカレーター周辺の様子を見て安心した避難者達の中からは安堵のため息が漏れ始め、「助かった……」とつぶやく声も聞こえてくる。
このエスカレーターを上っていけば、そのまま屋上まで一直線で到達して脱出できる。脱出した後の不安はあっても、今の危機的状況から脱出できると思えば些細なことであった。
目の前のエスカレーターに向かって急いで駆け出していく避難者達。
そのままの勢いでエスカレーターも一気に駆け上がってしまおうとしたが、先頭に立っていた桜庭がエスカレーターの前にまでたどり着くと、急に立ち止まって皆を静止した。
「あれは……ゾンビか?」
エスカレーターの4階降り口に人影が見えた。
スーツらしきものを着ているようで、上半身はよく見えないが黒色に近いスラックスを履いているのだけはわかり、避難者の中でそのような格好をしていた人が居た記憶は無い。
明らかに部外者の出で立ちで、今の状況で考えられるとすれば、目の前に見える人影はゾンビであることが容易に推測できた。
だが、当のゾンビの方は避難者達に気づいていないのかエスカレーターの降り口からまったく動こうとせず、ずっと立ち止まったままでいる。
「こっちでも4階にゾンビが……どうすれば……」
不安そうな達也の質問に桜庭は少しだけ考え、そして答えた。
「……オレが行ってあのゾンビを倒すから、お前達はその後をついてこい。
大丈夫だ、あのゾンビさえどうにかすれば、あとはエスカレーターを駆け上がって屋上まで逃げ切るだけだ」
「わ、わかりました。……大丈夫だと思いますけど、気をつけてください」
桜庭は、他の逃げ道を探すためにゾンビが潜んでいるショッピングセンター内をこれ以上うろつくよりも、ここを強行突破して4階、そして屋上へと逃げる方が安全だと判断した。
もし仮に4階がゾンビだらけになっていたとしてもエスカレーター自体は上っていけば屋上にまで続いているため、エスカレーター周辺さえ守りきれば全員が脱出できるという考えに至ったためであった。
そうして、桜庭が一人でエスカレーターに踏み入っていった。
後ろからゾンビ達が迫ってきている以上、目の前のゾンビを倒すのに時間をかけている余裕は無い。先ほどまでの戦いと同様に、今度も一撃で仕留めて終わらせるつもりである。
下から顔面めがけて斧を振り上げるべきか、それとも一気に接近して首を薙ぎ払うべきか、はたまた一度突き飛ばした後にトドメを刺すべきか……。
どうすれば安全にゾンビを倒せるか、桜庭は頭の中でイメージしながらエスカレーターを上っていく。
どう戦うにしても、桜庭の戦闘力をもってすればゾンビ一体を倒すことなど容易いことは確実であったが、それでも桜庭は考え続け、その間に一段、また一段と段差を上っていった。
……そして、エスカレーターの中頃に差し掛かった頃、桜庭はあることに気がついた。
上の階に居るゾンビは先ほどからまったく動いていなかったが、近づくにつれその姿が段々はっきりと見えてくるようになると、ゾンビの顔はきちんと下の階に向いていることがわかり、さらにそのゾンビは真っ直ぐに桜庭の方を見つめていたのであった。
何を思っているのかはゾンビの顔を見ても読み取ることはできなかったが、赤い眼をギラつかせながら口を横に大きく開けている様子は、桜庭の方からもはっきりと見えていた。
(……コイツ、笑っているのか?)
一瞬、ゾンビの顔を見た桜庭はそう思った。
だが、ゾンビが笑うことなんてあるはずが無い、そんなことよりも今は余計なことを考えずゾンビを倒すことだけに集中しろと、自分自身に言い聞かした。
ゾンビがこちらに気づいている可能性があり、そうであればいつ襲いかかってきてもおかしくはない。
もし、いきなり飛びかかってきた場合でも迎撃できるよう桜庭は武器を構え直し、そして先手を取られる前に早急に倒すことを決めた桜庭は、突撃する姿勢を取った。
(この距離なら、ゾンビが動きだす前に仕留められるな……)
ゾンビを倒す算段がついた桜庭。全身に力を込めて軽く深呼吸をしたあと、地面を蹴って一気にエスカレーターを駆け上っていった。
あと数秒でエスカレーターを上りきって、勢いそのままに目の前のゾンビを殴り倒す。
今までの桜庭の戦いぶりを見ていれば誰もがそうなるだろうと考え、桜庭自身でさえ、そうなると確信していた。
……だがしかし、そうはならなかった。
最初に異変を感じたのは、『眼』であった。
「がぁッ!!」
突然、桜庭の両眼に激痛が走っていった。
まぶたも開けていられないほどの痛みで、思わず声が漏れ出てしまう。そして、眼の痛みの原因もわからないうちに今度は鼻、喉へと痛みが次々と広がっていった。
とても立てるような状況ではなくなり、桜庭はエスカレーター上で倒れるようにうずくまっていく。
眼も見えないままで何が起きたのかもわからない状況であったが、エスカレーターの段差に手が触れた際、指先に何か濡れたような感覚があったのだけは認識することができた。
そして、そのうずくまっている桜庭の姿を、上の階に居るゾンビは静かに見下ろしていた。
(……足止めか、逃げ道の封鎖くらいできれば十分だと思っていたが……なるほど、これは確かに『危険』だな……)
悠気は、自分のした行為に少し尻込みしつつも、予想していた以上に効果を上げた罠に満足気であった。
そして、悠気の足元には鮮やかな色のプラスチック容器がいくつも転がっており、それには『混ぜるな危険』と大きく書かれていた。
避難者達がエスカレーターにたどり着く前、悠気は先に東側のエレベーターに到着すると、あらかじめ積んでいた"ある物"を回収していた。
その"ある物"とは、薬局で見つけた酸性洗剤と塩素系洗剤であった。
悠気はそれを持って大急ぎでエスカレーターにまで移動し、エスカレーター前に到着したあとは洗剤容器を力任せに引き千切って開封しては、中身をどんどんエスカレーターに撒いていった。
無造作に撒かれた酸性洗剤と塩素系洗剤はお互い混ざり合い、人体に有毒な塩素ガスを生み出していく。
塩素ガスが眼や呼吸器官に触れれば甚大なダメージを負い、少量の洗剤でも密室であれば重症になる場合もあるほどの毒性だが、洗剤のボトル丸ごとの量を混ぜようものなら膨大な量の塩素ガスを生成し、それは広い空間でも十分な濃度を保つほどであった。
そうして塩素ガスはエスカレーター上に漂いながら獲物をひたすら待ち続け、明るければ存在に気づけたかもしれないが、暗闇の中だと塩素ガスに気づきようがなかった桜庭は、無防備にガスの塊に飛び込んでしまったのであった。
さすがの桜庭でも塩素ガスを浴びれば無事で済むはずもなく、もはや戦うどころか自立すら困難な状態になっていた。
そして、その桜庭の惨状を見ていた避難者達は叫ぶことすらできず、ただ、あ然としながら絶望に飲み込まれていくのであった。




