032. 大型商業施設攻防戦 当日 (十二)
ゾンビは脚にワイヤーが引っかかっても何を思うわけでも無く、ただひたすら前に進み続けた。
脚に絡まったワイヤーはそのまま引っ張られ、そのワイヤーの先に括り付けられていたストラップが防犯ブザーから完全に抜け落ちると、それと同時に防犯ブザーは大きな悲鳴を上げ始めた。
『ビーッー!! ビーッー!! ビーッー!! ビーッー!! ビーッー!! ビーッー!!』
耳を覆いたくなるほどの大音量が、まるで泣く子供のように止め処なく溢れ出ており、辺り一帯はおろか、エスカレーターを伝って他の階にまで音が広がっていく。
先ほどまで静寂に支配されていたショッピングセンター内は、またたく間に騒音に蹂躙されていくのであった。
そしてその騒音は、エスカレーターから少し離れた家電製品屋にもはっきりと届いていたのであった。
「なっ、なんだ!?」
「また何か鳴りだした!?」
突然聞こえてきた騒音に不意を突かれた浩司と達也は、思わずその場で立ち上がって周りを確かめるように首を振ったが、流石に動揺してその場から動けず、他の避難者達も同様に狼狽えているばかりである。
わかっていることは、明らかに警告を意図して鳴っているこの音を聞けば、自然と焦る気持ちが高まっていくということだけであった。
いったい何の音なのか、どこから音が鳴っているのか、そしていつ鳴り止むのか……。
焦燥感と共に疑問が沸々と湧いて出てくるが、明確な答えが思いつく大人は誰ひとりとしていない。
だが、最初の疑問についてだけは、端の方で保護者の女性に抱きつきながら縮こまっていた小学校高学年の女の子が細々とした声で答えた。
「……これ知ってる。防犯ブザーの音だよ。私、前に鳴らしたことあるから……」
「防犯ブザーって、もしかしてエスカレーターに仕掛けてたアレか!? なんでいま鳴るんだよ!!」
「ひっ! し、知らない……」
答えたのに怒鳴り返された女の子は思わず体を震わせて怯えてしまったが、怒鳴った当の本人である浩司はその事に気を利かせる余裕は無い。
他の避難者達も浩司を嗜めることよりも、事態を把握することに必死になっていた。
「……エスカレーターに仕掛けていた防犯ブザーが鳴ったってことは、誰かが罠に引っかかったってことか?」
「東側のエレベーターで逃げ延びた人が誤って作動させたとか……。いやでも、罠を仕掛けたのは下の階に行く方だけだし、2階に向かうくらいなら4階に行くだろう」
「……誰か、ここに来る途中でエスカレーターが動いているか見たか?」
「いや……」
「私も見てない……」
「だったら、エスカレーターが止まってて2階からゾンビが来た可能性も……」
3階のエスカレーターは桜庭が動かすために見回りへと行ったはずだ。
そのことすら避難者達の意識からは綺麗さっぱり抜け落ちてしまっていたが、家具屋から急いで逃げてきたこともあって、道中にあったエスカレーターが動いていたか確認するような余裕は誰にも無かった。
それでも桜庭が行った後なのだから、3階西側は相応に安全確保がされているだろうと信頼を抱き、そして、その考えが間違っていたかも知れないという想定外の事態に対して、落ち着いて行動できる者は居なかった。
……約一名を除いて。
その一名とは、先ほどから避難者達の様子を静観し続けて、虎視眈々と機会を伺っている悠気であった。
(……狙いどおり、ゾンビを3階にまで誘導することはできたようだな。
何体のゾンビが来てくれたのかにもよるが、これで俺が生き延びられる可能性はグッと高まったはずだ……!)
悠気の思惑どおり、投げたキッチンタイマーがゾンビを呼び、呼ばれたゾンビが罠にかかって防犯ブザーを鳴らし、鳴った防犯ブザーが更にゾンビを呼び寄せるという連鎖が見事に繋がっていた。
このショッピングセンターに来て初めてうまくいった策ということもあって、悠気は内心かなり喜んでいたが、まだ喜ぶのは早いと強く自制をきかせる。
(これで助かるだけならまだイーブン……。
ここからだ。この混乱に乗じて、誰か一人だけでもこっそり掻っ攫うのがベストだが……)
当然ながら、食料確保することを諦めていない悠気は次の手を考え始めている。
1対多の戦闘は絶対に避けたいが、この状況下で避難者達が単独行動するようなことはまず考えられず、それでもチャンスが来るのを待って避難者達の動向を注意深く観察し続けるしかなかった。
しばらく避難者達は意見交換やエスカレーター付近にゾンビが本当に来ているのか偵察しに行ったりしていたが、ようやく次に行動するべきことがまとまった様子で、浩司が息を少し荒げながら全員に聞こえるよう言い放った。
「みんな、いいな? ゾンビに見つからないように中央エスカレーターまで戻って、そこから屋上まで一気に逃げる。
ゾンビに見つかっても倒そうなんて考えず、逃げることが優先だぞ」
「……できるだけ静かに行かないと」
「ゾンビを見つけても、絶対に叫び声なんて上げるんじゃねぇぞ。……助けなんて期待すんなよ」
「わ、わかった……」
「子供達にもよく言い聞かせます」
防犯ブザーが鳴っているうちはまだ大丈夫でも、何かの拍子で壊されたり電気切れで鳴り止んでしまえば、家電製品屋までゾンビ達が押し寄せてくる可能性があるだろうという結論に達した避難者達は、まだ逃げるチャンスがある今のうちに家電製品屋を出て、屋上へと脱出する算段を立てていたのであった。
屋上にさえ出られれば、そこには自動車とバイクが置いてある。
ミニバンと軽自動車1台のキーは桜庭が預かっていたが、もう1台の軽自動車とバイクのキーについては、浩司と達也が家具屋から逃げる際に持ち出していたため、多少人数オーバーでもここから逃げ出す最終手段として使える見込みが立っている。
ただし、屋上に着いてもすぐには逃げ出さず、そこでギリギリまで桜庭親子を待つというのが、全員で相談して決めた計画の内容であった。
避難者全員で相談した結果の計画であり、全員の決を取った際にも反対する者無く決まったものであったが、その後でも達也は少し納得していなかった様子で、思わずボソリと呟いた。
「やっぱり、ここで桜庭さんを待っていたほうが……」
静かな呟きであったが、それが聞こえた浩司は達也に近づいて思いっきり小突いた。
「痛っ!」
「まだ桜庭さん頼りになってんのか! いい加減、頭を切り替えろよ!」
「べ、別に殴ることじゃないだろ……」
「いつ来るかもわからねぇ桜庭さんをいつまでも期待してんじゃねって!
ここで呑気に待ってて、もしゾンビが来たら、オレ達じゃ食い殺されるだけだぞ!
桜庭さん抜きでなんとかするしか無いんだよ!!」
怒号に近い声で叫ぶ浩司に、思わず怯む達也。
「わ、わかった、わかったよ! ちょっと考えただけだって!」
「……桜庭さん頼りじゃもう生き残れない状況ってことをちゃんと自覚しろよ。
それでも残りたいなら、お前一人で残れよ」
「…………」
浩司は、一緒にいる自分を差し置いて、ずっと桜庭ばかり望まれていることに苛立っていた様子で、それを達也にぶつけてしまった。
実際、本人も桜庭が居ればどんなに頼もしいかはよく理解していたが、比較されて自分を過小評価されているように感じてしまって不満を懐き続け、それがとうとう達也の一言で噴出した次第であった。
団体行動前に少し気まずい空気になってしまったが、それでも避難者達は計画どおり家電製品屋から逃げ出す準備として、近くにある武器になりそうな道具を手に取ったり、落とし物や忘れ物がないか改めて持ち物を確認したりして手を止めずに作業を行っている。
……そして、聞き耳を立てていた悠気もまた、避難者達の行動を察知してどうするべきか考え込みだしていた。
(コイツら、ここから移動するつもりか。だったら、俺はどう出るべきか……)
この場に居続ければ確実に助かるだろうという魅力に少し誘惑されつつも、避難者達の動きを想像しながら、どうすれば安全に襲えるのかを悠気は考える。
少なくとも、避難者達よりショッピングセンターの状況を理解しており、今どの辺りにゾンビが居るのかも、ある程度は把握している悠気に分があるのは間違いない。
それに加え、避難者達に存在を気づかれていない時点でも、先手先手で動ける悠気が有利であることは確実だった。
しかし、悠気にはどうしても警戒しなければならない存在があった。
そう、桜庭の存在である。
(あの大男が、今どこで何をしているかわからないのが厄介だな……。避難者達と合流されるのも不味いが、俺がばったり出会えばその時点で終わる。
最後に出会った2階の時から時間はだいぶ経っているが、あのまま捜索活動を続けていたとすれば……)
もし、自分が桜庭の立場だったらどう行動しただろうか、それを踏まえてショッピングセンター内はどういう状態になっているだろうか。
そのようなことを悠気は考慮しながら、避難者達を襲うためにどう動くべきかを練っていたが、1階2階の時のように時間をかけて考える余裕は無かった。
準備を終えた避難者達が、既に移動し始めていたからである。
「オレが先頭を歩くから、達也は一番後ろを頼むぞ」
「えぇ、オレが?」
「……オレの代わりに前を歩けるのかよ」
「そ、それは無理だって!」
「なら黙って後ろからついてこいよ。はぐれないよう見てるだけでいいんだから楽だろ」
「……わかったよ」
避難者達は、まず浩司が先頭に立って先導役となり、その真後ろには女性や子供達が連なる。更にその周りを囲むように大人達が並び、最後尾に達也がついて来るという集団形態となっていた。
ゾンビとの戦闘は極力避けるが、万が一戦うことになっても戦える大人達が率先して抵抗できるようにするという考えである。
ただ、まともな武器を持っているのは浩司と達也くらいで、まともに戦えない年寄りも多い。
ゾンビ一体を相手するならともかく、集団で襲われてしまえばひとたまりもないことは多くの避難者が理解していた。
それでも自由に列を組むよりは、幾分か生存できそうな気になれたのもまた事実であった。
「よし、行くぞ……!」
浩司が語気を強めて進み始める。
先頭に立つというプレッシャーと、一番最初にゾンビに襲われるかもしれない恐怖はあったが、自分が皆を守るという責任感から足取りに迷いはなく、それを感じ取っているかのように、後ろの避難者達も黙々と浩司の後ろを歩き出す。
そして、考えがまとまっていなくても追わない訳にはいかない悠気は、存在を気づかれないよう避難者達から少し距離を開けて後ろをついて行くのであった。




