028. 大型商業施設攻防戦 当日 (八)
エレベーターのドアが開き切ってから、ほんの数秒の出来事であった。
一番先頭に立っていた貧相な大学生は、目の前に広がった光景が何なのか理解できなかった。
いや、大学生だけでなく、その場に居た避難者の中で誰一人として目の前の光景が信じられなかった。
たった数時間前に利用したエレベーターは自分達以外に利用する者が居るはずもなく、4階への短い道のりで危険なことは起こることも無い、……はずだった。
対して、エレベーターの中に居たゾンビ達は目の前に突如として現れた人間達を見ても慌てた様子はなく冷静に、本能に従うがまま獲物に向かって両手を伸ばし、前進を始めていた。
「あっ……、何、で……?」
それが、大学生の最後の言葉であった。
先頭に居た大学生は真っ先にゾンビ達に押し倒され、ろくに抵抗する間もなくゾンビの群れの中に飲み込まれていく。
他の避難者達もエレベーターに近かった者からゾンビに腕や足を掴まれてしまい、逃げることが叶わなくなってからようやく自分達の置かれた状況を理解していったのであった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「なんで!? エレベーターにゾンビがっ!!!」
「離せっ、離してくれ!!!!」
ゾンビに捕まった避難者は必死に抵抗するが、ゾンビの握力は人の手で容易に振りほどけるようなものではなく、それどころかゾンビの指先がミリミリと音を立てながら皮膚に食い込んでいって血が滲んでいく。
「た、助けてっ!!」
自力での脱出が不可能であることを悟った老人が救援の声を上げるが、無手であり、自分達もゾンビ達に狙われている最中であり、そして元よりゾンビに立ち向かう勇気は無い避難者達が救援できるはずもなかった。
ただ、目の前の惨劇に対して彼らが行えることといえば……、
「…………に、逃げろッ!!!」
捕まった人達がゾンビ達の餌食となっているうちに、この場から急いで逃げ出すことだけであった。
まだ無事な避難者達は蜘蛛の子を散らすようにエレベーターから逃げ出していく。全力疾走で逃げ続ければ足の遅いゾンビ達に追いつかれることは無く、少なくとも直近の難からは逃れられる。
だが、逃げ出した後にどうするかといったことまでは考える余裕は無く、逃げ先すら定かではない。各々が好き勝手逃げ出していったため、逃げ先もバラバラであった。
そして、他のゾンビが邪魔で食事を得られなかったゾンビ達は、逃げ出していった避難者達を追いかけ始めていくのであった。
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「……なんか、向こうのほうで騒ぎ声が聞こえんな」
「何かあったのかな……」
エレベーター付近からの騒音は、浩司と達也のところまで聞こえていたが、すっかりやる気を無くした二人の反応は薄く、4階に向かった避難者達が道中でゴキブリでも見つけて騒いでいるのだろうとしか考えていなかった。
他の避難者達も視線を向けたりの反応はしたが、何か行動するわけでもなく、浩司と達也がやる気を取り戻すまで黙って目を閉じて休もうとしたり、桜庭に早く戻ってきて欲しいと考えたりしただけである。
エレベーター付近にゾンビが現れたというようなことは微塵も考えていない様子であった。
「……4階へ向かった連中のことより、ここの見張りをどうするかそろそろ考えようぜ」
「それもそうだな……」
やる気は出ないが、いつまでも落ち込んで見張りをしない訳にはいかない。
残っているメンバーだけでどの場所を見張るべきか相談しようと重い腰を上げようとした、その時であった。
「お、おーーいっ!!」
「……ん?」
遠くから呼び声が聞こえ、達也が声の方へと振り向いた。そこには、血相を変えて走ってくる数人の姿が見え、それは4階へ向かったはずの避難者達であった。
避難者達が走り寄ってくるのを不思議がりながら見ている浩司と達也だったが、そのただならぬ雰囲気から何かが起きたことだけは察した。
そのまま避難者達は浩司と達也の前にたどり着くと、肩で息をしながら必死な形相でエレベーター付近で起きた事を伝えようとした。
「はぁ、はぁ……、エレベーターから、大勢のゾンビが……。それで、いきなり襲われて……」
男は気が動転しており、息を切らしながらでしどろもどろな発言であったが、何を言いたいのか察するには十分であった。
「……ハッ、何言ってんだよ。ゾンビがエレベーターを使えるわけねぇだろ。アイツらじゃボタンの押し方すらわからねぇよ」
「だからっ、はぁ……はぁ……、それがっ、あったんだって! 既に何人か襲われて、俺達は必死で逃げてきたんだよ!」
男が言ったことは半信半疑で、自分達を茶化すための冗談であって欲しいと願う気持ちはあったが、残っていた避難者の中でこんな冗談を言う者は居ないことくらい二人とも理解していた。
「冗談を言ってる訳じゃ無さそうだよ、浩司……」
「…………マジかよ」
家具屋に残っていた他の避難者達も、二人と同様の焦りを見せ始めている。
桜庭が居ないこの状況下で、ゾンビがやって来て襲いかかってくるかもしれない。ゾンビが少数なら今いる避難者達だけでも何とかできるかもしれないが、もし大勢のゾンビが来たらどうしようもないだろう。
どうすべきか決めあぐねている状況となり、皆が沈黙してしまったが、その沈黙を真っ先に破ったのは浩司であった。
「達也、ここの事は任せた。オレはゾンビがどこまで来てるのか、ちょっと見てくる」
「……もしかして、一人で行く気!? 危ないって!」
突然な浩司の提案に、達也は驚きの声を上げる。
浩司は先ほどまでやる気のない様子であったが、いま現状で一番の戦力は自分であることを自覚しており、ここは自分が率先して動いていかなければならないと張り切りだしていた。
「様子を見に行くだけだから無茶はしねぇって」
「……わ、わかった。……こっちはヤバかったら逃げられるよう他の人達と準備しておくから!」
どうするべきか思いつかない達也は浩司の提案に乗るしかなかった。他の避難者達からも特に反論は出ていない様子だ。
実際のところ、ゾンビの数や位置は状況把握する上で特に知っておきたい情報であり、それがわからなければどうすべきかも決められないため、ゾンビの偵察は優先すべき事項ではあった。
「じゃあ、行ってくる!」
浩司はそう言い放つと、手にバットを持って一人でエレベーターの方へと駆け出していった。
残った者達は、その後ろ姿を不安ながら見送ることしか出来なかった。
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浩司は駆け出してエレベーターに続く通路の前にまでやって来ると、その場でしゃがみ込んで近くの物陰に身を隠した。
しゃがみながら静かに息を吐き、深く息を吸い直して呼吸を整える。手に持ったバットの感触を確かめ、(万が一、ゾンビと戦うことになってもオレなら対処できる!)と自分自身に強く言い聞かせた。
覚悟が決まったところで浩司は物陰からそっと顔を出し、エレベーターがある方を覗き見る。
目の前には真っ暗な空間が広がっており、目を凝らしても人影らしき姿は見当たらない。浩司はゴクリと生唾を飲み込んだあと、静かに前へと歩みだした。
周りの物音や気配に注意し、またこちらからは物音を立てないようにも注意して、ゆっくりとエレベーターの方へと近づいていく。家具屋からエレベーターまでは数十メートルの距離であったが、それが途方も無く遠い距離のように感じられた。
(やっぱりドッキリでした、ってことはねぇのかな……)
想像していたよりも静かな状況に、浩司は都合の良い期待を抱きながら暗闇の中を進んでいく。
そして……。
『ピチャ……、クチャ……』
浩司がエレベーターまであと少しといった距離まで近づいた頃、エレベーター付近から何か瑞々しい音が聞こえ始めた。
暗闇のため音の正体は見えないが、ショッピングセンターの避難生活では聞き覚えのない音である。
浩司は近くにあった柱の裏に急いで隠れ、音の出ている方に向けてジッと目を凝らした。
通路の真ん中で何か蠢くものが見える。
最初は大きな一つの塊のように見えたが、よく見ると複数の塊が集まってできていることがわかり、さらにそれは、人が集団で屈みながら、"何か"を取り囲んでいるようであった。
人らしき集団はその中心にある"何か"に手を伸ばして力任せに引きちぎり、ちぎり取れた"何か"を口に運ぶような動きを繰り返している。それが、瑞々しい音を鳴らしている原因であった。
そして、その集団を見ていた浩司はまるで苦虫を噛み潰したような表情となっていた。
(ホントにゾンビが来たのかよ……!)
普段は察しの悪い浩司でも目の前に見える集団が"人"ではなく"ゾンビ"であることくらいは察知し、そのゾンビの集団は絶賛食事中であるということを理解した。
何を食べているのかは暗くてよく見えないが、状況を考えれば何であるかはおおよその予想がつく。
浩司は落胆混じりで目の前の光景を受け入れざるを得なかった。ゾンビは見えている範囲だけでも5体は居ることがわかり、とてもじゃないが一人で相手することは死にに行くようなものであった。
4階に向かった避難者達についてはどこにも見当たらず、ゾンビに襲撃された以上、なんとか自力で生き延びていることを願うしか無い。
とりあえず、ゾンビが来たのは本当であったことと、その数は自分達だけではどうにもならないことを伝えるためにも家具屋に戻るべきだと浩司は直感した。
だが、その前に2体のゾンビが食事の手を止めて急に立ち上がり、それを見た浩司は急いで顔を引っ込めた。
ゾンビ達は、周りから何かを感じ取ったかのように辺りを見渡し始める。
(まさか、オレに気づいた!?)
浩司の心臓の鼓動が一気に早くなり、額と手に脂汗が湧き出てくる。音を立てないようジッとするしか無かったが、その間にもゾンビ達は周りを見渡し続けていた。
そして、しばらくするとゾンビ達は何かに惹かれるように歩き出し始めた。その歩みに迷いはなく、目的地に向かってまっすぐ前へと進んでいる。
……だが、ゾンビ達の進路は浩司の方には向いていなかった。浩司の居る方角とは逆の道に向かっており、狙いは浩司ではなかった様子であった。
それに気づいた浩司は、安堵のため息を漏らした。
(はぁ~……、ビビらせやがって。オレじゃないのかよ)
ゾンビ達にまだ気づかれていないとわかった浩司は、家具屋へ戻るために来た道を帰ろうとした。だが、帰り道を駆け出す前に、ふとさっきのゾンビ達はどこに向かっていったのかが頭を過った。
(……あっちの方にあったのって、何だったっけ?)
浩司は記憶を頼りに何があったかを思い出そうと試みた。
この数週間、このエレベーターの辺りは何度も行き来した場所である。ゾンビの向かった先に何があったかはすぐに思い出すことができたが、それがわかった浩司は血相を変えていた。
(ヤバいッ!!)
浩司は家具屋まで駆け出していった。
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家具屋では、達也と避難者達が手分けして子供達を起こしていつでも逃げられるよう準備をさせ、大人達はそれぞれが武器になるものを手に持って待機していた。
逃げるにしても籠城するにしても準備はできており、あとは浩司が戻ってくるのを待つだけである。
他の避難者達は口数も少なく黙って待っていたが、達也だけは落ち着かない様子で辺りをウロウロしていた。
「……あっ、戻ってきた!」
誰かが声を上げ、それに釣られて皆は同じ方法に視線を向けた。その視線の先には、見慣れたキャップを被った浩司が走って戻ってくるのが見えた。
浩司の無事な姿を見て達也は内心ほっと胸をなでおろしたが、浩司の顔がわかる距離まで近づいてくると、浩司は非常に険しい表情をしていることが見えてしまい、何を察した達也は浩司と同じくらい険しい表情になった。
「ハァ……、ハァ……」
「あ、……その、おかえり」
「……ハァ、ハァ。スマン、ちょっとだけ、息を整えさせてくれ……」
避難者達のところまで急いで戻ってきた浩司はまず呼吸を整えることに努め、避難者達はその姿を心配そうに眺めて待った。
少し休憩して落ち着いた浩司は、達也の方を見ながら重たい口を開き出した。
「……ゾンビだけど、マジでエレベーター付近にいやがった。それも、かなりの数で」
浩司の報告を聞いた避難者達の中でどよめきが走る。達也も血の気が引いていくのを感じたが、皆を代弁して浩司に質問した。
「……その、オレ達じゃ倒せないくらい?」
「あぁ。……桜庭さんが居ても厳しいかもな」
「そう、なんだ……」
ゾンビと一番戦えるはずの浩司が弱音を吐いて勝てないと言い切った。それはつまり、家具屋で籠城なんてせず、すぐにでもどこか安全な場所に逃げろという回答でもあった。
達也は他の避難者達の方をチラッと見た。
皆は動揺している様子で、その大人達の様子を見ている子供達はかなり不安そうにしていた。
今いる避難者の中で女性や年寄りはゾンビと戦えるほどの力はなく、子供達の数も多い。それらを守りながら戦うなんてことは非常に厳しく、ゾンビと出会わないように逃げなければならなかった。
迷っている時間も惜しいと考えた達也は、思ったことをそのまま声に出した。
「と、とにかく! ここに居たら危険だし、別の場所に逃げよう!」
「あぁ、それがいい!」
「わ、私も賛成!」「僕も!!」
達也の提案に避難者達も賛同し、逃げることに関しては即決となった。
あと考えなければならないのは避難先である。
「4階はまだ安全だと思う。エスカレーターから上って4階に避難しよう」
「いや、それはムリだ」
「……え?」
達也の避難先提案に、浩司が速攻で反対した。
「様子見しに行った時にゾンビがエスカレーターの方へ向かっていくのが見えたんだよ。今頃、エスカレーター付近にはゾンビが居るはずだ」
「……」
先ほどの2体のゾンビが向かっていった先にはエスカレーターがある場所であった。そのことに気づいた浩司はエスカレーターに向かえば途中でゾンビに襲われる可能性が高いと考え、東側のエスカレーターは使えないことを皆に伝えた。
「エスカレーターが使えないとなると、どこに向かえば……」
「安全な場所って言っても、そもそもどこが一番安全なんだ?」
「……もうどこも安全じゃないような気がしてくるよ」
避難者達が不安になりながら避難先を検討し始めた。浩司と達也も一緒になって考えているが安全だと言い切れる場所は思いつかない。
皆がウンウンと唸りながら考え続けていたが、そのうち避難者の一人が提案を出した。
「じゃあ、とりあえず西の方に避難しようよ。もしかしたら、途中で桜庭さんと合流できるかもしれないし」
『桜庭と合流できる』
その言葉は、避難者達にとって最も安全が保証される場所のように聞こえていた。




