024. 大型商業施設攻防戦 当日 (四)
暗い3階フロアの中、桜庭は店内を一つずつ見回っていた。
「……栄理! ……栄理ッ! まったく、どこにいった……?」
娘の栄理がどこに行ったのか見当がついておらず、3階までゾンビが上ってきている可能性は低いとしても、万が一の事を考えれば見通しの悪い暗闇の中では用心して行動せざるを得ない。
慎重に辺りに気を配らせつつ、各店舗をしらみつぶしに歩いては栄理が居ないか呼びかけて確認するほか無かった。
だが、そんな桜庭の行為もむなしく栄理は一向に見つからず、呼びかけに応じて何かが出て来る気配も無い。
それでも放ったらかしになんて出来ない桜庭はひたすら探し続け、とうとうショッピングセンターの東側の店舗をすべて見回り終わって中央のエスカレーターまで辿り着いていた。
「これは、思ったより時間がかかりそうだな……」
桜庭はため息をつきながらエスカレーターに近づき、簡易警報機として仕掛けていた防犯ブザーを確認した。
防犯ブザーはエスカレーターを横断するようにストラップの紐が張られており、もしゾンビがエスカレーターを通ると紐が引っかかってピンが抜け落ち、防犯ブザーのアラームが鳴る仕掛けとなっていた。
この防犯ブザーを用いたワイヤートラップを中央と西側の3階エスカレーターに仕掛けていたが、仕掛けた時と紐の様子に変わりはなく、ピンも防犯ブザーに刺さったままである。
ゾンビ達がまだこのエスカレーターを上ってきていないのだと桜庭は判断すると、東側と同様に手慣れた手つきでエスカレーターの起動操作を行った。
エスカレーターはすぐに下り方向へと動き始めてゾンビ達の侵入を拒む障害物となり、これで中央の侵入経路は塞げたと桜庭は少しだけ安堵したが、すぐに別の不安が頭を過った。
「……栄理が2階にまで降りてなければいいが」
一抹の不安を抱きながら、桜庭は西側のフロアで娘の探索とエスカレーター起動を行うために、再び暗闇の中を歩きだしていくのであった。
──そして、桜庭の娘探しと時同じくして、1階の悠気もショッピングセンターの中央に辿り着いており、着々と襲撃の下準備を進めている最中であった。
東側と同じくエレベーターにゾンビ達を乗せられるだけ乗せ、上の階へと送っていく。
エレベーターに乗り切れなかったゾンビ達はエスカレーター前まで誘導すると、悠気はエスカレーターの非常停止ボタンを押して停止させた。
2階に人間達が居ないことを確信できている悠気は、東側の時と比べてかなり乱雑だがスピーディーにゾンビ達を押し込み、どんどんゾンビ達を2階へと送り込んでいった。
このまま、エスカレーターのゾンビ達は3階まで送っておきたいと悠気は考えていたが……、
(既に、3階へのエスカレーターは動いているのか……)
2階に到着した悠気の目の前には、下り方向に動き続けているエスカレーターがあった。
桜庭がほんの少し前にエスカレーターを動かし、タッチの差で入れ替わるように悠気がエスカレーター下に到着したのである。
(ここのエスカレーターも下り方向に動いている。東側のエスカレーターが最初止まっていたことを考えると、さっきまでこのエスカレーターも止まっていた可能性が高いな。
だったら、東側での騒ぎの後に人間達がここまで来て、このエスカレーターを動かし始めたんだろうな……)
動くエスカレーターを見ながら、悠気は考察を続ける。
目の前のエスカレーターを止めるのは容易だが、いま止めて良いのか判断するのは容易ではない。
いろいろな可能性を模索し、見えない上の様子を想像しながら考え、悠気は結論を出した。
(もし、まだ人間達が3階を巡回していて、3階に送り込むゾンビ達とここで鉢合わせしてしまった場合、作戦が台無しになる上に、エスカレーターを止められるということがバレるかもしれないな……。
であれば、ここはまだ放置しておこう)
ゾンビ達を3階に送り込む場合のリスクを重く見た悠気は3階への侵攻を断念し、2階までの侵攻に留めることに決めた。
リスクに対して敏感になっている上に、3階の状況がまったく分からない悠気の立場からすれば、今はまだ安全だと思える手を選ばざるを得なかった。
(まぁ、とりあえず中央の準備はこれでオーケーとしよう。次は西側か……)
中央での準備を終えた悠気は1階まで降りた後、西側の方へと足を進めていく。
その足取りは遅くも迷いは無く、道中のゾンビ達を気にも留めずに、暗闇の中をひたすらに歩んでいくのであった。
その向かっている方向は、桜庭も同じく向かっているということもつゆ知らずに……。
一方その頃、ショッピングセンター東側にある家具屋の方では浩司と達也、それと何人かの避難者達が黙々と見張りを続けていた。
皆、バリケード代わりにしている机やタンスの影に隠れながら、家具屋の外の方をじっと見続けている。
エスカレーターに仕掛けた簡易警報機が作動しない限り、ゾンビ達が3階に上ってきていないことは頭で理解していても、それでも皆はゾンビの群れが襲ってくることを想像してしまい、静かに怯えていた。
「桜庭さん、早く戻ってこないかな……」
いつまで続くかもわからない見張り作業に堪えきれなくなったのか、達也がボソリとつぶやいた。
誰に言ったわけでもない独り言であったが、その言葉が聞こえた浩司は露骨に不満そうな顔となった。
「おい、いつまでも桜庭さん頼りになってるんじゃねぇよ。……明日から、桜庭さんと離れるんだからな」
「わ、わかってるよ。でもよ……」
「でもじゃねぇ」
「………………おぅ」
明日の出発から、二人は守られる立場ではなく守る立場で居続けなければならない。
出発メンバーの中で、恐らく最高戦力となるであろう浩司は特にプレッシャーを感じており、桜庭と離れ離れになることには人一倍敏感になっていた。
「今度、同じこと言ったらぶん殴るからな」
「もう言わないって……、なんでそんなピリピリしてるんだよ」
「お前が頼りないからだろ」
「確かに、オレじゃ頼りになんねぇかもだけどさ……、浩司だって桜庭さん抜きでゾンビと戦いたくないだろ?」
「…………いいから黙って見張ってろよ」
浩司も、今まで何体かのゾンビを倒した経験はあるが、桜庭が居なければ死んでいた場面も何度か経験している。
本音さえ言ってしまえば、桜庭に頼ってしまいたい想いは達也と同じである。
それでも、桜庭に頼りっきりになってはいけないと自分自身に言い聞かして、声に出すことを必死になって我慢しており、それを達也に看破されたと感じた浩司は更に機嫌が悪くなっていった。
これ以上何か話すと浩司に殴られてしまうと直感した達也は口を閉ざし、黙って見張りを再開する。
だが、安らかに眠っていたのを無理矢理起こされ、暗闇の中でいつ来るかもわからないゾンビを見張ることは想像以上に過酷な作業で、どうしても集中力が散漫になる。
達也は必死になって起きようとしているが、それでも代わり映えしない暗闇の状況と眠気によって段々と集中力を奪われていき、ついウトウトと眠りそうになる。
もしこのまま眠ってしまい、その隙にゾンビ達が襲ってきたらと考えれば不安で仕方がなかったが、それでも眠気に抗うのは難しかった。
達也の意識が少しずつ遠くなっていき、やがて起きているのか寝ているのか自分でもわからない曖昧な状態になっていった、その時──、
「おい、しっかり見張れよ達也!」
「あっ! あ、あぁ……」
達也の耳元で浩司が怒鳴り声を挙げ、達也はビックリしながら目を覚ました。
まだ眠たそうな達也に対し、浩司の方はしっかりと目も意識も覚めて見張りを続けていた。
桜庭ほどではないにせよ、浩司もフィジカル面では優れたものを持っており、皆の守りを任されたという気負いからか、眠気も感じていない様子である。
「眠たいなら誰かに代わってもらえよ、隣でウトウトされると邪魔だって」
「オレだって桜庭さんに頼まれたんだ、まだ……頑張って起きるよ」
「…………ゾンビに襲われても助けねぇからな」
そう言いながら、浩司は達也の背中を軽く叩いて活を入れた。
それでも達也は眠気が消えていなかったが、先ほどよりは意識も覚めたようであった。
桜庭が居ない状況で達也はずっと不安を感じていたが、自分よりしっかりしている浩司を見ていると、桜庭さん抜きでも何とかなるんじゃないかと考え始めていた。
そう考え始めると不安がどんどんと薄れていき、浩司に馬鹿にされないようにオレも頑張ろうという思いが強くなっていく。
まだ眠気と不安は残っているが、その不安を乗り越えてやろうと達也は考えを少し改め直し、軽くストレッチをして眠気を飛ばしながら再び見張り作業に戻っていくのであった。
……だが、桜庭が居ないこの状況下において、不安に陥っていたのは達也だけでは無かった。
「クソ……、なんでオレだけ一人で……」
浩司と達也から少し離れた場所で、一人で見張りをしている男が居た。
彼は大学生であり、浩司や達也より少し上の年齢であったが、浩司や達也と比べてかなり貧相な体格をしており、普段から筋力トレーニングはおろか、運動すらろくにしてなかったのが見て取れる。
ゾンビと1対1で戦っても負けそうな風貌で、一人で見張りにつかせてはならないタイプの人間であることは明白であったが、単純に避難者の人材不足と、浩司と達也に見張りの依頼をされて断れないほどには小心者だったため、仕方なく見張りメンバーの一人となっていた。
彼が任された場所はゾンビがやってくる可能性の低いと考えられるエレベーター側に近い出口であったが、それでも一人という状況のせいで緊張し、眠気すら湧いてこない様子であった。
「こっちにゾンビなんて来るわけ無いだろうに……。はぁ、早く安全な場所に逃げて休みてぇ……」
こんな状況から一秒でも早く解放されたいと考えていた彼は、暗闇の先を見続けて何か無いかと思い耽っていた。
しばらく見張りを続けていた彼であったが、ふとエレベーターが目に入った時、「あっ、そうだ!」と口から発したのと同時に、頭の中でこの見張りを終わらせる名案が浮かび上がった。
そして、彼は思いついた名案を実行するために持ち場から離れ、皆の元へと駆け出していくのであった。




