019. 大型商業施設攻防戦 前日 (一)
『登場人物』
桜庭:
ショッピングセンターの在庫管理と品出しを担当している42歳男性。
前職は長期出張の多い仕事をしていたが、長期出張中に妻に先立たれ、一人娘を育てるために地元のショッピングセンターへと転職した。
娘のことは愛しているが、今まで出張ばかりで全く構っていなかったのと、妻の件もあって娘との関係はかなりギクシャクしている。
浩司:
近くの高校に通う高校三年生。
感情的に行動することも多く、頭もあまり良くないが、仲間意識や上下関係は大事にする良い奴。
語尾に「〜ッス」と付ければ何でも敬語になると本気で思っている。
達也とは友達。
達也:
浩司と同じ高校に通う高校三年生。
周りに小心者だと思われないよう髪を染めて派手な格好を心掛けている小心者。
しかし、小心な分だけ用心深い。
浩司とは正反対のタイプだが、何故かよく一緒に遊んでいる。
悠気:
一介のサラリーマン。
妻も娘も友もいない、一人ぼっちの存在。
翌朝─。
この日も朝から太陽が眩しく照っており、ショッピングセンターの外観が太陽光を反射して輝いていた。
しかし、その太陽光はショッピングセンターの中にまでは届かず、照明が消されている1階は薄暗いままである。
そして、1階にある食料品売り場には蠢く影が2つ。
薄暗い店内のどこかに獲物が隠れていないか探し続け、辺りを彷徨くゾンビの姿であった。
ショッピングセンターの1階部分はガラス張りの店舗が立ち並び、以前は店内の様子や取り扱っている商品を外へ事細かに伝える役割を果たしていたが、今では当然のようにガラス張りが破られており、誰でも利用できる侵入経路と化していた。
この侵入経路はあまりにも広くバリケードを構築することが出来ないため、ゾンビ達はショッピングセンターの1階までであれば容易に侵入することが可能になっている。
このゾンビ達も、そういった侵入経路を利用して店内へと入ってきていたのであった。
ゾンビ達は、薄暗い店内を虚ろな目で見渡しながらゆっくりと歩いて行く。ゾンビも所詮は人間の延長であるため、獲物を探すとしても目で見て・耳で聞き・鼻で嗅ぐのが基本である。
もっとも、街中全体を覆うような腐臭のせいで嗅覚は麻痺しており、実際は目と耳だけで獲物を追っていた。
ショッピングセンター内は奥に行けば行くほど太陽光が届かずより暗くなっていき、ゾンビ達は暗闇の中に紛れていく。
もし、この暗闇の中に人間達が侵入してしまい、そして、ばったりゾンビに遭遇してしまうようなことになれば、人間達はひとたまりもなくやられてしまうだろう。
だが、それはゾンビ側も例外ではなかった。
ゾンビ達が獲物を熱心に探しながら棚の近くを歩き去った後、その棚の物陰から大きな影がゆっくりと現れた。
その影は、桜庭であった。手には金属製の棒に中華包丁や重しを頑丈に括りつけた手製の斧を持ち、大柄な見た目には似合わない忍び足で足音を立てず、ゆっくりと後ろからゾンビ達に近づいていく。
ゾンビの真後ろにまで辿り着いた桜庭は無言のまま深呼吸をして気落ちを落ち着かせ、斧を両手で握り直し、そして、ゾンビの後ろから首元に斧を叩き込んだ。
ゾンビの首は切断こそされなかったものの、斧の刃はしっかりと首にめり込み、ゾンビは足元から崩れるように倒れ込む。
物音に気づいたもう1体のゾンビが後ろに振り返ったが、それと同時に桜庭の大きな握り拳がゾンビの顔面に叩き込まれた。
殴られた衝撃で後ろに倒れるゾンビ。桜庭はそのまま近づいてゾンビの首を踏みつけると、足に力と体重をかけて躊躇なく首の骨を踏み砕いた。
「おい、もう大丈夫だぞ」
瞬く間にゾンビを一掃した桜庭が安全確保できたことを告げると、少し離れたところで待機していた浩司と達也、それに数人の食料調達メンバーがゾロゾロと現れた。
「いつも思うけど、桜庭さんってホント強いなぁ……」
「あの人なら、一人でもこの街のゾンビを全滅させられるんじゃないか?」
桜庭に対する称賛の声を囁きながら集まってくるメンバー達。彼らは食料品を入れるカバンだけを持ち、武器類は持ち合わせていなかった。
1階に食料品を調達しに行く際は専ら桜庭がゾンビの相手をし、念のため浩司と達也がメンバーの周りを護衛している。
この役割分担は桜庭が考案したもので、戦い方を知らない人でも安全に食料調達出来るよう戦闘メンバーと食料調達メンバーを別けているのであった。
食料調達メンバーが食料品を物色している最中に、桜庭は浩司と達也の元へとやってくる。
「……すまないが、いつもどおり、この遺体達を外へ運んでやってくれ」
「わかりました、桜庭さん」「ゾンビには気をつけて行ってきまッス!」
桜庭の頼みを聞いた浩司と達也は、先ほどまでゾンビだった遺体を大きめのショッピングカートに乗せると、それを店の外へと運んでいく。
その後ろ姿を桜庭は見守りながら軽く黙祷すると、気を取り直してお菓子コーナーへと足を進めていった。
食料調達メンバーがカバンに飲食物を詰められるだけ詰め込み、浩司と達也が戻ってくると、全員揃っているのを確認してから、一団は上の階へと戻っていった。
根城にしている3階に戻った食料調達メンバーは手に入れた食料品を整理し始める。
その作業については食料調達メンバーに任せることにして、桜庭は次の作業へと移っていった。
「さぁ、準備を進めていくぞ。ゆっくりは出来ん」
「「はい!」」
明日にはショッピングセンターから浩司と達也、それに十数人の人々が安全に旅立てるようにしなければならない。
桜庭が音頭を取って指示を出し、周りの人々がそれに従って行動する。
水を使わずに食べられる食料品と保存の利く缶飲料類、それと着替えや火を起こすための道具などを屋上駐車場に停車している車へ運び入れる作業や、目的地岐阜までのルート・休憩地点の検討……。
かなり揉めるだろうと考えていた出発メンバーの選定だったが、そこも桜庭が率先して避難者達へ説明と説得を行い、最終的には若い女性と子供を中心としたメンバーで出発させ、男性や年寄りは次の移動手段が見つかるまで残ることで話がまとまった。
また、残留メンバーのために年寄りでも使えそうな武器の用意や、手作りした簡素な警報装置の設置などでどんどんと時間が過ぎていき、すべての作業が完了する頃には太陽も落ち始めていた。
「ふぅ……。これで、OKだな」
「お疲れ様ッス……」「おつかれさまです……」
「あぁ、二人もご苦労だった」
朝からずっと働きっぱなしであった三人は、4階の奥まったところにある飲食店に入り、窓側のテーブルを占領して一服し始めた。
疲れきった三人は貸切状態の飲食店内でだらけきっており、黙ったまま身体を休めている。
明日のことを考え出すと、桜庭と離れ離れになる浩司と達也だけでなく、娘と離れる桜庭の方も不安でたまらない気持ちになってしまうため、身体を動かし続けて考えないようにしていたが、考える時間ができてしまうと、つい考え込んでしまう。
浩司と達也は明日から桜庭には頼らず自分で身を守らなければならず、桜庭は娘を安全な場所に逃がすためとはいえ、明日から当分は会えなくなる。
もしかしたら、一生会えないことになるかもしれない。
不安要素を挙げればキリがなく、決めた選択が正解かどうかも確証は無い。
だが、今この空間には、一度決めたことを臆病になって反故するような不甲斐ない男はいない。
そして、死ぬことを前提にして別れの挨拶を切り出すような消極的な男もいない。
ここには、声に出さなくても伝わる男の世界があった。
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太陽が傾いて西日が差し込み始め、薄暗かった店内が少しだけ明るくなっていく。
その西日が入る窓から桜庭が外の様子を覗いた。
4階の窓からは地上の様子がよく見えたが、そこから見えるものはショッピングセンターの大きな駐車場と、その駐車場に疎らに停車されている車と、大勢のゾンビ達の姿であった。
駐車場に居るゾンビ達は何かをしている訳でもなく、何もない空を見上げながら突っ立っていたり、フラフラと周りを歩き回っているものばかりである。
それをジッと見続ける桜庭。
「どうかしたんですか、桜庭さん?」
「いや……、今日は駐車場にいるゾンビが少し多い気がしてな」
元々、人の集まりやすいショッピングセンター周辺ではゾンビ達も数多く生息していたが、桜庭の言うとおり、いつもよりゾンビの数が多いようにも見えていた。
ただ、ショッピングセンターに居る桜庭達に気づいているような素振りは感じられない。
「大丈夫ッスよ。ゾンビ共がいくら集まってきたって、ここまで上ってこれないッスから」
「……そうだな。さぁ、そろそろ送別会の準備に取り掛かるか。二人とも行くぞ」
「了解ッス」
「今日は一杯食べて飲みましょう!」
桜庭達は窓から視線を外し、送別会の会場であるレストランへと向かい始めた。
三人が居なくなった後でもゾンビ達は駐車場で居続けている。
その大量のゾンビの群れの中で1体だけ、紺色のスーツと青いネクタイが目立つゾンビだけがショッピングセンターの方を真っ直ぐに見続けていた。




