018. 大型商業施設攻防戦 前々日
「……駄目ッス。ここら辺じゃ、もう見つからないッスよ」
「…………」
狭い部屋の中で若い男の声が響く。
年齢は十代後半といったようで、Tシャツのラフな格好に黒いキャップを深く被っている。
その若い男の前には、屈強な体格を持つ初老の男性が目を瞑りながら、無言でその報告を聞いていた。
「やっぱり、鍵刺さったままの車なんてそうそう転がってないですよ、桜庭さん……」
別の若い男の声が聞こえた。
先の男と同様に、こちらも十代後半くらいの若者のようで、赤いシャツに、染めた金髪が映えている。
桜庭と呼ばれた男性は相変わらず目を瞑り黙ったままだったが、少しだけ頭を上下に動かして頷き、眠っているようにも、何かを考え続けているようにも見えた。
そんな桜庭の姿を見て、段々と落ち着きが無くなっていく二人。
こらえ切れなくなった赤いシャツの男が、桜庭に声を上げた。
「……桜庭さん。もう、何人かは諦めて置いていくしか」
「おい、達也!!」
「で、でもよぉ……」
赤いシャツの男、達也の発言を、キャップを被った男が制したが、達也は言葉を続けた。
「このまま人数分乗れるだけの車が見つからなかったら……、オレ達は全員餓死か、ゾンビに襲われて死んじゃうだけだろ……」
「泣き言を言うなよ! 全員脱出じゃないと駄目だって、桜庭さんも言ってただろ!!」
キャップを被った男は、達也の襟元に掴みかかり恫喝する。その顔はこのまま達也に殴り掛かるのではないかと思うほどキツい表情になっていた。
脅された達也は怯えきっており、今にも泣き出しそうだ。
その二人の様子に耐えかねたのか、今まで黙っていた桜庭が声を発した。
「……浩司、いま確保できた車はどれぐらいだった?」
キャップを被った男、浩司はいきなり話しかけられてキョトンとしてしまったが、慌てて桜庭からの質問に答えた。
「えっ、あっハイ。……軽が2台に、ミニバンが1台。あと、オレの単車が1台ッス」
「……そうか。せめて、バスかトラックの1台でも見つかっていればな……」
桜庭と、浩司、達也は今、ショッピングセンター内に閉じ込められている。
"あの日"、ショッピングセンターで勤務していた桜庭は、街中がゾンビで溢れ返っていくのを見て逃げ出せず籠城することになってしまい、浩司、達也はたまたま近くにあったショッピングセンターに命からがら避難してきていた。
幸いにも、ショッピングセンターが開店する前に騒ぎとなったので、入り口のシャッターは一部閉まったままで侵入したゾンビの数が少なかったことと、店内には武器となる道具がいくらでもあったため、混乱した状況下であっても3人は力を合わせてゾンビの撃退に成功する。
店内にいた店員の中でゾンビになった者もいたため、それらを倒すために一悶着もあったが、何とかショッピングセンター内の2階より上のゾンビを全て排除して、安全な場所を作り上げたのであった。
その後もしばらくは、どこかから避難してきた人々を保護したり、危険を顧みず近くの避難所へ救助に向かい避難者を運んだりして、一時は百人近い人間で籠城することになる。
しかし、1階の食料品売り場に行くのも命懸けであったのと、人数が多いとすぐに食料が尽きてしまうのでは無いかという恐れと、いきなり他人との共同生活で皆ストレスがどんどん貯まっていき、次第に避難者同士で衝突が起き始めていく。
そして、まだ遠くまで逃げる元気のあった者は、食料だけ勝手に持ち出して別の場所へと逃げ出し始め、また、1階での食料品調達中にゾンビに襲われてしまった人もいて、ショッピングセンター内の避難者はどんどんと数を減らしていくこととなった。
そして今、このショッピングセンターには、桜庭、浩司、達也以外は逃げる気力もわかない人達と、自分達の力で逃げる事ができない女子供や老人ばかりが残っている。
しばしの沈黙の後、桜庭がゆっくりと目を開け、そのまま浩司と達也の方をじっと見つめた。
「明日は準備に使うとして、明後日の朝、お前達二人は車に乗せられるだけ乗せて西の方に逃げろ。岐阜にはCROPSファクトリーがあるから、食料が手に入る可能性も高くなるはずだ」
「…………CROPSファクトリー?」
浩司と達也は聞き慣れない単語が出てきて少し固まる。
その様子を、桜庭は軽く睨みつけた。
「お前達、学校で習わなかったのか?」
「スイマセン……。オレ達、けっこう学校サボってたので……」
「……仕方ない」
桜庭はCROPSファクトリーについて、二人に概要を淡々と説明した。
『CROPSファクトリー』
それは、日本国が国家主導で建設を行った、機械生産だけに特化した超大型農園施設である。
2020年を過ぎた頃、日本国では農家の高齢化と廃業が全国で相次いで起こり、食料自給率が急速に低下していった。
農家育成も農業改革も進まず、日本の農業はこのまま壊滅するかに思われたが、政府は大胆にも人の手による農業を一切合切諦め、代わりに農業の機械生産化を強く推し進めていくことを計画した。
広大な農園地を用意し、そこに様々な農作物の種まきから収穫、果ては全国への配送まで人の手が入らない全機械化農業地帯を作る一大プロジェクトを立ち上げたが、それが国家主導プロジェクトとしては珍しく成功してしまい、日本国の食料自給率は大幅に改善することとなる。
これが、CROPSファクトリーの基礎となり、月日とともに増改築と改良を繰り返して、超大型農園施設へと進化を遂げていたのであった。
現在のCROPSファクトリーは農作物の完全無人生産が実現できており、太陽光発電や水力発電、風力発電等で電力供給し、農作機械のメンテナンスから簡単な修理までも機械同士で行わせている。
今では北海道に2箇所、山形、岐阜、島根、佐賀と、日本全国にCROPSファクトリーが建設され、日本国民の多くがCROPSファクトリーで生産された農作物を食べるようになっていた。
「……という訳だ。周りに人が居ない場所に建設されている上に、食料は全部機械が作ってくれる。ゾンビから逃れてここに向かう奴らも多いはずだ」
「なるほど。さすが桜庭さん、詳しいっスね」
「ここで扱っていた食料品もCROPSファクトリー産がかなり多かったからな。仕入先くらいは知識として覚えてるさ」
「そこまで逃げれば助かるのか……。でも、オレ達二人にそこに行けってことは……」
達也が次に続く言葉を濁していると、それを補うかのように桜庭が続けた。
「そうだ、オレはここに残る」
「そんなッ! どうしてッスか、桜庭さん!? 一緒に逃げましょうよ!!」
浩司の提案に、桜庭は首を横に振った。
「オレは最後の一人が逃げるまで一緒に残る。この店はオレが勤めていた場所だ。客がまだ残ってるのに、店員が先に逃げ出す訳にはいかないだろう」
「桜庭さん……」
「気にするな。ここに残っている奴らを見捨てるわけにいかないと勝手に決めたのはオレだ。オレが決めたことに、これ以上お前達を巻き込ませるのも悪いしな」
桜庭の言葉に二人は長考するが、とても説得できうる反論は思い浮かばず、黙ってしまう。
そして、
「…………わかりました」
達也が、その言葉だけを返した。
浩司は言葉こそ発しなかったが、深く頷き返す。
桜庭は二人が提案を飲んでくれた事に溜飲を下げたが、そのまま言葉を続けた。
「ただ、1つだけ頼みを聞いてくれ」
「……頼み?」
「お前達と一緒に、娘を連れて行って欲しい。……ワガママな奴だが、オレが持っている最後の宝物だからな」
「!!」
突然の依頼に、浩司と達也は驚きを隠せなかった。
短い期間ではあったが、その間に何度も桜庭に助けられ、何度も足を引っ張っていた二人。
いい加減、桜庭に見限られるのでは無いかと何度も思い、そして、今回とうとう見限られてしまったのだと、二人は内心落胆していた。
しかし、桜庭から娘を預かって欲しいと言われ、それは決して桜庭から見限られたわけではないということだと二人は解釈した。
桜庭の娘も、このショッピングセンター内に避難しており、その娘を桜庭が不器用ながら溺愛し、自分の命より大事にしていることは二人とも知っていた。
桜庭が外に救助しに行くと言い出した時も、真っ先に向かったのは娘の学校近くであり、1階の食料品売り場に食料品を取りに行った際には、桜庭は必ず娘の好物を手に取っていた。
それほど大事にしている娘を桜庭から預けられる。
それがどういう事か、学業を疎かにしていた二人でもきちんと意味を理解していた。
「……了解ッス!」
「い、命懸けで守りますから、あとで絶対来てくださいね! 桜庭さん!!」
迷うまでもなく二人は桜庭の頼みを快諾した。
それを見て、桜庭は少しだけ口元を緩めて二人の肩を掴み、軽く頭を下げた。
「……頼んだぞ」
────
スポーツショップから数軒離れた紳士服量販店。
そこで、俺は店内にあるスーツを物色していた。
安全であれば別にどの店でも良かったのだが、着ているスーツがボロボロになっているのを見て新品に着替えられないかと思い、ここにやってきたのであった。
営業部でもなかった俺はスーツに対して特にこだわりも無かったが、とりあえず値段の高い物から適当にサイズの合うものを探し出して試着していく。
スーツの値段の違いなんて、ブランド違いか柄違いくらいしかないと考えているが、とりあえず高い物ほど丈夫な布を使っているはずだ。
しばらく何着か試着して丁度良いサイズの物を見つけ、ブランドも柄も気にしないまま俺は上着を決めた。
スラックスについても、同様に長さが合うものだけを探し出して履き、ゾンビの手でも使えそうなベルトを選んで腰に巻いて止める。
この身体でスラックスを履き替えるのは相当大変な思いをしたが、着ていたものはベルトごと引き千切って脱いで、何とか着替えることができた。
スラックスが履けずパンツ一丁のままにならなくて済んだのは本当に良かったと思っている……。
新しいスーツに着替え終わった俺は、鏡を覗いてその姿を確認する。
……スーツだからなのか、適当に選んだ割には悪くない格好のゾンビがそこには映っていた。
新しいスーツは紺基調のデザインで暗闇でも目立ちにくく、前より厚地のものになったので多少は破れにくくもなっただろう。
何より、青色ストライプのネクタイとも相性の良いところが気に入った。
古いスーツのポケットに入れていた道具も忘れず移し直し、これで着替えは完了だ。
さて、紳士服量販店で目的を果たした俺は次の目的地へと向かわなければならない。
あの彼女を運んでいる最中に目に入った場所だが、高確率で人間が潜んでいる場所を俺は思い出していた。
そう、商業エリアから看板が見えていたショッピングセンターだ。
あそこなら、きっとまだ大勢の人間がいるだろうし、周りには利用できるゾンビもたくさんいるはずだ。
まだ無茶をしたくない身体状況ではあるが、これ以上の空腹を我慢するのは、より厳しい。
今度こそ、食糧を得なければと想いを胸に、俺は紳士服量販店から出てショッピングセンターのある方へと歩み出した。




