014. Hunting time. (6)
ゾンビの1体や2体、上手くやれば3体くらいは倒せるかもしれない。
しかし、歌乃と樹の前には、今見えているだけでも5、6体のゾンビが立ちはだかっており、まだセキュリティドアの奥から出てこようとしているゾンビの姿も見える。
とても全部倒して突破できるような状況ではない。
歌乃と樹は、再び目の前の危機から逃げ出さないといけない状況に陥ったが、どの階に逃げたとしてもゾンビ達に追いかけられ、いずれはどこかで追い込まれる。
逃げ道を塞ぎ、大量のゾンビ達で囲い込み、追い詰める。
悠気が実際にそこまで意識していた訳ではなかったが、形としては理想的なゾンビの襲撃包囲が完成していた。
────
全ての非常出口は塞いだ。
目の前にはゾンビの大群、(まだ気絶しているだろうが)下の階にもゾンビがいるし、ビルの周りにだって集まっている。
つまり、目の前の二人の逃げ道は、もう無い。
この時点で俺の勝ちはもう揺らがないと確信できている。
……後は、どうやって俺の食べる分を確保するべきかだけだ。
────
悠気は、もう既に勝ったつもりで二人をどう食べるか熱心に考えていた。
その間にも社員ゾンビ達がどんどんと前進しており、二人を追い詰めていく。
そして、襲われる当の本人達である歌乃と樹の方は、必ず何かあると覚悟していたおかげか、2階の時ほど動揺はしていない。
焦っているような表情はしていたが、歌乃と樹がお互いの顔を見て小さく頷くと、突然、後ろに振り向いて走り出していった。
(あぁ、そうだろう。もう逃げるしか無い。だが、どこに逃げても同じだ)
逃げる算段がついたのだと悠気は察したが、逃げたとしても追い込むまで時間の問題でしか無い。
二人の逃げる姿を社員ゾンビ達が追いかけ、その後ろから余裕を持ちながら悠気も追いかけ始めた。
ゾンビの速力では絶対に追いつけないが、ここでわざわざ追いつく必要はない。
のんびりと気楽に追い込んでいく。
それだけでいい。
……はずだったが、悠気は何かを見落としているような気持ちが沸々と沸いてきていた。
二人の逃げ方に焦りと迷いが薄かったということも気になったが、それよりも大きな見落としをしている、そんな嫌な予感がしていた。
(落ち着け……。順調なときほど不安になる、ちょっとしたネガティブ思考になってるだけだ)
単なる杞憂だと思った悠気は、あまり深く考えず追いかけることに集中しようとした。
しかし、そんな嫌な予感は、二人が階段に辿り着いた時点で的中することとなった。
二人は階段へと辿り着くと、5階が駄目だった時に行こうと考えていた場所、つまり、屋上へ行くための階段を上り始める。
それを、まだ少し離れた場所から見る悠気が、疑問を抱きながら眺めていた。
(階段を、上る? ……5階の、更に、上に続く? …………あ)
ここにきて、悠気はこのビルにも屋上が存在していたことにようやく気がついた。
悠気が今まで何百回と出社していたビルであったが、いつも5階止まりであった。
それも、エレベーターでしか来たことがなかったため、5階の階段から屋上へと続く階段があることも、今の今まで失念していた。
それ故に、このビルの屋上の存在自体が、悠気の思考に全く含められていなかった。
(そうだ、考えてみれば当然だ。どんなビルにだって屋上はあるものだ。……それ自体は問題ない)
屋上に行く機会なんて一度もなかった悠気は、屋上に何があるのかは想像するしか無い。
しかし、屋上の様子よりも、二人が屋上に向かった理由の方が悠気にとって深刻な事態だと考えていた。
(生きたままゾンビに食われるぐらいなら、飛び降り自殺すると考えているんじゃないだろうな!)
逃げ道を全て失い、もう助からないと悲観した二人が飛び降り自殺を図ったとしても不思議ではない。
しかし、飛び降り自殺なんてされれば、下に降りるまでに死体をゾンビ達に食い荒らされ、今までの悠気の苦労が水の泡となってしまう。
それだけは避けねばならないと、悠気は早歩きの速度を速め、遅いゾンビ達をかき分けながら屋上の方へと追いかけていった。
外は雨脚が弱まり、小雨になっていた。
遠くの雲の薄い部分が少しだけ明るみを帯びており、時期に日の出を迎えそうな空模様をしている。
そんな天候を気にする余裕もなく、勢い良く金属扉を開けて出てきた歌乃と樹は、そのまま返す手で金属扉を閉め、身体で押さえつける。
二人は自殺するために屋上へとやってきたわけではないが、たまたま残っていた逃げ先が屋上だっただけで、ここからどうするかについてはノープランであった。
「こ、これからどうする!?」
「……なんとか考えるから、それまで扉を押さえてて!」
歌乃は考えるとは言ったが、屋上は広いだけで何もなく、隠れる場所もない。
隣のビルとも数メートルは離れており、とても飛び越えられる距離ではなかった。
ただ、屋上の遠くの方まで翌々見てみると、最初見に来た際には気にもしていなかったが、離れた場所に非常階段へ繋がる出入り口が見えていた。
出入り口は外から侵入されないよう柵と扉で封鎖されており、掛かっている南京錠はスコップやハンマーで何度も殴り続ければ外れそうではあったが、今の歌乃と樹にそんな悠長な事をしている時間は無い。
しかし、囲っている柵自体は1メートルくらいの高さしか無く、屋上の柵を乗り越えて縁側に出れば、そのまま非常階段側に設置されている柵にもたどり着いて、楽に乗り越えて脱出できそうではあった。
「あの柵を超えられれば……」
思いの外、冷静に考えられるようになっていた歌乃は、屋上からの逃げ道について目処をつけたが、その次が出てこない。
非常階段が使えても、まだビル周辺にいるゾンビ達に対する解決策が思い浮かばないからだ。
小雨に濡れながらも集中し、今の状態で何が出来るのかを整理しながら考えるが、妙案は出てこなかった。
『バァンッ!!』
二人の後ろの金属扉から、突然大きな音が鳴った。
「ゾ、ゾンビが!」
「……マズい」
悠気と社員ゾンビ達が5階の階段から上ってきて、金属扉を押し開けようと反対側から力の限り手で叩きつけていた。
歌乃と樹が必死に押さえて金属扉が破られないよう抵抗するが、それがいつまで保つかもわからない。
そして、そんなことはお構いなしにゾンビ達は金属扉を叩き続けていた。
屋上で『バァンッ! バァンッ!』と、金属扉を叩く音が連続で鳴り響く。
その音は大きく、2階の警報音すらかき消すほど強く鳴らされていた。
思わず耳を塞ぎたくなるような騒音であったが、今の二人は金属扉を押さえることで精一杯だった。
ジリ貧な状況であったが、それでも歌乃は諦めず考え続ける。
その思考を妨げるかのように、大きな音は鳴り続いていたが──、
「音……、音…………。………………そうだ、音だ!」
「お、音?」
歌乃が何かを思いついたように声を上げ、周りを見渡す。
相変わらず何も無い屋上であったが、表通りとは反対にあるビルとの距離が、他に隣接するビルより少し離れていることに気がついた。
「樹、ちょっとの間だけ踏ん張ってて。お願い」
「え!?」
歌乃が金属扉から離れ、屋上の縁へと近づいていく。
そこから柵に掴まって下の様子を覗き見た。
ビル近くにポツポツと見えるゾンビ達の姿の他に、ビルに隣接された駐車場に車が何台か駐車されているのが見える。
「うん、これなら……」
確認をし終えた歌乃が一人で納得している中、樹が後ろから大声を上げる。
「は、早く! 扉が保たないよ!!」
金属扉自体には、まだ目立った歪みは無かったが、先に金属扉に取り付けられている蝶番の方が緩み始めていた。
それを壊されないよう樹が必死に押さえ込もうとしているが、破られるのまでにそう時間がかからない事は明白だった。
「背に腹は代えられない……」
そうつぶやくと、歌乃は樹の元へと駆け寄って、樹のリュックを開けた。
樹からは見えないが、後ろでゴソゴソと何かを取り出そうとしているのだけは伝わってくる。
「缶詰、缶コーヒー。あと、ペットボトルも……」
「な、なに? 何に使うの?」
「……屋上から投げつけるんだよ。一つでも多く当たるように全部持っていくよ」
「そんな物を当てるだけじゃゾンビは倒せないよ!」
「いいから、任せて」
歌乃が缶詰や缶コーヒーを持てるだけ持つと、そのまま再び屋上の縁へと駆け出していく。
しかし、その行き先は非常階段付近にいるゾンビの方ではなく、先ほどと同じ駐車場がある側の方であった。
歌乃が柵から少し身を乗り出して下を覗き見、だいたいの位置を確認する。
(大丈夫、これだけあれば当てられるはず!)
そう自分に言い聞かせ、歌乃は缶詰を外へ放り投げた。
缶詰は、一旦空を昇ったが、すぐに重力に引かれて落下していく。
歌乃が見守る中、缶詰はどんどん地面に吸い寄せられていき、そして──、
『ガンッ!』と激しい音を立てながら、ゾンビのいる場所から数メートル横にずれてアスファルトの地面に落下した。
落ちた缶詰は中身を飛び散らせながら地面を跳ね、しばらく転がってから端の方で止まった。
「もう少し強く投げないと……、次」
今度は缶コーヒーを掴み、空へと放り投げる。
先ほどの缶詰と同じような軌道を描きながら缶コーヒーが宙を舞っていき、そして、駐車場のブロック塀にぶつかって跳ね返っていった。
「惜しい。もう少し……」
次に手に取ったものは、500mlのペットボトルだったが、それも先ほどと同じように、歌乃は空高く放り投げた。
ペットボトルが弧の軌道を描きながら勢い良く落ちていく。
そして、今度は駐車場に止まっていた車のフロントガラスに直撃した。
ぶつかった衝撃でペットボトルは破裂し、中身を盛大に飛び散らせていたが、ぶつけられた車のフロントガラスもビキビキに割れ、車内が見えなくなるくらいヒビだらけになっていた。
「よし!」
歌乃が、ペットボトルを目標どおりの場所にぶつけられたことを確認できた、その直後、
『ファンファンファンファンファンファンファンファンッ!!』
車から、けたたましい音量で防犯ブザーの音が鳴り始めた。
歌乃が目論んだとおり、駐車場に止まっている車には防犯ブザーが設置されており、フロントガラスが割れた衝撃で作動させることが出来たのであった。
その後も歌乃はどんどんと物を投げていき、その内いくつかは駐車場に止まっている車に命中していく。
その度に、車から防犯ブザーが煩いくらい鳴り響き、全て投げ終わる頃には、防犯ブザーの大合唱が巻き起こっていた。
「これで、下にいる出口付近のゾンビも駐車場の方に行くはず!」
「やった!! やっぱり、スゴイよ歌乃は!」
非常階段出口のゾンビ達をどかす方法は解決し、後は非常階段から降りて脱出するだけ。
ようやく二人は、このビルから安全に脱出する逃げ道を確保できたことに喜びの声を上げた。
しかし、金属扉を押さえていた樹の気が緩んだ瞬間──、
『ガギンッ!!』
何かが弾け飛んだような金属音とともに、金属扉の蝶番がとうとう壊れ、樹の身体が金属扉ごと押し飛ばされた。




