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夜の帯《おび》が結ぶ日に…

作者: 有須乃


 とある小さな町の小さな鉄道。

 もうずいぶんと長い間、俺はここにいる。

 朝のラッシュは混雑して、主に電車の安全を見るというよりも、人を電車に押し込む仕事が多くなる。

 最初はそれも楽しいな、と朝早く起きてこの仕事をすべて楽しんでいた。


 けれど、長年やっていると、ふと…嫌気が差す時がある。


 朝のラッシュは混雑して、人も余裕なんてなくて駆け込み乗車なんて日常茶飯事。

 押し込むと嫌がられてもちろん俺に矛先が向くし、押し込まなくて乗れないと苛立たれて俺に矛先が向くし。


 どっちにせよ恨まれ役な鉄道員だよな、なんて思う。


 電車と人間、どちらの安全も第一であり、どちらも安全でないとどちらも危険という天秤だ。


 俺はどんなに恨まれ役でも、この仕事に誇りを持っている。

 だからここにいる。


 だが、俺は今、いつからか夜勤という夜の闇でこっそり働く者になっていた。

 朝のラッシュに嫌気が差したんだろうな。


 それに比べて夜は静かだ。

 帰宅ラッシュはあるが、帰るだけだからか人も余裕があって、押し込むことはあまりない。

 むしろ乗れないと判断すれば、その人から諦めるように次の電車を待つからだ。


 深夜にもなれば電車の本数も少なくなり、どこかホームに無音が走る時すらある。

 この瞬間が俺にとって、ああ、今日も一日終わったな。なんて思う。


 しかしだ。

 もちろん夜は夜で面倒な人が来るのは皆もわかるだろう。


 厄介な者――つまりは泥酔者だ。


 ホームでへたりこんだり、寝たり。

 千鳥足で歩いては帰路を急ぐ人にぶつかって、喧嘩を吹っ掛けるような人もいる。

 下手をいうと、ホームに落ちそうになる人もいる。


 俺は何度ホームに落ちそうになる人を引っ張っただろうか。


 最近は男性だけじゃなくて、女性まで千鳥足でホームから落ちそうになる時がある。


 「女性が泥酔することでも危ないのに、

  ふらふらになるまで飲むなよ…。」


 俺は夜のホームで小さく呟いた。

 だけど、そういう人を助けても泥酔した人は感謝すら薄い。

 なんとなーく曖昧で、引っ張ってもらったからお礼を言う。

 呂律ろれつの回らない口でふにゃふにゃと。


 ……夜の世界は大丈夫か?


 意味のわからない感想すら覚えてしまう。

 まあ、俺は感謝されたくて助けてるわけじゃないし、そんなことはどうでもいいんだけど。


 ただ――

 俺はこの夜のホームに立つことが多くなってから、ひとつ、ずっと気になっていることがある。


 今目の前にいる、とても飲んでこの時間になっているようには見えない、どこか大人しそうで清楚な雰囲気のある女性。


 いつもと同じ時間、いつもと同じ乗車口、いつもと同じマフラーを持っている女性。

 そのマフラーは女性が着けそう雰囲気もない、薄手で黒い男性物のマフラーに見える。


 いや、最近は男性物を着こなす女性もいるが。


 ただ、やはりその人の雰囲気には合わないのだ。

 それに、マフラーなのに首にかけることはなく、どうしてか、カバンに緩く結んで掛けてあるのだから不自然だ。

 彼氏か、誰か大切な人との思い出として持っているのだろうか?


 ……彼氏のならとっくに返してるか。

 それに本人が着けてるだろうし。


 いろんな謎のせいで彼女から目が離せないのだ。

 いつもと同じ時間、乗車口、マフラー。

 そして電車を待っているはずなのに、何か辺りをキョロキョロと見渡している。


 もしかして、マフラーを返す誰かを探しているのか?


 そんなことを何度も思ったが、もう長い間マフラーは返せていないようだし、そんな人がここに現れたこともない。

 俺は今日も、その人に声をかけるわけでもなく、電車が来るまで眺めていた――。




 そんなある日。

 同じ時間、同じ乗車口、同じマフラーをカバンにつけた彼女が現れた。

 が、いつもとハッキリ違うことがあった。


 少し、足元がおぼつかない様子で階段を下りては乗車口に立つ。


 ……もしかして、酔ってるのか?


 珍しいこともあるんだな、と今日も俺は静かに彼女を眺めていた。

 その時、同じように彼女を眺めている男に気付いた。

 俺と同じくらいの年で、気弱そうな奴。

 だけど――


 あれ? あいつ、どっかで見たような……?


 そんな不思議な感覚に首を傾げた時、近くで酔った男と女性の声が聞こえた。

 また絡み癖のある奴の仲裁かよ…と、思って声の方へ振り向くと、あの女性が男に絡まれていた。


 酔っていたから絡まれたんだろうな。

 だから女性の泥酔は危ないって言っただろ。


 「おねーさん今帰り~?

  もう一件寄ってかない~?」


 「こ、困ります。

  それに、私、人を待ってますので…!」


 「人~?こんな時間に~?

  こんな時間に待ち合わせなんてしてもそろそろ終電だよ~?」


 やっぱり誰かを待ってるんだな、ってそんなことより。

 なんだ?みんな気付いてるのに誰一人止めようとしないじゃねえか。

 さっきまで見てた気弱そうな男も見てるのに動かないし。

 集団心理ってやつか。だけど――



 おいッ!!困ってるだろ、離してやれ!



 ……やっぱり男にも周りにも反応がない。

 こうなったら……


 「私っ!このマフラーを返す人がいるんです!

  その人をっ、待ってますので!困ります!!」


 カバンごと結ばれたマフラーをぐいっと見せ付けて大声を上げると、男も周りも静まり返ったように動きを止めた。

 大人しそうな子からここまでの大声を上げられたら、意味はどうあれ驚くのは仕方ない。

 …実際、俺もちょっと驚いた。


 「でもさぁ~もう電車来るよ~?

  忘れて帰っちゃったんじゃない~?」


 男は懲りずに彼女の片腕を掴んだ。


 「! 離してくださ――」


 「おい。困ってるだろ、離してやれ。」


 彼女の片腕を掴んでいた男の腕を思い切り掴む。

 二人とも急に割り込んできたその男に驚いたようで、二人揃って彼を見上げた。


 「な……なんだ、あんた!

  あんたみたいなひょろっこい男がなんの――

  あだだだだ!!!?」


 「おっさん、酔ってるんだろ?

  大人しく帰りなよ。」


 腕を捻り上げると男は悲鳴を上げてその場から立ち去った。

 酔った勢いって怖いよなぁ。

 多分ああいう人も昼間は真っ当な人だったりするんだから。

 …ちなみに俺はあまりアルコールを得意としないタイプだ。

 眠くなるからな。


 「…あ、ありがとう、ございます…。」


 「あ、いいよ。別に。

  気を付けろよ、普段そんな酔ってないだろ。」


 「え?」


 「……あ。」


 しまった。

 俺は普段鉄道員として彼女を眺めていた。

 声もかけてないから認知されてない他人だし、何より俺は今、あの気弱そうな男の体だ。

 そう、俺はいつからか声が届かなくなっている。

 だからこうして、強行手段を取る時は誰かの体を借りないと声も届かず、物を掴むこともできないのだ。


 「ご、ごめん。何でも――お、おいっ!?」


 途端、胸の辺りにぼふんっと重みがかかる。

 彼女が突然倒れたのだ。

 だが意識を失ったとかいうわけではなく、意識も息もあり、ただ足がふらついたようだ。


 「ごめんなさい……少し、ふらついて……。」


 「…なんでそんなに飲んだんだよ…。

  まあいいや。休憩室まで案内するから。」


 終電ではあるが、このまま電車に乗せたとしても車内で倒れるか、結局乗り過ごすだろう。

 下手すれば帰路でぶっ倒れるかもしれない。

 そんな予感から俺は彼女を休憩室へと連れていった。




 暖かい鉄道員用の休憩室へと連れて行き、しばらくソファに座らせて水を飲ませると落ち着いたようだった。

 今この休憩室には誰もいない。

 みんな終電後の点検に出払っているからだ。

 俺はとりあえず温かい飲み物を淹れ、彼女へと差し出した。


 が、違和感は満載だろう。

 鉄道員の制服も着ていない気弱そうな男がこうやって休憩室に入れ、手慣れた手付きでお茶を淹れるのだから。


 「あの、あなたは――?」


 「俺のことは聞かないで。

  それよりも、何でそんなに酔ったんだよ。

  マフラーを返すとか言ってたけど、

  そいつの所に直接行けばいいんじゃないのか?」


 あまり長居は出来ないから俺は直球に本題へ乗り出した。

 すると、やはり言いにくそうに彼女は俯いてしまった。

 そしてとても言いにくそうに、小さく口を開いて、同じくらい小さな声で呟くように言った。


 「わからないんです…。」


 わからない?どういうことだ?

 俺が言葉を待つように黙っていると、察したのか、彼女は目を閉じながら懸命に言葉を続ける。


 「その人とはここのホーム、あの場所で会って、

  その時に助けてもらったんです…。

  今日みたいに酔っぱらってふらついた時に、

  腕を引っ張って、ホームから落ちかけた私を助けてくれて…。」


 あー、なるほど。その時にそいつがマフラーを落としたのか。

 だからそれを返そうといつも持ち歩いてるのか、と。

 だけど、彼女を引っ張って助けたのにマフラーを落としたなんて間抜けだな。

 だってマフラーって普通首に巻いてる物だろ?

 そんなもの、反動でも落とすか?


 「でも……会えるわけ、ないんです……。」


 彼女の声が途端に震えた。

 涙を堪えるように、懸命に堪えながら言葉を振り絞った。

 会えるわけがない?どうしてだ?


 「その人、ここの鉄道員の人だったんですけど、

  私の代わりにホームに落ちて、

  ――亡くなって、しまったんです……っ。」


 その時、俺の中で何かが音を立てて甦った。

 そう、俺は今までで何人もの人をホームから引き上げてきた。

 もちろん俺だけじゃない、他の鉄道員もみんなやっていることだから俺限定ではない。

 だけど、彼女がいたホーム。

 俺はよくあの時間、あの場所に立っていたからだ。


 そして、ある日を境に、俺は黒いマフラーを無くしていた。


 声が届かなくなり、物も掴めなくなった。


 今思えば、あれは――


 「…あれ、もしかして、アンタ…。

  泥酔して改札口でぶっ倒れた子か…!?」


 「!!」


 驚いたように顔を上げて、恥ずかしそうに彼女はこくりと頷いた。

 そう、その日とは、改札口へ酷く酔った人が歩いて来て、改札を通過した辺りで他の人とぶつかってそのまま倒れた人がいた。

 キャバ嬢っぽい服をしていたからその系統で働いてる人だと思ったんだけど、元々慣れない仕事らしくて、気疲れから飲んだら泥酔したと言った。

 その日は介抱して、大丈夫そうだったから電車に乗せて帰そうとしたけど、心配だったから電車に乗るまでこっそり見送っていたのだ。


 そして悲劇は起きた。


 ハイヒールのせいか、ふらついた瞬間一気に体を倒してしまい、電車が来てる中倒れた。

 俺は咄嗟に飛び込んで彼女を引き上げたけど、反動で俺が倒れたはず。


 ――その後どうなったのかは覚えていない。


 痛みも苦しみもなくて、気付いた頃にはいつも通りにホームにいた。

 もしかして、それは……俺だったのか?


 「その……、アンタを助けた鉄道員って、どんな人だった?」


 「私も酔っていたからハッキリとは覚えていないんですけど、

  黒髪でちょっと切れ長の目に、ちょっと乱暴な口調でした。

  制服にひとりだけ黒いマフラーをしていて、

  いつもあの時間、あの乗車口付近にいて、

  トラブルがあるとすぐに向かっていく人でした。

  …でも、どうしてあなたがそれを?

  もしかして、見られてたとか!?」


 は、恥ずかしい!と両手で顔を覆ってしまった彼女だが、確かにこの見知らぬひょろっこい男からそんなことを言われたらそう思うだろう。

 だがきっと、彼女の言うその鉄道員、それは俺だ。

 中に居るのがそのご本人だ、なんて言えなくて、俺はただ、自分の真実を間接的に知ってしまった。



 ……そうか。

 俺はあの日から、死んでいたのか……。



 押し黙ってしまった俺を見て、彼女は顔を見せては不思議そうな顔をしてこちらを見てきた。

 俺は何故か落ち着いた気持ちで彼女と向き合うことが出来て、悪戯っぽく笑って見せる。


 「そう、同じ場所で見てた。

  アンタ危なっかしいなぁって思って見てたらさ、

  急に電車に突っ込むんだぞ?

  咄嗟に飛び込むって。

  ……マフラー、大事に持っててくれてありがとな。」


 全てハッキリとして清々しい気持ちでそう言った。

 もちろん彼女は意味がわからなくて困惑してたけど、それでもよかった。

 独り善がりでも、一方的でも、俺は最期まで人を助けて生きた。

 悲しみとツラさをこの人に与えてしまったけど、生きていればきっとそれを越える幸福がある。

 今がどん底で、その時すらツラくても、いつか前を向ける日が来る。

 死んでしまえばそれまでだ。

 そしてその瞬間、俺はあることもまとめて思い出した――。


 「おい、この体の持ち主。

  俺の代わりになりたいなら、もっと覚悟を持て。

  無鉄砲でも動けないと何も始まらねえだろ。」


 それだけを最後に伝えて、俺は"ここから"立ち去ることを選んだ。

 目の前でその言葉を聞いていた彼女は、ひとりよくわからずにポカンとしていたが、それでも詳しくは話さずにいた。

 詳しく話してしまえば、きっと彼女はまた苦しむだろう。


 「…それじゃあな。

  全てを思い出させてくれてありがとう。

  今度は飲みすぎんなよ。

  アンタ、危なっかしいんだよ。」


 最期に笑って見せて、俺はこの体を抜け出した。


 ――ああ、そうか。

 結局…反動でマフラーを落とした間抜けって……

 俺、だったんだなぁ――。




 「――っは!?」


 すぐに気弱そうな男は意識を取り戻し、何が起きた!?とばかりに辺りを見渡していた。

 その正面で女性はマフラーをぎゅっと抱えて泣いていた。

 女性の様子で全ての話の流れを思い出して男は落ち着いたものの、非現実的な出来事に頭が混乱していた。


 しばらく無言の状態が続いたが、男はただひとつわかることがあった。


 「キミが、あいつが助けた女の子だったんだね。」


 さっきまでとは全く別の、ふんわりとした優しそうな声で男は笑いかけた。

 女性は「?」と涙が溜まる目のまま見上げ、男の言葉を待つ。


 「信じてくれないと思うけど、僕の中にさっきまでいたのはあいつだよ。

  多分、キミを助けるために、たまたまホームにいた僕の体を使ったんだ。

  あいつの分まで、驚かせてごめんね。」


 信じられなくても、さっきまで目の前で起きたことは夢じゃない現実だと思う。

 何故なら、今こうして自分達は関係のない鉄道員の休憩室にいるのだから。


 「あの、あなたは……?」


 「さっきはあいつだったから言わなかったんだろうけど、

  僕はあいつの親友だったんだ。」


 「……!」


 『親友』。

 その言葉を聞いて、女性は一気に血の気が引いて涙が零れた。

 そう、なによりも…自分の不注意のせいで親友を死なせてしまったのだから。


 謝っても許されないことをしてしまった。


 女性は泣きながらも必死に頭を下げた。

 こんなことしても帰ってこない、許されないとわかっていたけれど。

 だけど、男は首を横に振って顔を上げさせた。


 「ううん。もういいんだよ。

  キミはずっとそのマフラーを持って、ひとり背負ってくれていた。

  それだけで充分だよ。

  それに、あいつも言ってたでしょう?

  全てを思い出させてくれてありがとう、て。

  あいつ、昔から責任感強いのに口調がキツいから誤解されるけど、

  多分、最期まで人を助けて生きたことを誇りに思ってると思う。」


 不確かな勘ではあったけれど、一心同体になっていた自分だからこそハッキリとした確信があった。

 もちろんそれを聞いた女性は余計に泣いてしまったけど、今は泣いて落ち着くべきなのかもしれない。

 うわごとのように泣きながら「ごめんなさい」と何度も言っていたけれど、あいつも自分も恨みなんかないと、そう…確かな思いから男は見えない空を見上げた。



 彼女が泣き止んだ頃、そろそろここを出ないとと立ち上がる。

 もし無関係の自分達が鉄道員達に見付かれば、侵入者として捕まるかもしれないからだ。

 かつて死んだ鉄道員がここまで連れてきた、なんて絶対に通じないだろう。


 「そういえば、マフラーは私が持っていていいんでしょうか?」


 遠慮気味に問われた言葉だが、確かにどうするべきなのだろう?

 遺品として遺族に返すべきなのか、女性か友が持つべきなのか?

 うーん、と考え込んでいた時、ガチャリと扉が開いて鉄道員と鉢合わせてしまった。


 「あ。」


 「うわああああっ!?だ、誰だ君達は!!

  ゆ、幽霊か!?いや足がある!侵入者か!?」


 この時間のドッキリは確かに幽霊に思えるかもしれない。

 だけど、ここは冷静に真摯に対応しないと警察につき出されてしまう。


 「いえ、僕たちは酔ってしまって終電を逃してしまったんです。

  そうしたら鉄道員の方にここを案内されて…。」


 落ち着きを装って丁寧に説明すると、鉄道員の人は冷静を取り戻しては考える仕草をした。


 「そうか…?いやでも、そんな報告は受けていないし…。

  それにここで休憩?嘘じゃないだろうね?」


 やっぱりそうですよねー、と男は困ったように笑う。


 「ち、違うんです。このマフラー、

  亡くなった鉄道員の方の物だとわかって、

  返そうと思ったんですけど…

  私が気持ち悪くなっちゃって…その……。」


 彼女が手にして見せたマフラー。

 それを見て鉄道員は「あっ」と声を落とした。


 「あいつのか…? でも――」



 あーーもう、わかんねえ奴だな。

 そいつらが言ってるのは全部事実だよ。



 「!?」と全員が空を仰いでは辺りを見渡した。

 今、どっから声がした!?


 「な、なんだ今のは!?君達か!?」


 「いえ、僕たちではないです。」



 お。声届いたのか。

 誰でもいいから、そのひょろっこいのの隣をスマホで映せ。



 「スマホ!? え、あ、ああ?」


 鉄道員はスマホのカメラモードを起動して、気弱そうな男の隣を映した――その瞬間。


 「うぅわあああああああああッ!?!?」


 スマホを落とした。


 続いて彼と彼女もスマホで映せば、そこの画面には鉄道員の姿をしたひとりの男性が映っていた。


 黒髪で、ちょっと切れ長な目。

 マフラーはしていないが制服で、乱暴な口調。


 二人はスマホ越しでも会えたことに感極まって、泣きそうになっていた。


 「お、お前……いき、生きて…」


 「生きてねえよ。」


 パシャ!


 「撮んな!心霊写真になるだろ!」


 一瞬コントが繰り広げられた。


 その脇から彼女が怯えながらも歩み寄って、スマホを片手にマフラーを差し出した。


 「あ、あの時、お礼を言えなくてごめんなさい…。

  その、助けてくれて…ありがとうございました…。

  でも、でも……私の代わりに……死ん…」


 「その先は無しだ。

  俺は代わりに死んだんじゃない。

  アンタがきっかけだったかもしれないけど、

  俺は代わりに死んだつもりも恨んでもない。」


 叱るような口調でそう言うと、彼女の手からマフラーを受け取った。

 そのまま"あの日の姿"のようにマフラーを巻く。

 出来上がった思い出の姿の"彼"。


 「私、あの日からあの仕事を辞めたんです。

  慣れなくてツラかった中、

  一生懸命楽しそうに仕事と向き合うあなたを見て、

  私にもそういう仕事があるんじゃないかって思って。」


 そう、今、彼女は自分の楽しくできる仕事をこなしていた。

 慣れない格好をして、慣れないお酒を飲んで体を壊すくらいなら辞めようと。

 人それぞれ適材適所があるのだと。


 「全部、あの時気付いたんです…。

  全部、あなたが気付かせてくれました。

  私、あの日から、あなたが――」


 その時、彼女の唇に指が当たる。

 言葉を黙らせる人差し指。

 その指の向こうで小さく笑う幽霊の鉄道員の彼。


 「その先の言葉はダメだ。

  それは、この先の為に取っておけ。

  俺はもう、アンタに何もしてやれないからな。」


 その言葉が全てを意味し、全てを告げたように思えて一筋の涙が伝った。


 「さて、そろそろ帰らないとな。」


 身を返した幽霊の彼はそう言った。

 が、まだ始発の時間ではない。

 どういうことかと、彼と彼女と鉄道員の三人は顔を合わせた。




 鉄道員の男に後は任せて、気弱そうな男と女性はあのホームに立っていた。

 どういうことなのか告げられぬまま鉄道員の彼は消えてしまい、二人はとりあえずホームに行けと言われて置き去られてしまっている。

 あれは、夢か?と思うくらい静かだった。


 真夜中の静寂と闇が包むホームで、二人はただそこで立ち尽くしていた。


 「う、うーん。どういうことなんだろうね?」


 「待ってろ、って言ってましたけど…。

  帰るとも言ってましたし…。」


 二人揃って顔を見合わせて首を傾げると、ホームの闇を貫くような光が射し込んで、電車の走行音が届いた。


 え?まさか――。


 そのまさかだった。

 終電を終えたはずなのに、電車がホームに入ってきたのだ。

 そして、まさに乗れと言わんばかりに扉が開いた。

 少し立ち尽くしてしまったが、二人は同じタイミングでクスクスと笑い出し、その電車に乗り込んだ。


 ――よし、じゃあ発車するぞ。


 そう…彼の声が聞こえた気がした。




 規則正しい走行音が響く中、乗客は自分達二人しかいない。

 夢のような不可思議な体験ばかりであり、しかも深夜のせいで眠気がやってくる。

 次の停車駅は彼女の最寄り駅だろう。

 路線図からしても彼の最寄り駅より手前の駅を示していた。


 眠そうな彼女を横目で見ながら、彼はあることを問いかけた。


 「普段はそんなに飲まないんだってね?

  なんで今日はそんなに飲んじゃったの?

  嫌なことでもあった?」


 眠気が訪れる中、彼の穏やかな声は更に眠気を駆り立てて来るほどだったが、話題が話題だった為、彼女は落ちそうだった瞼を持ち上げて笑った。


 「ずっと、いつまた会えるか待っていたんです…。

  でも、亡くなったんだから会えるわけがない。

  霊感があれば見えるのかな?

  なんて思ったこともあります。

  その時、あの時酔ってたなぁって思ったら、つい。」


 「飲んで酔ってたらまた会えるかな?って?

  あはは、これは敵わないなぁ!」


 「敵わない?」


 「あーーーっ、何でもないよ!」


 あはは!なんて笑って誤魔化した彼だが、何となくわかってしまうような発言だった。

 それでも彼は明るく笑って、悲しさを吹き飛ばしてくれた。


 同時に、彼女は笑いながらも不思議な感覚を覚えていた。


 マフラーを返した時、言葉を封じた時――

 確かに幽霊の彼は、誰の体も借りずにマフラーを手に取った。

 そして言葉を封じた時、指の感覚が確かにあった。

 本当は感覚なんてなくて、自分の錯覚かもしれないけれど…


 「本当に、不思議な人ですよね……。」


 走行音に消えるくらい、彼女は小さく静かに呟いた。



 そうこう話していたら、あっという間に駅に着いてしまった。

 開くドアに近付き、彼女はぺこりと頭を下げてお礼を告げる。

 そして、運転席の方へもお辞儀をした。

 笑顔で手を振って見送るとドアは閉まり、次の停車駅は彼の最寄り駅だった。


 遠退く駅から、彼女は小さな体で大きく手を振っていた。


 ひとりだけいる大きな電車の中、孤独感というよりどこか懐かしい気持ちが溢れてくる。

 あいつは運転士でもあったし、こうやってみんなの安全を守りながら足となってたんだなぁと。

 一度俯いて目を閉じて笑えば、ふぅっと運転席を見つめた。


 「なあ、聞いてた?

  あの子、お前に会いたくてあんなに酔ったんだって。

  たまたま僕がいてよかったね?

  最期に、会えたじゃん…。………よか、った…。」


 口に出せば出すほど切なさが込み上げて来て、今日の出来事は不可思議でも、親友の死をハッキリと痛感させられて涙が溢れた。

 胸が痛く絞まって、その痛みが涙となって溢れてくる。

 もう二度と会えない親友を思うと悲しくて、でも守ったあの子を見ると愛しくて、この出来事を思うと楽しくて……


 よくわからない感情のまま、彼はひとり泣きじゃくっていた。



 ――うっせえよ。男が泣いてんな。

 その背中ぶっ叩くぞ。



 ぶっきらぼうで優しい、鉄道員の彼の姿と声がした気がした――。





 とある日。

 僕は気持ちのいい朝日で目が覚めた。

 空は雲ひとつない晴天で、心地の良い風が流れている。


 ベッドから体を起こすとひとつの伸びをする。

 すると、枕元のスマホがメールの着信音を告げる。



 『今日はよろしくお願いします!

  お天気も良いですし、会えるの楽しみにしてますね!』



 "彼女"からのメール。

 朝から爽やかで晴れやかな気分になって支度を整える。


 約束の場所、約束の時間に待っていたのは

 "あの日"の親友が守った彼女の姿――。


 小さな体で大きく手を振っている、

 "彼女"の姿だった。


 いざ目の当たりにすると、どうしても親友に後ろめたさを感じて立ち止まってしまう。


 本当に良いのだろうか?

 あいつは怒らないだろうか?


 と、その時――



 バンッッ!!!



 と、思いっ切り背中を叩かれた。


 「いっ!?た……、あ。」


 よろけながら振り返ると、驚くべきことに親友として見慣れた私服姿の彼がいた。

 ……まさか、ここに来てまで幽霊の親友に背中を押されるとは……。

 結構これはしばらく頼りにして引きずるかもなぁ…。

 なんて苦笑いを浮かべる。


 「何してんだよ。

  彼女待たせて、こんな所で怖じ気づいてんな。

  さっさと行ってこい。待ってるぞ。」


 「あはは、ごめん。

  …うん。ありがと!行ってくるよ!」


 親友の叱咤で勇気をもらい僕は再び前を向いた。


 「ごめんね!お待たせ!」


 僕は明るく笑顔で駆け、彼女へ手を振り返して答えた――。



 柔らかな風が彼の黒髪を撫でていく。

 その眼差しは切れ長で鋭く見えても、とても優しく二人を見守っているように見えた。

 口元にふわりとした笑みを浮かべて、黒いマフラーを首にかけ直して身を返す。


 二人はもう大丈夫だ。

 と、その場を後に足を進めていく。


 「あっ、そこのかっこいいお兄さん!

  わたしたちのお店、夜からなんですけどいかがですかぁ~?

  お兄さんかっこいいし、サービスしますよぉ?」


 「ああ、悪い。興味ねえんだ。

  それに夜は大切な仕事があるからな、それじゃ。」


 残念がるキャッチの女性を避わし、彼は町の中に消えていった。


見えないはずの彼の姿――


そんな彼に声をかけた人がいた。


それが示す彼の未来とは――……。


あなたの解釈にて想像し、完結させてくれればと思います。

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