第2話 血のS級
―――――――――――1
『いよいよ明日、イエローストーン国立公園で第1回S級リーグが開催されます――』
そう無表情で告げる公共放送のアナウンサーとは対照的に、男は笑みをこぼしていた。
S級リーグ。
戦闘シミュレーションゲーム「PP」の頂点を決める戦いである。
『――今大会は前年度のPP上位1000人が集められ、優勝者には賞金1億ドルが――』
PPの競技人口は、去年10億人を超えた。その勢いは今年に入ってなお増し続けている。
しかし、規模の拡大につれ、勢力の分断、あるいは利権の衝突のようなものが起こり、各地域ごとの独立大会は存在したものの、世界大会というものは一度も開かれていなかった。
そういった意味で、第1回S級リーグは、全世界の……全ての“プレイヤー”にとっての悲願であった。
勿論それは、男にとっても例外ではなかった。
男は、世界を制するに足る十分な力を持っていた。ただ、その機会が与えられなかっただけだった。
――やっと。
圧倒的なパワーを。技術を。幻惑を。世界に、魅せつけることができる。
「いよいよ・・・か」
男は、――ALFは、笑みをこぼしていた。
―――――――――――2
収容人数150万人。
延床面積207ヘクタール。
今大会に向けて着工され、昨年産まれたばかりの超構造物は、アメリカ合衆国、イエローストーン国立公園の北西に鎮座していた。
《ネオコンパイル・サンクチュアリ》
ネオコンパイル社が擁する、世界最大のスタジアムである。
その片隅の一室で、ある長髪の青年は頭を抱えていた。
「うぅ・・・緊張してきた・・・」
その部屋――『プレイヤー待合室』では、人種、民族、性癖、老若男女すらをも問わず大勢の人々が、ある者はグラスを片手に語らい、ある者は目を瞑って何かを唱え、各々の時を過ごしていた。
第1回S級リーグ。その7日間にわたる大会日程の初日である。
「招待されたから来てみたものの、全く勝てる気がしないぞ……そもそも県外の人と戦ったことないし……」
青年は、佐賀県で生を受けてから21年間を過ごした。地元では負けたことがなかった……が、外の世界を知らなかった。
佐賀県の外に、何が広がっているのかを知らなかった。外の光景を夢想する時、青年を満たすのはいつも、好奇心と、畏れであった。
「あの……日本の方ですか?」
予期せぬ突然の呼びかけ。先ほどから俯いていた青年は虚を突かれた格好となった。
「えっ」
青年が顔を上げると、ピンク髪ツインテールの美少女が目の前に立っていた。
「あはっ、やっぱり!ボク、全然知り合いがいなくて困ってたんです!ボク、ねるんっていいます!よろしくお願いします!」
溌剌とした挨拶!だがそれよりも、少女の着る衣装の面積の小ささに目を奪われ、青年は少女の言葉を殆ど――かろうじて(挨拶をされたらしい)ということしか――認識していなかった。
「どうも、百剣です……県外の人、初めて見ました……」
少女の着る衣装(何かのコスプレだろうか?)は、ピンクと黒を基調とし、乳房と股間を覆うという最低限の機能を果たしていた。
百剣は、できるだけバレないように少女の肢体を凝視しつつ、県外の人ってみんなこんなにエッチなのかなぁ・・・と考えていた。
「そうなんですか!?あっちにも日本の方がいますよ!!」
ねるんがそう言って目を向けた先には、和服姿の男性が虚ろな顔で独り言を呟いていた。
「あそこに独りでいるのがくまちょむさん!!未だかつて国内で無敗・・・日本最強の呼び声が高いプレイヤーです!!」
くまちょむと呼ばれたその男は、つい先ほどリストラに遭ったかのような悲壮な顔をしており、百剣は少し心配になったが、気にしないことにした。
ねるんは、また異なる方角を向いて続けた。
「あそこで作詞しているのがカメストリーさん!!アイドル活動のかたわら大会に参加しており、ファンの数では日本一と言われています!!」
ねるんの視線の先にいた男――カメストリーは、金髪碧眼、アイドルらしい端正な顔立ちで何かよく分からないオリジナル?歌詞を口ずさんでおり、百剣は(あの歌売れないだろうな)と思った。
ねるんはさらに続けた。
「あっちがクロロさん!!精神攻撃によって相手をじわじわと追い詰めるプレイヤーです!!」
クロロという男は、非常に筋肉質な身体と鋭い眼光に不釣り合いな満面の笑みで、周囲のプレイヤーを手当たり次第に「WAR IKO!!(戦争、行こ!)」と勧誘しており、百剣は関わらないことに決めた。
「これが日本四強と呼ばれる人たちで、みんなのあこがれの存在なんですよ!」
だが、百剣はすぐ、"四強"と呼ばれるには一人足りないことに気づいた。
「四強?」
「はい!実はもう一人いるんですが、席を外しているみたいですね」
・・・もう一人も変な人なのだろうか、と百剣は思った。
―――――――――――3
「ねぇ、キミたち!」
突然の呼び掛けに、百剣とねるんは「ビクビクッ!」と雷に打たれたような衝撃と快感(ねるん)を受け、おそるおそる振り向いた。
それまで他プレイヤーの品定めをしていた百剣とねるんは、自分たちが監視されているということを全く予期しておらず、ある種の後ろめたさと背徳感(ねるん)があったのだ。
振り向いた先には、黒タキシードの英国紳士が立っていた。ワイングラスを片手に、英国紳士はねるんに微笑みかける。
「やぁ、僕はトムソン。君たちもS級に参加するのかい?」
落ち着いた優しい声。トムソンが傾けたワイングラスから漂うほのかなアールグレイの香りは、ねるんの警戒心を置き去りにした。
「はい、でもなんだか強い人ばっかりで緊張してきました・・・」
「ははは。無理もない、世界のトップ千人がこの地に集結してるわけだからね」
トムソンと名乗った男のメガネは、中央を境に左目側が完全に消失しており、百剣はそれが気になって会話を全く聞いていなかった。
「そうだ、緊張をほぐすために簡単なクイズを出そうか」
「クイズ?」
その単語の持つ楽しげな響きにねるんは目を輝かせる。
「なに、簡単な心理テストみたいなものだよ。
次のうち、もっとも強い毒を持つ生物はどれでしょう?
1.タコ (ヒョウモンダコ)
2.カエル (モウドクフキヤガエル)
3.ヘビ (インランドタイパン)」
百剣は、ここで初めて反応を見せた。
百剣は幼い頃から佐賀の大自然に囲まれた暮らしを送っていた。近所の山で野生のマムシに噛まれ、40度近い高熱を出したこともあった。そんな折に調べた、世界の毒を持つ生物たち。
確か、答えは――
「カエルさん、です!」
黄色く響く嬌声に、百剣は思わず顔を上げた。
トムソンの眉がぴくりと動いたように見えた。
(執筆中)
―――――――――――4
「百剣さん・・・トムソンを・・・倒してください。あいつを野放しにしちゃ・・・いけない・・・」
痙攣が落ち着いてからというもの、ねるんはずっとうわごとを繰り返していた。
「峠は越えたよ。ここに血清がなかったら危なかった」
先ほどまで処置を行っていた保健室長らしき男は百剣に目をやると、真剣な表情でこう続けた。
「ただ、当分の間は絶対安静だ。少なくとも彼女には、今大会は諦めてもらうしかない」
百剣はなにも言わず、ただねるんの汗ばんだ顔を見つめていた。
その時、保健室に響き渡る大音量でアナウンスが流れた。
『まもなくS級リーグ一回戦を開始します。プレイヤーの方は、第一会場まで集まって下さい。』
百剣は軽く俯き、ねるんの手を握りしめた。ねるんが目覚める気配はまだなかった。
「ボク・・・友だちができて・・・うれしかった・・・です・・・」
ねるんの目に浮かんだ涙を拭ってから、百剣は立ち上がった。
―――――――――――5
『ついにやって参りました第一回S級リーグ!この現代建築科学の結晶ネオコンパイルドームに世界中からトッププレイヤー1000人が集結し、7日間の日程で世界最強を決定します!もちろんその模様は最初から最後まで全世界に生中継!司会進行は私エッチなカエルさんこと、ななんHがお送りいたします!』
「「「うおおおおおお!!!!」」」「「「ななんーーー!!!」」」「今日もエッチだ・・・w」
スタジアムの巨大スクリーンには、カエルのコスチュームを身にまとった黒髪ショートの少女が映し出され、天真爛漫を150万の観客席全体に降り注いでいた。
少女――「ななんH」は、カエルコスチュームでPPのプレイや解説を行うことで人気を博したYoutuberであり、全世界で男性女性問わず人気が極めて高い。
今大会の司会進行としてネオ・コンパイルが起用するのはいわば当然の流れであった。
『今回のS級リーグはとっても単純!1日にゲームを1回戦ずつ行い、各ゲームに設定された条件をクリアしたプレイヤーだけが次の回に進むことができます!そして7日目、すなわち7回戦まで終わって最後まで残っていた人が・・・おめでとう!PP世界1位だよっ!』
「「「うおおおおおお!!!!」」」
ななんHの声に呼応するように、スクリーンには今大会の行程表が映し出された。
【第1回S級リーグ行程】
1日目 1回戦 1000人→500人
2日目 2回戦 500人→250人
3日目 3回戦 250人→100人
4日目 4回戦 100人→50人
5日目 5回戦 50人→25人
6日目 6回戦 25人→10人
7日目 7回戦 10人→1人
この時すでに、1000人のプレイヤーはスタジアム中央フィールドに集められ、150万人の観客と同じくスクリーンを見つめていた。
プレイヤーの一人、百剣はスクリーンを見上げつつも、常に視界の隅にトムソンを置くことを忘れなかった。
『さて、さっそく一回戦のルール説明・・・とその前に!!今大会ではプレイヤーの皆さんにあるものを導入してもらいます!それは!!』
突如、スタジアム全体が暗闇に包まれ、スクリーンにカウントダウンが表示される。
3、
2、
1、
・・・
『Direct Connection System!! (直接接続方式)』
ななんHの声と同時に数十発の花火とファンファーレが鳴り響き、スクリーンに煌びやかな文字と黒いパッケージのようなものが表示され、続いて新商品のプロモーションとおぼしき音声映像が流れ始めた。
〈いま、全てのプラットフォームは過去になりました〉
〈これからは、全てのプレイヤーに平等な対戦環境を提供します〉
〈そして、プレイヤーの潜在能力を最大まで引き出します〉
〈時代は現実を超えたリアルへ。"DCS"で、新しいPPライフを〉
〈ネオ・コンパイル社〉
社名の入ったロゴがフェードアウトすると、スクリーンが再びななんHを映し出した。
『・・・プレイヤーの皆さん、皆さんの中には、ある人はPCで、ある人は家庭用ゲーム機で、ある人はゲームセンターで・・・様々なプラットフォームで、PPを遊んでいる人がいることと思います。そして今まで、違うプラットフォームで遊んでいる人同士では、必ずしも対戦が容易ではありませんでした』
『ネオコンパイルは、今日この問題に終止符を打ちます。パソコンも!コンシューマも!アーケードも!もはや全てが不要です。ここに統一方式"DCS"を導入します!そして、このDCSでは、従前どんなプラットフォームで練習していたかに関わらず、皆さんは常に自分の力を100%発揮することができます!』
『なぜならば!』
『DCSは、皆さんの精神を直接、接続するからです』
百剣は、ななんHの顔に落ちた刹那の翳りを見逃さなかった。
―――――――――――6
『それでは!一回戦のルール説明を始めます!』
ななんHの掛け声とほぼ同時に、百剣の頭上やや前方30cmほどの高さのところに、手のひらサイズの星印が5つ、燦然と輝きだした。
☆☆☆☆☆……………
百剣が周囲を見回すと、他のプレイヤーの頭上にも同じ星印が現れており、突然の光景に戸惑うプレイヤーたちはみな宙空を見上げていた。
百剣は頭上に手を伸ばして星を触ろうとしたが、その手は目的を果たせず空を切るのみであった。
『いま、皆さんの頭上に現れた5つの星――【PPスター】は皆さんの初期ライフです!一回戦では、そのPPスターを賭けて対戦を行ってもらいます!
この1000人が集うフィールド上で、自由に1対1の対戦を行い、勝者は敗者からPPスターを1個受け取ります。これを繰り返して、PPスターが10個溜まった人は一回戦クリアです!
制限時間は3時間!最大クリア人数500人!また、試合の状況はDCSによって観客150万人に感覚共有(※)されます!』
※精神接続は行わないが、プレイヤーが認識している感覚を安全なレベルで擬似的に共有することができる(熱い、冷たい、明るい、暗い、等)
その他、以下の注意点が補足された。
・1対1の対戦は互いの視線が合うことにより自動的に開始すること。
・PPスターが0個になったら、その時点で一回戦敗退であること。
『皆さんはDCS初体験ですので、これから1時間の練習時間を設けます!なお、まだ精神接続は開放されていませんので、練習は一人用モードのみとなります!それでは、どうぞ!』
スクリーンには大きく「1:00:00」という数字が表示され、カウントダウンが開始された。
・・・
カウントダウンが始まって間もなく、プレイヤーたちはこぞって各々の構えを取り、初めて味わうDCSの感触を確かめようとした。
その一人、横浜一位――『ALF』と呼ばれる男は、おもむろに手を眼前に掲げ、そっと呟いた。
「――地獄の業火」
すると、ALFの手のひらから放たれた種火は瞬く間にフィールド、観客席、果てスタジアム外壁にまで広がり、その場に存在したありとあらゆる有機物を焼き尽くしたのち、行き場を失った炎は火柱となって上空50kmの成層圏を朱く染めた。
もともとALFはゲームセンターのアーケード専門プレイヤーであった。もちろんDCSは今日が初体験である。にもかかわらずDCSは、アーケードとは比べ物にならないほど、ALFの力を完全に引き出していた。
その光景を見て、ALFは思わず笑みをこぼした。
(これが・・・・・・・!!)
(これが俺の本当の力・・・こんなっ・・・こんなにも・・・!!)
(・・・あぁ・・・この感覚・・・間違いない・・・)
(俺が・・・)
<<万物の頂点>>
――『皇帝ALF』の誕生であった。
―――――――――――7
「いよいよS級リーグ第1回戦が始まります!」
ななんHのアナウンスによって、プレイヤーたちは再び10km四方のフィールド中央に集められた。
「私が試合開始の合図をした瞬間、全プレイヤー(と私)の精神が同期されます!そしたら、あとは先ほど説明した通りです!目が合ったらバンバンやっちゃってくださ〜い!」
「「「うおおおおおお!!!」」」
「「「「俺もやるぞぉおおおお!!!」」」」
「「「ななんんんんんんんん」」」
「今日もHだ・・・w」
観客席では、【ななんHの囲い】という巨大な横断幕を掲げた数千〜数万人の集団が、奇声とも怒声ともつかぬ叫び声を上げていた。
ななんHはそちらに目を遣ることはなかったが、その表情はどことなく楽しそうに見えた。
・・・
『それでは皆さん、準備はいいですか?』
ななんHがそう問いかけると、スタジアム全体が息を飲んだ。
(シン・・・)と静まり返った聖域に、ななんHの落ち着いた、それでいて力強い声が響き渡る。
『記念すべき第一回S級リーグ』
『その、幕開けとなる第一回戦です』
『それでは・・・』
『―――試合』
『開始っ!!!!!!!』
そして、暗黒が全てを覆った。
―――――――――――8
――――ななんHがPPに出会ったのは、小学生のときであった。
西暦2001年、ネオコンパイル初のゲームタイトルとなる『PP - The Perfect Player -』は、それまで存在した【落ちものパズルゲーム】というジャンルを、より実戦的なシミュレーションゲームとして別次元に進化させた。
このゲームは日本、アメリカを中心に空前の大ヒットを記録し、子供大人を問わず大量の"プレイヤー"を産み出した。
ななんHは小学生のとき、クラスの男女から人気があった。昼休みや放課後には、いつも周りに人が集まった。
ある日、ひとりの男の子が新作ゲームを持ってななんHの家に遊びに来た。それがななんHとPPの出会いである。
それからというもの、ななんHは、放課後に仲の良いクラスメイトたちと対戦する日々が卒業まで続いた。
中学校に上がった頃、ななんHは周りの誰にも負けなくなっていた。昼休みの対戦では、誰とやっても10-0の大差がついた。市内のゲーム大会では、無敗で優勝を成し遂げた。もはや、ななんHに勝てるものは誰もいなかった。
ななんHは、このゲームでは自分が1番強いのだと思った。そして、同じ時期に始めた友人たちが皆自分に勝てなくなったのを見て、ひそかに自分の才能を誇らしく思った。
西暦2004年、ネオコンパイルはインターネット対戦機能を備えたPPを発売した。ななんHはずっとこの日を待っていた。もはや周りの人間では勝負にならない。でも、全国、全世界なら・・・ひょっとしたら少しは自分を楽しませてくれる人間がいるかもしれない。
ななんHはソフト発売と同時に学校を休んで購入し、全ての一人用モードを無視、一直線にネットの海に潜り込んだ。そして、
――――ななんHの力は、世界には届かなかった。
否、その表現は正確ではない。
実際のところ、ななんHの実力は、日本国内ですら上位と呼ばれる集団には属していなかった。
ランキングによれば、ななんHは、県内で20番手といったところであり、全国でいえば・・・形容するのも躊躇われるような有象無象の一部であった。
ななんHは驚きを隠せなかったが、心が折れることはなかった。
――自分が思っていたより、ずっと世界は広かったのだ。それでも自分なら、俺の才能なら。
・・・
それからというもの、彼はたびたび学校を休んでネット対戦に没頭した。
今まで触れていなかったインターネット上のあらゆる情報を拾い集め、勝つための方法を模索した。
自分より格上のプレイを何十回も繰り返し見て、そのプレイを真似し、自分の技術として取り込んでいった。
対戦が終わった後は、勝ったか負けたかにかかわらず必ずその原因を分析し、次に繋げることを考えた。
いつしか彼は、持てる時間の全てをPPに費やしていた。彼は高校には進学しなかった。それよりもただひたすらに、強くなることだけを考えた。
やがて、かつての同級生たちが高校生活を謳歌している頃、彼は県内2位になった。
しかし、それより上にどうしても行けなかった。県内にあと1人、自分より強いプレイヤーがいた。
彼は、【県内1位】が対戦しているときは、必ず観戦に入った。その一手一手を凝視し、分析し、研究し、自らに取り込んだ。
そして、【県内1位】が対戦していた時間の3倍以上は、自分自身も対戦をした。
もちろん、幾度か【県内1位】と直接対決することもあり、その全試合を1手1ページで考察したノートは合計で100冊にも上った。
最後の1年間、彼は、11時間の実戦と、11時間の研究と、2時間の睡眠を365日繰り返した。
そして、かつての同級生たちが高校を卒業するころ、ついに・・・
彼の心は折れた。
彼は【県内1位】を超えることはできなかった。
誰よりも努力し、鍛錬し、上を目指した結末は、県内2位であった。
彼は、自分の才能を恨めしく思った。
そして次に彼を襲ったのは、現実であった。彼の学力は中学で止まっていた。そして3年間、母親以外とのコミュニケーションを取っていなかった。
その日、彼は3年ぶりにPPをプレイすることなく、布団に潜ったまま耳を塞いで目を瞑り、膝を抱えて3日間震え続けた。
・・・
3日後、ななんHは突如立ち上がり、近くのドンキで購入したカエルの着ぐるみとニーハイを着用して、Youtubeで『ななんHのPP実況プレイ』の生放送を始めた。
ななんHは、人を集める才能に長けていた。
奇抜なコスチュームと、大多数の人間からすれば雲の上の実力、持って生まれた愛嬌を駆使して、ななんHは日々ランキングを上り詰めた。
全ての時間を生放送と動画編集につぎ込み、半年が経った頃にはYoutuberとしての収入だけで生計を立てられるようになった。
そして1年が経った頃には、全てのPP実況者の中で人気ランキング1位に躍り出た。もはや、ななんHは強くなる意味を失った。
――私の天職はこれだったんだ。何も、辛い思いをして練習する必要なんてなかった!これが私の才能、そして他の誰にもできないこと!
彼女は、充足感に顔をほころばせた。
―――――――――――9
最初に違和感に気づいたのは、くまちょむであった。
否。違和感と形容するには余りにも大きい何か。
しかし、殆どのプレイヤーはその正体が分からず、混迷に陥っていた。
まるで、この世の理が歪んでしまったことを、基底現実の崩壊を、脳が拒むかのように。
(――空気が、無いのか)
くまちょむは、《事態》が起こってから僅か0.02秒で状況を理解、ただちに無呼吸運動を開始した。
そこは、真空であった。
(――ふむ。)
くまちょむは辺りをざっと見回す。
周囲のプレイヤー達は、存在しない酸素を求めて口を開閉させ、まだ思考が追いついていないのか・・・誰しも一様に目を見開いていた。
一方、状況を理解してから0.01秒後、くまちょむは既に事態の"原因"に思考の刃先を向けていた。
――自然現象では無い。
《物理的に起こせるか?スタジアムを一瞬で真空に?》
――否。
となると・・・
精神接続による誰かの能力。
――領域か。
答えは出た。
(この領域の主たるプレイヤーを探し出し、殺す。それでこの茶番は終わりだ。)
くまちょむの無呼吸運動の限界は、およそ70時間であった。
子鼠1匹を見つけ出すには充分すぎる。
もし出来なかったら、全員殺せばいい。
くまちょむは、笑みをこぼすことはしなかった。
つまらない余興。
つまらない人生の、足しにもならぬ。いくら策を弄そうと、私の人生にさざ波は立たぬ。無意味だ。――そして私自身も。
くまちょむは、飽いていた。
「ふぅっ・・・」
ため息ひとつをついて、そろそろ子鼠を探しに行くかと、ゆっくりと振り返った、
その時、
正面から時速34,821kmで飛来した半径58,232kmの球体が、くまちょむの身体を押し潰した。
彼の意識は、そこで途絶えた。
―――――――――――10
(執筆中)
―――――――――――設定集
カメストリー (S級、名古屋1位)
領域名「絶対領域」
身体の周囲で定義した領域内において、1万年間領域外の事象による干渉を遮断できる。
例えば宇宙空間において「大気が存在しない」という事象による干渉を遮断し、領域内の「何気ない日常の続きである」という事象を維持することで、タレント活動やライブなどの日常生活を送ることが可能。
アルフ (S級、横浜1位)
領域名「絶対君主時間」
領域内の全ての生命体の「格付け」を行い、自分を頂点としたピラミッドを形成。下位の生物は上位の生物に対し一切の権利が剥奪される。
例えば、上位の生物と下位の生物が相対すると、その0.0001秒前に下位生物は生命活動を停止(生存権の剥奪)、0.000001秒前に身体の原子レベルでの崩壊及び消滅(存在権の剥奪)、0秒前に存在したという一切の記録・記憶が消滅する(忘れられない権利の剥奪)。
リベ (S級、埼玉1位)
領域名 不明
アルフに自己同一性保持権を剥奪され自他の境界が曖昧になり消滅。
ななんH (A級、岐阜2位)
領域名「両性類」
ななんHが「性差が存在する」と認識している「自身」の性質を、「性差の範囲内である」と認識している範囲内で、自由に変化させることができる。
例えば、「身体の筋肉量」に「性差が存在する」と認識していれば、「性差の範囲内である」と認識している範囲内で、自身の筋肉量を自在に増減させることが可能。
「予知能力」に「性差がある」と認識することで「未来視」を可能にしたり等、変化する性質や範囲はななんHの主観に依存するため事実上無制限である。
全宇宙の事象を書き換えることも理論上可能であったが、それにななんHが気づくことはなかった。