23
森のざわめきが、ひときわ大きく聞こえる。
師匠の部屋からは何の物音もしない。
ソファではシオンさんが規則正しい寝息を立てており、ダイニングのテーブルではスノウが蹲っている。
ハルさんの治癒魔法によって、目に見える外傷は治ったが、2人とも未だに目を覚まさない。
私はスノウの背中をそっと撫でてから、じっと窓の外に視線を向けているハルさんに話しかけた。
「いろいろ、聞きたいことがあります」
「・・・私に答えられる範囲なら」
「どうして、ベルントは急に態度を変えたんですか?」
窓の外から視線を外し、ハルさんがこちらを向く。
口を開きかけてから、再び閉ざし、緩く首を横に振った。
「正直、私がどこまで話して良いのか分かりません」
「どういうことですか?」
「逆に聞きますが、あなたはお師匠様のことを何処まで知っているんですか?」
「何処までって・・・」
師匠は、私の師匠だ。
魔法の扱いがすごく上手で、意地悪で、人を虐めるのを生き甲斐にしていて、でも、優しいときもある。
「質問を変えましょう。彼は、本当に人間ですか?」
「え・・・」
心臓に、杭を打たれたような衝撃が走る。
どくり、と嫌な音を立てて、額に冷や汗が滲んだ。
「師匠が・・・人間じゃない?」
「その様子だと、何も知らないようですね」
「でも、それじゃ、師匠は・・・」
「人間ではないと決まった訳ではありません。あれだけ博識な方なら、ベルントを跪かせる術を持っていたのも頷けますから」
ぐるぐると、頭の中が渦を巻く。
ハルさんの言っていることが、よく理解できない。
師匠が人間じゃないかもしれなくて、それに、私が覗いた記憶に間違いがなければ、銀髪の魔女が近くに来ているかもしれなくて。
ぽたり、とテーブルに涙が染みを作る。
その瞬間、我慢出来なくなって、私は馬鹿みたいに泣き声をあげた。
驚いたハルさんが、近くに来て頭を撫でながら、背中をぽんぽん、と叩いてくれる。
「ごめんなさい、泣かせるつもりじゃなかったんです」
「ちがっ・・・ハルさ・・・のせい・・・じゃ・・・うっ・・・」
ずび、と鼻水を啜り上げて、私はぐしゃぐしゃに目元を袖で擦る。
「そんなに擦ったら、赤くなっちゃいます」
「い・・・いの・・・ごめ・・・なさっ・・・」
何が原因で涙が出たのかなんて、自分でも理解出来ない。
ただ、何もかもを放棄して、どこかに消えられたらいいのに、と思った。
あの短時間で、あまりにも色々なことが起きすぎたのだ。
私には、それを受け入れられる程の余裕が無かった。それだけだ。
ぐずぐず、と情けない泣き声が室内に響き渡る。
早く泣き止みたい、と思っても涙は止まってくれなかった。
他にも、ハルさんに聞きたいことが、たくさんあるのに。
「お師匠さんの話していた言葉は、龍語と言って、ドラゴンの話す言葉なんです」
やんわりと、目を擦る手を止められる。
代わりに、ハルさんは私の前に膝をつくと自分の服の袖で、擦らずに私の涙を拭ってくれた。
「ドラゴンはヴァンパイアよりも高位種です。ヴァンパイア族は目上に頭が上がらないのは知ってますか?」
「う・・・うぅ」
うん、と言ったつもりが言葉にならない。
私は首を縦に振ることで、返事とした。
「ドラゴンの言葉を知っているお師匠さんは、私たちより格が上、ということになるんですよ」
「でも・・・し、ししょ・・・なんで・・・しって・・・」
「それは、私には分かりません。ドラゴンは他種族と交わらないことで有名ですし、その姿だって伝説の生き物になるくらい見かける事のできない種族ですから」
ハルさんは言葉を切ると、私の涙を拭っていた手を止める。
「心配しないで。あなたのお師匠さんは、すごい人ですから。ドラゴンの言葉を知っていたとしても、不思議じゃないですよ」
さっきまで、本当に人間なのか?なんて聞いて来たくせに。
それでも、ハルさんが必死に私を慰めようとしてくれているのが伝わって来て、申し訳ない気持ちになった。
ぐい、と手を引かれて、私はハルさんの腕の中に抱かれる。
ぽんぽん、とあやすように背中を叩かれて、私の涙はようやく収まりを見せた。
「落ち着きましたか?」
「すみませ・・・。みっともない・・・とこ・・・見せて・・・」
「泣いているところも可愛いから、大丈夫ですよ」
女の子を慰めるのは、男の特権ですね、なんて笑うハルさんに、私も小さく笑みを零す。
ありがとうございます、と呟いて身体を離そうとしたときだった。
再び視界が真っ暗になり、別の景色が広がる。
さっき見たばっかりだというのに、こんなに頻繁に起きるなんて。
ひんやりとした空気が肌に纏わり付き、思わず身体を擦る。
そこで、温度を感じた事に私は驚愕した。
今まで、感じたことなどなかったのに。
よく目をこらせば、広がる景色はぼやけることなく細部まで再現されている。
地下につながる、石で出来た階段のようだ。
目の前には水色の長い髪の青年。
ハルさんだ。
「ハル、さん?」
問いかけても、ハルさんはこちらを見ない。
服を掴もうと手を伸ばせば、するりとすり抜けてしまった。
どうやら、私は彼に触れることが出来ないらしい。
いつもと違う様子に、早く元の世界に戻れないかと念じるが、効果はない。
ハルさんは、そうやって惚けている間に、どんどん地下へ下って行く。
一人でじっとしているのも嫌だったので、私はハルさんの後を追いかけた。
『・・・にぃ?・・・と・・・て・・・よぉ?』
声が、微かに聞こえる。
ハルさんが、足を止める。
聞き耳を立てているのだろうか、息を潜めて動かない。
私もそれに倣うように、足を止めた。
『本よぉ、本!あんたが持ってたってことぉ、知ってるんだからねぇ!』
『ひぃ・・・っ!』
どさ、と何かが床に落ちる音。
嗚咽と悲鳴。
甲高い、耳を突くような声。
聞き覚えのある声音に、背筋に冷たいものが走り、怒りに手が震え始める。
姿は見えないけど、間違いない。
この、女の、声は。
『わっざわざ馬車まで襲ったのに、回収し損ねるなんて私も馬鹿みたぁい。でもぉ・・・あんたが拾ってくれたんでしょぉ?』
『し、知らない!私は・・・!』
『強情ねぇ。これでどうかしらぁ?』
くすくす、と女の笑い声が上がる。
男性の呻き声に続いて、咳き込む声が聞こえる。
『さぁて?で、本はどこぉ?』
『だから、私は知ら・・・かはっ!こほっ!』
『ほぉら、本当のこと言わないとぉ、血吐いて死んじゃうわよぉ!』
『やめ・・・やめてくれ・・・』
『じゃぁ、さっさと答えなさいよ!アルノーの本はどこって聞いてるの!あんたがあの本で、人間と魔物を融合させたことは知ってるんだからねぇ!』
鈍い音が、響き渡る。
きっと、男性を蹴るか殴るかしたのだろう。
ハルさんも、さすがに耐えかねたのか、小さく口の中で呪文を唱え、発動する。
『きゃ!』
小さく悲鳴が上がり、ハルさんが声のする方へ飛び出した。
それに続くように、私も後を追う。
『何をしているんですか?それに、どこからここに・・・』
そこまで言いかけて、ハルさんはひゅ、と息を呑む。
床に転がる人々。
蹲って、それらはぴくりとも動かない。
その中心にはツタで拘束された、銀髪の妖艶な身体つきの女。
そして、その足元には暴行を加えられていた、男性。
かつては恰幅の良かった身体は、見る影も無く。
見知ったその顔に、私は目眩がする。
「ルーカス・・・さん?」
私の呟きは、誰にも届かない。
景色が遠のき、視界がぶれる。
銀髪の魔女の声が、遠のいて行く。
「リザ・・・リザっ!」
ハッとしてあたりを見回せば、そこは家のリビングだった。
心配そうな顔をしたハルさんが、私を覗き込んでいる。
「大丈夫ですか?意識が飛んでいたようですが・・・」
心配ないです、と言おうと口を開くが、声が震えて発音ができない。
人の記憶を勝手に覗き見た罪悪感と、それ以上の衝撃。
あの女は、馬車を壊して、トリス君とナナちゃんを傷つけ、そのご両親を殺した。
そして、ルーカスさんに、あることを聞き出すために、暴行を加えた。
そう、間違いなく、アルノーさんの本を求めている。
今、この家にあるあの本を。




