18
「ハルさん・・・?大丈夫ですか・・・?」
私の問いかけに、ハルさんは悲しそうに微笑んだだけで答えない。
口元に垂れた血をその汚れた手で拭えば、顔に付着する血液が増えるだけだった。
まるで、大理石のように真っ白な肌に、その色はよく映える。
「すみません、みっともないところを見せて」
「ほんまやでー。俺だけなら、まだしも、リザちゃんもおるのに」
シオンさんは、けらけらと笑うと、ハルさんの元に踏み出す。
血を啜っている姿には驚いたけれども、いつものハルさんと変わりないようだ。
私はほっと息をついて、シオンさんの後に続く。
ハルさんの手の届く場所まで着てから、ふと、足元に目を落とした。
そこには、獣が一匹転がっている。
干涸びて、しわしわになったその身体がしっかりと視界に入ってくるのと、腰に手を回され、強く引かれるのは同時だった。
「あぁ・・・限界です」
耳元ですぐ聞こえる声に戦慄した。
それは、いつものハルさんの声とは随分と違って、艶やかで、低く耳に響く。
まるで、別人のような声を出す彼に、シオンさんも目を丸くして、一瞬動きが止まった。
ちくり、と首筋に痛みが与えられると同時に、罵声が轟く。
「ど阿呆!何しとんねん!」
どごっ、と鈍い音がして、回された手が離れる。
地面にぶつかる、と思って覚悟をすれば、シオンさんに強く抱きとめられた。
何が起こったのか全くわからなかったけれども、それでも、シオンさんが怒っているのだけはひしひしと伝わってくる。
支えられた身体を叱咤して、ハルさんの方に向き直れば、いつもの優しい笑みは無くなり、蒼白な顔が必死の形相をかたどっていた。
紫色の瞳が、爛々と輝いている様子に、思わず萎縮してしまう。
頬が赤く腫れているのは、きっと、シオンさんに殴られたからだ。
「シオン・・・邪魔をするなら、あなたでも・・・」
「何の話しや。リザちゃんに牙立てたら、旦那に殺されるで」
「血が・・・血が欲しいんです。もうダメなんです・・・。動物なんかじゃ、足りない・・・。魔力が・・・尽きそうなんです」
「おま・・・っ」
シオンさんが言葉を呑み込む。
私も彼に掛ける言葉が見つからなかった。
いくら人間寄りのヴァンパイアだと言っても、その本能に抗うことは出来ないのだろう。
それでも、こんなに苦しむまで、ハルさんは我慢していたのだ。
かちゃり、という金属音で私は我に返る。
見れば、シオンさんが剣を抜いてハルさんに近づいて行くところだった。
彼の意図を邪推して、私は縋るように声を掛ける。
「シオンさん・・・や、やめましょう」
「目ぇ隠しときぃ」
振り返りもせずに、そう言われて、私はますます目が離せなくなる。
シオンさんは、ハルさんを殺す気なの?
剣で、刺すつもりなの?
かたかたと震える身体を抱きしめるばかりで、何も出来ない自分が歯痒い。
そうだ、いつだって私は見ているだけで、何も出来ない。
師匠や、シオンさんに助けられてばかりだ。
今、私は、ハルさんを見殺しにするの?
そう思っても、身体は動かなければ、呪文を唱えるために口も動きもしなかった。
「呆れるわ」
シオンさんが、そうハルさんに告げる。
背を向けた彼の表情は窺うことはできない。
けれども、ハルさんが悲しそうに微笑んだのだけは、ここから見えた。
右手に持った剣を、シオンさんが振りかぶる。
これ以上は見ていられない、と思った私は目を背けてしまった。
耳を塞ぎたくなるような音が響く。
「シオン?!」
「飲めや。」
「ごめんなさい・・・ごめんなさい、シオン・・・」
泣きそうなハルさんの声に、私はそろそろと目を開ける。
そこには、左腕からぼたぼたと血を流したシオンさんと、必死に謝りながらそれを啜るハルさんの姿があった。
その様子から、自分の腕を切って、血をハルさんに捧げたのだと想像するに固くない。
けれども、それを実行に移したシオンさんの勇気と度量は計り知れなかった。
目の前に、あんな、血を吸われて干涸びた死体が転がっているというのに。
「なんで、そないなるまで我慢すんねん」
「違うんです・・・。魔法を使わなければ、こんなことには・・・」
「あぁー・・・俺がいるからて、あんな無茶せんでも良かったんやで」
私は少しでもシオンさんがハルさんを殺してしまうんじゃないかと疑ったことを恥ずかしく思った。
シオンさんにとって、ハルさんは友達なんだ。
その友達を、簡単に殺めることなどできるはずないのに。
「これで足りるんか?」
「十分です・・・。本当に、ごめんなさい」
「血なんて、金と違うて勝手に出来るもんやし。そんな気に病まんでええで」
人間の血を摂取したことで理性が戻って来たのか、それとも、シオンさんが自分の腕を切り裂くのを見て我に返ったのか定かではないが、ハルさんの目は普段のように優しげな色を称えている。
薄暗い森の中では見えにくいが、顔色も随分と良くなったように思えた。
ハルさんはシオンさんの腕から口を離すと、ごめんなさい、と何度も何度も謝る。
どういう顔をして良いのか分からない私とは対照的に、シオンさんはあけすけに笑っていた。
「どんだけ気にしとんねん。そない気になるんなら、金払ったら許したるわ」
「分かりました。いくらですか?」
「冗談やて。本気にすんなや」
ばしばし、とシオンさんは左手でハルさんの背中を叩いたけれど、痛みが走ったのかすぐに手を引っ込めた。
あいたー、と呻くシオンさんに、ハルさんはまた表情を曇らせる。
「私のせいで・・・それに、リザも怖がらせてしまって・・・本当に、なんとお詫びして良いか・・・」
ますます縮こまるハルさんに、私は咄嗟に掛ける言葉が見つからない。
シオンさんが気を使ってくれたのか、フォローをしてくれた。
「大丈夫やて。ちょっと、びっくりしただけやんな?」
「は、はい!」
私はこくこくと、何度も頷くと2人に歩み寄る。
確かに、その姿に驚いたものの、やはりハルさんはハルさんだ。
私がお腹が空いて、食べ物を摂取するように、ヴァンパイアにとっては、いくら人間贔屓と言っても、その血を求める本能に抗うのは難しい話なのだ。
「ほな、帰ろか」
「で、でも、シオンさん・・・怪我は・・・?」
「舐めときゃ治るやろ」
「私が治します」
そう言って、手を取ろうとしたハルさんを、シオンさんは呆れたように見返す。
「あほか。せっかく魔力戻すために血分けたのに、それ使うてどうすんねん」
「でも、それでは、シオンの怪我が・・・」
言い合いをしている2人をよそに、私はそっとシオンさんの腕を取って強い思いを込めて呪文を唱える。
「絶たれし息吹よ、再び繋がれ」
ふわり、と光が飛んで、シオンさんの怪我をした箇所に浸透していく。
溢れていた血が止まったのは確認出来たが、完全には傷は塞がらない。
「おぉ、血が止まりよった」
「・・・ごめんなさい。綺麗には治せないです」
「血が止まっただけでも儲けもんや。おおきにな、リザちゃん」
がしがし、と乱暴に頭を撫でられる。
お礼を言ってもらえて嬉しい反面、師匠のように綺麗に傷を治せないことに不甲斐ない思いでいっぱいだ。
「帰ったら、ちゃんと手当しましょう」
「女の子に傷の手当してもらえるなんて、感動もんや」
けらけら、と笑って茶化すシオンさんに、くすくすと笑うハルさん。
さっきまでの、緊迫した空気が嘘のように消えたことに、私はほっと胸を撫で下ろす。
「そういえば、ハルさん。魔力が足りないってどういう・・・?」
「私たちヴァンパイアは、吸血行為によって魔力を補うんです」
「え?魔力って、放っとけば回復するんじゃ・・・?」
「それは、人間の話ですよ。ヴァンパイアは魔力の塊のようなものなので、自然に作り出される微弱な魔力では補えないんです。ドラゴンや、人魚と同じですね」
餌、と言ってしまえば響きは悪いけれど、確かにドラゴンは魔石を食べるというし、人魚も真珠を好むと言う。
人間はそれらを食べたからと言って、魔力には変換はできない。
根本的に身体の造りが違うからだ。
とりあえず、魔力が大きすぎて、他の手段を用いらなければ回復が間に合わないということなのだろう。
「ベルントと戦ったときに、調子に乗って使いすぎてしまったんですよ」
「でも、それは仕方ないんじゃ・・・。あ、そうだ。スノウに頼んで、羽根を分けてもらいましょう」
なんで、もっと早くに思いつかなかったんだろう。
月光鳥の羽根は、魔力を回復することが出来るんだった。
「これで、安心ですよ、ハルさん」
魔力が回復すれば、血に飢えて苦しむこともないだろう。
ハルさんは、ありがとうございます、と言うと、思わず見惚れてしまうような綺麗な笑みを浮かべた。




