13
「ただいま」
玄関から聞こえて来た声に、私は鍋を掻き回す手を止める。
「おかえりなさい!」
振り返ったものの、リビングの入り口に姿は見えず、私は再び鍋に視線を戻すとくるくるとおたまを回す。
今日の夕飯は結局カレーだ。
ハヤシライスと迷ったものの、私の気分的な問題からカレーに軍配が上がった。
ぱたぱた、と師匠がこちらに向かってくる音がする。
そのままソファにでも転がるんだろうな、と思っていれば、華麗に予想を裏切り、足音は私の方に向かってくる。
ん?と疑問に思った時にはすでに遅く、がしり、と頭を掴まれた。
「で?何か言う事は?」
何も思い当たる節のない私は、焦りながらも頭をフル回転させる。
特に何かやらかしたような記憶はない。
だとすれば、と私は先程口にした言葉を繰り返す。
「お、おかえりなさい」
「さっき聞いた」
だったら、何だ。
お迎えの挨拶が聞こえなかったから拗ねているのかと思えば、違うのか。
「えっと、私、何かやらかしました・・・?」
恐る恐るそう尋ねれば、師匠が私の頭を掴んでいる手とは反対の手をコンロのスイッチに伸ばし切ってしまう。
あ、まだ煮込んでる途中なのに。
「無自覚か?」
「いや、無自覚も何も今日は言いつけ通りずっと家にいましたし、やったことと言えば庭いじりくらいしか・・・」
そこまで言って、ハッとした。
もしかして、ハルさんのことだろうか。
でも、ハルさんと話したときには師匠はいなかったし、訪問のことを分かるはずない・・・と思ったところで、そういえば、彼が結界を触っていたことを思い出す。
もしかして、あのせいで師匠に訪問があったことがバレたのだろうか。
「・・・もしかして、今日来た人のことですか?」
「あぁ、そうだ。結界に弾かれるような奴が来ただろう?」
「はい、まぁ、来ましたね」
観念して認めれば、私の頭を掴む手にぐ、と力が入った。
「痛い!痛い!師匠、痛い!」
「馬鹿娘。その様子だと、普通に世間話でもしていたのか?」
「すみません、ごめんなさい!」
「謝罪ならあっちで聞こうか」
ぐい、と引っ張られて私は師匠にされるがまま着いて行く。
リビングに連れて来られた、と思えば、ぽい、と投げ捨てる要領でソファに放られた。
相変わらず、私に対する扱いが酷い。
「ちょ、師匠!いくらなんでも投げること・・・」
「なんだ?口答え出来る立場だと思っているのか?」
口答えではなく、弁解を聞いてくれることすらないのか!理不尽だ!
そう思っていても、師匠に面と向かって口火を切れるはずもなく。
大人しく口を噤めば、師匠は気分を良くしたのか、ふん、と口の端を上げて笑った。
ソファに転がっている私からは、立っている師匠を見上げる形になるのだが、この角度からだと表情の極悪人度が非常に増してよろしくない。
思わず頭を抱えて縮こまっていれば、ぐ、とソファが沈み込む。
慌てて顔を上げれば、師匠が目と鼻の先にいた。
「ちょ・・・!」
声にならない悲鳴を上げて押しのけようとすれば、逆に手を絡めとられてそのままソファに縫い付けられた。
呼吸をすることすら憚られて、私はぐ、と息を詰める。
近い・・・近い!!
「何を話したのか言ってみろ」
そう言われても、この距離で話が出来る程、私は冷静にはなれない。
師匠が近すぎて、これでもかと言う程、心臓がばくばくしている。
言葉を発する事もできず、涙目になっている私を見て、師匠はそれはそれは楽しそうに笑った。
「言わないと、ずっとこのままだぞ?」
それだけは勘弁してくれ、と私は小さく首を横に振る。
けれども、こんな状態では口を開くことすらままならない。
師匠の顔を直視できず、私は視線を横にずらすが、それすらも許してくれないのか、顎を捕まえられて強制的に目が合うようにさせられる。
「ほら、早く言ってみろ?」
「だ、だって・・・」
何とか、その言葉だけ絞り出して、私は口を噤む。
こんな状態で普通に会話できる人がいるなら、見てみたい。
少なくとも、私には無理だ。
恥ずかしすぎる。
喋ろうとして、下手に口を動かせば、師匠の唇に触れてしまうんじゃないだろうか?
にやにやと笑っている師匠とは対照に、私はもうすでに涙目だ。
誰か助けてくれないか、と心の中で強く念じたその瞬間、窓の方から何かがぶつかったような鈍い音が聞こえてきた。
私はもちろん、師匠も驚いたのか、身体を起こすと、そちらに視線を向ける。
「何の音だ?」
「さぁ・・・?」
何はともあれ、助かった、と思いながら私も身体を起こして窓の方に視線をやる。
外の空気が寒いため閉め切っていたのだが、外で何かあったのだろうか?
「見に行きましょう」
そう言って、師匠と2人でそっと窓に近寄って、外を覗き込んでみると、窓の下にぼんやりと光るものが転がっている。
それが何か理解した途端、ぶわりと冷や汗が出て息が詰まった。
「スノウ!!」
私は反射のように窓を開けて、彼女に手を伸ばす。
慌てて飛んで来て、窓にぶつかってしまったのだろう。
そっと手の平に乗せてやれば、負傷しているのか、その身体に薄らと血が滲んでいた。
「し、師匠!治癒魔法!」
「分かってる。落ち着け」
ふわり、とスノウの身体を小さな光が飛び交う。
それは彼女の身体に染み入るように取り込まれたが、震えは収まらなかった。
「どうしよう・・・まだ震えてるみたいです」
「外傷は治癒魔法で治せるが、病気や呪いは治らないからな。スノウに何があったか聞けるか?」
「スノウ?スノウ、どうしたの?大丈夫?」
私が問いかけた途端、スノウの身体の震えが止まり、ばさばさと羽根を動かして騒ぎ始める。
「ピィ!ピュィ!ピューイ!」
「襲われてるって・・・誰が?」
余程慌てているのか、私の服の裾を嘴で挟むと、ついて来いと言わんばかりに引っ張ってくる。
けれども、状況を把握していない私は戸惑うしか無い。
「ちょっと待ってよ、スノウ!ねぇ、誰が襲われてるの?」
ピィ!と一段と鋭い声でスノウが鳴く。
それは、まぎれも無く茶髪のピアス、と告げていた。
そんな人、私は1人しか知らない。
「まさか・・・シオンさん?!」
「ピュィ!」
付け足すように、スノウが襲っている人物を教えてくれる。
そのことについて、昼間の彼の姿を思い起こした私は、信じたくない気持ちでいっぱいになった。
まさか、だって、彼はシオンさんの友達のはずじゃ・・・?
「シオンさんのこと襲ってるの、ヴァンパイアだって、スノウが・・・」
「ヴァンパイア?」
師匠は壁に引っ掛けてあった外套を手に取ると、1着を私に手渡してくる。
そして、もう1着の袖に自分の腕を通しながら、外へと出る準備を始めた。
「道案内お願いね、スノウ」
「ピーィ!」
玄関の扉を開き、刺すような寒さの中に飛び出す。
スノウの身体は暗闇の中、薄らと光り輝きながら私たちを先導する。
「ピュイ!ピーィ!」
「え・・・でも、どうしてシオンさんが?」
「ピィ!」
「シオンさんだけじゃない・・・?」
状況は良く分からないが、襲われているのはシオンさんだけではないらしい。
誰だか知らないがもう1人襲われている人がいるようだ。
「リザ」
今まで黙っていた師匠が、ふと口を開く。
「何ですか?師匠」
「いや、随分とスノウの言葉を理解しているように感じたんだが・・・」
そう言われて、はた、と思い返す。
確かに、今までに比べてスノウの言いたい事が分かるようになった気がする。
今までは断片的にしか理解できていなかった言葉がするりと頭の中に入ってくるのだ。
「言われてみれば、前より理解できるようになった気がします。でも、それがどうかしました?」
聞き返せば、師匠は一瞬黙り込んだ後、首を横に振った。
「その話は後にしよう。とにかく、本当にシオンがヴァンパイアに襲われているなら一大事だ。スノウに案内を頼んでくれ」
「了解です。スノウ、お願い!」
私がそう告げれば、スノウは鋭く一声鳴いてから森の中へと進み始める。
光の魔法で明かりを飛ばした師匠は、おいで。と私の手を引くと、その後を追いかけた。




