09
暗い路地裏を抜けて、元の明るい商店街に戻る。
太陽の光を浴びて、新鮮な空気をぐっと吸い込んだ。
暗くて寂れていた裏路地では、空気さえも淀んでいた気がするので、綺麗な空気を吸って肺を浄化しておきたい。
「さて、どうする?」
「カフェに行きたいです!ケーキ食べたい!」
「・・・さっき、お昼を食べたばかりだったような気がするんだが」
師匠の抗議は黙殺して、私はカフェに向かって歩く。
言っても無駄だと思っているのか、師匠は肩を竦めただけで黙って後ろからついてきてくれた。
「ケーキの美味しいカフェがあるそうなんです」
「へぇ。どこで知ったんだ?」
「雑誌ですよ。この前立ち読みしたんです。美味しいだけじゃなくて、量も多いそうですよ」
お腹いっぱいショートケーキを食べられるなんて、考えただけでわくわくする。
それに、ショートケーキだけじゃなくて、チョコレートケーキもモンブランも食べてみたい。
きょろきょろと道沿いに素早く視線を飛ばしながら、目的のカフェを探す。
確か、地図にはこの辺りだと書いてあったはずなんだけれど。
「何て名前のカフェだ?」
「確か、アンダンティーノだったと思うんですけど・・・」
「あれじゃないか?」
師匠の指差す先には、雑誌に載っていた絵と同じお店があった。
コーヒーカップを象った看板に「Andantino」とお洒落な字体でお店の名前が刻まれている。
テラス席として、店先にもテーブルと椅子がいくつか並んでいるけれど、そこは沢山のお客さんで埋まっていた。
こんなに天気が良い日に、外でお茶をしたくなる気持ちはとても良く分かる。
分かるけれども・・・。
「混んでるみたいですね」
空いてるなら、外の席で食べたかったなぁ、と思いながら、テラス席を眺める。
2席くらい、もしかしたら空いてるかもしれない。
目を凝らして空いてる席を見逃すまいと視線を送っていると、ふいに、こちらに向かってぶんぶんと手を振っている人物が目に入る。
さらさらと揺れる黒髪に、銀縁の眼鏡。
そして、隣で頬杖を突きながら、呆れたように手を振っている青年を見ているミルクティー色の驚く程真っ直ぐな髪をした女性。
「ティロ!ミラさん!」
手を振り返せば、ティロがおいでおいでと手招きをしてくれる。
隣に居る師匠を見上げれば、いつものような無表情はすっかり引っ込んで、にこにこと笑みを貼付けていた。
あぁ、ティロとミラさんには本性を見せるつもりはないのね。
「リザ!それに、お師匠さん。お久しぶりです」
立ち上がって軽く会釈をしたティロに、師匠も愛想を振りまく。
「久しぶり。元気にしていたかい?」
「はい。おかげさまで。あ、ここ座ります?」
4つ椅子のある円形のテーブルにミラさんと向かい合うように座っていたティロは、私たちの返事を待たずに1つずれて席を空けてくれる。
私はミラさんと師匠に挟まれるようにして座った。
隣にいるミラさんにちらりと視線を向ける。
彼女には、いろいろと申し訳ないことをしてしまった過去があるので、嫌われている可能性が高い。
かと言って、やっぱり仲良くはしたい訳で。
私はおずおずと会釈をしてみる。
すると、ぱっちりしたアーモンド型の目がふわりと緩んだ。
「久しぶりね、リザちゃん。最近はどうしてるの?」
「えっと、相変わらず師匠に魔法とか教わってます・・・」
私たちの会話を聞いていたのか、目の前に座っていたティロが笑いながら口を挟んでくる。
「リザってば、どうしてミラに敬語なの?あ、もしかしなくても、ミラのこと怖い?」
「あんたねぇ」
キッ、と眉間に皺を寄せて、ミラさんがティロを睨む。
からかった張本人は「おぉ、こわっ」と、まったく恐れていない表情で呟いた。
ミラさんは、はぁ、とため息をつくと、私に向き直る。
「あの馬鹿のことは放っといていいわよ。敬語でもなんでも、あなたの好きにすれば良いわ」
「は、はい」
「それより、何か注文する?」
ミラさんはメニューを手に取ると、それを広げて私と師匠の目の前に差し出してくれる。
そこには、ケーキの名前がずらりと並んでいて、私は思わず歓声をあげてしまった。
「師匠!師匠!私、ショートケーキとチョコレートケーキとモンブランと、あと、アップルパイ食べたい!」
「食い意地が張り過ぎだ」
「あとスノウへのお土産にフルーツタルトも!」
「スノウはケーキを食べないだろう」
上っ面に張り付いている笑顔が若干剥がれる程、師匠が呆れている。
「せめて2つまでにしなさい」
「えー・・・でも」
「また連れて来てやるから」
そう言われて、私は仕方なく2つまでに絞ることにする。
ショートケーキは絶対だとして、チョコレートケーキとモンブランのどちらかで悩む。
「師匠、どっちが良いと思います?」
「ティラミス」
「いや、今、選択肢に無かったと思うんですけど・・・」
言っている間に、師匠はウェイトレスさんを呼び止めて注文してしまう。
師匠はコーヒーだけ。
私には紅茶にショートケーキ、それからモンブラン。
「さっきティラミスとか言ってたのに・・・」
「ティラミスに変えようか?」
「いえ、モンブランのままで結構です」
ティラミスも美味しいけれども、ほんのりとした苦みのせいで、いつも私の頼む選択肢には入らない。
ほら、やっぱり最初から最後まで甘い、と感じるものが食べたいし。
私たちの注文が終わったタイミングを見計らって、ミラさんが口を開いた。
「仲が良いのね。羨ましいわ」
「え、でも、ミラさんもティロと仲良しですよね?」
「はぁ・・・どうかしら。この男、口を開けば他の女の話ばかりだもの」
「おや、それは感心しないね」
師匠がにっこりと笑ってそう告げると、ティロは慌てて首を横に振る。
「他の女、って言っても、もう生きてない人だし」
「生きてない?」
「アイリス=グレイっていう魔法使いなんですけど、お師匠さん知ってます?・・・って、知ってますよね」
瞬間、師匠の笑顔が強ばった気がした。
けれども、それは本当に一瞬のことで、もしかしたら見間違いかもしれない。
「ゴーストの証明をした魔法使い、だろう?」
「えぇ、そうです!僕、彼女について研究しているんです」
そこまで聞いて、私はん?と首を捻る。
「師匠、前に私がアイリスについて聞いたとき、知らないって言ってませんでしたか?」
「興味が無いとは言った」
にこにこと涼しい顔で言ってのけた師匠。
私はひくり、と頬が引き攣るのを感じた。
それを知ってか知らずか、師匠はしゃべり続ける。
「アイリスは優秀な魔法使いだったみたいだけれど、どうも良くない逸話が多く残っている」
「良くない逸話?」
私とティロが首を傾げれば、師匠は大きく頷いた。
「墓荒らしや魔物を利用した非人道的な実験、挙げ句の果てにはヴァンパイアを使った実験にまで手を出していたらしい」
「そんな・・・っ!」
アイリスさんが、するはずない!
喉元まで出かかった言葉を、私は呑み込む。
あの幻のような白昼夢が、現実のことだとは限らない。
もしかしたら、私のただの妄想かもしれない。
根拠も無いのに、声を荒げて反論する勇気は無かった。
「なんか、ボクの知ってるアイリスのイメージと違うなぁ」
「そうだろうね。人間側の書物にはこの事は残っていないはずだから」
「人間側?」
「人間側の書物では、アイリスはゴーストの存在を証明した英雄のように書かれているけれど、他の魔物の言語、それこそヴァンパイアのものにはそれは酷い書かれ方をしているよ」
今まで黙っていたミラさんが、きょとん、としながら話に加わってくる。
「あの、お師匠さん。それは、あなたがヴァンパイア語も読める、ということでしょうか?」
「ほんの少しだけれど」
謙遜している師匠は気持ち悪い。
普段なら「僕に読めない言語なんか無い」と豪語する場面のはずだ。
もちろん、師匠の本性なんか知るはずもない2人は素直に感激している。
「ヴァンパイア語なんて、教わりたくても、教えてくれる人がいないからなぁ」
「お師匠さん、一体どこで習ったんですか?私、言語学を中級学校で習っていたんですけど、ヴァンパイア語だけは誰にも教われないって先生に言われました。ほら、その、ヴァンパイアは人間に対して攻撃的だから・・・」
「普通はそう言われるだろうね」
師匠が苦笑したところで、ウェイトレスさんがケーキを運んできた。
私の目の前にショートケーキと紅茶。
師匠の前にモンブランとコーヒーが置かれる。
ウェイトレスさんが頭を下げて去って行ったところで、師匠はモンブランのお皿を私の方に押しやり、コーヒーに口を付けた。
雑誌の紹介通り、目の前のものは、普通のケーキよりも2まわり程大きい。
待望のショートケーキとモンブランを目の前に、私は感動に打震えながら、まずは積もり立ての雪のように真っ白なクリームを纏ったショートーケーキにフォークを刺す。
そっと、崩れないように口の中に運べば、ふわりと生クリームの甘さが広がった。
「美味しい・・・!」
幸せが胸に広がる瞬間を噛み締めている私を他所に、3人は全く興味無しと言った体で話を進めてるが構うものか。
この時ばかりは、この美味しさを1人で堪能したい。
「ヴァンパイアは基本的には排他的な種族だけれど、自分よりも目上の者に対しては絶対に刃向かわない」
「目上?ヴァンパイアより上っていうと、どういう種族になるんですか?」
「・・・もしかして、エルフやドラゴンかしら?」
「正解。うちの馬鹿弟子にその知識を分けてやって欲しいよ」
はぁ、と隣でため息が聞こえたけれど、知らないふりをして私は食べ続ける。
「そういう訳で、ヴァンパイア語を学びたければ、エルフやドラゴンに教えを乞えば良い。彼らの中にはヴァンパイア語を学んでいる物好きもいるんだ」
「お師匠さん、簡単に言いますけど、エルフやドラゴンなんて御伽話の世界ですよ」
「生きている内に出会える確率は恐ろしいくらい低いだろうね」
もぐもぐと口を動かしながら、私は3人の声に耳を傾ける。
エルフやドラゴンっていうことはアリーセさんのところにいるエルフに、師匠は教えてもらったんだろうな。
本当に巡り合わせが良かったんだろう。
「しっかし、ある人物に対して人間側と魔物側で見解が違うっていうのは面白いなぁ」
腕を頭の後ろで組んで、背もたれに思い切り背中を預けながらティロが唸る。
にこにこ笑顔の師匠は小さく、そうだね。と同意を示した。
確かに、興味深い話である。
あの優しそうなアイリスさんが、ヴァンパイアの中ではそんなに酷い人間として描かれているなんて。
何かの間違いじゃないのだろうか?
さくり、とフォークをモンブランに突き刺して、口の中に放り込み、咀嚼する。
ふわりと下の上に広がる柔らかい甘さを楽しみながら、ぼんやりとアイリスさんの事を考えた。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
カフェでケーキを食べ終え、ティロとミラさんにお別れの挨拶をする。
師匠は2人に背を向けた瞬間に顔から笑顔を削ぎ落した。
「疲れた」
「普段笑わないのに、あれだけにっこにこしてたら頬の筋肉も強ばりますよね」
夕日が私たちの背後から光を浴びせ、目の前の影が細く長く伸びる。
オレンジ色に包まれた家路に、師匠と一緒に歩いているにも関わらず胸の中に寂しさが広がった。
特にこれといった会話もなく、ただただ静かに歩を進めて行く。
師匠との間の沈黙に気まずいなんて感情はこれっぽっちも無く、むしろ非常に心地が良かった。
「そうだ」
そんな沈黙の中、思い出したように師匠が声をあげる。
どうしたのだろうか、と顔をあげれば、ふわりと放られた何かが視界に入り、条件反射で受け取ってしまう。
「今日の記念だ」
師匠は足を止めることもせずに、そのまま歩いて行ってしまう。
私はぽかんとしたまま手元に視線を落とすと、その手の中に収まっていた見覚えのあるものに思わず固まってしまった。
「え・・・!どうして・・・!」
透き通った深緑の石に、金縁のペンダント。
魔法具屋さんで見かけたそれが、今、自分の手にあることが信じられない。
私は小走りで師匠を追いかけると、そのジャケットの裾を小さく引っ張る。
「師匠、いつのまに買ってたんですか?!」
「君が、いつにも増してぼんやりしていた時だ」
「でも、私、欲しいなんて一言も!」
「言わなくても、欲しがってるものくらい分かるよ」
ふっ、と口の端を上げた師匠に、私は感極まって思い切り抱きつく。
間髪入れずに、歩きにくい、と罵られたが、私は回した腕に更に力を込めた。
「師匠!ありがとうございます!」
「なんでも良いから、腕をほどいてくれ。邪魔だ」
「大事にしますね!これから、毎日つけます!」
「分かったから、体重をかけるな」
「師匠大好き!」
「知ってる。それと、重いから普通に歩いてくれ」
そう告げる師匠の表情はいつもの無表情と寸分変わりない。
けれども、無理矢理に私を引き剥がさないところを見ると、満更でもないのだろう。
手の平の中の重みを感じながら、私はもう1度、師匠に抱きつく腕に力を込めた。




