05
「シオン、という男性がここにいませんか?」
不審者の口から出てきた良く知る名前に、私は眉根を寄せる。
どうして、この人がシオンさんを知っているの?
何も答えずに黙り込んだ私に、綺麗な顔を困った表情に変えながら目の前の人は小さく笑った。
「あ、すみません。自己紹介がまだでしたね。私はハルトムートという者です。どうぞ、ハルと呼んでください」
「えっと、私はリザ、ですけど・・・」
可愛い名前ですね、とハルさんが微笑む。
その微笑がとっても綺麗で、思わず見とれてしまうが、なんとか危機感を取り戻して警戒を続ける。
「それで、シオンのことなんですけど」
ハルさんは話しを戻すと、困ったように首を傾げた。
さらりと流れた髪の毛に、目が奪われそうになるのを必死に耐えながら、私はハルさんとは対照的な引きつった笑みを浮かべる。
「えっと、その、シオンさんはここにはいませんけど・・・」
「え?そうなんですか?おかしいな・・・確かにペンダントの気配がするんですが」
探るような視線を向けてきたハルさんに、たじろぐ。
じっとこちらを見つめてくる目に何か得体の知れない揺らめきを感じて、思わず後ずさってしまった。
けれども、それを見咎めたハルさんに腕を掴まれてしまう。
驚くくらい強い力で掴まれて、自然と痛みに顔が歪んだ。
「痛っ・・・!」
「あ、ご、ごめんなさい!力加減が分からなくて!」
慌てて手を放してくれたハルさんの目には、先程のような怖さは感じない。
まるで、自分が傷ついたかのような表情を浮かべていた。
気まずい沈黙が流れる。
私はなんと口を効いたら良いのか分からないし、向こうもそれは同じようだ。
師匠を呼びに行くべきだろうか、と思ったそのとき、正にその本人の声が飛んできた。
「こんな夜更けに、何用でしょうか?」
振り返れば、笑みを貼付けた師匠が立っている。
言葉は柔らかかったけれども、どことなく声が硬い。
意訳すれば「こんな夜更けに人様の家に何の用だ」と言うところだろう。
ハルさんは師匠を一瞥して居住まいを正すと、礼儀正しくお辞儀をした。
「夜分遅くにすみません。私はハルトムートと言う者です。シオンという男性を訪ねて来たのですが、こちらにはいらっしゃいませんか?」
「ここには僕とこの子の2人しか住んでいませんけれど」
師匠はにこにこと笑みを浮かべたままそう言うと、相手の出方を伺う。
けれども、ハルさんは怪訝な顔をした後に、もう1度食い下がった。
「もし、シオンのことを知っているのなら、何でも良いので教えて頂けませんでしょうか?」
「残念ながら、シオンと言う名前の知り合いはいませんね」
平然と嘘をつきながら、師匠は首を横に振る。
そうすると、ハルさんはじっと考え込んだ後、これ以上何かを聞き出すのは無理だと悟ったのか、落ち込んだように肩を落とした。
「そう・・・ですか。まぁ、知らないものは仕方ありませんものね」
「お力になれず、申し訳ございません」
「いえいえ、こちらこそ、夜更けに失礼しました」
それでは、とハルさんはくるりと背を向ける。
その後ろ姿がどことなく気を落としているように見えて、嘘をついて追い返してしまったことをほんの少しだけ可哀想に思ってしまった。
師匠はその姿を見送ることもせずドアを閉めると、リビングに引き返す。
私もその後に続いた。
「あの人、シオンさんの知り合いなんですかね?」
「さぁな。ただ、あいつは職業上恨まれることも多いから、悪い意味の知り合いである可能性も高い」
「え・・・」
私は何か迂闊なことを言わなかっただろうか?
先程交わした会話を一生懸命思い出して、シオンさんに害を与えるような情報が無かったかを思い出す。
シオンさん、なんて言ってしまったけれど、この呼び方だと知り合いだと思われただろうか?
それに、ハルさんは気配がどうとか・・・。
そこまで考えてから、はた、と気づく。
ペンダント、と言えばシオンさんに貰った薔薇の透かしが入った赤いペンダントのことじゃないだろうか。
シオンさんは何と言っていた?
確か、貰ってきたとか、助けたとか・・・そうだ!ヴァンパイアだ!
「師匠!あの人、本当にシオンさんの友達かもしれないです!」
ソファに座っている師匠に飛びつけば、迷惑そうに眉を顰められる。
「どうしてそう思うんだ」
「ほら!前、シオンさんに貰ったペンダント!あの人、ペンダントの気配がどうのこうのって言ってたんですけど、たぶんそれのことです!」
「それと、シオンの友人であることとどう関係があるんだ」
「シオンさんに直接聞いたんですけど、あのペンダントは仲良くなったヴァンパイアに貰ったって言ってたんですよ!」
もし、本当にシオンさんの友達だったなら、今すぐにでも追いかけて教えてあげたい。
それから、疑ったりして冷たい対応をしたことを謝らないと。
追いかける準備は万端だとばかりに腰を浮かせれば、不機嫌な顔をした師匠にソファに押し戻された。
「あいつを追いかけてご丁寧にシオンのことを教えてやるつもりか?」
「だって、友達なら教えてあげないと!」
師匠はむっつりと黙り込んだまま言葉を発さない。
私は結論を出すのをじりじりと待っていたけれども、結論の予想はだいたいついている。
「・・・放っておけ」
「やっぱり」
予想通りの答えに思わずそう呟けば、師匠は思い切りこちらを睨んでくる。
「シオンの友人だというヴァンパイアを装った別人だという場合もある。警戒するに越したことはない」
「それは・・・そうですけど・・・」
師匠の言う通りなのだと言うことは分かっている。
頭では分かっているけれども、どこか腑に落ちない。
もごもごと口を動かしていれば、はぁ、と隣で師匠が大きくため息をついた。
「あの人間離れした容姿と、日中にフードを被っていたことから、ヴァンパイアである、というのは良い線いってるかもしれないな」
「どうしてですか?」
「あいつらの弱点は日光だ」
「日避けってことですよね?」
「そうだ。けれども、君には実感の沸かない話かもしれないが、ヴァンパイアというのは異常なまでに排他的な種族だ」
「排他的?」
「あぁ。特に人間のことを劣等種だと見なしている節がある。そんな種族がわざわざ会いに来るなんて裏があるに決まってるだろう?」
「でも、シオンさんが友達になったヴァンパイアは人間贔屓だって言ってました」
そう反論すれば、師匠は肩を竦めて立ち上がる。
「確かに、本当にヴァンパイアなのだとしたら、珍しく腰の低い奴だったけどな」
「それなら・・・っ!」
「僕がニコニコしながら客人に応対するのと同じで、上辺なんてものはいくらでも取り繕うことが出来るものだよ」
この話は終わりだとばかりに、師匠は自室へと戻って行く。
私はその後ろ姿を見送りながら、あまりに説得力のある言葉に思わず脱力してしまったのだった。




