12
柔らかな午後の日差しを受けながら、私はかちこちに固まって図書館の椅子に座っていた。
斜め右前にはティロ。
いつものように銀色のフレームの眼鏡をかけて、灰色の瞳で楽しそうにこちらを見ている。
別に、ティロがいるから緊張して固まっている訳ではない。
原因は明確だ。
その隣にいる、ミルクティー色の髪をした彼女。
ぱっちりとしたアーモンド型の瞳で、無表情にこちらを見つめている。
化粧も完璧なその顔は、まるで精巧な人形のように感情を映していない。
怒っているのだろうか?
そもそも、どうしてこんな状況になったのだろうか?
昨日、ティロとミラさんは仲直りをして、めでたしめでたしだったはず。
「えっと、その・・・」
何か話さないと気まずい、と思い口を開くが、言葉が続かない。
ミラさんの目がスッと細まったのを見て、私は胃が縮むような思いだった。
「ミラ、睨まない」
「なんで?今更、私とこの子で何を話すことがあるの?」
嫌われてることが明らかで、あまりにも悲しい。
図書館に来て、ティロとミラさんを見かけて、うっかり挨拶したのが運の尽きだった。
こんなことだったら、黙って通り過ぎてしまえば良かったと、この数分の間に何度後悔したことやら。
「突っかからないの。リザはアルノーについて調べてるんだ。そうだよね?」
「あ、うん。えっと、その、アルノー=ブルーゲルっていう魔法使いについて調べてるんです」
「ふーん。で?」
あまりにそっけない返事に、心が折れそうになる。
「ほら、禁書の部屋にアルノーの手記くらいならあるんじゃないかと思って。見せてあげて欲しいんだ」
にっこりと、ティロが隣にいるミラさんに笑いかける。
それを見たミラさんは、胡乱気な目をして顔を引きつらせた。
「あんた・・・もしかして」
「なぁに?」
「自分が禁書の部屋に入りたいからって、この子を利用するつもり?」
「まさか!」
ありえない。とミラさんが大きくため息をつく。
そして、私の方に向き直ると、先ほどまでのような冷たい目ではなく、諦めたような顔つきをする。
「ごめんなさいね。この男、本当に最低で」
「ボク、比較的優しい方だと思うけど」
「あんたは黙ってなさい」
ぴしゃり、とミラさんが一蹴して、ティロは肩を竦めて黙り込む。
私はとりあえず、謝らなければと思い、勢いに任せるまま口を開いた。
「あ、あの。お二人の仲を掻き乱すようなことして、すみませんでした。知らなかったとは言え、不快な思いをさせてごめんなさい。本当に、誓ってティロには微塵も興味ないので・・・」
「ちょっと、リザ。それはそれで傷つくんだけど」
「黙ってて、って何度言ったらわかるの?」
眉を跳ね上げて、ミラさんが睨みを利かせる。
今度こそ、ティロは縮こまって口を閉ざした。
そして、ミラさんはふっと笑みを零すと、私に右手を差し出す。
「私こそ、ごめんなさい。ちょっと、大人げなかったわね。申し訳ないことしたわ」
「あ、いいえ・・・」
私は差し出された手をそっと握って、握手する。
細くて、すべすべした女の人の手。
師匠とは違って、繊細なそれに少しだけどぎまぎした。
「手記が見たいんだっけ?」
「え?えっと・・・もし、アルノーさんについて書いてあるものがあれば・・・」
「意地悪したお詫びに禁書部屋に入れて上げるわ。おいで」
ミラさんは立ち上がると、私についてくるように促す。
そして、私がついて行くよりも先に、ティロが嬉々としてミラさんに続いた。
「・・・なんで、あんたがついてくるの」
「なんでボクが行っちゃいけないの?」
「部外者はそこで待ってなさい」
「えー」
「こっそり資料を持ち出そうとするような奴を、入れてあげるわけないでしょ!」
「お願い、ミラ!卒論書くのに、もうネタが尽きそうなんだよ!」
手を合わせて、拝み倒すティロにミラさんは心底嫌そうな顔をする。
そして、ぱしり、とその頭を叩いた。
「絶対に資料を持ち出さない。って誓いなさい」
「誓います!」
「ったく。ほら、あなたも来なさいよ」
急かされて、私は慌てて後に続く。
禁書の置いてある部屋には、大きな南京錠がかかっていた。
普通の南京錠ではないようで、鍵穴が見当たらない。
ミラさんは、その鍵を手に取ると、指輪をした方の手を翳す。
すると、カチャリ、と音がして錠が外れた。
「ミラさんも魔法使いなんですか?」
「まさか。指輪のおかげで、使えるだけよ」
ノブを回して、ミラさんが最初に部屋に踏み込む。
後に続いてみれば、なんとも埃っぽく、薄暗い部屋だった。
息を吸うと、思わず咽せてしまいそうになる。
窓がひとつだけあり、そこから光が差し込んでいるが、陰気さは拭えない。
「えーっと・・・どこだったかしら?」
「魔法使いについての本は、こっち」
すたすたと、ティロが歩いて行ってしまう。
その様子を、ミラさんは眉を顰めて見ていた。
「どうして、ティロの方が詳しいのかしらね」
棚に置いてある本は、それほど多くはない。
どちらかというと、空間を持て余しているように見える。
けれども、ちらほらと置いてある本は、真っ黒の物々しい表紙だったり、えらく古くさいものばかりで、見ただけで何か仕掛けがあると分かる。
迂闊に触るのは、危険な気がする。
「うーん・・・アルノーの手記はないかな」
あまり多くはない本の棚を見上げながら、ティロが唸る。
そこには本とファイルが混じって並んでいた。
どうやら、メモなどの散らばりそうな手記は、ファイルに納められているらしい。
端からチェックしてみれば、確かに「アルノー=ブルーゲル」の文字はなかった。
「アイリス=グレイ」の名のついたファイルはすぐに見つかったのに。
「アルノーさんは、本も手記も残してないってことなのかな?」
「そうかも」
「・・・でも、師匠がアルノーさんの本を持ってるんだけど」
「え?!」
ティロの目がまん丸に開かれる。
「それって、歴史的発見じゃない!?っていうか、そんなのが家にあるなら、図書館に来る必要ないじゃない」
「ううん、私が知りたいのは、アルノーさんの人間関係とかだったから。その本は、魔法陣が書いてあって、無言詠唱で魔法を使えるようになる本なの」
「尚更すごいんですけど!」
いいなー、いいなー、とティロが繰り返す。
ミラさんは呆れたように、後ろでため息をついた。
「魔法馬鹿」
「ミラには分からないかもしれないけどね、無言詠唱ってすごいことなんだよ!ね、リザ?」
「うん。無言詠唱だと、相手に何の魔法を使うか悟られることもないし、不意打ちだってできるもん」
「うわー、その本見てみたい!ボクも魔法使えるようにならないかな?」
「術を使うのに、ある程度の魔力は必要みたいだけど・・・」
あー、と唸ると、ティロは残念そうに肩を落とす。
「じゃ、ダメだ。ボク、魔力はからっきしなんだよね」
「そんなに?」
「ミラの指輪の魔法さえ発動しないよ」
もしかしたら、私も発動させることができないかもしれないなー。と思って、苦笑いすることしかできなかった。
世間では、自分の実力はどれくらいのレベルなのだろうか、とふと考える。
少なくとも、その辺の人よりは魔法を使える部類だと嬉しいんだけど。
「アルノーっていう魔法使いの資料はないのよね?そしたら、もう出ましょう」
後ろで待機していたミラさんが、そう言って背を向けようとするが、ティロがそれを止める。
「ちょっと待って!アイリスの手記だけ見たい!」
「もう、早くしてよね。あんまり長居してると、他の職員に怒られちゃう」
ティロは「アイリス=グレイ」と書かれたファイルを手にすると、ぱらぱらと捲って目を必死に動かして読み出す。
私もせっかくのチャンスなので、アイリスについて何か読もうと棚を見上げる。
アイリスの資料は、ティロの持っているファイルの他に本が1冊だけ置いてあった。
題名も何も書いていない、綺麗な青色の背表紙。
それを手に取ると、適当なページを開いてみる。
瞬間、視界が真っ暗になった。
これは、以前、ティロからアイリスの手記を受け取ったときと同じ現象。
知らない風景が目の前にぼんやりと広がって行く。
どこか、外のようだった。
木のようなものが見える。
けれども、地面は剥き出しで、緑色はどこにも見当たらない。
『ねぇ!聞いて!私ね、あなたの病気を治す方法を思いついたの!』
弾んだ声音。
何度も聞いた声。
これは、あの人の声だ。
『ふふっ、どうやって?』
答える声。
女の人の声ではない。
ぼんやりとして姿は分からないけれど、たぶん、男の人。
穏やかで、落ち着いた、とても優しい声。
初めて聞くはずなのに、この声を私は知っているような気がした。
『それはぁ・・・内緒!ちゃんと、証明できたら教えてあげる!』
『今じゃダメなの?』
『もし、間違ってたら、恥ずかしいでしょぉっ!』
『間違ってても、オレは笑ったりしないよ?』
『そうかもしれないけどぉ・・・私のプライドがぁ・・・』
『君は負けず嫌いだもんね』
くすくす、と笑う声。
荒涼とした大地で、男女2人が作る和やかな空間。
部外者である私でさえ、心地よいと感じるのだから、きっと、本人たちにはもっと満ち足りた世界なのだろう。
『ねぇ、アイリス』
男の人が呼びかける。
あぁ、この女の人がアイリスさんなのか。
柔らかくて、優しい声をした人。
『なぁに?』
『これ、君にプレゼント』
ぼんやりとした色味の無い風景に、何か青いものが浮かび上がった。
それが何かまでは判別できないけれど、私の目にはとても鮮やかに映り込む。
何も見えない中で、青色だけがくっきりと眼に焼き付くようにその存在を主張していた。
『わぁ・・・!すごい!綺麗!』
『喜んでくれて良かった。君の瞳と同じ色。ちょっと頑張ってみた』
『大事にするねぇ!ありがとう、・・・!』
だんだんと、声が遠のく。
もう2人がしゃべっている内容は聞こえない。
最後、アイリスさんは、誰にお礼を言ったの?
ハッとして我に返れば、そこは埃っぽい陰気な空間だった。
隣ではティロが必死にファイルをめくっており、後ろのミラさんは退屈そうに欠伸をしている。
「どうしたの?」
きょろきょろと辺りを見回していたせいか、ミラさんが不思議そうに尋ねてくる。
私は誤魔化し笑いをしながら、首を横に振った。
「あ、いえ、なんでもないです」
「もしかして、ゴーストがここにいたりする?」
ファイルに落としていた目をあげて、ティロがからかい半分に聞いてくる。
私が答えるよりも先に、ミラさんが悲鳴に近い声をあげた。
「やめてよ!そういう冗談、好きじゃないんだけど!」
「ここ出そうじゃない?それに、リザはゴースト見えるよね?」
出そうと言われれば、確かに、この陰気な部屋なら何かいそうだが、生憎、私はよっぽど強いゴーストじゃなければ見ることはできない。
否定しようと口を開きかければ、つかつかと歩いてきたミラさんが私とティロの手から本とファイルを取り上げて、棚に押し込む。
「ちょっと、まだ途中・・・」
「出るわよ!」
有無を言わせず、手を掴むとミラさんは私たちを引き摺って部屋を出てしまう。
そして、止める間もなく南京錠をがちゃり、と掛けてしまった。
隣でティロが額に手を当てて呻いている。
「うわぁ・・・変なこと言ってからかうんじゃなかった」
「私、もう2度とここに入らないわ」
ミラさんが少し青ざめた顔で、両腕をさする。
そっか、ミラさんもゴーストが怖いんだ。
「ミラさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ。それより、えーっと・・・リザちゃんこそ、大丈夫?」
「あ、はい。私は特には・・・っと、お2人に聞きたいことが!」
このまま流してしまうところだったが、あのぼんやりした風景は2人も見たのだろうか?
私が問いかけると、ティロとミラさんは揃って首を傾げた。
「さぁ?ボクは見てないけど。ミラは?」
「私も知らないわ」
「リザが寝ぼけてたんじゃない?」
そう笑われて、私はむっとして唇を尖らす。
「アイリスさんって、誰かの病気を治したくてゴーストの研究をしていたみたいだったよ」
「アイリスが?まさか。彼女は治癒魔法についての文献は一切残してないよ?」
「じゃぁ、仲の良い男の人とかいた?」
「アイリスに男がいたって話も、聞いたことないな・・・」
じゃぁ、あの風景は、やっぱり私の妄想か何かなのだろうか?
それにしては、はっきりと会話の内容を覚えている。
それとも、もしかして、私にだけ見えているとか・・・?
「まぁ、でも、その発想は面白いかも。卒論のネタに盛り込んでもいい?」
「あんたね・・・」
飄々と言ってのけるティロに、ミラさんが大きくため息をつく。
私は曖昧に笑って、構わないよ。と答えたけれど、頭の中ではまったく違うことを考えていた。
あの女の人が、もし、アイリスさんだったとすれば。
隣にいた男の人は、一体、誰だったのだろうか?
私の興味が、アルノーさんからアイリスさんへと移って行く。
彼女が、一体どういう人間だったのか、知りたい。と思い始めた。




