10
結局、昨日はあの後、部屋を出ることが出来なかった。
目が覚めてからも、なかなか起き上がることが出来ずに、布団にくるまりながら、ぐるぐると思考を巡らせる。
思い出すだけで、耳が熱くなる。
どんな顔をして、師匠に話しかければいいのだろうか?
でも、師匠にとったら他意はなくて、家族やそういった親しい人間への「好き」の意味だったのかもしれない。
意識しているのが私だけだったら、どうしよう。
「うぅ・・・」
考えているだけでは分からない。
それに、いつまでもこうして布団の中に隠れている訳にもいかない。
一緒に住んでる以上、この先、一生顔を合わせないで暮らせるはずもないのだ。
私は意を決して、洋服に着替えると、そろりそろりと階段を降りて行く。
しん、と静まり返った家の中に、私は不安を覚えた。
「師匠・・・?」
誰もいないリビングに、私の声が響き渡る。
まだ、部屋にいるのだろうか?
私はリビングを出ると、そっと師匠の部屋の方を覗き見る。
てっきり、ドアが閉まっていると思ったのだが、予想は外れて、師匠の部屋のドアは開いていた。
寝ているのであれば、開いているはずがない。
愛想を尽かして、出て行った?
慌てて師匠の部屋の中に入るが、そこには誰もいなかった。
ベッドはもぬけの殻だ。
「師匠・・・どこ?」
嫌な想像が頭の中を駆け巡る。
もしかしたら、師匠が何も言わずに出て行ってしまう程、嫌われたのかもしれない。
最後に、私に「好きだよ」なんて嘘を言い残して。
どうしよう、どうしよう!
ここで師匠が帰って来るのを待つべき?
でも、帰って来なかったら?
師匠を追いかけなきゃ!
私は泣きそうになりながら、家を走り出た。
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「ティロ!!」
「うわっ・・・と。どうしたの?リザ?」
広場で見慣れた姿を見つけて、私は思わず飛びついた。
飛びついてから、もしかしたら、線の細い彼は私の体重で倒れるんじゃないかと懸念したけれども、やはり男の人だ。
驚きながらも、突進してきた私をティロは受け止めてくれる。
それを良いことに、慌てているティロの胸ぐらを掴むようにして、私は大声で捲し立てた。
「し、師匠が、いなくなっちゃった!」
「え?」
「私が変なこと言ったから、出てっちゃったのかも!」
「ちょ、ちょっと待って。全然、話が見えないんだけど」
困った様子で、ティロがくい、とずれた眼鏡を押し上げる。
私は順を追って話そうとしたのだが、頭の中が真っ白になって、断片的なことしか伝えることができない。
切れ切れの単語で伝えれば、ティロはますます困り顔になった。
「とりあえず、君のお師匠さんがいなくなったことは把握した」
「ねぇ、ティロ!どうしよう!」
「どうしようって言われても・・・。買い物に出掛けただけとは、考えられない?」
「だって、私に何も言わずに出て行ったんだよ?やっぱり、昨日のことが原因としか・・・」
「昨日、君たち2人の間に何があったか、ボクには分からないけど。長年一緒にいる相手を放って、勝手に出て行くなんて有り得ないって」
ね?と微笑まれて、私は言葉に詰まる。
混乱して家を飛び出して来てしまったけど、もしかしたら、少し森に薬草を採りに出て行っただけだったのかもしれない。
早とちりして、ティロに迷惑をかけたのだとしたら、本当に恥ずかしい。
さっきまで、何を考えているのか自分でも分からないくらい、頭の中はごっちゃだったのに、今は落ち着いて来たからか、少し冷静に戻れた。
「ご、ごめんね、ティロ。私、混乱して、飛び出して来ちゃって、それで・・・」
「いいよ。気にしないで。まぁ、ミラに見られてたら・・・」
「私に見られてたら、どうなるっていうの?」
背後からした声に、私は弾かれたように振り返る。
そこには、ミルクティー色の真っ直ぐな髪を揺らしたミラさんが立っていた。
その瞳には剣呑な光が宿っており、私とティロを交互に睨みつける。
更には、腕を組んで仁王立ちをしているのだから、誰が見ても怒っていることは明らかだ。
ティロはあからさまにやってしまった、という顔をして、額に手を当てた。
「うわ・・・ミラ」
「なによ、うわ。って。あんたと待ち合わせしてたんだから、ここにいるのは当然でしょ」
つっけんどんにそう言ってから、ミラさんの視線がティロから私に向く。
ぎろり、という効果音付きだ。
あまりの迫力に、私は思わず一歩後ずさってしまった。
視線が、私のつま先から天辺まで一往復する。
それから、また、ミラさんはティロを睨みつけた。
「あんたが仲直りしたいって言ったくせに・・・!堂々と浮気するなんて、いい度胸してるじゃない!」
あれ?
その言葉に私は違和感を覚える。
ミラさんの叫びを聞いて、自分なりに今の状況を推測してみた。
いや、推測するもなにも、導き出される答えは1つしかない。
もしかして、ティロとミラさんは、ただの図書館に通う学生と司書さんじゃなくて・・・。
そうだとしたら、私はとても不味いことをしている。
「この前言っただろ?この子はただの友達だって」
「でも、さっき、抱きついてたじゃない!」
「いや、胸ぐら掴まれて乱暴されてたんだけど・・・。彼女、お師匠さんがいなくなって、気が動転してたんだ。別に、他意があった訳じゃないよ」
「だからって、どうしてあんたは、それを許容するのよ!」
「誰かさんみたいに当てつけのように他の男に抱きつくより、全然ましだと思うけど」
「それは付き合う前の話でしょ!」
むっとして睨み合う両者に、私はどうフォローしたらいいのか分からずおろおろするばかりだ。
変に話しに立ち入って、こじらせるようなことはしたくない。
だからと言って、黙っていれば、このまま2人は喧嘩別れしてしまいそうだ。
「いくら幼馴染みだからって、今まで許してたのが馬鹿だったわ」
「今までも何も、こんなこと初めてだと思うんだけど」
「私が知らないとでも思ってるの?!学校で女の子に囲まれて、鼻の下伸ばしてたのはどこのどなた?!」
「そんなこと言ったら、ミラだって隣のクラスの奴に告られて喜んでたくせに!」
「ちゃんと断ったじゃない!あんたと付き合う前だったにも関わらず!」
鋭い目でティロを睨んでいたミラさんの表情が、ふっと歪む。
「それなのに!それなのに・・・あんたは・・・」
ひぐっ、と嗚咽まじりの声に、私とティロはぎょっとする。
あの完璧な化粧が崩れるのも構わずに、ミラさんは涙を流すまいと、ごしごしと目元を擦った。
こうなってくると、通りがかりの人間もなんだなんだと野次馬根性丸出しで遠巻きにこちらを伺ってくる。
「なんなのよ!なんで私ばっかり・・・!」
「ちょ、ちょっと。泣くことないでしょ」
「あんたなんか大っ嫌いよぉ・・・」
ティロは困った顔で私にちらりと視線を送ってくる。
私はその意味が分からずに首を傾げたけれど、次の瞬間には、あぁ、と納得した。
ティロはミラさんの手を取ると、そのまま自分の胸の中に引き寄せたのだ。
「ほら、泣くなって」
「放して!」
「やだ。このまま聞いて」
ミラさんが逃げないように、ティロがしっかりとその身体を抱きしめる。
私はこの場でぽつんと1人立っているのが居たたまれず、うろうろと視線を彷徨わせた。
さっさとここから消えてしまいたくて仕方がない。
「ボクにはミラしかいないんだ。嫌いだなんて、言わないでくれ」
「嘘ばっかり、言わないで!」
「嘘ついてるかどうかは、ミラが一番良くわかるでしょ。ずっと、一緒だったんだ。今更、ボクの嘘が見抜けないなんて言わないよね?」
ミラさんはすっかり黙りこんで、ティロの顔を見つめる。
それから、唇をちょっと尖らして、そっぽを向いた。
その様子に、ティロは苦笑しながらも、抱きしめたままミラさんの髪に顔を埋める。
「ありがと、ミラ」
「何も言ってないじゃない」
「だって、信じてくれたんでしょ?」
「次はないからね」
どうやら、仲直りをした様子に、まわりの野次馬はつまらなそうに文句を言いながら帰って行く。
私はと言えば、その場から動けなかった。
寂しいような、羨ましいような、それに加えて、嬉しいような、幸せなような、複雑な気持ちだ。
私と師匠も、ああいう風になれたら良かったのに。
それも、今となっては夢でしかないのだろうか?
「リザ、何をやってるんだ?」
ふいに、後ろから掛けられた声に心臓がどくり、と跳ねる。
おそるおそる振り返れば、そこには、きょとん、とした顔でこちらを見ている、見慣れた人物。
あぁ、別に、出て行ってしまった訳ではなかったのか。
その手にぶら下がったケーキの箱を見て、私は嬉しくなる。
「師匠っ!」
「うわっ・・・」
どん、と思い切り抱きつけば、師匠は器用に私を抱き止める。
いつもは嫌味たっぷりに、邪魔だ、とか暑い、とか言ってくるくせに、今日は何も言わないようだ。
「出て行っちゃったのかと思いました!」
「はぁ?何を言っているんだ?僕が出て行く理由なんかないだろう?」
「だって、家にいないんですもん!」
「僕だって、内緒で出掛けることくらいある」
「ケーキを買うためにですか?」
「君のその目敏さを、もう少し魔法に生かしてくれたらな・・・」
ぎゅうぎゅう、と思いっきり抱きしめれば、さすがに頭を叩かれてから引き剥がされる。
でも、必要以上に離されることはなく、ごく近い距離に師匠がいる。
「・・・昨日、僕が言ったことは、君にちゃんと伝わっているのかい?」
こそっと、耳元で囁かれて、私は顔が一気に熱くなる。
師匠を見つけた嬉しさで忘れていたけれど、昨日の夜から会わないように避けていたのだ。
「ど、ど、ど、どれですか?き、昨日のって!」
「どもりすぎ」
絶対、私が動揺するのを見て楽しんでいる。
間違いない。
長年、一緒にいた私の勘がそう言っている。
どう答えようか考えあぐねていると、後ろから声がかかった。
「あれ、リザ。もしかして、その人がお師匠さん?」
助かった!
私は全力で振り向くと、こくこくと頷く。
「そう!この人が、私の師匠!」
金色の双眸をスッと細めて、師匠は一瞬ティロを睨む。
けれども、営業用の仮面を貼付けることにしたのか、次の瞬間にはニコニコと微笑んでいた。
「初めまして。もしかして、君がティロ君かい?」
「あ、はい。ティロです。で、隣にいるのはボクの恋人のミラです」
「・・・こんにちは」
泣きはらした目を見せたくないのか、ミラさんは俯き加減で挨拶をする。
ティロは苦笑しながら、ミラさんの頭を撫でると師匠に向き直った。
「リザから、あなたのお話は沢山聞いています」
「僕の?」
「はい。彼女、口を開けば、お師匠さんの話しかしないんですよ」
ティロの顔を見ながら、私は唖然とする。
確かに、師匠の話はいろいろしたかもしれないけど、そんな四六時中語っていたかのような言い方はやめて欲しい。
恥ずかしくて仕方がない。
「へぇ、リザがね」
「今日も、お師匠さんがいないって、半泣きになってましたよ」
「ちょ、ちょっと、ティロ!そういうこと、師匠に言わなくていいから!」
心なしか、楽しそうな顔になった師匠を見て、私は慌ててティロを諌める。
けれども、肩を竦めただけで、軽く流されてしまった。
「さて、ボクらはもう行くよ。あ、ついでに良いこと教えてあげると、今日、図書館に行けば、ミラがいないから禁書の置いてある部屋に入りやす・・・ったぁ!」
「馬鹿なこと教えないの!」
ばしり、ともの凄い音を立てて、ティロがミラさんに背中を叩かれる。
「冗談だって!叩くことないだろ!」
「ふん、だ」
「可愛くない奴」
「はいはい、どうせ私は可愛くないですよー」
「はいはい、ミラちゃんはとても可愛いですねー」
「何よ、その言い方。馬鹿にして!」
「してないって。っと、リザ、お師匠さん、それじゃ!」
ティロはひらひらと手を振り、ミラさんは軽く会釈をして去って行く。
きゃいきゃいと言い合いをしながらも、2人は腕を組んでとても楽しそうに笑っていた。
「あれが、ティロか」
笑顔がすっかり抜け落ちて、普段通りの表情に戻った師匠が呟く。
「そうですよ、あれがティロです」
「思っていたより、話しの分かりそうな奴だな」
師匠は小さくなっていく2人の背中を一瞥してから、家の方へと歩き出す。
もちろん、歩幅を合わせてくれるはずもないので、早歩きになりながら、その後に着いて行く。
師匠の背中を見ながら、いつの日か、私たちもティロとミラさんのようになれるのだろうか。と、少しだけ期待してみた。




