09
お風呂から上がって、私は濡れた髪をタオルで拭く。
いつもなら、このままリビングに行って過ごすのだが、そこには師匠がいる。
気まずい雰囲気には耐えられそうにないが、いつまでもこのままという訳には行かない。
かと言って、私には師匠と話す勇気も、逃げ出す根性も無かった。
結局、私はどうすれば良いか分からず、リビングの入り口で立ち尽くしてしまう。
そこからソファに視線をやれば、いつもと変わらぬ態度で師匠は本を読んでいた。
師匠はきっと、私と喧嘩をしても痛くも痒くもないのだ。
本当に嫌われてしまったのだ、と思うと同時に鼻の奥がつんと痛みを訴えた。
「何をそんなところで突っ立ってるんだ」
声を掛けられるとは思っておらず、びくり、と私の身体が跳ねる。
本から目を上げること無く、師匠の口元だけが動いた。
「・・・おいで」
その言葉に大人しく従って、私はソファの横に立つ。
師匠はぱたん、と本を閉じると、それを机の上に置き、私の腕をぐい、と引っ張った。
慌ててソファに手をついたから、顔から突っ込むことはなかったものの、やはりいつも師匠の突然の暴挙には驚くしかない。
「何するんですか」
思わず抗議の声を上げてしまえば、師匠はふん、と鼻で笑う。
「腕を引っ張っただけだ」
反論しようかと口を開きかけて、言葉にできずにそのまま呑み込む。
これ以上、余計なことを言って嫌われたくない。
師匠は私の首にかかっているタオルを手に取ると、がしがし、と乱暴に髪の毛を拭く。
その力に耐えられず、師匠の上に倒れ込んでしまった。
それでも師匠は無言のまま、私の頭をわしゃわしゃと頭を掻き回す。
「まだアルノーのことを調べているのか?」
普段よりも、幾分か小さい声。
その声音から、師匠が遠慮していることに気づく。
少しは喧嘩してしまったことを気に病んでいてくれるのか、と喜んだのに、続いた言葉に心臓が冷えるような思いがした。
「それとも、ティロという男に会いに行ってるのか?」
「ちがっ・・・!」
どうしてそんな勘違いをするのだろうか。
タオルで視界が遮られているせいで、師匠の表情はわからない。
きっと、私の表情も師匠からは見えていない。
「ティロは友達です!」
「毎日会ってるんじゃないのか?」
「それは・・・その、でも、ティロは私がアルノーさんの事を調べるの、手伝ってくれてるだけです!」
「本当のことを言ってくれ。僕は君の意見を尊重するつもりだから。そうやって嘘をつかれる方が辛い」
髪を拭いていた師匠の手が止まる。
本当のこと?
意見を尊重?
嘘をつく?
師匠は何を言っているの?
押しとどめていた感情が堰を切ったように流れ出す。
目頭が熱くなり、身体が震える。
本当に私の意見を尊重してくれるなら、望むことはたった1つ。
「・・・なら・・・いで・・・!」
「ん?」
「嫌いにならないで!」
ぱさり、とタオルが下に落ちた。
涙で溢れた私の視界に、師匠の金色の双眸が飛び込んで来る。
驚いたように開かれたその目をしっかり見て、私は掴み掛かるように師匠の胸元を引っ張った。
「私のこと、嫌いにならないでください!我が儘ばっかり言うし、師匠と違って魔法も上手くないし、頭も悪いし、全然駄目だけど!それでも、嫌いにならないで!」
「僕が・・・君を嫌う?」
「アルノーさんの事も調べるなって言われたけど、でも、私が知りたいのは本当はアルノーさんのことじゃなくて!」
嫌われたくない、の反対は?
「アルノーさんが師匠の友達だから・・・師匠のことだから、知りたいんです!師匠のことだから、必死なんです!」
好かれたい。好き。大好き。
お互いに目を逸らすことも出来ずに、まるで時間が止まったようだった。
勢い込んで喚いた私は肩で浅い呼吸を繰り返す。
「なに・・・を?」
辛うじて、そう呟いた師匠の頬が、薄らと紅潮していく。
それにつられるように、私の頬も熱くなるのがわかった。
師匠の上に倒れ込んでいたせいで、普段よりもずっと近い距離にどきりと胸が高鳴る。
「こっ、言葉の通りですっ」
「は・・・?」
「師匠は、私のこと何でも知ってるかもしれないけど、でも、私は師匠のこと何も知らないから・・・それで!・・・その・・・」
そこまで言って、恥ずかしくて口をぱくぱくさせるしかなくなる。
続きは出て来ない。
勢いはここまでだった。
未だにぽかん、としている師匠からタオルを引ったくると、逃げるようにして自分の部屋へと駆け込む。
大きな音を立てて、ドアを閉めると、私はそこに背を預けてずるずると座り込んだ。
タオルに顔を埋めて、自分が言ったことを改めて思い返して、居たたまれなくなる。
あんなに驚いている師匠の顔を、初めて見た。
私が森の中にスノウと一緒に師匠を探しに行ったときでさえ、あんなに驚いた顔はしていなかった。
別に単刀直入に好きだと言ったわけではないが、勘の良い師匠のことだ。
私の気持ちなんかお見通しに違いない。
もし、数秒前の自分の口を塞げることなら、全力で塞ぎたい。
月明かりだけが頼りの、薄暗い部屋で、私はうずくまる。
本来なら、湯冷めしていても可笑しくないのに、身体は未だに火照っていた。
頭の中を、ぐるぐると嫌な想像ばかりが駆け巡る。
師匠が私のことを単なる弟子だとしか思っていなかったら。
そしたら、追い出されるかもしれない。
出来も悪いくせに、余計な感情ばっかり持ってる弟子なんて、ただの邪魔に違いない。
きっと、嫌われて、ぼろぼろに嫌味を言われて、そのまま放り出されるんだ。
とんとん、と階段を登ってくる音に私は肩を震わせる。
足音は私の部屋の扉の前で止まり、一瞬の間を置いてから、遠慮がちにドアがノックされた。
いつもは、ノックなんかせずに開けるくせに。
「リザ」
ドア一枚を隔てて伝わってくる声に、私は返事をすべきかどうか悩む。
意地を張るような場面ではないが、正直、何を話していいのか分からなかった。
「まぁいい。どうせ、聞いてるんだろう?」
私はうずくまったまま、息を潜めてじっとしていることにする。
師匠の声が、廊下で反響して微かにぼんやりとして聞こえた。
「アルノーは青い薔薇を作り出した人間だ」
どくり、と心臓が脈打つ。
やはり、師匠の友人は500年前にいた人だったのだ。
「どうせ名前くらいはもう見つけているだろう?何か知りたいことがあるなら、訊きにくればいい。答えられる範囲で教えよう。それと・・・」
師匠は言葉を切ると、躊躇うように、間を置く。
「リザ、僕も君のことが好きだよ」
ドアの向こうから、とんとん、と静かに階段を下る音が聞こえた。
音はすぐに小さくなり消えて行く。
「・・・え」
残された私は膝を抱えたまま、動くことも出来ずにいた。




