08
次の日、あまりにも家の雰囲気が悪く、居たたまれなくなった私は逃げるように外出した。
もちろん、こんなことをしても更に師匠に嫌われるだけだということは分かっている。
それでも、同じ空間にいることに耐えられなかったのだ。
ぼんやりとした頭のまま図書館に足を向けると、入り口でティロと司書のミラさんが何やら話している姿を見つけた。
挨拶しようと声を出しかけたが、話し、というよりは言い争っているような様子に私は足を止める。
「ごめんって、でも、君が思っているような・・・」
「ふざけないで!あんたのそういう不真面目なところが、私は嫌いなのよ!最低!」
ふん、とミラさんはそっぽを向くと、そのまま憤然とした足取りで建物の中に入って行く。
ティロはそれを見送りながら、困ったように頭を掻いていた。
私が声をかけるべきかどうか迷っていると、ティロがこちらに気付いたようで、軽い調子で右手を上げた。
「やぁ、もしかして、見てた?」
「・・・うん。喧嘩?」
「そんなところ」
苦笑いをして肩をすくめたティロに、私は2人が一体どういう関係なのかと考える。
ただの図書館に通う青年と、図書館に勤める司書が、あんな喧嘩をしたりするだろうか?
けれども、なんとなく尋ねるのが憚られて、私は言葉を呑み込んでしまう。
「悪いけど、今日は図書館に入るのはやめておくよ」
「ミラさんと喧嘩したから?」
「うん。今、顔合わせたら、本の角で殴られるくらいじゃ済まない気がするし」
「そっか」
喧嘩をした時の気まずさは、とてもよくわかる。
いや、私の場合は喧嘩というよりも、一方的に嫌われた、というのが正しいのだろうか。
「ねぇ、ティロ。嫌われた相手に、どうやったらまた元のように接してもらえると思う?」
「どうしたの、唐突に」
「師匠とちょっとあって・・・」
「へぇ。仲良さそうなのに」
ティロの言葉が、ぐさりと突き刺さる。
少なくとも、私は仲が良いと思っていたけれど、師匠はそうでもなかったのかもしれない。
友達ができたこと、喜んでくれると思ったのに。
いつも意地悪だけど、たまには優しくしてくれるし、肝心な時は絶対に助けてくれる。
でも、それって保護者の義務としてやっていただけなのかもしれない。
そう考えたら、また気が重くなってきた。
「今日は、外歩こうか?」
私が気持ちが沈んだのを悟ったのか、ティロは苦笑しながらそう提案してくる。
確かに、散歩すれば気が紛れるかもしれない。
「うん、そうする」
力無く笑みを浮かべれば、ティロはひとつ頷いて歩きだす。
私もその隣を一緒に進む。
やはり、ティロはスピードを私に合わせてくれているのか、早歩きする必要はなかった。
「ボクより重症じゃない?大丈夫なの?」
「端で見ていた限り、ティロとミラさんの方が酷そうだったけど」
「平気、平気。明日には仲直りできるから」
「そうなの?私は一生、師匠と仲直りできる気がしないや・・・」
「原因は何?」
私はざっくりとティロに昨日と一昨日の出来事を話す。
それを聞いていたティロは、最初は神妙な顔をしていたものの、途中からにやにやと口角を上げ始めた。
「なんで笑うの?」
「いや、その、なんていうか・・・。お師匠さんは不憫だなって」
「そりゃ、助けてやった子供がこんな恩知らずに育ったら不憫だろうけど・・・」
「違う、違う。そういう意味じゃないよ」
楽しそうに笑うティロに、私は訳が分からず、じっと見つめることしかできない。
「お師匠さんの気持ち、分からなくもないからさ」
「ティロが分かるの?」
「そりゃ、大事な弟子を何処の馬の骨とも知れないような男のところに行かせたくないでしょ」
「私はただ、友達ができたの一緒に喜んで欲しかっただけなのに」
「ボクが女だったら、お師匠さんは怒らなかったんじゃない?」
「どうして?」
「嫉妬ってやつさ」
ふーん、と頷きかけてから、私はその意味を理解し、ぽかんとする。
「まさか。師匠に限って?」
「ボクにはそうとしか思えないけど」
ありえない、と私は首を横に振る。
それが事実だとしたら、明日には天変地異で世界が滅びるだろう。
「とにかく、第三者の立場から言わせてもらうと、どっちもどっちだね」
くぃ、とティロが眼鏡を押し上げる。
「素直じゃないお師匠さんも悪いし、鈍すぎるリザも悪い」
そう締めくくると、ティロは肩を竦めて苦笑いする。
私はというと、その返答に満足できずに、黙って頬を膨らませているだけだ。
「鈍くないと思うんだけどな・・・。だって、師匠に嫌われたっていうのは分かるもん」
「そう思ってるのは、リザだけだよ。たぶん、素直に謝って、ちょっと甘えとけば仲直りできるんじゃない?」
「甘えるって・・・」
普段から、師匠には散々甘えてると思うんだけど。
それを面倒そうに、軽く受け流すのが師匠だし。
ティロの言っていることに効果があるとは思えない。
「はっきり言えるのは、お師匠さんはリザのことが嫌いな訳じゃぁないっていうこと。その真逆だろうから」
そう言葉を切ると、ティロは、あ、と何かを思い出したように声をあげる。
鞄をごそごそと漁って、手帳を取り出し開くと、中に挟んであった4つ折りの紙をそっと私の前に差し出す。
「これは?」
「昨日言ってた、アイリスの手記。忘れる前に見せてあげる」
「ありがとう」
ティロは私と師匠の件については、すでに片がついたと思っているようだが、私は不満たらたらである。
けれども、親切心から見せてくれている手前、無碍にすることも出来ず、私は目の前に出された紙に手を伸ばした。
指先にかさついた感触を感じた瞬間、視界が真っ暗に暗転する。
何が起きたか認識する前に、知らない風景がぼんやりと広がって行った。
『完璧・・・完璧よぉ。これなら、ゴーストが存在していることを証明できるわ!』
薄暗い部屋の中に響く、柔らかい、そしてどこか楽しげな声。
木で出来た椅子がぎしり、と音を立てた。
そこに座っているのは、きっと女の人。
視界が曖昧でどんな人なのかまでは、はっきりとは分からない。
床と壁の区別もつかない程にぼやけた世界で、声だけが聞こえてくる。
『そしたら、あの病気だってきっと治せる。絶対に死なせたりしない』
視界が、フェードアウトしていく。
ぼんやりしていた風景がさらに歪み、暗闇に飲み込まれる。
『救ってみせるわ・・・』
声が遠のく。
続きが聞こえない。
柔らかくて、とても優しげな声。
どこかで、聞いたことがあるような・・・。
「リザ?どうしたの?」
私はハッとして我に返る。
きょろきょろと視線を彷徨わせるが、隣にはティロがいて、ここは間違いなく街の中だ。
さっきのような、薄暗い部屋の中ではない。
あの女の人もいない。
「な、なんでもないよ」
「そう?」
取り繕うように曖昧に笑って、私は手の中のメモに目を落とす。
今の映像は何?
以前も、こんなことがあったような・・・。
混乱したまま、震える手でメモを開く。
もしかしたら、メモの中に何かヒントがあるかもしれない。
このメモに魔法が掛けられていたのかも。
「これは・・・?」
メモに書かれた文字を見て、私は首を傾げる。
流れるような綺麗な字体は色褪せてはいるものの、アイリスがどのような女性だったのかを現しているようだ。
おそらく、几帳面な性格だったのだろう。
文字の大きさに乱れが無い。
『相交わる自然の理、解きて別離の道を辿れ』
言葉の感じから、どうやら呪文のようだ。
どんな魔法か分からない以上、迂闊に口にするのは憚られる。
「ね、リザ。この魔法って発動できる?」
私の手元を一緒に覗き込んでいたティロが心無しか興奮気味に訊いてきた。
その言葉に私はぎょっとして首を横に振る。
「駄目だよ!何の呪文かも分からないのに、迂闊に言葉にしたら!」
「え、そうなの?」
きょとん、としたティロに私は魔法の危険性を説く。
今まで常識だと思っていた分、ティロがこのことを知らないのは意外だった。
私の失態でルーニーラビットの封印を解いた時の事を思い出して、身震いする。
「魔法が危ないってことは分かったよ。でも、僕がそれを読み上げても何も起きなかったよ?」
「それは・・・その、ティロの魔力が・・・」
最後まで言って良いものか悩んで口をつぐめば、ティロがカラカラと笑う。
「はっきり言えば良いのに。とにかく、それが呪文だってことは間違いないの?」
「どうだろう?呪文の成り損ないだったら、ただの言葉だし」
「ねぇ、リザ。ちょっとだけ!ちょっとだけ読んでみてよ!」
「さっき、危険性について話したばっかりだよね?」
「お願い!アイリスがどんな魔法使ってたか見てみたいんだ!」
顔の前で手を合わせて拝み倒してくるティロに、頑なに嫌だ、ダメだ、と返していたけれども、向こうも諦めが悪い。
ちょっとだけで良いから!と言ってくるものの、呪文にちょっとも沢山もないのに。
「何が起きても、私は責任取れないよ?」
「大丈夫。アイリスの魔法に掛かって死ねるなら本望」
「死ぬより苦しい魔法だってあるんだよ?」
「耐えてみせる!」
清々しい程はっきりと言い切るティロに、私は何を言っても無駄だと悟る。
きっと、彼が折れることはないのだろう。
仕方が無い、と私はメモをもう一度見返す。
「本当の本当に知らないからね?」
「分かってるって!」
きらきらとした表情でこちらを凝視してくるティロに若干の居心地の悪さを感じながら、私は呪文と向き合う。
とりあえず、呪い晒しでも掛けておこう。
何か情報が得られるかもしれない。
「彼の者に掛けられし呪の言、我の前に晒さん」
頭の中に情報が流れてくる。
502年に製造された紙、羽根ペンで書かれた文字、黒インクの成分・・・。
呪文については何も触れていない。
もしかしたら、ただの詩だった、とかそういうオチもあり得る。
おぉ、と隣で歓声を上げているティロを落ち込ませることにはなるけれど、そっちの方が有り難い。
幾分か軽い気持ちになった私は、メモの呪文を読み上げる。
「相交わる自然の理、解きて別離の道を辿れ」
予想通りだ。
ティロには可哀想な結果になったけれど、案の定、何も起きない。
「・・・リザも魔力が足りないとか?」
失礼なことを言ってくるティロに、私は半眼になる。
他の場面ではあながち間違いではないのだけれど、今回は違うので強く反論しておく。
「仮に足りなかったとしても、経験上、光が出るか何かしらの反応は絶対あるから」
「えー!じゃぁ、これ、呪文じゃなかったの?」
「たぶん、そうだと思う。呪い晒しでも何の情報も得られなかったし」
なーんだ、と肩を落とすティロに私は苦笑する。
そして、もう1度、手の中のメモに視線を落として、先程見たぼんやりとした女性の影を思い浮かべる。
ゴーストの存在証明と、病気を治す事に一体何のつながりがあると言うのだろか?
もし、あの女の人がアイリスさんなのだとしたら、残念ながら、彼女のやろうとしていたことは失敗に終わったに違いない。
なぜなら、今の時代にゴーストと病気の治癒に関連するような魔法が存在しないからだ。
「・・・ごめん、リザ。付き合わせちゃって」
「え?」
急にしょんぼりとした声音になったティロに、私は首を傾げる。
困ったような顔をしたティロが、私の手からそっとメモを取り上げた。
「アイリスのことになるとさ、熱くなっちゃって。自分でも悪い癖だとは思ってるんだけど」
「別に気にしてないよ?私も直筆のメモが見られて感動したし」
「ほんと?良かったぁ・・・」
ティロはほっと胸を撫で下ろすと、メモをそっと畳んで更に便箋に入れて、その上で本に挟んでから鞄にしまう。
「リザってアルノーにしか興味なかったみたいだからさ」
「そんなことないよ。いろんな事を知るのは、私も勉強になるもの」
「ていうか、リザってどうしてアルノーについて調べてるんだっけ?」
「えっ・・・それは・・・」
それは、どうして?
私は言葉に詰まって、自問自答する。
昨日も、似たような問いを師匠にされた。
本当は分かりきっている。
私は、なぜ、アルノーさんの事を知りたいの?
それは、師匠の友達だから。
師匠の友達でなかったら、知らなくてもいいの?
知らなくても・・・良かった。
そう、私は、アルノーさんが師匠の友達だからこそ、彼のことを知りたいと思った。
そして、彼が魔法使いなら、本に載っている可能性があるかもしれない、と思って図書館に来た。
アルノーさんのこと自体が知りたいのではなく、師匠の友達であるアルノーさんだからこそ知りたかったのだ。
「・・・ねぇ、ティロ」
「なに?」
「私、馬鹿なんだと思う」
「何を突然」
きょとんとするティロに、私は笑いながら何でもない、と首を横に振る。
師匠のことだったからこそ、こんなにも必死になって調べていたのに。
結局のところ、アルノーさんを通して、私の知らない師匠を知りたかっただけなのだ。
それなのに、当の本人に嫌われてしまっては元も子もないではないか。
胸が抉れるように痛むのをティロに隠したくて、私は無理やり笑みを顔に貼付けた。




