05
帰ってから、私はトマトクリームパスタを作るために台所に立つ。
本当はブロッコリーを入れたいのだけれど、今日は気分が良いので投入しないことにする。
というより、ティロの話をしたくて仕方がなかったので、ブロッコリーごときで師匠の機嫌を損ねたくなかったのだ。
不機嫌になったら、絶対に師匠は私の話を聞いてくれないもの。
スノウはサンザシの実でお腹いっぱいになったのか、家に着くなり森へ帰ってしまった。
普段は、夕飯のおこぼれに預かろうと中に入って来るのに。
私はトマト缶を開けながら、今日一日を振り返ってみる。
実に充実した日だったと言えるだろう。
アルノーさんが載っているという本も借りることができたし、万々歳だ。
ただ、図書館で本を借りるには身分証が必要だというのには困った。
今まで、身分証が必要になったことなど無かったから、それがどんなものなのか謎だし、第一、家にそれがあるのかも分からない。
「師匠ー」
私は珍しくソファに転がらずに座って本を読んでいる師匠に声を掛ける。
けれども、返事をするのが億劫だったのか、何のリアクションもなかった。
返事がなくても、どうせ聞いてるはずなので、私はそのまま続ける。
「私の身分証ってあります?」
「ない」
なんともそっけない回答だ。
本を読んでいる時は、基本的に師匠は無視したり、とてつもなく短い返事を寄越したりするのが常だけど。
でも、身分証がないということは、これからも図書館で本を借りることはできないのか。
「そっかぁ。じゃ、いいです」
借りる時は、ティロに頼んで一緒に借りてもらうしかない。
もしくは、図書館内で読むしかないのだろう。
何度も彼に頼むのは気が引けるけれど、たぶん、快諾してくれると信じている。
「やけにあっさり引くな」
ぱたん、と本を閉じる音がして、師匠が意識を私に向けたのが分かった。
いつもの私なら、なんで身分証がないのか問いただすからだろう。
アルノーさんのことも、あれだけしつこく訊いていたし。
師匠からしたら、不思議だったのかもしれない。
「身分証が必要なのか?」
「いえ、別にあっても無くても大丈夫なんですけど。今日、図書館に行ったら本を借りるのに身分証が必要だって言われたので」
「はは、それは残念だったな。本は借りれず、無駄足だったということか」
意地の悪い顔で師匠がにやにやしてる。
師匠ってば、私が無駄な苦労をしたことを喜んでるに違いない。
けれども、今日は無駄どころか大収穫だったんだから。
私は得意顔になって、師匠に告げる。
「それがですね、借りられたんですよ」
「へぇ、どうやって?」
「友達ができたんです!」
私はトマト缶をひっくり返してから、手を止めて、師匠の側に寄る。
料理をしてる最中にわざわざ自分の側まで寄って来た私が意外だったのか、師匠は少し驚いた顔をしていた。
もしかしたら、私に友達ができたことに驚いていたのかもしれないけど。
今までこのことで散々馬鹿にされてきたけれど、最後はきっと「良かったな」なんて言ってくれるに違いない。
「図書館で、困ってたら助けてくれたんです。それで、本もその人が一緒に借りてくれました」
「世の中には変わった人間もいるもんだ」
「全然、変わった人じゃないですよ!学校に通ってるって言ってました。私と同い年だし、たぶん、上級学校かな?」
学校には下級、中級、上級とあるのだが、15歳以上の人は普通は上級学校に通う。
論文、と言っていたし、ティロはおそらく上級学校の生徒だろう。
「ティロって人なんですけど、魔法史に興味があって・・・」
「ティロ?」
私の言葉を遮って、師匠が名前を繰り返す?
私がはい、と肯定すれば、師匠の眉間に皺が寄った。
「僕の感覚に間違いがなければ、男の名前だと思うんだが」
「そうですよ。ティロは男の子ですよ」
師匠を取り巻く空気が少しだけ不穏になったけれど、どうしてか理解できない。
友達、って言ったときは特に不機嫌そうではなかったはずだ。驚いてはいたけど。
「師匠・・・?」
恐る恐る声を掛ければ、ぎろりと効果音付きで睨まれた。
「な、なんで睨むんですか」
「君は本当に愚かだ」
はぁ、とため息をつくと、師匠は手にしていた本を机の上に投げ出した。
「女でも警戒すべきだが、よりにもよって、男に声を掛けられてほいほいついて行くとは・・・」
「ティロは優しいですよ」
「そんなこと、長く付き合ってから初めて分かることだろう?第一印象で他人は測れない」
師匠の言う通りではあるが、初めて出来た友達を悪く言われて嬉しいはずがない。
師匠も不機嫌だけれど、私もむっとして言い返す。
「師匠はティロに会ってないんだから、もっと分からないですよね」
「会ってないからこそ、君の話を聞いて警戒しているんだ」
「何も知らないのに、ティロのこと悪く言わないでください!」
かっとなって、語気が強まる。
師匠は私が言い返したのが不満なのか、金色の双眸がみるみる剣呑な光を帯びる。
「逆に聞くが、君はその男の何を知ってるんだ」
「それは・・・!その、本を一緒に借りてくれたし、学校のこととかも話してくれて・・・少なくとも、師匠よりは親切で優しいです!」
「ほぅ、そうか。僕は優しくない、と?」
「えぇ!」
はっ、と師匠が口元を歪めて鼻で笑う。
いつもなら、その表情を見て、これから何をされるのかと若干の恐怖を感じるのだが、今は怒りしか感じなかった。
「それなら、意地悪な僕は君に外出禁止令を出そう」
「は?」
「破ったらどうなるか分かるな?」
師匠の余裕のある表情が気に食わなくて、私はぐっと歯を食いしばる。
こんなに師匠に腹を立てたのは初めてだ。
「分かりませんし、分かりたくもないです。私は、明日も出掛けますからね!」
捨て台詞のように吐き捨てて、私はソファから立ち上がって台所に戻る。
手に持った包丁で師匠を刺そうとは思わないが、それでも、まな板の上にある人参は師匠だと思ってがす、がす、と怒りを込めて切り落とす。
ただ、友達ができたのを一緒に喜んで欲しいだけだったのに。
どうして、師匠は分かってくれないのだろう。
悔しくて涙が出そうになるのを必死にこらえる。
こんなことで涙を流すなんて、師匠に負けてしまったようで嫌だ。
私は乱暴に冷蔵庫を開け、ブロッコリーを取り出すと、躊躇いもなく鍋の中に叩き込んだ。




