17
砂塵が舞い、息が一瞬詰まる。
床に描かれていた魔法陣は無惨に抉られ、見る影もない。
呆然としているルーカスさんは、ぽかんとして口を開けていたが、みるみる顔色が真っ青へと変色していく。
水槽の中の人魚も驚いて、こちらの様子をちらちらと窺っているようだ。
私はポケットの中のスノウを守るように手で覆い、トリス君、ナナちゃんを後ろにかばって師匠から離れる。
「聞こえなかったか?この魔法陣をどこで知った?」
「そ、それは・・・」
「さっさと答えろ!」
これでは、どちらが悪者なのか分からない。
いや、どちらも悪い人ではないのだけれど。
この構図だと、明らかに師匠が悪人だ。
早く止めないと、攻撃魔法でルーカスさんを半殺しにしかねない。
とりあえず、話し合いができる空気に持って行こうと私は必死に声をあげる。
「師匠、落ち着いてください!ルーカスさんは悪い人じゃないんです!」
「何を根拠に」
「トリス君とナナちゃんに融合魔法をかけたのは、彼らを救うためだったんです!」
師匠は緩慢な動作でこちらを振り返ると、無言で続きを促す。
ギラギラと暗闇でも光るその瞳の色に、私はどきりとするが、ルーカスさんから聞いたことを全て話した。
「なるほど、な」
師匠はやや納得したように、頷いたが、後ろにいたトリス君はわなわなと震えている。
ナナちゃんもぽかんとしたように、トリス君の肩の上でじっとしていた。
今まで、ルーカスさんが悪い人間だと信じ込んできたのだ。
混乱するのも仕方ないだろう。
「そんな・・・俺たち、こんな姿・・・嘘だ・・・」
ぶつぶつ、とトリス君が口の中でしきりに何かを呟いている。
驚愕に見開かれた目の瞳孔は細くなり、耳はぴくぴくと忙しなく動いている。
二又の尻尾だけが、ぴんと針金が入ったように真っ直ぐ立っていた。
もっと落ち着いてから話すべきだったけれども、状況がそれを許してくれなかったことを悔しく思う。
「これを・・・」
ルーカスさんは、やや怒りを鎮めた師匠に、あの頻繁に取り出していた本を手渡す。
師匠は訝しげにそれを受け取るが、決して開くことはしなかった。
開いた瞬間に呪いが飛んで来る本もあるからだろう。
「この本に、人間と魔物の融合魔法陣が載っていたんです」
「これに?」
それを聞いた師匠は、じっとその表紙を見つめた後、本をペラペラと捲る。
何か起きるんじゃないかと、後ろにいたトリス君たちを咄嗟に庇ったけれども、私の心配は杞憂に終わった。
室内に、本を捲る音と人魚が水面を叩く音だけが響く。
「なるほどな。魔法陣に呪文が組み込んであるのか。魔力は多少無駄に浪費するが、これなら誰にでも無言詠唱が出来る仕組みだ」
「は、はい!その通りで・・・」
「これのおかげで、無言詠唱が出来るはずなのに、なぜ、魔法陣を床に書き写したりした?」
「恥ずかしながら、魔法陣に呪文が組み込んであっても、あれだけの高度な魔法は発動させることが出来ませんでしたので、仕方なく自ら描き、詠唱して発動させた次第です」
「アルノーは陣も詠唱も無しに発動してみせたけどな」
「アルノー・・・?それは、アルノー=ブルーゲルのことですか・・・?」
「著者の名前も知らずに使っていたのか?」
アルノー、という名前を私はどこかで聞いたことがあるような気がする。
何故か戦慄いているルーカスさんを、師匠は鼻で笑い、そして、本を見つめて嘆息した。
「こんな本を残すとは、やってくれるな。どうせ、治癒魔法陣は載ってなかったんだろう?」
「え、えぇ・・・ほとんどが融合魔法に関するものでした」
「だろうな。あいつは治癒魔法が一番苦手だった」
師匠は小さく笑うと、手元の本からルーカスに視線を戻す。
「さて、もう一度聞こうか」
「はい・・・?」
「本当に、トリスとナナを助けるために融合魔法を使ったんだな?」
「もちろんです!」
ルーカスさんの全力の言葉に、師匠は頷く。
「その言葉、信用しよう」
あまりにもあっさりとした信用に、私は耳を疑う。
あの師匠がここまで簡単に人を信用するなんて。
私と同じ思いだったのか、後ろにいたトリス君はふるふると小さく震えたあと、大きな声で怒鳴った。
「なんでだよ!嘘かもしれないだろう!どうして、どうして・・・俺たちは・・・!」
「今、こいつには自白呪文を掛けている」
師匠の言葉に、その場にいる私以外の全員が息を呑む。
ルーカスさんは不安そうに喉元に手をやった。
トリス君のときもそうだったけれど、用心深いのか、猜疑心が強いだけなのか。
私も知らないうちに自白呪文を掛けられていそうで怖い。
「今、こいつが話していることは全て真実だ」
「そしたら・・・俺が・・・間違ってたのか?」
「そういうことになるな」
「俺たちが・・・こいつに・・・助けられた?」
呆然としているトリス君に、ルーカスさんが困ったように話しかける。
「君たちには、恨まれても仕方のないことをした」
「やめろよ・・・」
「すまない」
頭を項垂れて謝る姿に、トリス君は狼狽する。
肩に乗ったナナちゃんが、キィ、と不安そうに声を上げた。
「父さんと母さんを殺したのは、あんたじゃないのか・・・?」
「私が見つけた時には、君のご両親は亡くなっていた」
「そんな・・・それなら、あの時馬車を襲ったのはお前じゃなかった・・・?」
ルーカスさんは静かに頷く。
トリス君は床に膝をつくと、放心したように頭を垂れた。
ナナちゃんが、慰めるようにトリス君の頬に自分の頬を寄せる。
師匠はトリス君に視線を投げたが何も言わず、ルーカスさんと向き合った。
「お前に、聞きたいことがある」
「なんでしょう・・・?」
「この本はどこで手に入れた?」
「その子たちを助けたところに、転がっていたんです」
「馬鹿な。なぜ、そんなところに?」
「推測でしかありませんが・・・あの馬車に本を扱う商人が乗っていたのではないかと・・・。残骸に、いくつも本の切れ端があったので」
ルーカスさんは言葉を切って、神妙な顔つきをする。
「この本がなければ、この子たちを助けることはできなかったでしょう。私自身の力では、とてもそんな強力な魔法陣は思いつきません」
「僕も、あいつほど強い魔法使いは見た事が無いよ」
肩を竦めた師匠は本の表紙を撫でると、魔法でどこかに消してしまう。
そして、私たちの方に向き直った。
「さて、これからやることが山ほどある。ルーカス、お前とも少し話さないといけないこともあるしな」
こうして、この一件は幕を下ろすのだが、これで終わりにするには、あまりに不可解な事が多すぎた。




