16
真っ暗な闇を降りて、辿り着いた先は、扉の前だった。
重厚な鉄の扉に守られたその様子は、見るからに「怪しいことをここで行っています」と主張しているようだ。
たじろぐ私を気にかけることもなく、ルーカスさんはその扉を押し開ける。
ギィィ、と耳に不快な音を立てて開いた先の部屋の中が明らかにされ、私の目に中の様子が映り込んできた。
まず目に入ったのは、人魚の水槽だった。
金糸の豊かな髪を纏った1匹の人魚が水槽の中の岩に座っている。
薄いピンク色の鱗は青い水槽によく映え、俯き加減で髪の毛をいじっている様子はとても儚く見えた。
彼女は扉をくぐって入って来た私たちを一瞥すると、興味なさそうにそっぽを向く。
愛想が良いわけではないようだ。
「あの通りでね、説得するのに一苦労だよ」
はは、と笑うルーカスさん。
けれども、私は上手く笑うことができない。
本当に、人魚を見せてくれようとしただけなのだろうか?
ルーカスさんは、別に私をどうこうするつもりはないの?
混乱した頭で考えても、同じ問いを繰り返すだけで、一向に答えが出る気配はない。
ふと下に視線をやると、石畳の床は水槽の湿気のせいか苔が生えて緑色に変色している。
そして、あるものに気づいて私は心臓が止まるかと思った。
白いチョークで書いた線が床に走っている。
見ただけで理解できる。
これは、魔法陣だ。
そして、その上には赤い色が付着している。
それが何なのか想像して吐きそうになった私は口元を手で覆う。
無言になった私を訝しんだのか、ルーカスさんはその視線の先を追って、あぁ。と声を漏らした。
「この魔法陣かい?」
「これ・・・なんですか」
「融合魔法の魔法陣だ」
さらりと言ってのけたルーカスさんに、私は耳を疑った。
これが、融合魔法の魔法陣?
ということは、この中に入り、魔法を発動されたら、私は・・・。
「リザちゃん」
「は、はい・・・」
「警戒するのは分かるけど、そこまであからさまだと私も少し傷つくかな」
困ったような表情を浮かべるルーカスさんに、私の方が困ってしまう。
「もしかして、私が君に融合魔法をかけるとでも思ったかい?」
「え・・・」
図星を指されて、私はひやりとする。
ルーカスさんの意図が分からない。
本当に魔法をかける気がないのか、それとも、私に魔法を掛けるための前準備なのか。
「君はさっき、人に融合魔法を掛けることに興味があると言ったね」
もちろん、嘘に決まってる。
そんなことに興味はない。
「魔法を学ぶ者として、その結果が気になる、というのは理解できる。けれども、社会の倫理に反することに手を出してはいけないよ」
「何を・・・言ってるんですか」
「人間として生きるためには、ルールに従わないといけない」
何を説教されているのか分からなかった。
私が、人に融合魔法を掛けたい、と言ったことに対してこの人は説教しているの?
それなら、どうして、この人は、トリス君とナナちゃんに魔法を掛けた?
「融合魔法の分野では、人に融合魔法を掛けるのは禁忌とされているんだ」
「それなら、どうしてルーカスさんは・・・」
そこまで言って、私はハッとして口を噤む。
余計なことを言ってしまった。
けれども、一度言った言葉を戻すことはできない。
ルーカスさんは、私が?と先を促す。
私は散々迷ったあげく、腹を括って尋ねることにした。
「どうして、ルーカスさんは人に融合魔法を掛けたんですか?」
「何を言っているんだい?」
「トリス君とナナちゃん」
その名前を聞いた途端、ルーカスさんの動きがぴたりと止まる。
呼吸をするのも憚られるくらいの沈黙が下り、こぽこぽ、と水槽の泡の音だけが虚しく響き渡った。
「リザちゃんが、なぜトリスとナナのことを・・・?」
ルーカスさんはそう呟いたけれど、首を振って項垂れる。
「どうりで見つからなかったはずだ。あの格好だから目立つと思っていたのに。リザちゃんとあの魔法使いの青年が匿ってたのかい?」
「そうだとしたら、どうします?」
「君たちみたいな優しい人間が拾ってくれて、助かったよ」
安堵にも近い笑みを浮かべたルーカスさんに、私はますます訳が分からなくなる。
「商品」が無事だったから?
それとも、「トリス君」と「ナナちゃん」が無事だったから?
「あの2人には、悪いことをしたと思っている」
「え?」
「けれど、彼らの命を繋ぐには、ああするしかなかったんだ」
意外な言葉に、私は動揺を隠せない。
ポケットの中でもぞもぞとスノウが動くのが伝わって来たが、私は出て来ないように彼女を抑える。
「私が発見した時には、賊に襲われたのか、両親は既に亡くなっていて、彼らは虫の息だった」
淡々と話すその様子は、とても、悪意があるようには見えなかった。
ただただ、自分の行いを悔いている様子しか窺えない。
「乗り合い馬車が盗賊に襲われやすいという話は聞いたことくらいあるだろう?トリスとナナの乗っていた馬車も、おそらく、その被害に遭ったんだろうね。まだ息のある彼らを発見したものの、私は治癒魔法は使えない。助けるには、融合魔法を使うしかなかった」
「融合魔法なんかで、傷が癒えるはず・・・!」
「できるんだよ。融合は、2つのものを混ぜて、1つのものに作り替える。新しく出来たものに傷が残るはずないんだ」
「で、でも・・・他に方法は・・・」
「なかったよ。普通の治療なら、彼らは失血死をしていただろうし、都合良く治癒魔法を使える魔法使いもいなかったしね」
そもそも、魔法使いの絶対数が少ないのだから、もし、今の話が本当なのだとしたら、トリス君とナナちゃんはかなり幸運だ。
でも、彼らはこの人の元から逃げ出して来たのだ。
そこまでは良かったとしても、その後の対応に問題があったのかもしれない。
私の言いたい事を察したのか、ルーカスさんは弱々しく微笑んだ。
「彼らは、両親を殺し、自分たちを傷つけたのが私だと思っているらしくてね。いろいろな手を尽くしても、信じてもらえなかったよ。どうやら、あの時の記憶が曖昧らしい」
嫌な記憶を、人間は忘れようとする。
あまりに衝撃的な内容は、ぼやけてはっきりと思い出せない。
トリス君とナナちゃんも、自分たちを守るために、襲われた時の記憶を無意識に封じてしまったのだろう。
「彼らが安心して暮らせるような場所に送り届けてあげたかったんだけれど、その前に逃げられてしまったよ」
「でも、それなら、きちんと話せば分かってもらえるんじゃ・・・」
「トリスとナナが私の言う事を聞くと思うかい?彼らの命を救うためとはいえ、私は人間ではない身体にしてしまったんだ」
自嘲気味に笑ったルーカスさんに、私はやるせない気持ちを隠せない。
「相性が良さそうだったからとはいえ、ケット・シーはともかくフラワーラットは可哀想だった。でも、失敗する訳にはいかなかった」
「失敗?」
「人と魔物の融合なんて、理論は知ってても、やったことはなかったからね。それに、ナナはまだ小さかったから、下手に知性の高い魔物と融合させると、彼女の意思が呑まれてしまう危険性があったんだ」
しん、と再び静まり返った室内。
ルーカスさんのことを散々疑って、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
私が一度、家に戻って彼らと話をするように、と提案しようと口を開きかけたとき、大きな音を立てて、地下室の入り口が消し飛んだ。
「リザ!」
あまりに乱暴な登場に私は開きかけた口を、更にあんぐりと開くしかない。
「師匠・・・」
私が呆然としていると、師匠に軽く頭をどつかれる。
「痛っ!」
「後で説教だからな」
「ご、ごめんなさい・・・!」
師匠が入って来た後ろから、追うようにして2つの影が入って来る。
「リザさん、大丈夫?」
「キーッ!」
これにはさすがに驚いた私は、思わず師匠を見上げる。
「どうして2人を連れて来たんですか?」
「行くと言って聞かなかった」
師匠はそこで会話を切ると、水槽の人魚を一瞥する。
すると、人魚は師匠がお気に召したのか、軽くウィンクを投げて来たが、それはあっさりと無視される。
不服そうに人魚はそっぽを向いたが、そんなことを気にする師匠ではない。
さっと部屋の中に目を走らせ、そして、その目は床の一点に注がれる。
師匠の動きが目に見えて止まった。
もともと、動いていた訳ではないけれど、ハッとして固まったのだ。
「貴様・・・」
地を這うような低い声に、私の身体がびくりと震える。
後ろにいるトリス君とナナちゃんも震えたのが分かった。
「この魔法陣、どこで知った?」
ぐっと歯を剥いて怒りの表情を浮かべる師匠。
この表情を、私は知っている。
あの女と対峙したときに、師匠が見せた表情。
まるで、獣のように牙を剥き、見るもの全てを恐怖で竦ませる。
ルーカスさんも、驚いたように一歩後ずさった。
「なぜ、お前がこの魔法陣を知っている!答えろ!」
「な・・・なっ・・・な・・・」
言葉にならない声を上げて、ルーカスさんは萎縮する。
「これは、僕の友人が作った魔法陣だ!」
師匠の怒号と共に、床が砕け散る。
その姿には、ルーカスさんだけでなく、私もトリス君も、ナナちゃんも驚いて後退する。
あの女の人と戦っていたときでも、師匠はここまで怒っていなかったのに。
何が師匠をこんなに怒らせるのか、私には理解できなかった。




