13
寝る場所がなかった私に、リビングのソファにでも転がってろ。と、のたまった師匠。
もちろん、そんな提案を呑むはずもなく、昨夜は師匠のベッドにお邪魔した。
寝苦しい、だの、暑苦しいだの、鬱陶しい、だの散々な罵詈雑言を投げつけられたけれど、気にせずに私は寝た。
師匠の言っていることを、いちいち真に受けていたら疲れるだけだ。
そして、朝になった今。
師匠はまだリビングには来ていない。
私が起きた時にはすでに目を覚ましていたけれど、部屋から出る気はなかったようだ。
今も、机に広げた魔術書と睨めっこしている最中だろう。
私はトリス君とナナちゃんに美味しいものを作ってあげようと、早起きして台所に立っている。
ナナちゃんは、花しか食べられないはずだから、花壇から良い花を選んで来てあげよう。
サラダのように和えたら美味しく食べれるだろうか?
トリス君は、ホットケーキとか好きかな?
私があれくらいの年だったときは、ホットケーキが大好きだった。
あ、もちろん、一番はショートケーキだけどね。
師匠にせがんで作ってもらっていたのだけれど、幸いホットケーキには味がなくても、とりあえずバターとメープルシロップを掛ければ美味しかった。
むしろ、ホットケーキはバターとメープルシロップの味しかしなかった。
自分で作ったときは、ホットケーキの生地に味があるものだったのかと驚いたものだ。
棚からフライパンを出しているときに、ぱたぱたと階段を駆け下りてくる音が聞こえた。
誰だろう、と振り返る前に足にどん、と衝撃が走る。
「キーッ!」
ネズミに近いような甲高い声を出すナナちゃん。
おはよう、と言っているのだろうか?
「おはよう、ナナちゃん」
そう言って、頭をくしゃりと撫でてあげれば、嬉しそうにナナちゃんは私の足に抱きつく手に力を込める。
その後から、とんとん、と落ちついた様子で階段を下りてくる音がひとつ。
私は顔をあげて、下りて来たトリス君に挨拶をする。
「おはよう、トリス君」
「・・・はよ、リザさん」
まだ眠いのか、ごしごしと目を擦っている。
猫耳は若干伏せられており、二又の尻尾も元気なく垂れていた。
「眠かったら、まだ寝ててもいいよ?」
「んーん。大丈夫。どうせ、ナナに叩き起こされるから」
おいで、とトリス君が言うと、ナナちゃんは私の目を見た後、ぱたぱたと彼の元へと駆けて行く。
突っ込んで行ったナナちゃんを、トリス君は抱き上げると自分の肩に乗せた。
まるでマスコットのように彼の肩に収まったナナちゃんを見て、少しだけ複雑な気分になる。
トリス君が大きい訳ではない。
ナナちゃんが、特別小さいのだ。
「リザさん、なんか手伝うことある?」
「え?いいよ、別に。座って待ってて」
「いいから。なんか仕事頂戴」
そう言われて、私はうーん、と唸る。
仕事と言っても、特にこれと言って彼にやってもらうようなことは・・・。
そこまで考えて、ハッと思いついた。
「それなら、外にある花壇から、ナナちゃんの食べたい花を摘んで来てくれる?」
「え?でも、花壇のは・・・」
「いいから、いいから。あ、その場で食べちゃダメだからね。サラダにしてあげるから」
トリス君は、ぽりぽり、と頭を掻いて、小さくありがと。と言う。
その様子が可愛くて、くしゃりと髪を撫でてあげれば、照れたようにそっぽを向いて、ナナちゃんを連れて外に走り出てしまった。
「随分、懐かれてるな」
くぁ、と大きな欠伸をしながらリビングに入って来た師匠。
私はボールの中に卵を割入れながら、ふふん、と鼻をならす。
「師匠はおっさん呼ばわりですもんね」
「黙れ」
む、とした師匠に私はカラカラと笑う。
トリス君はきっと、師匠がナナちゃんを投げたことを根に持っているのだろうと思う。
だから、師匠に冷たい態度を取るのだ。
妹をあれだけ大切にしているのだから、いくら知らなかったとはいえ、乱暴を働いた人間に素直に従うはずはない。
だからと言って「おっさん」はどうかと思うけど。
師匠はおっさんには見えない、というよりも、普通に格好いいし、若く見える。
でも、よく考えたら、私も小さい頃は師匠のことをお父さんのように思っていた。
あれくらいの年の子には、師匠は「おじさん」に見えるのかもしれない。
自分の小さい頃を思い出して、懐かしいなぁ、と目を細める。
「そういえば、師匠に弟か妹が欲しいって我が侭言ったことありましたね」
「なんだ、突然」
「いえ、なんか急に昔のこと思い出して」
そう言ったときの師匠の顔、なんとなく思い出せる。
困ったように眉根を寄せて、僕には無理だ。と必死で言っていた気がする。
どうして無理なの?と問えば、生物学的に無理だ。と諭された。
けれども、当然小さい私にそんな説明が理解できるはずもなく、気が済むまで師匠をなじった気がする。
「小さい時って、私、相当師匠のこと困らせてました?」
「今も十分困ってる」
全く可愛気のない返事が返ってきたので、師匠のホットケーキだけメープルシロップを少なくしてやろうかと思ったけれど、そんなことをすれば師匠と同じ「陰険」の仲間入りをしてしまうのでなんとか我慢する。
かちゃかちゃ、と泡立て器で生地を混ぜながら、師匠って私にとってどんな存在なんだろう。と考えてみた。
魔法の師であり、育て親でもある師匠。
他人、と言えば他人。
けれど、そんな浅い関係ではないはずだ。
父?兄?友人?先生?
父、は間違いない。育ててくれたんだもの。
兄、も合ってる気がする。小さい頃は父親に見えたけど、今は年の離れた兄にも見える。
友人、はちょっと違う気がする。こんな捻くれた友達、私は嫌だ。そもそも、友達がいないのでよく分からないけれど。
先生、は当たり前。だって、師匠だもの。
ふと、いつかの夢魔の件を思い出す。
あの時は、夢魔の師匠にキスされそうになったんだった。
不思議と、嫌ではなかった気がするけれど、あれは、夢の中だったからかもしれない。
でも、あの時はあれが現実だと思い込んでいた。
キスをするのは恋人同士の証だって、どこかの本で読んだ気がする。
だとしたら、私は師匠と恋人になっても抵抗がないってこと?
そこまで考えて、私はぶんぶん、と頭を横に振る。
違う、違う。そんなはずない。師匠の恋人になるなんて想像できない。
少し頬が熱くなっているのは気のせいだ。
そういえば、師匠って格好いいけど、女性関係の噂について全く耳にしたことがない。
それはもちろん、私の情報源が師匠しかないからだけれど。
でも、頻繁に家を空けることなんかないし、黙って出掛けることも絶対ない。
シオンさんなら、何か知っているだろうか?
それとも、やっぱりアリーセさんと付き合ってたり?
「リザ、いつまで混ぜてるんだ?」
「え、あ」
無意識のまま、ずっと手元のボールの中の生地をこねくり回していたようだ。
十二分と言っていいほど、生地はよく混ざっていた。
私は泡立て器を流しに置いて、フライパンを火に掛け、生地をその上に落とす。
「何を考えてたんだ?」
「いえ、別になんでもないですよ」
「随分と長い間、無意識状態だったようだが?」
「師匠のこと考えてたんですー」
そう言えば、へぇ、と師匠の口の端が上がる。
「僕のこと?」
「師匠って彼女いないんですか?」
「気になるのか?」
「気になるというか、心配というか・・・」
「僕に言わせれば、その年で友達もいない君の方が心配だけどな」
師匠の言葉に、私はむ、としながらホットケーキを裏返す。
きつね色に焦げ目のついたそれは、今すぐにでも手を出したいくらい美味しそうだ。
「友達いないのは、仕方ないじゃないですか」
「どうして?」
「だって・・・環境が環境ですし」
「街に出れば、年の近い子は沢山いるだろう?」
「いますけど・・・別に、話しかけたりしないし」
友達がいないこと、私だって少し気にしてるのに。
それをずけずけ指摘してくる師匠は、本当に遠慮がないというか、傷を抉るのが好きだというか。
そもそも、師匠は私に友達がいないのを面白がっている節がある。
自分に友達がいたからって、全く以て腹立たしい限りだ。
私は無言のまま、出来上がったホットケーキを順にお皿に載せて、メープルシロップをかける。
嫌がらせはしない、と決めてたはずだけど、ほんの気持ち師匠のホットケーキのメープルシロップは少なめにしておいた。
食卓に椅子は2つしかないから、他の2人はソファで食べることになる。
トリス君とナナちゃんが食卓だな、と思った私はそのつもりで準備を進める。
「リザさん!」
「キーッ!」
ぱたぱたと駆けて来る音と共に、トリス君とナナちゃんが戻って来る。
「これ、ナナが食べたいって!」
「ありがとう、トリス君」
私は花を受け取ると、それを流しにおく。
そして、2人の顔が泥だらけになっているのに気がついて、思わず笑ってしまった。
「2人とも、花壇で暴れたの?」
「え?」
自身の泥だらけの手や身体を見て、トリス君は顔を顰める。
それと同時に、耳と尻尾が少しだけ下がった。
「ごめんなさい・・・」
「別に怒ってないよ。でも、泥は拭かなきゃね」
私は手近にあったタオルを水で濡らすと、まずナナちゃんを拭いてあげる。
最初は嫌そうに身を捩ったけれど、ナナちゃんは諦めたのかしばらくすると大人しく泥を拭かせてくれた。
次はトリス君だ、と私は彼の顔も同じように拭いてあげる。
ぎゅ、と目を瞑っている様子が可愛くて、思わず笑いを零してしまった。
ぴく、ぴく、と二又の尻尾が揺れている。
「はい、もう取れたよ。後は、2人とも手を洗って来てね」
けれど、トリス君が洗面所に行く様子はない。
どうしたのか?と首を傾げれば、彼は恥ずかしそうに笑う。
子供らしい年相応の表情に、私は思わず、安堵した。
昨日は警戒したような表情や、嘲笑しか浮かべていなかったから。
「ありがと、リザさん」
「キーッ!キーッ!」
トリス君の肩の上で、ナナちゃんも同意するように声をあげる。
その様子があまりにも微笑ましくて、ぽんぽん、といつも師匠が私にするようにトリス君とナナちゃんの頭を撫でた。
「あのさ、俺、昨日はリザさんのこと傷つけて・・・」
「何をしている、早く手を洗って来い」
いつまでも、話している私たちに痺れを切らしたのか、師匠がソファから不機嫌そうに声をかける。
さっきまで、上機嫌で私のことからかっていたくせに、今はもう機嫌が悪いのか。
「なんだよ、おっさん。起きてたのかよ」
「悪いが、お前達より早起きだ」
師匠の言葉に、私は心の中で笑う。
そんなの、張り合うところじゃないのに。
トリス君は、さっきのはにかんだ笑顔をすっかり隠すと、にやりと目を細めてと猫さながらの表情をする。
「年寄りってのは、早起きだもんな!」
捨て台詞のようにそう吐くと、トリス君はナナちゃんを連れて洗面台へと駆けて行く。
あまりにもその様子が可笑しくて、声をあげて笑えば師匠に睨まれた。
「君まで僕が年寄りだと思うのか?」
「さぁ?少なくとも、年上だとは思ってますけど」
先ほど、友達がいないことを抉られた仕返しとばかりにそう言えば、ざわりと部屋の空気が動いた気がしたので「冗談ですよ」と慌てて付け足しておいた。




