09
夜、私はリビングのソファに寝転がってルーン文字の本を眺めていた。
師匠が自室に篭っているおかげで、今は遠慮無くソファを占領できると言うものだ。
師匠ってば、自分が座りたいときは私のこと蹴落としてでも座ろうとするんだもの。
スノウはごろごろしている私の頭の上ではなく、ソファの背の上にちょこんと鎮座している。
なんだか眠そうに、うとうとしているのも可愛い。
いつもは、夜になると森へ帰って行くのだけれど、今日は珍しく遅くまで居座っているみたいだ。
かさ、と私がページを捲る音が室内に響く。
ざわざわ、と森の音が遠くで聞こえて、少しだけ怖いな、と感じた。
いつもそう。
森のざわめきは、少し怖く感じる。
カタン
突如として飛び込んで来た不穏な音に、私はびくりと肩を揺らす。
スノウが何か動かしたのだろうか?
そう思って彼女を見るが、眠そうに丸まっているだけ。
・・・今の音、何?
カタン
また、音がする。
どうやら、窓の方から聞こえているみたいだ。
そして、私はハッとする。
もしかして、昨日の子?
私はルーン文字の本を閉じると、立ち上がる。
そして、恐る恐る窓から外を覗き込んだ。
いた。
小さい女の子。
ふわふわした金色の髪に、青のぱっちりとした目。
私の、膝下半分くらいまでの身長しかない女の子。
瞬きもせずに、じっとこちらを見上げている。
私は、目を合わせたまま、そろりそろりと後ずさる。
どうしよう、師匠を呼ぶべきだろうか。
でも、師匠は昨日、この子を放り投げていた。
いくら魔物かもしれなくても、こんな小さな女の子を放り投げるのは良くないと思う。
それに、師匠はゴーストではない、と言っていた。
私はごくり、と生唾を飲み込むと、彼女に直接会うために玄関へと向かう。
外に出ることに気づいたのか、ソファの背で丸まっていたスノウが、ぱたぱたと私の頭の上に飛んできた。
心配してくれているのだろうか?
「ありがと、スノウ」
短くお礼を言うと、私は玄関の扉を押し開ける。
玄関まで、あの女の子は来ていないようだ。
いつでも魔法が発動出来るように、頭の中で防御呪文を繰り返しながら私はあの子のいた場所に近づいて行く。
彼女が居たのは、リビングの窓の下。
あそこは、庭のある方向だ。
庭に足を踏み入れて、私は様子を窺う。
居た。
あの子も、こちらの足音に気づいていたのか、ふっと顔をあげて見つめてくる。
襲いかかってくる気配はない。
けれど、念のためそれ以上近づくことはせずに、そこから声を掛ける。
「ねぇ、昨日も来てたよね?何か用があるの?」
私の問いかけに、女の子はこちらを見つめるだけで何も返事を寄越さない。
けれども、ビッ、とその指を花壇に向ける。
そこは、私が昼間に結界を張った花壇だ。
よく見ると、昼間より荒らされているのだけれど・・・。
やっぱり、私の魔法は発動していなかったのだろう。
若干、肩を落としつつも私は彼女に問いかける。
「花壇がどうかしたの?」
彼女の意図が全くわからず、私は首を傾げるばかり。
けれど、女の子は手を下ろすと、サッと走ってこちらに駆け寄って来た。
慌てて私は防御呪文を唱えようとしたけれど、唱える間も無く、どん、と女の子が足に抱きついてくる。
まずい!
と思って、引きはがそうと手を掛けたが、特に噛み付かれたわけでも何でもなく、本当に足に抱きついてるだけだ。
「えっと、あの、どうしたの?」
上から声を掛ければ、その子はおずおずとポケットから何かを取り出す。
そして、それを私に差し出した。
「これは・・・?」
彼女の手の平に乗っていたのは、数個のどんぐりだった。
ピュイ、と頭上でスノウが、おいしそう、とでも言うように鳴いた。
「くれるの?」
私の問いかけに、彼女は首を縦に振る。
そして、私の手にどんぐりを押し付けると、すりすりと抱きついている足に頬擦りをしてきた。
あまりに無害なその様子に、悪い子ではないようだと結論付け、その子の目線に合わせるように、そっとしゃがむと、よしよし、と頭を撫でてあげる。
すると、ふわり、と甘い芳香が辺りに漂った。
摘みたての薔薇を思わせるようなその匂いに、私の気持ちはさらに解れる。
嬉しそうに目を細めたその子の表情は、とても可愛い。
昨日の夜は、気持ち悪いだなんて思って、申し訳なくなった。
「でも、どうして?」
私が首を傾げると、女の子は再び花壇を指差す。
けれど、何が伝えたいのか私には分からない。
「そいつ、花食っちまった詫びに、どんぐりやるって聞かなかったんだよ」
背後からかけられた声に、私は心臓が凍る。
師匠の声ではない。
頭の上にいたスノウが、私の服の中に潜り込むのと同時に私は振り返り、叫ぶ。
「っ・・・!我に仇為す者を隔ち、護りたまえ!」
けれども、防御呪文は発動することもなく辺りは静まり返るばかり。
夜の闇を貫くような沈黙が下りる。
「あー・・・お姉さん、魔法使いの真似事?」
そう言って、がりがりと頭を掻いた人物の姿を見て私は絶句する。
灰色の猫耳に、ぴくぴくと動く二又の尻尾。
けれど、その姿は少年。
昨日見た、もう1人の人物だ。




