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ぐるるる、と低く唸る獣の声。
立ち籠める異臭に頭がくらくらした。
3つの頭を持つその獣の名前は知っている。
『ケルベロス』
地獄の門の番犬と言われている魔物が、どうしてこんなところにいるかなんて知らない。
知りたくもない。
その獣のだらしなく垂れた舌からは、ぼとりぼとりと涎が流れ落ちる。
涎の落ちる先を辿れば、無惨な肉塊が広がっていた。
そして、その更に先には地面にぺたりと座り込む子供の姿。
あぁ、あれは私だ。
呆然としているその子供の姿を客観的に見るのはおかしな気分だった。
目の前にケルベロスがいるのに、逃げようという姿勢を見せないその子供が滑稽にすら思えてくる。
「パパ・・・ママ・・・」
絞り出すように発された声に、ケルベロスが一際大きい咆哮を上げた。
苦しみで引き裂かれるような鳴き声に、どくりと心臓が波打つ。
なぜ、私の両親を殺したケルベロスが、そんな悲しげな声で吠えるの?
なぜ、そんな苦しそうに幼い私を見つめているの?
なぜ、飛びかかるのに戸惑っているの?
前足で何度かガリガリ、とケルベロスは地面を引っ掻く。
目の前に獲物がいるのだから、遠慮なく襲えばいいじゃない。
幼い私に、食いつけばいいじゃない。
あの時は心の中には恐怖しかなくて、気付けなかった。
でも、誰が見ても一目で分かる。
ケルベロスは、私に攻撃するのを躊躇っているのだ。
だらりと垂れた舌から、ぼとぼとと涎が落ちる。
それがきっかけだったのだろうか。
ケルベロスは意を決したように、私に襲いかかった。
牙を剥き出しにしたケルベロスに、幼い私は為す術が無い。
パパもママも、為す術がなかった。
あぁ、このまま食べられる、と思った瞬間、私とあの化け物の間に1つの影が颯爽と割り込んで来る。
深緑の髪を靡かせ、その人は何を唱えるでもなく、ケルベロスを撥ね付ける。
軽々しく吹っ飛んだケルベロスは、何度か痙攣した後、動かなくなった。
「大丈夫か?」
振り返った金色の双眸は、夜の光を受けてきらりと輝く。
あまりに綺麗なその色に、幼い私は目が離せない。
けれども、問いかけには1つ頷くことで答えた。
そして、緊張の糸が切れたように幼い私がその場にくずおれる。
その人が、私に触れようと手を伸ばしたときだった。
「あっらぁー!うちの子、殺しちゃったのぉ?気に入ってたのにざぁんねん!まぁた召還しなくちゃぁ」
甲高い、耳を突くような声が上がる。
誰?
私は、こんな人を知らない。
「貴様・・・」
「やだぁ!彼の姿で、そんな怖い声出さないでよぉ!」
けらけらと笑うその声は場違いに明るい。
深緑の髪の人は双眸をぐっと細めて、その人を睨みつける。
昔の私はその人を見ていなかった。
けれど、今の私はその人を見ている。
銀色に輝く髪。
くいっと持ち上がった唇は妖艶に弧を描き。
女性というものを体現したかのように、その体つきは艶かしい。
そして、獲物を狙う蛇のように鋭く光る、真っ赤な双眸。
私が気絶した後の出来事が、今、目の前に映し出されていた。




