02
忘れ物が無いか、一通り部屋を見回し、戸締まりを確認してから、着替えの入った大きな鞄を片手に階段を降りる。
玄関にはすでに用意を終えて時間を持て余している師匠がいた。
遅いだの、とろいだのと嫌味を言われるだろうと身構えたが、師匠の口から出て来たのは違う言葉だった。
「忘れ物はないか?君のために、いちいち取りに戻るのはごめんだからな」
「・・・予想外な嫌味!」
「それはどうも」
にやり、と口の端を上げて笑った師匠は、行くぞ、と言って外へトランクを運び出す。
私もそれに続いて外へ出ると、スノウが早速、私の頭の上に陣取った。
「ピーィ」
「そうだね、スノウは初めての旅行だもんね」
興奮して頭の上で、羽根をバサバサと広げる彼女を宥める傍らで、師匠はトランクに魔法を掛けていた。
すっかり馬車で行く気でいたが、そういえば、師匠がアリーセさんのところに行くときは、空を飛んで行っていたっけ。
全く考えていなかった交通手段に、私は尻込みする。
「師匠、2人乗って大丈夫ですか?陸路の方が良いんじゃないですか?」
「君が特別重いなら、墜落する危険性もあるかもな」
「・・・そういう否定も肯定もし難いことを言わないでくれます?」
半眼でそう告げれば、師匠は肩を竦めただけで早く乗れ、とトランクを指し示す。
あながち、師匠が言っていた事を懸念していなかったとは言い切れない私は恐る恐るふちに腰掛けた。
「そんな乗り方だと危ない」
ぐい、と乱暴に後ろに引かれ、私は師匠の腕の中に収まる。
平面の部分にべったり座る形になったところで、私はお邪魔ね、と言ってピィピィ楽しそうに頭上で冷やかすスノウに、小さく一睨みを送っておいた。
「飛ぶぞ」
はい、とも、うん、とも返事をする前に、ふわりと無重力状態になり、思わず私の前に回っている師匠の腕にしがみつく。
私の身体の震えを感じ取ったのか、師匠はくすくすと後ろで笑っているし、スノウは能天気に私たちの頭上を飛び回っている。
「お、落ち・・・落ち・・・!」
「落ちないから。ほら、景色が綺麗だぞ?」
そう言われて、つられるように視線を下にやって、瞬時に後悔した。
だんだんと小さくなっていく、住み慣れた家。
いつもざわめきで私を怖がらせる森も、片手で収まる大きさになっている。
「無理・・・師匠、やっぱり陸路で・・・!」
「時間が掛かるから却下。怖いなら、目を瞑っていろ」
す、と師匠の手のひらが私の瞼を撫ぜる。
それに合わせて目を閉じれば、若干恐怖が軽減したような気がした。
「懐かしいな」
ぽつり、と零された師匠の言葉に、私は目を瞑ったまま首を傾げる。
「何が懐かしいんですか?」
返答は、ない。
師匠は押し黙ったまま、私を抱いた腕に力を込める。
「師匠?」
さらに追求すれば、目を瞑っていても分かるくらい、師匠はゆっくりとその重い口を開いた。
「昔、アルノーと一緒に空を飛んだことがあるんだ」
「え?アルノーさんと?」
「あぁ。トランクに反重力魔法をかけるアイディアは、彼のものだよ」
す、と師匠の手が私の瞼の上から離れる。
それに合わせて、目を開きそうになったが、ここが地上ではなく、空だったことを思い出して、慌てて瞑り直す。
「彼は君と違って、飛ぶ事を楽しんでいたが、誰かとこうして空を飛ぶのが久しぶりだから、懐かしく思った。それだけだ」
ふ、とため息のような笑い声が師匠の口から漏れる。
時折、師匠の目は何も無い遠くを見ている。
きっと、今もそうなのだろう。
「アルノーさんは、発想力が豊かな人だったんですね」
「そうだな。基本的には、人の話を聞かない脳天気な大馬鹿者だったが」
「なんだか、私の中のイメージと随分違います」
「どういう人間だと思っていたんだ?」
「理知的で、聡明で、優しくて、大人しいイメージでした」
青い薔薇を作り出すくらいだから、ロマンチックな側面もあったんじゃないかと思っていた。
けれども、師匠は鼻先で笑って一蹴する。
「そんなアルノーは想像できないな。特に、大人しいと言うのは考えられない」
「賑やかな人だったってことですか?」
「あぁ。大病を患っていたにも関わらず、あいつはいつも外で実験ばかりしていた」
「大病?」
「魔法でも治せないような病気だ」
アルノーさんが、病気を患っていた、という新事実に、驚きを隠せない。
本には没年数が不明だと書いてあったが、師匠の言葉で、それとなく死因を察した私はそれ以上追求するのをやめる。
どことなく湿った空気を払拭するように、一緒に飛んでいたスノウがピィ、と大きく鳴いた。
「スノウは何て?」
明らかに話しを変えようと、師匠が私に問いかける。
私もそれに乗るように、スノウの言葉を師匠に伝えた。
「気持ちいいから、目を開けてみなさい、って私に」
「はは、その通りだ」
「無理です。身体が風に晒されているのを感じているのだけでも怖いのに、目なんか開けたら失神します」
「仮に、落ちても僕が何とかするから問題ない」
「無理なものは無理なんです!」
後ろで笑っている師匠に、全体重を預けて、私は早くアリーセさんのところに着くように、と願いながらより一層強く目を瞑った。




