25
ベルントの襲撃から数日が経った。
今日はシオンさんとハルさんが旅立つ日だ。
今ではもう、スノウは元気に飛び回っているし、シオンさんもすっかり回復している。
なぜか左手の包帯は巻いたままで、怪我も治してもらわず、師匠に私に治療してもらったのだと自慢しては睨まれたり、罵声を浴びせられているけれども。
どうして、わざと師匠を焚き付けるようなことをしているのか、不思議で仕方が無い。
そして、ハルさんもベルントにやられた傷はあの日のうちに消えていたし、シオンさんよりも元気そのものだった。
魔力の枯渇も、スノウのおかげで心配は無いようだ。
「だけど、どうしてベルントはハルさんを見逃したんですか?あんなに殺してやるって言ってたのに」
「いえ、残念ながら、あのまま放っておかれたら、私は死んでいましたよ」
「えっ?!」
「ツメが甘かったのが幸いしましたね。お師匠さんが結界が解かれたのを察知して帰ってきて、治癒魔法を掛けてくれたんです。もし、またベルントに会う機会があれば、私と同じ目に遭わせてやりますよ」
辛辣に付け加えられた一言に、私は苦笑いを零す。
いつも通り、にこにこと笑みを浮かべているハルさんの顔から、冗談なのかどうかを判断するのは難しかった。
「そもそも、どうしてベルントはハルさんのことを追いかけていたのですか?」
「・・・推測することしか出来ませんが」
ハルさんは深いため息をつくと、顎に手を当てて悩むような素振りを見せる。
「捕まえていた人間を殺したのが私だと思っていたのでしょう。けれど、私は人間を擁護していたはず。逃がすならまだしも、殺すとは何事だ、ということでしょうかね」
「・・・すみません、よく分からないです。ベルントは、その、えーと、人間のことを食糧としてしか見ていないのですよね?」
「えぇ、そうです。彼は模範的なヴァンパイアですからね。ただ、昔から真っ直ぐな人でしたから、私が矛盾した行動をとったことを許せなかったのでしょう」
それに、とハルさんは付け加えたが、その後の言葉を呑み込んでしまう。
私はその続きを待って、じっとハルさんを見つめた。
どう言おうか迷っているようで、たっぷり考えてから言葉を紡ぐ。
「認めるのは大変、心の底から、本当に癪なのですが、彼とはかつて親友と呼べる間柄でしたからね。灰に還してでも、私の間違いを正したかったのではないでしょうか?」
まぁ、結局、こうして私は生きていますがね。と、ハルさんは笑う。
私は凶暴な性格のベルントしか知らないが、きっとヴァンパイアの仲間内ではその見解も変わってくるのだろう。
ふと、アイリスのことを思い出す。
彼女は人間の中ではゴーストの存在を証明した立派な魔女だが、ヴァンパイアの中では酷くマイナスイメージのある人物である、と以前師匠が話していたはずだ。
立場によって、ものの見方というのは、こんなにも変わるものなのだ。
「ハルー!準備はええかー?」
「はい!今行きます」
シオンさんが玄関から叫んでいる。
荷物を持ったハルさんを見て、これから2人が出て行くことを思うと一抹の寂しさを感じた。
「本当にもう、行っちゃうんですか?」
「えぇ。いつまでもここでお世話になる訳にはいきませんし、何より、シオンと一緒に人間の世界を回るのは楽しみです」
「また、会えます?」
ハルさんはきょとん、とした顔をしたかと思うと、途端に笑顔になって私に抱きついて来た。
私は慌てふためいて受け止めたものの、どうしてそうなるのか全く分からない。
「ハルさん?!」
「あぁ、もう!リザは本当に可愛いですね」
「え?何がですか?!」
やっと満足したのか、ハルさんは私を抱きしめる力を緩め、肩に手を乗せる。
長身のハルさんは私と目線を合わせるために、屈み込むような形になった。
「リザ、これからきっと、辛いことも、悲しい事も沢山あると思います。特に、私のあの記憶に関しては不快な思いをさせてしまったことを謝ります」
「不快だなんて、全然・・・。こちらこそ、覗き見るようなことをして、ごめんなさい。ルーカスさんが、その、死んでしまったのは悲しいですが・・・」
「それに、ヴァンパイアに捕まっていたことも、でしょう?」
にこり、と笑みを浮かべたハルさんに、私は首を横にも縦にも振れなかった。
「私は、もっと他の方法を取れば、ヴァンパイアは人間と共に暮らすことも可能だと思っています。シオンと旅を続けながら、私はそう言った思想を持つヴァンパイアを探し、実現に向けていこうと考えているのです」
ハルさんは言葉を切ると、じっと私の目を見つめる。
「Kidno nscah. Os riw nscaoh Suo noknon ze nolron.」
「え?」
不思議な発音をしたハルさんに、私は聞き返す。
全く聞き取れなかったのを、もちろん了解しているのか、ハルさんは首を横に振っただけだった。
「ヴァンパイア語です。恥ずかしいので、意味は知らないままでいいんです」
「何て言ったか気になるんですけど・・・」
「教えません。でも、伝えたかったので」
「教えてくださいよ!」
「ダメです。私、リザには感謝してるんですよ」
ハルさんは私の肩から手を離すと立ち上がる。
たちまち、見上げる高さになったハルさんに、私は顔を上に向けた。
「ヴァンパイアであると知りながら、私を怖がらなかったあなたは、本当に素敵な女性だと思います」
「そう・・・ですか?」
「えぇ。私が血を啜っている姿を見た後でさえ、こうやって親しく話しをしてくれているのですから」
「だって、そんなの、当たり前じゃないですか。ハルさんが優しいことは知ってますもん」
「その当たり前が出来ない人間やヴァンパイアが世の中のほとんどを占めているんですよ。本質を真っ直ぐ見極めようとする、リザの姿勢は本当に素晴らしいものです」
ハルさんの手が、すっと伸びてくる。
そして、優しく頭を撫でられた。
「ずっとそのままで居てくださいね」
綺麗な笑顔でハルさんは笑った。
優しくて、暖かい、心からの笑顔だと思う。
ハルさんの願いが叶って、いつかヴァンパイアと人間が仲良く暮らせる日が来ますように、と祈りながら私も笑顔を返した。
ゆっくりと手が離れていくのを名残惜しく感じながら、玄関に一緒に向かう。
そこには、すでに靴を履いて待っているシオンさんと、腕を組んで壁に凭れている師匠がいた。
「何しとんねん。大した荷物もないやろに」
「ちょっとリザと話しをしていまして」
「ちゃぁんと、今生の別れを惜しんできたんやろな?」
「えぇ、もちろん」
ね?とハルさんに話しを振られて、私は頷く。
日の光に当たらないように、ハルさんはすっぽりとフードを被り、手を袖の中に引っ込めると太陽の下へと姿を晒す。
「それでは、おふたりとも、本当にお世話になりました」
「また半年後あたりには、こっちに戻ると思うわ」
「シオンさんも、ハルさんも、気をつけてくださいね」
「せいぜい、他のヴァンパイアに襲われないようにするんだな」
ふん、と師匠が鼻で笑う。
素直にお別れくらい言えばいいのに。
「俺らは最強やからな!そんじょそこらのヴァンパイアには負けへんで!」
「それでも、気をつけてくださいね」
「うわー!お兄さん感動!リザちゃん優しいなぁ!」
「いいから、早く行け」
いつまでも動かないシオンさんとハルさんに痺れを切らしたのか、師匠が片眉を跳ね上げて言う。
よいしょ、と荷物を背負い直すと、シオンさんは今度こそ手を振って背中を向けた。
「旦那もリザちゃんも元気でなー!」
「おふたりも、お気をつけて!さようなら!」
玄関の外で、小さくなっていくシオンさんとハルさんの姿を見送る。
手を振りながら、私は隣でじーっと見つめているだけの師匠に話しかけた。
「師匠、聞きたいことがあるんです」
「なんだ?」
「ヴァンパイア語で、えーっと、何だったかな・・・きどぅのん、しゅ、いや、しゃだったかな?」
「Kidno nscah. 」
「それです!それって、どういう意味ですか?」
「ありがとう、だ」
私はなるほど!と納得する。
ハルさんが後半は何を言っていたのかは、今後、永遠の謎になるのだろうが、少しでも分かって良かった。
2人の姿が見えなくなったところで、私は手を下ろして師匠と向き合う。
「師匠はヴァンパイア語も出来るんですね」
「まぁな」
「ヴァンパイア語、私にも教えてくれますか?龍語でもいいですけど」
そう申し出てみれば、師匠は一瞬考えた後に、口の端を上げて嘲笑を浮かべた。
「ルーン語もできないのにか?馬鹿は休み休み言え」
「ひ、ひど・・・っ!」
「事実だろう?悔しかったら、ルーン語で文献の1つでも読破してみるんだな」
言いながら、師匠は私の頭を小突いて、家の中へと姿を消す。
私は小突かれた箇所を擦りながら、まぁ、師匠の言う事にも一理あるな、と思いつつその後を追いかけた。




