一章三節 - 龍姫と二人
どうしてこいつには与羽が拒絶していることが伝わらないのか。
「いらんって言っとるでしょ!!」
与羽は怒鳴った。フィラがひるんだ隙につながれていた手を振りほどき、彼の手から自分の荷物を取り返す。
「怒るなよー」
軽い調子で言ってのばされた手をかいくぐり、与羽は城へ向かって一目散に駆けだした。夕方も近づいたこの時間に出歩くのは、夕飯の買い出しに出た主婦と遊び盛りの子どもばかりだ。
彼らの間を縫い、城を囲む堀の前まで来たところで与羽は足を止め振りかえった。フィラは追って来ていない。
与羽は軽く鼻を鳴らすと、堀にかかった唯一の橋を渡り城の敷地に入った。
* * *
与羽は普段、城に隣接する古狐の屋敷で暮らしている。役人がたくさん出入りする城よりも静かで落ち着いているからと、両親のいない与羽を古狐家現家長が引き取ったのだ。
そのため、城に住む兄や祖父と会う機会はさほど多くないが、与羽は古狐の屋敷での暮らしに何の不安もなかった。
つい先日までは――。
屋敷に戻りたくないが、戻らないわけにもいかない。しかしやはり戻りたくない。
悩んだ与羽は、まっすぐ古狐の屋敷へは向かわず、てもちぶさたに城の敷地内をうろついた。そうしている間に、妙案が浮かぶかもしれないと。
しかし、ぼんやりと天守閣のある南の庭に行こうとして、与羽は話し声を聞いた。片方は少しかすれた声。いつも会うたびにやさしく話しかけてくれる兄――乱舞の声だ。今は声変わり中で、耳慣れない感じもするが、良く聞くと彼特有のやさしい響きが聞き取れた。
与羽は足を止めた。もし乱舞が大臣など身分の高い人と話しているのならば、邪魔はしない方が良い。
場合によっては引き返そうと与羽は乱舞と話す相手の声に耳を傾けた。
こちらはややかすれているもの低みのある男の声。聞いたことのない声だったが、口調は気安く乱舞も砕けた様子で話している。乱舞の友人らしい。
それならば出て行っても大丈夫だろうと与羽は、庭を覗き込んだ。
乱舞が縁側に腰かけ、そのはす向かいに長身の少年が腰に手を当て立っている。帯刀しているということは武官なのだろう。城内では武官の位を持つ者と城主一族、特別に許可を得た者以外の武器の所持は禁止されている。
「乱兄……?」
与羽は知らない人がいることもあり、控え目に呼びかけた。
「へぇ? その子が妹?」
乱舞が振り返る前に、彼とともにいた少年が与羽の目の前まで進んでいた。素早い身のこなしに、与羽は思わずあとずさる。
彼の体は背が高いだけでなく、よく鍛えられて横幅もあった。
「遠目では見たことあったけど、かわいいな」
そして与羽へと手を伸ばす。
「あ、ありがとうございます」
子どもらしくぷっくりしたほほをつつかれながらも、与羽はなんとかそう言った。