三章二節 - 龍姫と介入者
なぜ怒りをぶつけられているのか分からないが、与羽はもう考えないことにした。ふっと息をつき、集中力を高める。
――お前は、水になりな。
大斗の言葉を思い出す。
相手を受け入れつつも、決してそれ自体を掴ませることのない水。掴もうとしても、するりと逃げてわずかなしずくしか与えない。入る器によって自由に形を変えるなめらさ、柔軟さ。
袈裟に振り下ろされた竹刀を受け流しつつ、竹刀を滑っていく支点を中心に身をひるがえす。
そして、その回転を維持して相手の左わき腹に肘を叩きこんだ。
「ぐっ……」
相手が息を詰まらせる。しかし、体勢を崩すまではいかない。与羽の力が弱すぎる。
むしろ与羽の方が、肘の痛みに顔をしかめて相手との距離を取った。
右手だけで竹刀を構え、左腕を振って痛みを逃がそうとする。まだまだ相手の力を無効化しながらの攻撃は難しい。
「邪魔なんだよ、お前」
また竹刀を振ってくるかと思ったが、相手は与羽に向かってそう吐き捨てた。まだ、構えは解かず敵意も消えていないが……。
「武官になるわけでもなかろうに――。あ？ 九鬼と師範代のお気に入りだからどうした？ 城のヒメサマがこんなところに来やがって」
周りにいた人々が何事かとこちらに目を向ける。
与羽は相手の言葉を聞きながら、顔をしかめた。
それが泣きそうな顔に見えたからか、相手はさらに声を大にして叫ぶ。
「俺たちは、本気で武官になりたくてここに来てんだ！ 官吏になるでもないオヒメサマのお遊戯剣術なら他でやれ！ 邪魔なんだよ！！」
最後の言葉とともに突き出された剣を避け、与羽は相手の手首をつかんだ。
その顔はもう何かをこらえるようにしかめられてはいない。その代わり、辺りには殺気にも似た憎しみと怒りで満ちていた。
「どいつもこいつも――」
与羽が小さく、しかし低く押し殺していた感情をあらわにつぶやく。掴んでいた手首を、相手が竹刀を突き出した勢いを利用して引っ張る。
相手の上体が崩れた。その瞬間与羽は相手の足を払い、手首を上に引き上げる。
さらに、それとは逆の手で相手の額を押さえて、仰向けに床に押し付けた。
「私を邪魔者扱いしやがってっ！」
そして、床板で頭を打ち意識のもうろうとしている相手のみぞおちを膝で押さえつけ、竹刀を振り上げた。
「はい、そこまで」
辺りの緊張した空気に似つかわしくない冷静な声。
その瞬間、与羽の右腕が上から誰かに掴まれた。
「せっかく登用試験前の相手を気遣って手加減していた努力が、台無しになってしまう」
与羽は腕を引かれ無理やり立たされた。
その時には、すでに先に仕掛けてきた相手も意識がはっきりしてきたようで、ゆっくりと体を起して頭を抱えた。
