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LUNASEA同タイトル小説

SANDY TIME

作者: 皐月 沙羅

 頬にざらりとした感触があった。男は、ゆっくりと目を開いた。目の前には砂に覆われた大地があった。砂漠? と思うが、照りつける太陽もなければ、雨を降らせる雲もみあたらない。空がないのだ。どこからか、光だけは届いていた。はるか上空に、曇りガラスのような天井が見えた。

何かの建物の中なのだろうか、と男は思った。それにしても広大すぎる。見渡す限り、砂、砂、砂なのだ。どこへ視線を向けても、見えるのは砂だけだった。

男は砂に足を取られながら、よろよろと立ち上がると、あてもなく歩き始めた。砂を眺めて歩いていると、頭の中にまで砂が入り込んで思考を止められてしまうような気がした。実際のところ、いくら考えても男には、なぜ自分がこんなところにいるのか理解ができなかった。

 男の歩くざくざくという音だけがあたりに響く。夕闇が迫ってきていた。空は見えないけれど、徐々にあたりが暗くなっていく。風もなく、男のほかには誰もいない。男は歩き疲れると、また砂の上に横になった。砂に吸い込まれるような睡魔におそわれ、男は眠りに落ちた。

 

 目を覚ますと、あたりは明るくなっていた。その明るさは、朝の光のように感じられた。目の前には相変わらず砂だらけの大地が広がっている。男はここが砂漠とは違うと感じる、もうひとつの理由を見つけた。砂の色だ。どこかの海岸に広がる真っ白な砂浜、それに似ていた。

 生ぬるい空気が男の体を包む感じがした。

「起きたのかい」

 不意に声をかけられ、男はぎくりとした。振り返ると、老人が一人立っていた。白い髪に白いひげを生やし、くたびれた仙人のように見えた。体には薄汚れた白っぽい布をまとっていた。前がはだけないように腰には同じ色の紐が結ばれていた。そして、手には白い棒を持っていた。

老人は白い棒を砂の上に投げ出し、その前に腰を下ろした。コツコツと何かをたたく音がした。白い棒にはひびが入った。そのひびをめがけて、老人はこぶしを振り下ろした。グシャリと音がして棒は粉々になった。粉々になった棒の欠片を、またこぶしを使って丁寧にたたいていく。砂の地面の上に、砂と同じ色の小さな山が出来ていた。砂と同じ色……あの白い棒こそが、この地面の砂なのだ、と男は悟った。男は自分の腕を見つめた。皮膚が消え、白い骨だけが浮かび上がる。そんな錯覚を起こした。

あれは、骨だ。足下がぐらりと傾いた気がした。


 幾度かの夜が来て、また幾度かの朝を迎えた。幾度目かの朝の光と共に、ずずず、という地響きを聞いた。男の足下から、砂がどんどん消えて行く。砂はどこかに向けて流れて行くようだった。いつの間にか男の目の前には、壁が迫っていた。はるか頭上に見た天井と同じ、曇りガラスのような壁だった。天井は以前よりさらにはるか遠くに見えた。反対側の壁も、振り返れば見える位置に出現していた。

落ちる?男の頭の中にはこの言葉が浮かんだ。

 砂と共に下へ落ちて行く。ずるずると。ざあざあと砂の落ちる大きな音がする。男は死を覚悟した。ふわりと体が宙に浮いた。

 しばらくののち、体は地面へたたきつけられた。不思議と痛みは感じなかった。落ちたところはまた砂の地面だ。ただ天井の形だけが違う。上に行くごとに、幅が狭くなっている。あの上から落ちてきたのだろうか。

 男の横には、老人が何事もなかったように座っていた。

「この世界じゃ、腹が減ることも喉が乾くこともない。便利な世界だ」

 老人は灰色の目を向けて、男に言った。

世界、と男は呟いた。

「ただ、疲れるし睡眠は必要だ。そしてちゃんと歳もとる。この世界で一番正確なのは時間なのさ。もっともそれは外からしかわからないことなんだがな」

 最後の方はつぶやくようだった。

「それは、骨か」

 男は思い切ってたずねた。老人の手にはまた新たな白い棒が握られていた。

「骨を探して砂にする。それが私の仕事さ。だからここに住んでいられるのさ。たいていのやつは一週間だってまともに生きられやしないさ。ここにはあんたみたいなやつがたくさん来るんだ。そして絶望して骨になる。時間を味方につけられなければ砂になる、それだけのことさ」

 男には老人の言葉がよく理解できなかった。ただ、とんでもないところに来てしまったのだと思った。

「砂は底へと落ち切った。今度は世界ごとひっくり返される。また新しい時間を刻むためにさ。ここは巨大な砂時計の世界なんだ」

 砂に埋もれてしまったら、いつか私が砂に帰してやるさ、と老人は笑った。

 ぐらりと地面が揺れた。砂が移動を始めた。世界はひっくり返されたのだ。男は砂と混ざりあい、最初に見た天井へと落ちて行った。


 ざざざ。砂の動く音が男の耳に届いた。手足は麻痺しているのか、まるで力が入らなかった。顔だけどうにか上へ向けると、はるか頭上に、あの曇りガラスの天井があるようだった。上に行くごとに幅の狭くなっている天井からは、砂がひとつの筋となって流れ落ちていた。ずっと見ていると、下へと落ちてくる砂の柱は、上へと昇っているようにも見えた。

男の体は砂と共に流れていく。力の入らない体では、その流れに逆らえるはずもなく、男は流れに身を任せた。

 少しまどろんでいたのだろうか。砂の流れは止まっていた。砂の柱もずいぶん遠くに細く見えた。砂の落ちる音はかすかに地面から感じられた。少し先には曇りガラスの壁が見えた。砂時計の底辺の部分なのだろう。その端の方に流されてきたようだった。

(砂に埋もれてしまったら、いつか私が砂に帰してやるさ)

 男は、ここに落ちる前に聞いた老人の言葉を思い出していた。白い骨を思い浮かべ、男はぞくりとした。まだ砂に埋もれるわけにはいかない。自分にはやるべきことがあるのだ。

そこまで考えて、男は表情を曇らせた。やるべきこと? それは何だ? 自分は何がしたかったのだろう? ここに来る前のことを思い出そうとしたが、うまくいかなかった。ここに来る前の記憶が頭のどこかに引っかかって落ちてこない。

そう、何かないだろうか。自分を思い出せるものが。ここに来た時に落としたものはないだろうか。もしかしたら何かが砂の中に埋もれているかもしれない。

 一筋の希望を求めて、男は砂を掘り始めた。道具などない。あるのは自分の体ひとつ。砂の中に埋もれているかもしれない何かを求めて、男は砂を掘った。さらさらとしている砂は、男の掘った穴をすぐに覆ってしまう。それでも男は、掘り続けた。砂を掻き分ける瞬間に、何かが見えやしないかと目を凝らした。指の爪に細かい砂の粒が入ることも、徐々に気にならなくなった。男はその作業に没頭していった。

 夕闇がきて視界が悪くなると、男は作業を中断した。朝が来るとまた、砂を掘った。2日掘っても、3日掘っても、成果はなかった。

まだまだ確認するべき場所はたくさんあった。掘っている間にも砂はどんどん上から落ちてくる。この世界の砂すべてを掘り返すなど不可能だと男は思った。隅から隅まで掘ろうとしたところで、きっとまたこの世界はひっくり返されるのだ。そうなるとまた一からのやり直しだ。男は途方にくれた。ここで何かを見つけるなんて、奇跡だと思った。絶望が男の心を徐々に支配していくようだった。眠るたびに、自分の皮膚の中の白い骨が透けて見える夢を見た。

 もう砂に埋もれてしまった方が良いかもしれない、男がそう考え始めた時だった。

「見つけたのだな」

 砂に膝をつき、力なく砂を掻き分けている男の頭上で声がした。くたびれた仙人のようなあの老人が立っていた。

 男は老人を見上げた。余裕のある老人の態度に腹立たしさを感じた。

「一体ここで何が見つけられるというのだ。ガラクタひとつ出てきやしない」

 男は、自分の手元に視線を落とし、砂の大地をにらみつけた。

「前に言ったことを忘れたか。時間を味方につけられなければ、ここでは生きられないと言ったはずだ。ここではいつだって絶望が待ち構えているんだからな。あんたはまだ骨にはなっていない。つまり、あんたは時間を味方につける方法を見つけたというわけさ」

「私は何もしていない」

 男は首を横に振りながら答えた。

「時間を味方につけること、それは考えることや働くことなのさ。たいていのやつらはそんな当たり前のことをやろうとしない。だからすぐさま絶望とお友達ってわけさ」

 そこで言葉を区切って老人は続けた。

「それによって私は仕事が出来るわけだがな」

 遠くで砂の落ちる音が、やけに大きく男の耳に届いた。

男は吐き捨てるように言った。

「見つけたところで、どうなるというんだ」

「見つけたやつだけが、ここで生きることを許されるのさ。ここに来るやつらは、自分にしか出来ない何かを求めてやってくるのさ。望みだけはいっちょまえさ。器も努力もないのに、特別を欲しがる。あんたの望みも同じはずだ。これから来るあんたみたいなやつらも。……私も同じさ」

 男の心臓がどくんと鳴った。頭のどこかで引っかかっていた記憶が、さらさらとほどけていくようだった。そうだ、自分にしか出来ないものを探していたのだ。誰にも真似できない自分だけの何か。それを探してこんなところまで来たというのか。男は愕然とした。

「だからって、こんなことを望んだわけじゃない」

 男はほとんどうなるような声で言った。

「もちろん私もそんなことを望んでここに来たわけではないさ。骨を砂にするなんて仕事を誰がしたいと思う? だが、内容はともかく望んだことに変わりはない。私はいつしか満足していた。この仕事は私にしか出来ないのだと。私がやらなければ、この世界の時は止まってしまうのだ。やりがいは、この上なくあるというものだろう?」

 男は何か言おうとしたが、言葉にならなかった。

「この世界は絶望して骨になるか、骨を砕いて砂を作るか、ふたつにひとつ。ただし、骨を砕いて砂にすることが出来るのは、この世界ではただ一人だけだがな」

 男は混乱した。

「じゃあ、あなたがいる限り、いくら時間を味方につけたところで意味がないじゃないか。絶望に飲みこまれるまでの一時しのぎでしかない」

「そのとおりだ」と老人は答えた。

 男は唇をかんだ。

「しかし、私がそれを放棄したらどうなる?」

 老人の灰色の目が鋭く光った。

「今日はあんたに頼みたいことがあって来たのさ。時間を味方につけられるやつなんて、なかなか現れはしないからな。私は待っていたのさ、この時が来るのを」

 老人は口元に笑みをたたえながら言った。

「私の仕事を奪ってくれ」

 老人の口調はきっぱりとしていた。

男はその場から逃げ出したい気持ちをどうにか抑えて言った。

「あなたは、どうなる?」

「砂に帰るのさ」

 老人は何でもないことのように言った。

「私は歳をとりすぎたし、この仕事にもいささか飽きてきたからな」

 と、取って付けたように言った。

その言葉は、男の心を震わせた。老人の決意の固さを感じてしまった。

「私はどうすればいい?」

 男は覚悟を決めて、老人に尋ねた。

「なに、簡単なことさ。私が骨になるのを待てばいいだけさ」

 老人は砂の上にあぐらをかいて座ると、静かに目を閉じた。

「心配することはないさ。永遠に一人になるわけじゃないんだ。これからも、おまえみたいなやつがたくさんやってくるはずさ」

 男の不安など、老人にはお見通しのようだった。

「骨になるまでは、私に触れるなよ。私に構わないことだ」

 その言葉を最後に、老人はしゃべるのをやめた。


 その夜、男は老人のそばで眠った。朝の光に目を覚ますと、すぐに隣の老人の様子をうかがった。老人の体は、半分砂に埋もれていた。男はあわてて、老人の体に積もった砂を払いのけた。

構うなと言われても、黙って見ていることは出来なかった。老人の体に触れると、揺り起こしたい衝動に駆られた。自分には無理だと大声で叫びたくもあった。でも、出来なかった。既に老人が絶望の中にいることを男は感じていたのだ。

 絶望がすっかり老人を包み込むまでに、たいして時間はかからなかった。

老人の皮膚は徐々に消えていった。手。足。最後に消えたのは顔だった。その顔は、かすかに微笑んでいるように見えた。

白い骨が、砂の上にどさりと落ちた。白い骨になっても、それが老人のものであることには変わりなかった。それは、老人の雰囲気を湛えていた。

男はそろそろと手を伸ばした。自分にしか出来ないことをやらなければいけないのだ、と自分に言い聞かせた。

 男は老人の白い骨を丁寧にコツコツとたたき始めた。男はこの世界の住人として時を刻む。男が時間を捨てるその日まで。



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