dreamer
食欲が出なく、何も食べる気が起きない。それでも何か腹に入れた方が良いと思う千尋は、比較的喉を通り易いゼリーやプリンといった物で昼食を済ます事が多かった。
食事、というには細すぎる食の内容に、誰かに心配されるのもからかわれるのも億劫だった体調不良の少年は、必然的に人の輪(和)を外れる事が常になっていた。
そこに、
『ちーちゃんまたそんな女の子な物をー。もー超草食系男子! デカくなれないぞー』
『……いいじゃないっスか。元は卵なんだしタンパク質とか脂質とかカルシウムとか……』
顔色の良くない少年と、チンマリしたプリンの組み合わせを見止めてワザワザやってくる茶髪の女子生徒がいた。
垢ぬけた薄らとしたメイクに校則を気にもしないピアス、ネイルアートにシルバーのリングを身につけ、スカートもかなり短く、ワイシャツも着崩している。
お洒落に気を使う今時の女子高生の風体で、気さくな表情の、親しみやすい女子生徒だった。
屋上出入り口は貯水塔の基部を兼ねており、そこに上ったライト不良な女子生徒は、遠くの積乱雲を眺めながら、自身の唇からも真っ白な紫煙を吹き出していた。
「美波せんぱーい……流石に学校で吸うのはヤバすぎると思うんですけどー」
「わかってないなーちーちゃんはー。学校の外で吸ったらそれはもう只の喫煙じゃん」
「立派に法律違反だと思いまーす」
酒と煙草は二十歳から。
しかし千尋には、酒はともかく煙草を吸う人間の心理という奴は理解し難いものがあった。ワザワザお金を出してまで、危険な煙を肺に入れる事に何の意味があるのか。いや、自傷や気の長い自殺と何が違うのか。
そうは思っていても、美人の先輩相手に面と向かって、小心な少年に何が言えるワケでもない。
授業終わりで意味もなく屋上に来て、その後から先輩が煙草なんてものを吸いに来てしまい、なんとなくお付き合いしてしまっていた千尋だったが。
「………んぁ?」
停学ものの校則違反―――美波楓の―――でそれなりに神経を尖らせていた千尋は、階下からの足音にいち早く気が付いた。
「どーしたちーちゃん?」
「ヤバいです誰か来ます……!」
「ええ! マジで――――!?」
足音は早く、生徒のものにしては重い。
その速度は明らかに屋上への道を急いでいる。ならば、屋上で校則違反を犯す不届き者の存在を知っていて近づいているのかもしれない。
「先輩消して消して! あと臭いもどうにか――――」
「あーヤベ……ってか無理、見つかる……」
生徒指導の体育教師や学年主任の現国教師なら、口臭や唾液、持ち物もチェックするだろう。服に付いた臭いだけでも致命的だ。
「……ちーちゃんはカンケーないって顔して階段降りな。吸ってなくても巻き添え食うよ」
ところが当事者である先輩は、遠くに視線を投げて既に諦め風味だった。慌ててるのは千尋だけのようで。
千尋とて喫煙の嫌疑をかけられたり、まかり間違って停学を喰らったりするのは避けたい。しかし、だからといって先輩を見捨てて行く気にもなれない。
特に悪い事もしていない千尋の方が、どうにかしなければ、と何故か追い詰められる。
そして、とうとう階段の踊り場に入った体育教師と学年主任―――ふたりも来た―――が千尋の視界に入り。
屋上に差し掛かった体育教師と学年主任の現国教師の前で、顔色の悪い男子生徒は派手にブッ倒れた。
「い……!? ちー――――」
「おうぁ!? どうした牧奈!?」
「ど、どうしたキミ!!?」
と、千尋が洒落にならない芝居を打ち、普段の体調の悪さも手伝ってその企みは成功した。
白目を剥いた千尋を教師二人が両脇から抱えて保健室へと運び、その間に美波楓は危機を脱することができた。
土曜に朝一でいきなり呼び出されたと思ったら、
「いよいよ夏だよー夏! 英語で言うとサマー! と言うワケで水着買いに行くよ! デートイベントだよー! やったねエロゲー!?」
これである。
ノリと勢いでの発言が5割強を占める先輩であるからして、もはや千尋も流すことを覚えていた。
しかし、突然の強引なお誘いにも、断ると言う選択肢を持たない青少年。どうせ適当な発言だろうが、『デート』というは心躍らせる響きだった。しかも相手は少し気になる先輩である。デートなど産まれてこの方経験のない平凡少年は、
「つまり買い物に付き合えって事っスね。それはまぁ……いいんですけど」
内心小躍りしながら、冷静を装って先輩と東京方面への電車に乗る。
青葉の香る爽やかな初夏の空気に、普段の制服とは違う白Tシャツに、太腿を大胆に出したデニムのホットパンツという美波楓の服装がよく映えた。
分かりやすく私服姿に動揺する年下のオトコノコに、ニンマリとしたチェシャ猫の笑みでにじり寄る少女は、
「あれーちーちゃんどこ見てるー? なんか目がエロいー♪」
「そ、その手には引っ掛からねぇ……! そ、そういう事に慣れてない後輩を、面白半分におちょくってると地獄に落ちますぞー!」
薄手のTシャツを突っ張らせている胸を両腕で挟み込み、寄せて上げて千尋に魅せつける。
ギリギリと歯を軋らせ窓に張り付く、少年の抵抗は虚しかった。
その後も先輩の逆セクハラ(?)攻撃は続き、腕を組まれて胸の谷間に囚われるのは序の口で、水着を選ばされている最中に突然耳を齧られ、水着の試着中に更衣室に乗り込まれれ「いいケツしてんなーにーちゃん、ウッヘッヘ♪」「イヤーやーめーてー!」と痴漢され、トドメは逆に更衣室に引き摺りこまれて生着替えを見せられそうになる、と。
少年の純真が散々に弄ばれたその後、二人は買い物をしていた百貨店内のファストフード店に入った。
ぐったりと疲弊の極みにある千尋は、ここでも飲んでいる途中だったコーラを奪われ、ひと口飲まれた上で突き返される、という。
「じ、自分のあるじゃないですか……自分のを飲んでください……」
「えーこんな美人のお姉さんとの間接キスだよー? 嬉しいなら嬉しいって言ってもいいんだよ~♪」
「先輩…………」
「あー……怒っちゃった?」
「……別に、怒っては……」
怒ってはいないが、ありがとうございました(謎)、と言うワケにもいかない。健全な青少年的にもう耐久力の限界でHPがゼロよなので勘弁して欲しいが、そこの所をハッキリ言えない時点で、底の浅い男の子の本心など、この先輩にはバレバレだった。
困ったものだが、無論嫌な筈がない。嫌ではないが。
「……彼氏とか、オレとかとこんな事してるって知られたら怒られませんか?」
「むー……やっぱりちーちゃんはわたしみたいなのと付き合うのは面倒臭いの?」
「そんなこと言ってないですよ。……でもこういうのって人によっては、う、浮気とか? 疑うんじゃないですか?」
「………わたし今は付き合ってる相手なんていないもん」
その言葉に、またも迂闊な期待を抱いてしまう以下略。
と言っても、この先輩に特定の相手がいない事は前々から察していたのだが。
「そ、そういうちーちゃんには付き合ってる娘とかいるんじゃない? 幼馴染みの娘とか仲よさそーだったじゃないのよう……」
「あ、あれはオレの事をサンドバックか何かと勘違いしてるだけで――――――」
先輩のコブシで頬をグリグリされて、心臓の回転を暴走させつつ、思い出すのは物心ついてからの腐れ縁の少女である。
そもそも同じ人間と思われていない節があり、正直付き合うとかは全く考えられなかった。
「なら……付き合っちゃう?」
「向こうからお断りです。オレだってヤです」
「じゃなくてー……―――――――」
「へ……うぃ!?」
「………」
そして、この先輩とそういう関係になる、というのもまるで現実感の及ばない事柄だった。
しかし、思わず見返した間近にある先輩の貌は、それまでにない真剣さを帯びている。
一瞬、興奮と焦りが綯い交ぜになる千尋だったが、
「ま、またですか先輩……! 先輩みたいなび、美人とオレとじゃ釣り合わんでしょうが……」
「…………へっへー、そう?」
色恋に慣れない少年は、答えに窮して逃げてしまう。
一方の慣れていそうな少女も、年下少年の気持ちを汲んでか、冗談めかした口調で話を濁してくれた。
この時、千尋にもう少し勇気と自信があれば、あるいは向かい合う事を逃げなければ、その後の運命は変わっていたかもしれない。
昨日まで笑っていた、少し好きだった少女。その死体を前にして立ち尽くす千尋は、
「…………」
肌寒い、静まり返った四角いコンクリートの檻の中で目を覚ました。
過去を後悔しても、せつない事に、どう考えても千尋にはアレ以外の答えがあったとも思えなかった。
結婚なんて話を飛ばすにも甚だしいが、自分があの美波楓を幸せにできるに足る男だとは考えらなかったからだ。
だが夢の中くらいは、現実を忘れさせて欲しいものである。
酷く喉が渇いていたが、今の警察の待遇では水すら要求できるとは思えない。
狭くて固いベッドの上に身を起こした千尋は、固い床に脚を投げ出し、ただボーっと虚空に目線を投げる。
『「先輩」って被害者の女の子?』
「………」
夢の中まで見ているのかこの『声』は。と、もう驚く気にもなれない千尋は、正体不明の存在の問いかけには答えなかった。
明り採りの小さな窓から差し込む日は、まだ柔らかい。
時計は無かったが、千尋は自分がかなり早い時間に目を覚ましたのだと感じた。今日は検察へ聴取の為に移送される筈だったが、それがいつかは聞いていない。教えてくれるとも思えない。
一晩経ち、事態はまるで好転していなかった。相変わらずの檻の中で、相変わらずドツボにハマっている。
だが一晩寝たせいか、千尋には事件後初めて自分以外の事に目を向ける余裕があった。
すなわち、美波楓先輩の事だ。
自分が逮捕された事実だけでいっぱいいっぱいになっていたが、それは完全な誤認逮捕であり、犯人は未だのうのうと外を自由に歩いている。
自分に罪をおっ被せ、親しかった先輩を殺した犯人が。
我知らず、千尋の両手が拳を作っていた。
大した苦労を知らない、平和な国の少年の拳が、握り込む力でミシミシと音を立てる。
だが、その表情はボーっとしたまま変わらない。理不尽な境遇に憤でもない。ただ、殺される程の罪も犯していないであろう少女が、打ちっぱなしのコンクリートの上に無造作に打ち捨てられていたその光景に、腹の底からフツフツと湧き上がるモノを感じるのだ。
「あの……聞いてる?」
静かな声で、千尋は誰もいない留置室へ問いかけた。千尋の居る部屋にも、その他の部屋にも誰もおらず、見張りの警官すら居眠りしている状況だったが。
『あら、あなたから話しかけるなんて初めてじゃなかったかしら?』
答えは程なくして返ってきた。
初めて千尋から声をかけ、初めて落ち着いてその声を聞いた。
女性との会話など、身内と幼なじみ、それに先輩以外では全くと言っていいほど経験がなかったので、その声から人物像を想像するようなスキルは千尋には無い。だが聞く者が聞けば、その声は妙齢の女性のモノである事が分かっただろう。
が、今の千尋にとってはどうでも良い事だ。
「美波先輩を殺したのはあんたか?」
最初に聞いておかねばならないのは、これだ。
先輩を殺したのは誰か。それは、声の主か。それとも、耳に直接声が聞こえるいう異常を抱える自分自身が、我を無くして自らの手で成した事か。
『いいわね。そう、難しく考えないでまず答えを求めなさい。式は求める答えによって導かれるのよ』
「そーゆー小難しい物言いは、オレのもんじゃねーな……」
もっとも、自分が解離性同一性障害になるほどの心的外傷を抱えているとも思えなかったので、はじめから二重人格の線は無いと踏んでいたが。
「でどうなの? 先輩はあんたが殺したの?」
『否よ』
それまでの理屈っぽい回りくどい話しぶりからすると、一閃に斬って捨てるほどの簡素な答えだったが、これを信じるかどうかはまた別問題。真偽を確認する術もないので、それも保留しておく。
今はまともに会話が可能であるという事実が確認出来たけでよかった。存在しない相手というのが泣けてくるが。
「じゃ教えてくれよ。美波楓先輩……あのヒト殺したのは、誰?」
『さあ?』
予想していた答えだったので、特に落胆はしなかった。いやむしろ、答えが安易に帰ってこなかった事に、軽い安堵すら覚えてしまった。
控えめに見ても状況はあらゆる意味で絶望的だ。味方はいないし、実態の無い誰かさんは敵かどうかすら判然としない。それでも、今より悪い状況にもならないだろう。
『何を考えているの、マキナチヒロ君?』
んがッ!? と寝ぼけた見張りの警官が椅子からズリ落ちそうになったが、椅子に座り直すとまた寝息を立て始めた。外からはアブラゼミが、この夏最後の大合唱前の調律を始めている。
立ち上がった千尋は、小さく四角い空を睨み。
「………逃げたいんですけど、なんかいいアイディアないっスか……?」




