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Under the filter



 世間のニュースは今、逃走中のストーカー殺人容疑者の件か、憲法9条改正をめぐる国会論戦の2色に別れていた。

 今年5月に僅か数時間だけ起きた人類史上初の『戦争』。その際に攻撃を受けたのは、アメリカの第七艦隊と日本の成田空港だった。

 それからしばらく世界はSFブームに沸き、現在もアメリカをはじめとして各国が軍備強化や再編成を行っている真っ最中なワケだが、当事国である筈の日本は未だに議論の真っ最中で、何も変わってはいなかった。

 憲法9条『戦争放棄』は尊い法ではあるが、脅威は実在するというのに。

 それも、人類にとって未知の脅威が。

 野党〝公民党〟と〝共栄党〟が政権与党〝日和党〟へ日本の防衛力強化へ質問を飛ばし、日和党はタマムシ色の返答で煙に巻く。あるいは、問題自体をスリ替えて追及をかわす。

 そのくせ、「その質問にはもう答えた」と言って胸を張る。いつもの国会模様だった。

「現実に成田空港は現在も復旧が進んでいないんですよ!? 今度は東京が攻撃されるかもしれない!

 その事について、政府はどうやって国民を守るのか、明確な答えを聞かせていただきたい!」

「内閣総理大臣!」

「えー、『攻撃』と仰いますが、攻撃してきた相手というのは何者なんでしょうか。まだその事について正確な情報がございませんので、政府としても、明確な対応を定める時期には無いと、えー判断し、まずは4月の『事件』が攻撃だったのかを認定するか否かから―――――」

「何を言ってるんだ今頃――――!?」

「中国の顔色を窺ってる場合か――――!!」

 ようやく議論が始まったかと思ったら、飽きもせずに似た問答の繰り返しである。何の為の臨時国会延長なのか。

 攻撃を受けたのは全国民が知る所であり、日米安保も当てにならない様を見せられたとあっては、日本が独自に自国を防衛すべし、という国民の要求は当然の事である。とは野党の弁。

 現実には、日本の国民が攻撃されたという事実を100%正確に、現実感を持って把握しているかと言われると疑問があった。

 例によって野党側に、この件を利用しての政権交代を狙う意図が見え隠れする。

 一方の与党も攻撃の事実は把握していても、どんな理由があっても日本の防衛力強化を良しとしない特定アジアの感情に配慮して、自衛隊の戦力と行動規定を見直すとは口が裂けても言えない状況。ただでさえ日本への影響力を増す隣国に、今のうちに良い顔をしておきたいのは、政治家であるならば与党も野党も上院も下院も無かった。

 結局、議論の外面が変わっただけで、やっている事はいつもと変わらなかった。

 真に日本の安全保障をおもんばかって、臨時国会開催の為に奔走した政治家の存在も忘れてはならないが。


 今日の国会も、結局何の目処も立たないままに終了した。しかし国会が終了しても、政治家に休息という言葉は無い。

 24時間365日、私生活の、いやわたくしなど無く公人として動き続ける。とは言えそれは、日本の為というより、全ては選挙と当選の為であったが。

 だが責めはすまい。政治家であり続けなければ、国政には関われないのだから。いつしか手段と目的が、致命的に入れ替わっていたとしても。

 参議院議員会館の一室。

 与党〝日和党〟の議員の事務室が並ぶ一角で、最も奥まった所に今の総務大臣の部屋がある。

「お疲れ様です、先生」

「おかえりなさい先生。メディア・アライアンスのQ社長よりお電話がございました」

「ああ、いや今日も皆ご飽きもせず苦労な事だな、まったく……」

「お茶をお持ちします、先生」

 そこは各議員に宛がわれる部屋の中でも特に広々とした部屋で、議員のオフィスに秘書・事務員用の部屋と続き部屋になっていた。

 総務大臣は自分のオフィスに入ると、第一秘書にしばらくは誰も取り次がないように指示をする。

 革張りで幅の広い椅子に着くと、重厚な黒檀の机の引き出しからタバコの箱を取り出し、底を叩いて一本引き出した。

 議員会館は全面禁煙だったが、当選回数13回の大物に何か言える人間がいる筈もない。

 お国入りすらせず、毎回の選挙で圧倒的得票数で真っ先に当確して見せる男だ。その権勢は当分続くだろう。

 一息でタバコを中程まで焼き尽くすと、心底満足そうな溜息とともに紫煙を吐きだす。その煙草を黒曜石の灰皿でもみ消すと、机上の電話へと手を伸ばした。

『はい先生』

「公安の狗城君を呼び出してくれ」

 内線で秘書に指示してから3分後、直接大臣の電話が鳴る。秘書は介さない。

 受話器を取った総務大臣は、挨拶も無く切りだす。

「わたしだ。例の高校生の件、始末はまだつかんのかね?」


                            ◇


 たった半日で、怪しいビジネスホテルの一室は、ピザの箱やらコンビニ弁当のカラ容器やらペットボトルやら缶ビールの空き缶やらで散らかりまくっていた。しかもビールの空き缶からは、煙草の匂いも漂っている。

 野口は3時間前に力尽き、ベッドの上で死体のような醜態を晒し眠りこけていた。29歳。昔は3日くらい寝なくても平気だったのに。

 千尋はというと、最後に眠気覚ましにシャワーを浴びてから5時間ブッ続けで、ノートPCのディスプレイを睨み続けている。

 時刻は間もなく午前6時。夏至が通り過ぎて久しく、朝日が昇るのも遅くなってきた。

「グッ……んッ~~~~~!」

 背伸びをしつつ、コーヒー缶へ口を付けるが、ぬるまっていて美味しくない。

 ノートPCの映像を一時停止し、部屋に備え付けの電気ケトルへ残りのコーヒーを放り込む。

 電気ケトルのスイッチを入れると、千尋は洗面所とトイレが一体になっているバスルームへ。顔を洗うに洗面台の前に立つと、そこには目の据わった少年が千尋を見返していた。

 先日、野口が言ってた事が千尋の頭から離れなかった。そもそも先輩は、あそこで一体何をしていたのか。

 考えないようにしていた事実にサラッと触れられ、カメラ映像の中で、先輩ともうひとりの姿を探す千尋の心境は複雑だった。

 そんな事を考えていると、目の前の少年の目つきが一段と悪くなる。千尋自身、自分がこんな顔するのかと驚かされる。もしかしたら額縁の裏に張ってあるお札の原因となるお方のせいなのかもしれないが。

 徹夜をした時に特有の、身体に籠った熱をどうにかしようと千尋は乱暴に顔を洗った。

 人間なんて生き物はちょっとした事で気分が変わってしまうのが良い所であり悪い所でもあるが、この場合は良い方向へ向かった。ポジティブな意味で、そういった事は後で考えようと、千尋の中で後回しに出来たのだ。


 顔を洗って部屋に戻ると、いつの間にか起きていた野口がケトルからコーヒーをカップへ注いでいた。

 だが、俺のコーヒー! と千尋が抗議する前に、完全に目が覚めた様子の野口が興奮気味に千尋へ言う。

「おいやったなー少年! 良く見つけたもんだ!!」

「へ……? なに……スか??」

 野口が指し示すノートPCのディスプレイには、先ほど千尋が一時停止しておいた監視カメラ映像が映っている。

 そこに一体何が映っているのかと、千尋も野口の後ろから見てみると。

「………ぅおあ!? 先輩じゃんか!!」

「はー? 分かってて止めておいたんだろ? コーヒーまで淹れて、俺が起きるの待っててくれたんか?」

 事実は全然全く欠片も違ったのだが、この際それに突っ込む気は起きなかった。いま重要なのは、そこに美波楓らしき人物が映っているという事実だ。

 それに、映っているのはもうひとり。美波楓と並んで歩く、60代程に見える壮年のスダレ頭の男が。

「……こいつか?」

「……多分……これ、もっとキレイになりません? なんかモヤッとして……」

「そんな鑑識とかCSIじゃないんだから画像なんか弄れるかよ」

 映像は圧縮率が高く、とても細部まで識別する事は出来なかった。あらかじめ顔を知っている美波楓だからこそ、その特徴や事件当時の服装―――と言うか制服―――で判別する事が出来たが、他の人間ではそうもいくまい。

「他のカメラも解像度は似たり寄ったりだしなー……アングルもこれ以上のは期待出来ねーだろうし……」

「野口さん記者なんでしょう? なんかこう、会社とかに画像キレイにするソフトとか無いんですか?」

「俺は取材する人間でそういうのは別のヤツにやらせんの! デザイナーとかレイアウトとか」

「じゃそういうヒト達に頼む……?」

「………今回のはまだ仕事になってないし、無理だな」

 と、言うのは建前で、編集部に映像を持ち込めば、他の編集者に気取られる可能性がある。

 編集にせよデザイナーにせよレイアウトにせよ、関わる人間は極力少なく押さえておきたかった。今後の為にも。

「てかお前の方こそそういうのに詳しくないのか? 今どきの高校生とか言ったら自前でアイコラとかスゲーエロいの作るだろう?」

「フリーの画像ソフト使ってもそんなにキレイになりませんよ……。〝フォトラボ〟とか高いソフトなら……どうかなー、あんまり変わらないかも……」

 千尋はアイコラなど作った事はなかったが、友人の一人が確か以前に作って見せた事があった。

 ネットをやっていれば、高価だが高性能な画像編集ソフトが存在する事も知っている。無料のソフトの性能が近年上がってきている事も。

 テレビドラマで見る警察が使うようなソフトは、それこそ荒い画像のピクセルを分割して高精細にしてくれるような、超が付くほど高度なソフトウェアだ。無論、千尋にそんなソフトが扱える伝手つても心当たりも無い。

 しかしそこは記者である野口真太。ソフトがあり、画像も弄れそうな場所には心当たりがあった。

「ソフトが使えりゃ映像を解析できるか?」

「は……? いや、そんなの分かりませんよ。高性能なソフトって大抵使い方から難しいし―――――」

「そんなの弄ってるうちに少しは慣れるだろ。行こーぜ」

「『行く』? 行くってどこにです??」

 そうして千尋に何の説明もないまま、野口のクルマで連れてこられたのはお茶の水にある大学だった。


                             ◇


〝お茶の水芸術大学〟。

 古典技法から最新のコンピューターグラフィックスまで、芸術表現を広く研究する為の、総合芸術大学だった。尚、音楽科も有り。

 坂の街で、ただ一つ大きくそびえる30階建てのビル。地下駐車所にクルマを停めた野口は、そのまま何の気負いもなさそうに大学ビルへと入っていく。千尋もそれに付いて行くが。

「の、野口さんいいんですか?」

「なにがー?」

「大学って……いや大学に限らないけど、こういう所って普通部外者立ち入り禁止って感じじゃ……?」

「そう思うんならどーどーとしてろよ。警備員にゃ呼び止められるかもしれんけど、その警備員にだって

『ここの学生です』って顔してりゃバレやしないよー」

 そんな事言われても千尋には無理である。

 多少は度胸もついてきたと思うが、イケない事をしていると思うと、どうしても足下が頼りなかった。

 千尋の懸念をよそに、野口は素知らぬ顔でエレベーターに乗り込む。

 考えても見たら、千尋は学生で通るかもしれないが、適当に整えられた髪に、髭も剃り残しが目立つ野口の方が怪しい。怪しいのだが、それに今更気が付いた所で千尋にはどうしようもなかった。


 エレベーターは15階、グラフィックデザイン科のフロアに着く。野口がそこで降りたのだから、目的地はここなのだろう、と千尋も思ったのだが。

「それで、どこに行けばいーと思う?」

「ちょっ――――!? なんか心当たりがあったんじゃないんスかー!?」

 音量を落として叫ぶ器用な所を見せる千尋。なんかもうあんたにはガッカリだよ。

「『グラフィックデザイン』って書いてあるんだからグラフィックをデザインする勉強をする所なんだろ? ならグラフィックをデザインするソフトもある筈だ。多分、うちの編集部のデザイナーが使ってるみたいなソフトだってある筈だぜ」

 なるほど一応考えているのか、と一瞬感心しそうになった千尋だが、結局勘と出たとこ勝負じゃねーか、と考えを改めた。

 記者ってもうちょっと、マナーはともかく知識とか知恵に優れる人種だと思っていたのに。

 野口が頼れないと理解した千尋は、とりあえずグラフィックデザイン科を見て回る事にする。使っているソフトが分かれば、少なくともここで良いのか悪いのかくらいは判断できるだろう。

 千尋はまだ高校一年。受験は当面先だし、自分で美的センスがあるとも思っていない。美大を選ぶ事はまず無いだろう。それでも、大学とはこういったモノか、と少しワクワクする。

 もしも千尋が普通の生活に戻れれば、来年の今頃は本当に大学見学に行っているかもしれない。

 今度は千尋が野口より先行し、廊下を往く学生の間を縫ってフロアを歩き回る。

 コンピューターグラフィックスを学ぶのなら、教室にはパソコンが並んでいるものだろうと思っていたが、意外に普通の美術の教室のような場所もあった。石膏像のブルートゥースと千尋の目が合う。

 千尋の高校の生徒と美大の生徒には共通点の方が少ないが、何より緊張感が違った。大学生というのはもうちょっと気楽というか、遊んでいるようなイメージがあったのに。

 美大―――芸術を修める明確な目的故か、という千尋の想像は正しいものだった。


 フロアを一周しかかろうかというその時、ビル全体に懐かしさを含む鐘の音が鳴り響く。時限終了の鐘だ。こういったモノは高校と変わらないらしい。

 その音を聞いた時、千尋の頭に閃くモノが。

「あ……おいお前――――――」

 唐突に、講座が終わって学生が出ていく教室へ入っていく千尋。野口は止める間もない。

 その教室で行われていた講座は『モダンデザイン応用論』。正面のスクリーンには、ニューヨークの作家による前衛芸術が題材として映し出されていた。

「せ、先生、質問いいですか?」

「うん? ああいいよ」

 教壇に立つ長い癖毛の中年男性に、千尋はまさに学生よろしく話しかける。最初にヘンな顔されたら速攻で逃げよう、と思っていた千尋は内心でホッとした。優しそうな先生だ。

「あの、今度の課題で古いカメラの画像をぽ、ポートレートの素材に使おうと思ったんですけど、え、エフェクトとかどうしようか迷ってて……」

「ポートレートってそれ、下の長淵先生の〝マス・グラフィック〟の課題?」

「そう、そうなんです実は! で、今日の資料みたいに古い素材を使ってみようって思うんですけど、どんな風に加工するのがいいのかアドバイスをいただきたくって……」

「うんうん……マス・グラフィックの事で私が何か言うのは少し気後れするけど、大衆、つまり沢山のヒトに見てもらって訴えかけるマス・グラフィックアートは作品自体にメッセージ性が……これはどの芸術作品にも同じように言える事だけど、特にマス・グラフィックはそれがより分かりやすく―――間違ってはいけないけど、理解しやすく、ではなくまずは入口として見た人が何を見ているかを分かりやすくしなければ――――――」

 熱心な生徒と気に入られたのか、その教師も熱心に、千尋が初めて聞く〝マス・グラフィック〟論なるモノを講義してくれた。10分以上も。

 ヒトの言う事に迎合しやすい少年が、将来をマス・グラフィックに捧げようと決心しかかったその時に、ようやく要点に引っ掛かる話が聞けた。

「――――だから、具体的には古い映像も単にアートといって逃げるんじゃなくて、より観察側が何を見せられているのかを判別しやすくしないと、その先のメッセージ性まで思いを広げてくれない。アーティストの感性と見る側の目。これを勘違いすると独りよがりの―――――」

「や、やっぱり見易くして見るヒトの事も考えた方がいいですよね! 先生の授業聞いててそんな気がしたんですよ。で、そういうのってどこの―――――」

「うんうんうんそうだよそうなんだよそこの所が分かってない自称アーティストが多すぎるんだよ! 確かに過去の巨匠は理屈では無く見るヒトの感性に訴えかける素晴らしい作品を多く残しているけどその多くがまた死後にしか理解を得られなかったのも事実なんだ、だから作品の作り手は感性と見る側の認識とをバランスも考えて―――――」

 こうして、最後には名刺――河原デザイン事務所、河原巧――までもらって、千尋はその教室を出る事となった。

 何で大学の先生がデザイン事務所やってるんだ、と非常勤講師の存在を知らなかった千尋は思ったが、その事はどうでもいい。

「やるじゃんかー高校生。よくあそこまで適当言えたもんだなー」

「……心臓壊れるかと思いましたけど」

 ニヤリ、と千尋のやり様を見ていた野口が冷やかし半分に言う。半分は本当に感心していた。

 千尋としては、単に運が良かっただけだと言いたかったが。

 実際運が良かった。会話が弾んだのは、千尋のでっち上げた課題の話が時事的にマッチする部分があり、教師が都合よく解釈してくれたから。上手く会話を千尋の聞きたい方向に誘導も出来たのも幸運だった。

 話が長くなったのは予定外だったが、それも最終的には不審に思われずに目当ての物の場所を聞き出せたので良しとする。

「えーと……あの先生、『テック‐C』教室って言ってましたっけか……。野口さん、テック‐Cってどこ?」

「俺が知るかよ。エレベーター前に地図とかあるんじゃねーの?」

 そこは常識の範疇。

 千尋と野口はエレベーターホールでテック‐C教室を確認し、3階フロアまで降りる。


 テック‐C教室は高度なワークステーションを大量に揃えた、生徒の自主製作を行う部屋だった。

 高校の教室を二つ並べたような広い部屋に、ズラリと並んだデスクトップPC。なのに、使用している生徒がポツポツとしか見当たらないのはどういうワケか。

「高い授業料取ってんだろうに、金の無駄だな。俺らは助かるけど」

 例によって堂々とテック‐C教室に入っていく野口。数少ない生徒も、この場違いな訪問者をいちいち見たりはしない。現代人の無関心も、こんな時には有難かった。

「『テック‐C』って、他にもAとBがあるんですよ。そのせいじゃないですかね?」

 教師との綱渡りをクリアした為か、千尋も多少は落ち付いた様子で野口に続く。野口が教室最後列のPCの一台を覗き込んだので、千尋もそれに倣った。

 現代デザインの非常勤講師、河原氏が教えてくれた画像編集用ソフトは、このテック‐C教室のPC全てに入っているとの事だ。

 更に、ソフトの使い方が分からなければ、ティーチングアシスタントに聞けばいい事も教えてくれた。全く騙したのが申し訳ないくらい良い先生だった。話は長かったが。

 だがここで問題発生。

「しまった……ログインしないと使えない……。野口さんここのPC、学生以外は使えないって――――」

「んー? ああ、ちょっと待ってなー」

 当たり前の話ではあったが、パソコンは起動画面でユーザーIDとパスワードを入力する設定になっていた。当然千尋はどちらも知らない。

 しかし野口は慌てた様子もなく、軽く千尋に言うと教室の隅に歩いて行く。

 記者としてのアビリティーを生かして、誰かからIDとパスでも聞き出すのか。と思った千尋だったが、野口は周囲を探るように首をめぐらせると、おもむろに腰を落としてそこにあったゴミ箱の中身を探りだした。

(な……何やってんのあのヒト――――!?)

 怪しい上に怪しすぎる行動に、千尋は野口を見捨てて逃げ出したい衝動に駆られる。こんなの不審者認定が秒読みだ。いや、既に監視カメラを見て警備の人間が向かって来ているかも。

 そんな千尋の焦燥も知らず、野口はゴミ箱から紙の束を持ち出してくると、千尋の横に座って紙キレの中身を確認し出した。

「何やってんスかー野口さんったら! 通報とかされたらオレなんか一発アウト――――!!」

「んなのされるワケないだろーが。それよりほら、これ」

「これ? なんですこれ……ってえ!?」

 折れ目が付いた一枚の紙。その文面には、なんと『ゲスト用』と書かれたIDとパスワードが。

 目を丸くする千尋に、またも野口は事も無さげに言う。

「こーゆーのって大抵、パスとか忘れた学生用に授業中だけ使うゲストIDを用意しておくんだなーこれが。でー、授業が終わると大抵ポイ捨て」

 それじゃパスとIDでセキュリティーかける意味無いだろ、と思った千尋だが、ユーザー制限以外にも色々と意味はあるのだ。パスワードを覚える気のない学生のせいで、セキュリティーが用を成していないのは事実だが。それも、この際有難い。

 ゲスト用IDを入力し、PCを起動して目的のソフトを探す。

 OSは千尋の使っているPCよりも一つ古いモノだったが、アプリケーション一覧のインデックスを呼び出すグラフィックボタンの位置は同じだったのですぐ分かった。

「でもなんで古いOSなんですかね? 予算??」

「重要なのはアプリケーションでOSじゃないからなー。最新OSと使っているアプリとの相性が悪けりゃ、OSは古いままで使うってのは仕事用パソコンじゃままある話だ。それよりどうなんだ?」

「はい、これっスね。でも……」

 基本的にプロユースになるほど、アプリケーションのオペレーティングは初心者へ不親切になる。

 目的のアプリケーション〝ビジュアル・リム〟は展開できたが、出て来たのはシステムバーだけだ。ツールのコンソールすら無くてはどうしていいか検討もつかない。

「とりあえずファイル入れてみりゃいいんじゃねーの?」

「あ、そうか」

 野口からUSBメモリを受け取りパソコン全面にあるスロットに差し込む。だが、ここでまた問題が。USBメモリがパソコン側から拒否されてしまったのだ。

「『許可されてない』……って何?」

「あー、ソフトとか持ち出されない為に外部メディアがアクセス禁止なんだなー。やっぱりゲストIDじゃダメか?」

 肝心なソフトの使い方以前に問題が山積みだ。一つ解決したと思ったらもう次が来る。だが何か方法がある筈だ。千尋は柄にもなく、そんなポジティブ思考になっていた。せっかくここまで来たんだし。

「そうだ、アレじゃねー? ほら、『ティーチングアシスタント』」

「あ、そうか!」

 分からなければ聞けばいい、学生の強い味方、『ティーチングアシスタント』。しかしその実態やいかに。

「……教師とはまた違うんですか、ね……?」

「さー……アシスタント、ってくらいだから違うんじゃねー?」

「……どこに居るんですかね、そのアシスタント」

「さー、もちっと自分でも考えてみろや」

 なにか自分がまるっきりヒトに頼っているかのように言われた気がして、少しムッとした千尋は自分だけで件のアシスタントを探す事にする。もしかして学生事務局とかに依頼しなくてはならないのだろうか。

 一般学生ならば常識なんだろうし、ならば近くの学生に聞けば―――いや、そしたらお前はどうして知らないんだ、と言う事になりかねない。それは可能な限り避けたい。

 そんな困り顔で周囲を見回すのが目に付いてしまったのだろう。教室の一番前。教員用と思しきPCの前にいた女性が千尋達の方に向かって歩いて来る。

「ぅあ……ヤベ、こっち来る……!」

「んー……? もしかしてアレじゃねーの?」

 歳にして見た目二十歳くらいで、千尋の同級生には無い大人っぽさがあった。大学生補正を考慮に入れなくても美人だ。

 そんな大人っぽい美人の大学生が、千尋へニコリと。

「ソフトで何か分からない所、ありますか?」

「あー、そ、その、ソフトもなんですけど―――――!」

「彼が課題をやるのに素材を入れたいんだけど、ここのPCってUSBメモリ使えないの?」

 不覚にもしどろもどろになる千尋とは対照的に、野口はとっつき易そうな笑みで言う。こういう軽さが羨ましい。

「外部メディアは学生用のPCからだと使えませんね。教員用で入れてきますから、ID教えてください」

「あ、あいでぃーっすか……えーと、今は―――――」

「こいつ全然ID覚えなくて。今日は仕方なくゲストID使ってるんだけど、データ入れるだけ入れられない? 今日中に素材確認しておかないとリテイク入っても間に合わないからさー」

 やっぱり本業には敵わないと千尋は思った。今回は千尋が美人相手にヘタれただけだが。

 ペラペラと口の回る野口の言に、女子学生はしばし考える素振りを見せ、

「じゃあ〝ネットワークフォルダ〟の〝Student〟に直接入れちゃいますから、すぐにこの端末に移してください。ほっとくと怒られちゃいますから」

 女子学生がUSBメモリを持って行くと、ほんの1~2分で指定のフォルダにデータファイルが表示された。言われた通り、すぐにファイルはパソコン本体のハードドライブに移す。美人の女子学生が自分のせいで怒られたとあっては忍びない。

「……可愛いよなあの娘。イイなー女子大生」

「……そういえば野口さんっていくつなんですか?」

「なに、年上だと女子大生と付き合っちゃいけない? 女子高生なら犯罪だけど女子大生は違うもんね」

「それについては何も言いませんけど……女子大生って女子大に行ってる学生の事を言うんじゃないですか――――あ、開いた」

 女学生に入れてもらったファイルを展開したアプリケーション上に落とすと、画面内に映像のビュアーウィンドウが出た。ここから編集するのだろうが、

「ビューにタイム……サイズ……解像度ってどうやって――――――」

「すいませーん!!」

 千尋が疑問を呈するより早く、突然野口が間延びした声を上げる。何事かと思い横を見ると、野口は手を振って先ほどの女子学生を呼んでいた。スゲー笑顔だ。

 呼ばれるまでもなく女子学生は千尋達の所に戻って来ている所だった。そして、野口の考えは分かりやすい事この上なかった。

「何度もすいませんねー。こいつソフトの使い方全然分からないっていうんで、ちょっと教えてもらってもいいですか?」

「いいですよー。さっきのファイルですね。どうします?」

「あー、か、解像度? とにかくキレイに――――――」

「画素数低くて見辛いんで、もう少し輪郭とか細かい所がハッキリするといいんですけどねー」

「それじゃアルゴリズムのフィルタかけてみますね。マウス持ってもらえます?」

「は、はい……」

 教えてやるからやってみろ、と言うことらしい。なるほどここは学校だ。結局聞いてはいないが、どうやら彼女が件の『ティーチングアシスタント』で間違いなさそうだった。

「編集したい画像をダブルクリックするとツールメニュー出てくるから、この……一番下の―――――」

「ッ~~~~~!!?」

 説明中に、不意に千尋のマウスを握る手の甲に冷たい感触が。見てみると、千尋の手を包むように、女子学生の手の平が重ねられていたではないか。

「ここでクリックするとファイル呼び出しウィンドウが出るから、えーと……確かこのファイルがそう」

「は、はぃい……!」

 自分でやれと言う事ではなかったのか。自分の手を千尋の手に重ねたまま、女子学生はマウスを操作しつつ至近距離で説明してくれる。

 落ち付いた美人は声も落ち着いていて、何故か千尋は追い詰められていた。助けて美波先輩。

 女子学生の手の平は尚も千尋を追い詰めながら、ファイルをダブルクリックしてフィルタの効果を映像に適用する。

 画面上のアプリに処理中のタイムバーが表示され、時間経過とともに映像ファイルが変化していった。

 その間も、何故か女学生の手の平は千尋から離れてくれない。純な少年は、微動だにも出来なかった。

「おー……スゲ……ホントに画像細かくなってんじゃん……」

 そして何故か、野口のやる気は急速に萎んでいた。テンション急降下だ。

「どう? これでいい?」

「お、え? あ、ああ、はい、いいと思います、よよろしいんじゃないでしょうか?」

 画像の方を見なくては、と分かっているのだが、背中越しに凶悪な柔らかさが千尋を襲ってそれどころではなくなっていた。危機ってヤツはどこにでも潜んでいるなぁこん畜生。

 耳元にやたらと近く感じる落ち付いた女性の声も凶悪である。一体いつからサスペンスからセクシーア

ンドバイオレンスへと変わってしまったのだろうオレの人生。いや、どっちもイヤだ。

「んー、でもこれ細かくはなったけどザラザラで砂みたいじゃねー? もっと顔とか分かるようになる方

が……まー俺にはどうでもいいけど」

「ちょ……野口さんもっとマジメに……いや、でも―――――」

「それじゃ別のフィルタ試してみよっか」

 再び女子学生がマウスを動かし、同時にグッと、千尋の背中へ女子学生の体重が掛けられた。何なんだろうこの攻撃は。また何かの陰謀なのか。

 いつの間にか親しげな口調になっていた女子学生によって、二つ三つと画像にフィルタが試されていく。

 最初のフィルタはボヤけた画像がややハッキリする代わり、ピクセル単位が独立したようにザラザラな

画像になってしまった。

 次のフィルタは輪郭が強調されたが、顔などの細かい部分は割れたガラスのようになってしまった。これも識別不能だ。

 そして、フィルタの効果をマシンが処理する度に待ち時間が発生するのだが、

「ねぇ、キミここの学生じゃないでしょ?」

「ぅィッ――――!?」

「別にいいけどね。ね、キミ高校生? これって彼女?」

「い、いや、そういうんじゃ……あ、高校生、です……」

 その時間が長い。果てしなく長い。

 100キロ近い大男の体重を跳ね返せる千尋が、背中に体重をかけてくる50キロあるかも怪しい女学

生に簡単に抑え込まれていた。

 恐らく画像の『彼女』、美波楓がこの場にいたら殴られていただろう。女学生じゃなくて千尋の方が。

 やはり間近で見ると、高校一年生の少年が大学生に混じるのは無理があったようだ。

 しかも千尋の反応は、女学生の同期が既に無くした初々しいもので、それがまた彼女には堪らない萌え

ポイントだった。千尋にそんな女子大生の心境を知る術は無かったが。

 そうやって女学生が千尋で遊んでいる間に、無数にあったフィルタが半分を消化ようとしていた。

 年上の女子の色香に千尋の意識が飛びかかり、野口は眠気で意識が飛びかかっていたその時、

「お……おー? いいんじゃね、これ?」

「は……あ?」

「あー、このフィルタは相性良かったみたい。キミとわたしの相性はどう思う?」

「うぇえ!? いや、どう、と、もう、され、まして、も……」

「フフ、かわいいかも……」

「おい……」

 真っ赤になってうろたえる千尋の反応はよほど女学生のお気に召したようで、ほとんど本題の方はそっ

ちのけだった。野口的にはやってらんねぇ。

 なんかもー事件もスクープもどうでもいい。いっそコイツ(千尋)が犯人でいいんじゃね? と何もか

もが面倒になる病に野口がかかりつつあったのだが、

「……おいちょっと待て、コイツの下衿……紺の枠に金色のバッジ……参院の議員……ってウソだろ……」

 改めて処理の終わった画像を見て、事件記者がその目をひん剥いた。

 今や美波楓の姿は、浮かないその表情まで見て取る事が出来る。その横で、美波楓の隣を歩く壮年男性の顔形かおかたちまで。

「知っているんですか野口さん、その男の事?」

 ガラリと変わった野口の様子に、流石に千尋も色香に負けてる場合ではなかった。

 鮮明になった画像に目を走らせるが、千尋の方にはその男が何者か、全然心当たりが無い。

 だが事件記者、野口真太には、間違いなくその顔には見覚えがあった。

 それは、

富岳玄一(とみたけげんいち)……今の総務大臣。内閣ナンバー2。与党の実質トップで上院の大ボスじゃねーか」



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