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JR御徒町駅。そこから20分程度歩いた所に、〝週間ファクター〟事件記者(自称)、野口真太の住むマンションはあった。ちなみに職場は同じ沿線の田町にある。
時刻は午後2時。牧菜千尋との待ち合わせは2時30分だったが、上野公園まではここから30分もかからない。
野口は身支度―――と言っても髭も髪もそのままだが、千尋との接触に備えて色々と準備をしていた。
必需品であるICレコーダーをはじめとした記者の商売道具は当然として、荒事になった場合のスタンガンや痴漢撃退のカプサイシンスプレー。携帯電話は私用、仕事用、隠し持つ用と3台持っている。
とはいえ、どれほどの用意をしても、実際に銃でも突き付けられたのならば、どうにか出来るとは思っていない。昨夜は銃で撃たれる夢に散々魘された。
野口の備えは、どちらかというと千尋に向けたものだった。取材した限りはただの運動不足な帰宅部員だったのに、先日の暴れっぷりは普通でない。
その時は逃げるのに必死だったが、今になって思うと、千尋に吹っ飛ばされた男達を色々探り放題出来たのに、と後悔していた。
(まったく、プロの記者が情けねー……。いや、ぜってー挽回する。事件記者、野口真太が警察の冤罪事件とその裏の陰謀を暴く。国民を弄ぶ特権階級にとっての法治国家社会、裏の権力構造。これよ!)
野口の頭の中では既に、〝週間ファクター〟で自分の特集記事が大量にページを占有して売り切れ続出大増版決定社会的大反響でメジャー紙を完全に出し抜き一躍自分が有名記者に―――――なっていたが、フと冷静になる。
そんな小さな事で良いのだろうか。
(なんつーか……うちの会社、扱いわりーしなぁ……。スゲー記事書いても販売数的に足を引っ張られるっていうか……)
だが、野口は今度のネタが間違いなく、超特大のスクープになると確信を持っていた。それこそ、今の中堅程度の雑誌に拘る必要がない程に。
「……こりゃー上手くやれば、大手メジャー紙に移籍……なーんてのも……」
書きかけの記事を保存終了してノートPCを閉じる。
内心小馬鹿にしていた一流どころの記者。だが、いざ自分がそれになれるかも、と思うと悪い気はしない。
「日本新聞事件記者、野口真太ってか~……」
鼻歌交じりにそんな独り言を繰り出していた、その時だった。野口の真後ろ、後頭部の辺りでカキンッ……と金属音が響いたのは。
「……『日本新聞』? あれ? 夕路社の野口さ……野口……じゃないのか?」
「……は…………?」
金属音がした時には、(銃――やられる―――!?)と一瞬で死ぬ所まで想像した野口だったが、背後からの低く抑えた声を聞くと、その襲撃者の正体を看破してしまった。
「ちょーっと映画の見すぎじゃないの牧菜千尋くん? ライターじゃヒトは殺せないよ?」
「ぅえ〝!?」
言うのと同時に、シュボッと野口の後頭部に高熱源体が急接近。というか接触。
パチパチと野口の耳元近くで何かが弾ける音がし、同時に漂ってくる焦げ臭く鼻孔の粘膜を突く刺激臭。そして、冷たさと勘違いしかねない、ひりつく様な灼熱感―――――
「ぅあぢぃいイぃえぇエあァアぁあアあァアあ――――!!?」
「うぉあ!? ご、ごめんなさいぃ!!」
後頭部を抑え、テーブルや鞄を蹴散らして転がりまわった後、野口は流し台に頭を突っ込んだ。
慣れない事はするもんじゃないなぁ、と深く反省する千尋を、対面に座る男が恨めしく睨んでいた。
「おま……これ、ハゲになったらどうすんだ! まだ30にもなってないってのに……」
「いやなんて言うか……ホントすいません。でも焼けたのは髪だけですし……」
「そんなの分かんねーじゃんかYO!! 見えないってだけで頭皮の方がダメージ受けてたら……って言うかダメージ確定じゃねーか!!」
最近枕に抜け毛が目立つようになった。いやまだ大丈夫な筈、だ。そんなデリケートな時期にこの所業。ましてや相手が10代でそんな心配など皆無の小僧。恨めしい事この上なかった。
千尋としては、実際にライターを点火する気は皆目無かったのだが。全て事故であると主張したい。
「――――ったく、事によっては俺がお前を救うかもしれないって分かってんのかね……?」
「ま……マジですか……いやホントごめんなさい! ただなんて言って声をかけていいか分からなかったんで、ちょっとカッコつけただけなんです!」
「普通に声かけーや! 大体なんでお前ここに居るんだよ!!?」
もう待ち伏せも襲撃もたくさんだったので、今回は行き先を誰にも悟られない方法を取りたかった。結果、野口を騙す事になったが、始めから信頼出来るワケもなかったので勘弁してほしい。
「はー……ただの高校生が用心深くなったもんだなー……って、そういやお前どうして俺の家を知ってる?」
「それは、あの……き、昨日実はこっそり後を付けたんですよ! でも警察でも何でもなさそうだったから――――さっき電話がかかってきたのはビックリしました」
「マジかー……? ホントかよ……記者が付けられて気が付かないなんて……てかホントにもうただの高校生じゃないのな?」
「ハハ……」
あからさまに怪しむ事件記者(自称)だが、千尋の嘘も下手糞なのでお互いさまだろう。
野口は小さなアイスパックを後頭部に押し当てつつ、冷蔵庫から取り出してきた発泡酒の缶を空ける。
昼間からかよ、と現役高校生は思わなくもない。このヒトに希望を持って大丈夫か。
「まー落ち着いて話をするって意味ではこれ以上ないけどー……おい大丈夫か、お前昨日みたいに付けられてないだろうな?」
「……多分だいじょうぶ、と思う……」
「頼むぜーおい……」
立ち上がり、今更ながらにカーテンを閉める野口。チラリと、わずかな隙間を空けて3階から窓の外を見る。
「それっぽいのはいないな……。そういえばお前どこから入ってきた?」
「それ……そこの窓、カギ開いてました」
実際には『開いていた』のではなく『開けた』が正しい。
ある種のカギは窓そのものを持ち上げてやると緩める事が出来る。とはいえ道具も無しでそんな事が出来る人間はまずいないので、真似しようなどとは考えないでいただきたい。
◇
野口真太は病院―――へは行かず、最初の事件現場の周辺へと戻っていた。
千尋は野口の口入れで、ビジネスホテルに宿泊する事になった。
部屋は野口の名前で取り、裏の従業員用出入り口から入ったので、誰にも顔を見られていない。監視カメラもダミーだけだという、なんとも怪しいホテルだった。
ちなみに千尋が泊まっている部屋に飾られている絵。その額縁の裏にはお約束な物が張り付けられているが、千尋はまだその事実を知らない。
野口の部屋で千尋からの聞き取りを終えたのが2時間前の事。
当時の事を思い出させ、本人が気にさえしていなかった事実を言葉として引き出す手管は流石記者だと言えた。
いや、野口にしてみれば金も取引も必要無しに情報を引き出せる千尋の方が、普段の取材相手に比べれば格段にチョロイ相手なのだが。野口が千尋の意に沿う記事を書く保証も無いのに。
野口の『取材』は事件当日の朝から始まる。順を追わせてより事実を思い出し易くする為だ。それで、即何かしら決定的な情報が得られる、とまでは思っていない。
千尋が終盤半泣きになりながら語ったこれまでの出来事は、概ね野口が取材した事で裏が取れていた。
中でも注目すべきは、やはり事件当時の事。それも、警察発表にも野口のこれまでの調べにも無かった事実。
つまり、被害者である美波楓と一緒に居た男の存在。
警察は牧菜千尋以外の容疑者を全く捜査しようとせず、『加害者は被害者と同じ学校の生徒の少年』と発表してしまっている。どう見ても性急過ぎた。
警察が真犯人を知って、事実を隠蔽しようとしていると想像するのは難しくない。
だが記者は想像だけではなく、確証と証拠を以って真実を明らかにせねばならない。
そして警察、そして謎の黒スーツどもが少年に全てを押し被せて闇に葬りたい事実とは、何か。
陰謀は、記者にとって花と同じだ。華やかで甘い蜜があり、そして棘もある。ハイリスク・ハイリターン。必ずモノにする気ではあるが。
野口の予想通り、現場周辺のコンビニや街頭監視カメラのデータ・テープ類は全て警察が押収済みだった。流石にその辺りに手抜りは無い。警察を偽称して方々にあたってみても、収穫は皆無だ。
しかし、警察の公権力も万能ではない。
いち雑誌記者に過ぎない野口だが、日頃怪しい手合いに取材を行うからこそ知ることの出来るケモノ道、というモノがあった。
ただでさえ、事件現場周辺はラブホテルや裏ビデオ屋、違法風俗のある区域に近い。警察などの手入れを警戒して、表からは分からないように仕掛けられているカメラも幾つか存在していた。
ただ仕掛けた人間が問題だったが。
企業ヤクザ、業突く張りの闇業者、海外からの違法出稼ぎ労働者。いずれも好んで付き合いたくない人種ではあるが、貴重な情報ソースでもある。
勿論、対価は安くない。単純な金銭の話だけではなく、もっと重大なモノを要求される事すらある。中でも、『借りを作る』のは最悪だ。白紙で小切手を切るようなものなのだから。
そうして、たった4時間でゲッソリと窶れてしまった野口が千尋の居るホテルに戻った。久しぶりの人間らしい部屋を満喫していた千尋としては、大変申し訳ない気分になる。
「お、お疲れ様っス……収穫ありました?」
「………」
白々しい質問だとは千尋も分ってはいたのだが、何も声をかけない沈黙も耐えられなかった。案の定、野口は不機嫌を隠しもしない目で千尋を見る。
「……ったく、中身も見せないうちから吹っかけやがって……。福袋かっつーの」
絶対元を取ってやるからな、とブツブツ言いながら野口が鞄の中身をベッド上にブチまけた。
携帯電話やスタンガンに混じって、リップスティック大のプラスチック製品が多く見られる。USBメモリーだ。
「最近は小汚ぇー裏ビデ屋も監視カメラはコンピューターに繋がってるってんだから……。まぁノーパソ一台あれば見られるってのは便利だけどな」
鞄の中には小型のノートPCもあった。SSD搭載のそれは起動が速く、10秒もかからずデスクトップ画面が表示される。
野口は手近にあった青い外装のUSBメモリを取ると、スロットの一つにコネクタ部分を差し込んだ。
USBメモリが自動再生されて、フォルダの中のファイルを表示させる。
「えーとこいつは確かー……あ、違法輸入雑貨の店だな」
「……『違法』な……輸入雑貨? ですか?」
「あー、つまり銃とかクスリとか、あとは……そう、派遣業とか? まーどうでもいい事だろう」
これ以上世間の闇に浸りたくないなぁ、と聞かなかった事にしたかった千尋だが、本人の希望とは裏腹に、この事件後も千尋は裏街道まっしぐらなのだったが、それはまた後日の話。
「大事なのはこいつの中身だ。例の被害者といた男ってのが映っていれば、なんか手掛かりになるかもしれんしなー。ただの援交オヤジって可能性も―――――いや……まー真犯人を見ているかもしれんしな、そのオヤジってのが」
「………」
不自然に話題を変える野口に、千尋は相槌も返さなかった。
微妙な沈黙がホテルの一室を満たすが、その間もノートPCのディスプレイでは映像が動いている。
音声は入っていない。監視カメラにそんなモノは必要ないのだろうし、映像に比べれば小さくても、音声を削ればデータ量は減らせる。
監視カメラ映像には、事件のあった小さな通りを、疎らにヒトが行き交うのが映っていた。
監視カメラの映像に記録されている時刻は、事件当日の午後6時。千尋が先輩を見かけた時間だ。
当たり前だが、そう都合よく目的の人物が映ってはいなかった。
千尋と野口が美波楓の姿と、それに決定的な人物を映像の中に見つける事になるのは、それから10時間後の事となる。