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Sledgehammer



 事件現場となった雑居ビルは、年初に火事が起こった事で全面改装中の建物だった。

 それだけでも縁起が悪いというのに、今回の事件でいよいよテナントが入る可能性は絶望的に無くなっただろう。

 それどころか、改装も中止になり、取り壊される事さえあるかもしれない。末は駐車場だろうか。

 未だに黄色いテープでビルごと封鎖されている事件の現場に、〝週刊ファクター〟の事件記者(自称)、野口真太は入り込んでいた。

 事件を追うにも逃走中の容疑者に関しては、その行方の手掛かりすら掴めない。

 今まで取材に応えたのは、大した事でもない『重大情報』を大そうに話す人間だけ。

 確実に何か知っている警察は、今回に限っては妙にガードが固い。それは、この事件に裏がある事の証左と言えなくもないが、そのくせ逃走中の未成年の容疑者を探すのには、それほど力を入れていないようにも見える。

 記者仲間に探りを入れてみるも収穫は無く、八方塞がりの記者は刑事の真似事でもやってみる気になったのだ。

 すなわち、捜査に詰まったら現場に戻る。

 とはいえそれは建前みたいなもので、実際に現場に何か残されていると思っているワケでもなかった。

 体質はともかく、日本の警察の捜査能力が世界随一であると事は疑いようもない。それでもここに来たのは、事件記者としての勘がそうさせたのだと、野口は後に語った。本当のところは分からない。


 ビルの一階は元々美容室であり、失火したのは二階の居酒屋だった。美容室の歩道に面する側は全面ガラス張りになっていたが、火事により全て割れてしまっている。

 美波楓の殺害当時はビル一階の正面にブルーシートが張られていたが、犯人が入り込むのは簡単だった筈だ。今の野口同様に。

 美容室は、メインストリートと呼べる大通りからは一本外れた通りにある。

犯行時刻前後になると、この辺りの人通りも極端に少なくなった。ここを通るのは、近場のラブホテルに用事がある男女くらいだろう。

 牧菜千尋が美波楓をストーキングし、この現場で迫って拒絶され、逆上して殺害した。

「ふぅん……」

 こうして現場に来てみるまでもなく、どうにも薄っぺらいストーリーだった。

 現場の立地、聴き取った千尋の人物像、そして美波楓はどうしてこんな所を通ったのか。

(格闘技も部活もやってない牧菜千尋が女一人を引き摺ってくる……考え辛いな。美波楓が付いて来たとも考えられるが、殺す理由が……理由? そもそも美波楓の方が脈ありじゃなかったのか?)

 野口真太は真っ暗闇の中で想像力を働かせる。

 自分の目と耳で集めた情報を、事件の予想図面を頭の中で組み立て当てはめてみるが、どうしてもしっくりこない。

 納得が出来ないのは、その話が不自然だからだ。ならば、そこには必ず何かしらの理由がある。

 その『理由』を探す為に野口は此処まで来て、

 ドスンッ、と上から物音がしたのがその時だ。

「ッ……なんだ、今の……!?」

 ビルは三階建て。今は空だが、一階の野口まではまだ二階分のフロアがある。

 今のは、何か柔らかいモノが落ちて来た音だ。屋内にそんなモノが残っていたとは思えないが、ならば落ちてきたのは屋上か。

 屋上に、落ちてくる。どこか変な日本語だ。

「…………」

 野口は息を潜め、耳を澄ませて身動みじろぎひとつせずに天井を見つめる。

 聞こえるのは、遠くにクルマが行き交う音と、交差点の歩行者を促す音楽。そして微かに、野口の耳はジャリ……、と一定の間隔で近づいてくる、床を擦る音を聴き取った。

 間違いない。自分の他にも誰かいるのだ。


                              ◇


 不法侵入も慣れたもので、千尋は周囲の目を警戒して屋根伝いに、最初の事件現場となったビルに侵入した。

 朽ちかけた様な雑居ビルに警備装置やセキュリティー設備があるワケもなく、すすやホコリで汚れたビルの中を、何の苦労も無く一階へ降りて来られた。

 現場はあの時と相変わらず、コンクリーとの粉塵が床に積り、煤や汚水で汚れた壁へ中途半端にペンキが塗られ、ビニールやら紙やらがあちらこちらに散乱している。

 そして床のある一画には、白い線で人型が描かれていた。

 本来は美容師の休憩スペースか何かだったのだろう。美容師が客の髪をデザインするメインフロアと扉ひとつ隔てただけの、8畳程度の部屋。

「……ここに先輩が居たんだ……」

 こんな荒れた所に、先輩は横たわっていた。まだたった3日前なのに、一年くらい前の事に感じられる。

 そして、恐らく一生忘れられない。

 片膝をつき、白線へこうべを垂れる少年。その姿は忠誠を誓う騎士のようで、あるいは赦しを乞う罪人のようだった。

 千尋の指先は白い塗料へ近づくが、しかしあと僅かの所で触れない。

 黙祷はしなかった。目を閉じて、開いた時にまだ先輩がそこにいるかもしれない。

 そんなバカバカしく、あり得ない事を恐れ、同時に願わずにはいられなかったからこそ、目を閉る事は出来なかった。

 もう一度逢いたいと、叶わない事を心底願ってしまう。生き返るのでも、過去へ戻って先輩を危険から隠すのでも、やり方は何でもいい。

 ただ、本当に二度と会えないのかと思うと、辛く悲しくてどうにもならなくなる。いっそ、実は死んでなかったとかいうドッキリカメラでもいい。

 仮に自分の無実を証明できても、先輩は還ってこない。それでも、もしやり遂げる事が出来たら、先輩も戻ってくるのでは。そんな都合が良過ぎて何の因果も脈絡もない考えが、頭から離れないのだ。

『そういえば聞きたい事があったのよ』

「………」

 随分久方ぶりに、謎の声が耳のすぐそばから聞こえた、気がした。実際には半日といったところだろうが、時間の密度が高すぎるのだ。久しくも感じる。

『キミはここで、偶然彼女の遺体を発見したのよね? でもここって覆いがあって外からは何も見えないじゃない。どうしてワザワザ立ち入り禁止の所に分け入ったりしたの?』

「………」

 そういえば、と千尋に遠い記憶が呼び起された。といっても3日前なのだが。

 あの日は探し物の中古ゲームがあって、市内の中古ソフト販売店を何件か梯子ハシゴしていた。

 いや、正直に言うと、ただ歩きたかったのだ。少し嫌なモノを見てしまったせいで。

 その事は、警察では話していない。

 開いている中古ソフト販売店は回り尽くし、少し遠回りをして帰ろうと思ったのは本当に偶然だったが、火事のあった雑居ビル前で感づいた事は、実は偶然ではなかったりする。

 その事も警察には話していなかった。話した所で、怪しさが増しただけだろう。

「………匂い、と……あと……いや……」

『臭い? 腐敗臭?』

「ちっがう……! その……先輩のタバコと……多分、香水か何か……」

 未成年なのに喫煙していた美波楓は、香水らしきモノも付けていた。

 その僅かな紫煙の残り香と、香水の甘酸っぱい香りが混じり合った匂いは、千尋の鼻孔と脳裏に染みついている。先輩が動く度に、その香りが宙に残されていた。

 この美容室前で、あの時にフワリと先輩の匂いが漂って来た気がしたのだ。

 だが、実はそれは二次的なモノでしかなかった。口には出さないし、『声』にも話さない。

『「匂い」ねぇ……そっちは特に何もしてないけど……』

「『匂い』ねぇ? まぁ無罪の証拠にはならねーだろうなー」

「は……?」

 いつもの『声』かと勘違いするほど同時に、そして唐突に出現したもうひとつの声は、今度は実態の無い者ではなかった。

 びの浮いたオレンジ色の工事用機械の影から、背の高い人影が湧き出てくる。照明など無い暗い空間だったが、ここでも千尋の眼には全く問題なかった。

 その男は薄茶のワイシャツの上に黒のジャケットを纏い、下はジーンズに革靴という恰好だった。

 癖毛なのかあるいは寝癖か、髪は少し跳ねており、アゴには無精髭も見られる。

 少し垂れ目気味で、こんな時でも緊張感が無い。体形は痩せ型で、やや猫背。

 全て併せると、軟弱な印象を持った。

「ああ、安心して良いよ。オレ警察じゃないから。牧菜千尋君?」

「………!?」

 暗闇で一歩踏み込んで来た男に対し、千尋は勢いよく立ち上がる。自然に腰が落ち、いつでも逃げ出せる野生の獣の姿勢だった。

 警戒は怯えの裏返しだ。虚飾も見栄も無い千尋の警戒ぶりが面白かったのか、背の高い無精な男は上から下まで測る様に千尋を眺めていた。千尋としては動物園のクマの気分か。


 印象とはだいぶ違った。

 警察の発表を信じるのなら、自己中心的で思い込みの激しい短絡的な思考を持つ我慢の出来ない現代の若者。自分以外の全てが間違っていると信じて疑わない、世間を下から睨みつけるような感じの悪い人物、ではなかった。

 聞き取りで得られた人物像とも違う。他者に迎合的で自分の意見を強く通さない、愛想笑いが似合う日和見的ひよりみてきな表情も無い。

 今、事件記者(自称)野口真太の前に居る少年は、まるで戦争をしている兵士かサバンナの獣といった様相だった。どちらも行った事はないが。

「今の独り言は面白かった。自分が発見した時にはもう死んでた、って言いたいんだろ? 自首してそう訴えるつもりかい? 無駄だと思うねー」

 訳知り顔で外国人みたいに首を振って見せる男に少しムカつく千尋だが、こんな得体のしれない人間の相手をするつもりもない。

 そもそも、ここにだって何か目当てがあって来たワケではないのだから、ここは三十六計逃げるにしかず。と思ったのだが。

「ああ、逃げるならその前にぜひ教えて欲しいんだけど、牧菜千尋君。先輩には告白したのにダメだったの? だから――――――」

「ま、まだ(・・)してね―――――!!?」

 状況的に全く予想だにしない不意打ちの科白せりふを喰らい、うろたえた千尋が絶叫する。

 そんな事できれば苦労はねー、と声を大にして言うのも、自分がヘタレだと自白するようなもんで、言い辛い事この上ない少年だった。

 そんな至極青少年っぽい反応を返す千尋を、野口は半笑いの表情とは逆に冷静に見ている。

「…………」

(『まだ』だって……。いいなー若さって。……こいつ、まだ彼女が死んだって思い切れてねーんだ)

 無論、それが牧菜千尋が美波楓を殺していないという証拠にはならない。世の中には、自分でやった事をやっていないと本気で思い込む事の出来る人間もいる。

 美波楓とは友人として仲が良かったがそれだけで、牧菜千尋は想いを伝えるも受け入れられずに、ストーカーと化し、最終的に殺してしまった。その線はまだ棄てられない。

 だがそれにしては、目の前で赤くなって動揺する少年は反応が素直すぎた。野口が見て来たどんな犯罪者のタイプとも合致しない。

(こりゃホントに……デカイ魚、かも?)

 牧菜千尋が本当に白となれば、少年〝M〟が殺人犯であるという既定路線を押し進める警察の策謀は明らかだ。もしも全てを解き明かして記事に出来れば。

 漠然としていた魚影が、水面ギリギリにまで浮かび上がって見えるではないか。

(こりゃー欲しい……絶対欲しい!)

 そして、今後のサクセスロードを想像していた野口真太の耳に、どこかしらからカツッ、と固い音が聞こえてきた。

 その音で我に返った野口が、何事かと首を廻らせようとするのと、その目前に件の魚―――むしろ餌――――の牧菜千尋が飛びかかって来たのが同時。

「ゥ―――――!!?」

「ッだぁあああああ!!!」

 考え事をしていたのは事実だが、それにしてもシーンスキップしたかの如き千尋の突撃。

 殺られる!? と硬直する野口は、その勢いで床へと突きとばされた。

 やっぱりこいつ殺人犯だったか。と泡を食いながら、後ろ手にバタバタと下がる野口。その眼前では、理解し難い光景が突如として展開されていた。


「え……? へ――――――!?」

「ぉあああああ!!!」

「ぐふぁッ!!?」

 素人丸出しの大振りだったがその打撃速度は凄まじく、野口の知らぬ間に扉の所にいた黒いスーツの男が、牧菜千尋に殴り飛ばされる。

 男は千尋よりも大柄だったが、殴られた威力で建物の内と外をを隔てるブルーシートのたもとまで転がされた。

 そのブルーシートの両端から、またはブルーシートを捲り上げて数人の男が侵入してくる。黒スーツ達の手には、サイレンサーで銃身を延長している拳銃が。

「お、おお、おおおいおいおいおい―――――!!?」

「――――逃げろ!!」

 繰り出されるのはまたも素人くさいローキックだったが、床面を踏み砕かんばかりの千尋の突撃速度に黒スーツは回避不能。蹴りは不発だったが体当たりになり、別の黒スーツを弾き飛ばした。まるで交通事故のようだ。

 別のひとりに銃を向けられた千尋は、慌てて反射的にジャンプしようとした――――のだろうが、2メーターと少ししか高さのない天井に頭から突っ込んだ。

「うげぇ――――――!?」

 ズボゴンッ!! と派手な音をさせ、千尋の頭が天井を突き破ってしまい天井材を粉々にした。

 天井材の石工ボードは、白い破材と無数の微粒子と化し室内に広る。黒いスーツを白く汚して、襲撃者達が咳き込んだ。

「ィつつつつ――――――う、うぉら!!」

 尻から落下し120キロの衝撃に悶えかかる千尋だったが、足の延長線上に黒スーツの脚があると見るや思いっきり蹴飛ばす。

 ゴベキッ! と湿った木材の割れる音がした。

「ぃぎぁあぁアあァア――――――!!!」

「ぅ、うお!?」

 弁慶の泣き所が真っ二つに折れ、黒スーツの男が床に倒れてのた打ち回る。

「す……げー……どうなってんだー……?」

 出鱈目だが、大暴れという言葉がピッタリだった。

 まともなケンカの仕方も知らない少年が、ただ無我夢中という感じで四肢を振り回すだけなのに、その威力が尋常ではない。暴走した重機か、台風だ。

「―――おい逃げろって――――!!」

「――――へぇ……?」

 呆然と見ていた野口より、遥かにテンパった様子の少年が怒鳴った。

 気が付けば目の前に黒スーツのひとりが立ち、丸い筒―――サイレンサーの先端を、尻もちを着いたままの野口の頭へ突き付け、

「――――ぉおオォおオ!!!!」

「ゲヒッ―――――!!?」

 少年の加速付きドロップキックで壁にまで叩きつけられた。いや、正確には足の裏では直撃せず、空中体当たり―――ブランチャー のようになっていたが。

 そして、繰り返して補足すると、千尋の体重は現在120キロ。

 一溜まりもなく、身体の中から空気を残らず搾り取られ、白目を剥いて黒スーツは倒れた。

「ッ……逃げろって言ったのに何で逃げないんだよ! あんたも死ぬぞ!!」

「お、あ、お、おお、おおお! お!!」

 たった今見せた暴威と怒声の迫力に、千尋よりもずっと年上の事件記者は『あ』と『お』しか言えずに、ただコクコクと頷いた。

 僅か十数秒で4人が壊され、黒スーツの男達に動揺が見られる。そこを好機と見るほどの冷静な判断力は千尋には無く、ただ夢中で突っ込んで往くだけだっだ。

 両腕をいかりのように広げ、二人を巻き込んでブルーシートの外へと雪崩出る。そこに停車していたクルマへ、3人諸共激突した。

 美容室に残されたのは、顔面を陥没させ、脚を砕かれ、血を流して床に倒れる4人の黒スーツの男。それに、事件記者の野口真太だけだった。

 腰を抜かした野口は、四つん這いのまま恐る恐るブルーシートを潜る。そこにはサイドドアを大きく拉げさせたクルマと、口から泡を噴いて倒れる二人の黒スーツしかいなかった。



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