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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第21話 道場破り

「……兄ちゃん」


盤の向こうから、

しわがれた声が飛んできた。


「アンタ、実は奨励会員かい?」


「……え?」


俺は、思いがけない問いに、

一瞬、言葉を失った。


今、俺の向かいに座っている対局相手は――

東栄将棋センターの中でも、

トップクラスの強さを誇るという、

六段の、おじいちゃんだ。


俺は、中野さんの到着を待つ間、

ひたすら将棋を指していた。


気づけば、これで六局目。


初段の女の子。

二段の小学生。

三段の中学生。

四段の青年。

五段の中年男性。


対局に勝ち続けて――

そして、今。


最後に残った、

今日このセンターに来ていた中で、

古参の最強格。


六段の吉田さん。


周囲には、いつの間にか、

かなりのギャラリーが集まっていた。


正直、

このセンターに来た本来の目的は、

将棋を指すことではなかった。


だが――


盤を挟んだ瞬間、

体が、自然と“あの頃”に戻っていた。


指先が迷わない。

形が、はっきりと見える。


そして――今。


盤面は、

誰の目にも明らかなほど、

俺の勝勢だった。


「い、いえ……!」


俺は慌てて首を振る。


「奨励会員じゃないです!

 ただの、高校の将棋部員です」


「……そうか」


吉田さんは、

盤から目を離さないまま、低く唸った。


しばらくの沈黙。


やがて――

吉田さんの手が、

盤の上にそっと置かれた。


「……ここまでだな」


ぽつりと呟き、

それから、ふっと笑う。


「いやぁ……俺の負けだ」


「え……?」


「投了、だな。

 ありがとうございました」


その言葉に、

周囲の空気が、ざわりと揺れた。


俺も一拍遅れて、慌てて頭を下げる。


「あ、ありがとうございました」


「こんなに、あっさり負けたのは……

 本当に、久しぶりだ」


吉田さんは盤から顔を上げ、

俺をじっと見つめた。


「兄ちゃん」


「は、はい」


「ただの将棋部員、

 って棋力じゃないぞ。これは」


ひそひそと、声が広がる。


「……六段の吉田さんにも勝ったぞ」

「しかも平手だ」

「高校生、だよな?」


俺は急に居心地が悪くなって、

思わず頭をかいた。


(……道場破りみたいになってしまった)


そのとき、

ふと壁に掛かった時計が目に入った。


――午後一時。


気づけば、

ここに来てから三時間以上が経っていた。


六局も指していたのだから、

無理もない。


腹の奥が、

遅れてぐうと鳴る。


(……そりゃ、腹も減る)


その瞬間だった。


「……おや?」


背後から、

落ち着いた声が聞こえてきた。


「今日は、ずいぶん賑やかだね」


振り返ると――

入口の方に、

ひとりの男性が立っていた。


白髪混じりの髪。

背筋の伸びた立ち姿。


――多分、この人だ。


俺は、直感的にそう思った。


受付の宮崎さんが言っていた、

東栄将棋センターの席主。


中野さん。


吉田さんが、

にやりと笑って言う。


「ちょうどいいところに来たな、中野さん」


「え? ちょうどいい?」


「この兄ちゃんに、

 今、俺が負けたんだよ。平手で」


そう言って、

顎で俺を示す。


「……ええ?」


中野さんの目が、わずかに見開かれた。


「吉田さんが……

 平手で、負けたのかい?」


その視線が、

ゆっくりと俺に向けられる。


その瞬間、

俺はここに来た本当の目的を思い出し、

はっと我に返った。


心臓が、

どくん、と大きく脈を打つ。


悟平君の記憶の戸を開く鍵。

その在処を知る、

唯一の希望。


もし、この人が――

もし中野さんが、

悟平君のことを覚えていなかったら。


ここで、

すべての手がかりは途絶えてしまう。


俺は、

席主・中野さんを、

祈るような気持ちで、

ただ、じっと見つめていた。

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