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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第17話 もう一つの孤独

しばらくして、

五平の嗚咽は、少しずつ収まっていった。


「……取り乱してしまったな」


五平は目元を拭い、かすかに笑う。


「すまなかった」


「いや……」


俺は首を振った。

それだけで、十分だった。


「……蓮…… 会えて嬉しいぞ」


真っ赤な目が、じっと俺を見つめていた。


「……五平…… 俺もだよ」


五平は一度、深く息を吐く。

そして、ゆっくりと周囲を見渡した。


白い壁。

実験台。

整然と並ぶ器具。


「……見たことの無い物ばかりだ。

 これが、蓮の生きる時代なのだな」


その言葉が、

胸の奥に、静かに染み込んだ。


「五平は……」


俺は言葉を探しながら、尋ねた。


「どうして、この時代へ?」


五平は、ゆっくりと頷いた。


「うむ。

 ……私も蓮と同じく、

 あの盤の光に導かれたのじゃ」


「……え?」


そうだ。


俺がこの時代に戻ってきたとき、

あの盤は、一緒に戻ってこなかった。


あの盤は、江戸に残っていて――

五平を、この時代へ連れてきたんだ。


そう考えると、

胸の奥が、静かに震えた。


それから、五平は、

盤に導かれるまでの出来事を、

静かに語り始めた。


師・宗歩の旅についていかなかったこと。

その選択を悔いながら、

長い年月を過ごしたこと。


そして、

再び師を訪ねたときには――

もう、この世にいなかったこと。


俺は、言葉を失っていた。


……最近、

佐久間先生から聞いたばかりの話。

それが今、目の前の五平の口から、

語られている。


運命めいたものを感じて、

背筋が、ひやりとした。


「絶望していた、私に――」


五平は、そっと目を伏せる。


「使用人は、宗歩様の申し伝えだと言い、

 あの盤の元へ私を案内したのじゃ。

 

 ……宗歩様から、私が訪ねて来たときは、

 この盤を渡すように申しつかっていると」


俺は、ゴクリと息をのんだ。

五平は、静かに顔を上げた。


「そして、あの盤は、

 突如として光を放ち――

 気づけば、

 私は、この悟平殿の体におった」


理科室に、

重たい沈黙が落ちる。


壁時計の秒針の音だけが、

やけに大きく響いていた。


そして、その音の中で、

胸の奥にひとつの驚きが浮かんだ。


宗歩先生が、

五平を、あの盤のもとへ――


「なあ、五平」


「……うむ?」


「先生はさ。

 こうなること……

 分かっていたのかな」


「……!」


五平の目が、カッと見開かれた。

その迫力に、俺は思わずたじろぐ。


「……どうしたの、急に?」


「いや、思い出したことがある」


五平は、言葉を選ぶように一度息を置いた。


「蓮が光に導かれ、

 残された盤を見た師は――」


俺も、思わず目を見開く。


「確かに、こう言ったのだ。


 『また、いつの日か、

  蓮に会うときがくるかもしれんな』


 ――と」


背中がぞくっとした。


そのとき――

改めて、宗歩先生の凄さ、

そして底知れなさを感じた。


厳しかった先生。

けれど、弟子のことを想ってくれていた先生。


きっと、

五平が道に迷うことも――

お見通しだったのかもしれない。


長い沈黙。


五平もきっと、

宗歩先生のことを思い出しているに違いない。


だが、その沈黙の中で――

胸の奥から、

静かに湧き上がってきた感情があった。


それは、喜びだった。


「……五平」


俺は、喉の奥の乾きを押し込みながら言った。


「これで……

 また、五平と将棋が指せるんだね」


その言葉に、

五平は、静かに俺の目を見つめ――

ゆっくりと、首を振った。



「……いや、そうではない」


「え?」



思ってもみなかった反応に、

一瞬、言葉が詰まる。


「この身体の持ち主である、

 悟平殿が――

 将棋を、拒んでおる」


思わず、言葉を失った。


「理由は……まだ、分からぬ」


五平は、苦しそうに眉を寄せた。


「だが……

 これを解かねば、

 私は、将棋を指すことができぬ」


「……どういうこと?」


俺には、まるで訳が分からなかった。


詳しく事情を聞こうとした――

そのとき。


ガラガラッ!


理科室の扉が、

勢いよく開いた。


「神矢君!

 苦渋の決断だが――

 今日はテストの準備で、

 私は将棋ができない!」


佐久間先生は、理科室に入ってくるなり、

勢いよく叫んだ。

その目には、なぜか涙まで浮かんでいる。


俺と五平は、

思わず身を引きながら、

呆然と先生を見つめた。


「……ああ、なんてことだ……」


先生は大げさに肩を落とし――

そして、ふと俺たちを見る。


「って、おや?

 悟平? ……珍しいな?」


重い空気が一気に晴れて、

俺と五平は、顔を見合わせて笑った。


それでも――

悟平君が将棋を拒んでいる。


その一点の曇りだけが、

胸の奥に、深く残っていた。

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