第15話 理科室の来訪者
ある日の学校の昼休み。
廊下を歩いていると、
佐久間先生が窓際で立ち止まっていた。
いつもなら、
近づく気配にすぐ振り返るのに、
今日は――気づかない。
「……先生?」
声をかけると、佐久間先生は、
はっとしたようにこちらを振り向いた。
「おお、神矢君か」
その顔を見て、
――あれ?
と、胸の奥がざわついた。
やっぱりいつもの先生とは、どこか違う。
「先生、どうかしたんですか?」
俺がそう聞くと、
先生は一瞬だけ視線を泳がせてから、
ぽつりと言った。
「……分かるかい?
いや、まあ“何かあった”ってほどでも、
ないんだけどね」
要領を得ない言い方に、
俺は首をかしげた。
「……実はね」
先生は、少しだけ声を落とした。
「うちの息子がね。
……いきなり、自分からすごく、
話すようになったんだ」
「えっ?」
思わず声が出た。
「あまり喋らない子だったんだけどなあ……」
先生は、照れたような苦笑を浮かべた。
「話し方も、
なんだか少し変なときがあってさ」
その言葉のあと――
佐久間先生は、じっと俺を見た。
「神矢君。
この前、うちの息子の話をしただろう?」
「はい」
「……息子に、何かしたかい?」
「いやいや!」
いきなり疑われて、
思わずのけぞった。
俺は慌てて首を振る。
「そもそも、
会ったこともないですよ」
「えっ?」
先生は一瞬、目を見開いた。
だがすぐに、何か腑に落ちたように頷く。
「……そうか。
クラスが違うから、知らないのか」
「え?
この学校の生徒なんですか?」
「そうだ。神矢君と同学年だぞ」
ウチの学校は、
一学年の生徒数が、二百四十人。
六クラスもあるんだから、
顔も名前も知らない同級生がいて当然だ。
その一人が、佐久間先生の子供。
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
(じゃあ、佐久間先生の子なら……)
自然と、そんな考えが頭をよぎる。
将棋。
部員。
人手不足。
(将棋、強いはずじゃん!
これは、部員ゲットのチャンス――)
「……ああ」
その瞬間だった。
「うちの子は、将棋できないよ」
――読まれた。
思わず口を閉じる。
「なんで、
私の子なのに将棋を指さないのか、
分からないが……」
「……そうなんですね」
俺がそう返すと、
先生は肩をすくめた。
「でもな。
私と同じで、実験好きなんだ」
「実験?」
先生は、得意そうに言った。
「実験のセンスは、私譲りだ。
……まあ、親子だから、
気を使ってるのかもしれんが……
理科室には、たまーに顔を出すぞ」
そうか。
確かに、親子だからこそ、
あまり顔を出せないのかもしれない。
――と、俺は思った。
「……確かに、会ったことないですね」
「そうだな」
先生は、ふっと笑った。
「会ったときは、仲良くしてやってくれ」
「はい」
それだけ言って、
先生は職員室の方へ歩いていった。
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その日の放課後。
今日は火曜日。
将棋部の練習日だ。
理科室に来たが、
佐久間先生は、まだ来ていなかった。
(珍しいな……)
いつもなら、
俺が来る頃には、
もう待ち構えているはずなのに。
そろそろテスト期間が近いから、
準備で、忙しいのかもしれない。
俺は、理科室を見渡した。
いつの間にか、
自分の教室の次に、
足が向くようになった一室。
白い机が整然と並び、
薬品棚のガラスが、
淡い光を返している。
静寂が、すべてを包み込み、
ここだけ時間が、
少しゆっくり流れているようだった。
(……棋譜並べでもしてようかな)
そう思った、そのとき。
ガラガラ、と
理科室の扉が開いた。
入ってきたのは、
同じ制服で、
背丈も同じくらいの――
見たことのない男子生徒だった。
お互いの視線が、ぶつかる。
見たことのない顔のはずなのに――
その瞳の奥には、そう。
何とも言えない、
懐かしいような――
そんな光が宿っていた。




