表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
45/58

第14話 盤上に浮かぶ想い

遥は自宅療養となり、

二週間後には学校に来られるようになるらしい。


その知らせを聞いたとき、

俺の胸は思わず高鳴った。


だから――

その間に、俺にはやるべきことができた。

将棋部の部員探しだ。


遥が戻ってくるまでに、

部員を増やしたい。

最低でも、せめてもう一人。


(でも、"あて"は全然ないんだよな……)


空虚な気持ちが胸を支配していた。


---


火曜日の放課後。

俺は、いつものように、

佐久間先生と練習将棋を指していた。


選んだ戦形は、矢倉。

そして先生は、珍しく雁木に組んだ。


(……あっ)


俺ははっとした。

これは、俺が江戸で――

五平と対局したときの、あの戦形の組み合わせだ。


(五平――)


ふと、五平のことが甦った。


五平は、俺が消えたあと、

どうしたんだろう。


きっと、あの後も宗歩先生のもとで、

盤に向かい続けたに違いない。


でも――

やっぱり。

あの日の続きを、指すことはできないんだろうな。


そんなことを考えた瞬間、指が止まった。


「……神矢君?」


先生が呼ぶ。

俺は慌てて、盤を見た。


「すみません。

 少し……別のことを考えてました」

「そうか。……珍しいね」


対局中に、

別のことに気を取られるなんて――


佐久間先生相手に、

そんな甘さが通じるはずもなかった。


「……負けました」


投了を告げると、

先生は「うん」と頷いた。


嬉しそうではない。

むしろ、真剣な表情だった。


「今日は勝負所でちょっと、

 ふわっとした指し手が多かったね」


すべてを見抜かれたようで、

俺の胸に刺さる。


こんなモヤモヤした気持ちを、

抱えたままにしておきたくなかった。


(佐久間先生なら、知ってるかな)


俺は駒を片付け終えると、

先生に、ふと話しかけた。


「あの……先生」

「ん?」


俺は一瞬、迷ってから口を開いた。


「佐久間先生、

 天野宗歩って知ってますか?」


先生の目が、ほんの少しだけ丸くなる。

だが、それも一瞬で、

すぐにいつもの調子に戻った。


「それは、もちろん知ってるよ。

 将棋を指す人なら、

 一度は聞いたことがあるんじゃない?」


流石、佐久間先生だ。

当たり前のように宗歩先生のことを知っていた。


「あの遠見の角とか、芸術だよね。

 僕も……昔はあの角のように、

 想い人を遠くから見つめたもんだよ」


(……そんな、堂々と言うことでは……)


一瞬、本気で心配になったが、

そのおかげで、胸に溜まっていた重さが

少しだけ抜けた。


俺は続けて、

ダメ元で聞いてみる。


「じゃあ……五平って知ってます?」


「ああ、もちろん知ってるよ。

 小野五平だろ?」


「えっ、知ってるんですか?」


思わず、声が少し大きくなった。

佐久間先生は、可笑しそうに肩をすくめる。


「おう。もちろん。

 世襲制じゃなくなったあとの、

 初代名人だろ?」


「そうです!」


俺は思わず前のめりになって、

先生に近づいた。


佐久間先生は、

そんな俺の反応を面白がるように、

目を細める。


次の質問は、

少し聞くのが怖い気もした。


それでも――

思い切って、口を開いた。


「……五平って、

 先生のもとで、

 どんな人生を歩んだか……

 知ってますか?」


「……"先生"って誰?」


佐久間先生から聞き返された瞬間、

頭の中が真っ白になった。


(……間違った。思わず、"先生"って……)


俺にとって天野宗歩は、

ただの歴史上の人物じゃない。

だから思わず"先生"と呼んでしまったが――


佐久間先生は自分のことかと、

混乱したかもしれない。


「……あ、いや。

 天野宗歩の弟子だったんですよね?

 五平は宗歩"先生"にどんな教えを受けて、

 名人になったのかなって……」


佐久間先生は、ゆっくり頷いた。

そして、少しだけ真面目な顔になる。


「ああ、そういうことね。

 小野五平は確か……」


先生は顎に手を当てて、

記憶を辿るみたいに視線を上げる。


「まあ、諸説あるんだけど、

 一説によれば……

 天野宗歩の晩年、

 五平は宗歩の元を離れるんだよ」


「……えっ?」


心臓が跳ねる。

俺が知らない史実だった。


「宗歩はね。

 将棋を極めるために、旅に出るんだ。

 だが、そのとき五平は、

 宗歩について行かなかった」


先生は淡々と続ける。


「でも、五平はやはり、

 宗歩の師事を受けたいと思い直して――

 何年か後に、宗歩のもとを訪れるんだよ」


俺は息を止めた。

佐久間先生の言葉が、

江戸の情景を呼び起こす。


「……だが、そのときにはもう、

 宗歩は旅先で亡くなっていたんだ」


「……」


喉が鳴った。

俺は、どきどきしながら続きを待った。


「それで、五平は別の門下に入るんだが……

 そこからの軌跡は、

 あまり記録が残っていないんだよ」


理科室に、静寂が広がる。


「……そうなんですね」


俺は、小さく呟いた。

五平は、先生が亡くなったって聞いたとき、

どんな想いだったんだろうか――


「先生、やっぱりすごいや……

 将棋のことなら、

 なんでも詳しいんですね」


「まあね!」


佐久間先生は、

少し照れたように鼻を鳴らした。

そして、笑いながら、

意外な言葉を口にした。


「実は、私の息子の名前も

 “ごへい”なんだ」


「……ええっ!?」


思わず、声が裏返った。


「私は西遊記が好きでな。

 息子の名前は、

 孫悟空の“悟”からとって、

 悟平と名付けたんだ」


「悟平……」


「だから――

 "五平"と読みが一緒なのは、

 偶然なんだけど。

 でも、どこか運命的なものを感じて、

 五平のことを調べたことがあるんだよ」


運命。


五平。悟平。

名前は違うのに、

音は同じで、そこに何かが重なっている。


俺もまた、

運命的なものを感じていた。



五平――


窓の外の空に目をやると、

青の奥に、五平の面影が浮かんだ気がした。


五平が、江戸の彼方から、

俺を見つめているような気がする。


だが、その面影が浮かべているのが

笑顔なのか、悲しみなのか――

今の俺には、分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ