第12.5話 【特別編】絶望の五平に、光はさして(下)
師がもうこの世にいないと知り、
地に崩れ落ちた五平。
立ち上がることすら叶わないまま、
どれほどの時が流れたのか――
その姿を、弥太郎はただ正面から受け止めていた。
責めも否定もせず、
しかし目を逸らしもしない――
覚悟を決めた者のまなざしで。
やがて弥太郎は、
胸の奥で何かを決意したように、
そっと息を吸い込んだ。
「……五平様」
弥太郎の声に、五平はゆっくり顔を上げる。
「……?」
弥太郎は、
五平の視線が自分に向いたことを確かめ、
静かに言葉を続けた。
「もし五平様がお戻りになったときには――
必ずお渡しするようにと、宗歩様から、
私に託されたものがございます」
五平は涙でにじむ視界のまま、弥太郎を見つめ返す。
「私に……?」
「はい。どうか、こちらへ」
弥太郎は穏やかに頷くと、廊下の奥へ歩き出した。
その背中には、ただの使用人ではない、
“師の最後の意志を背負う者”としての重みが宿っていた。
五平は、足が震えるのを感じながら、その後に続いた。
一歩進むごとに、胸の奥で何かが軋む。
宗歩様が最後に自分へ残したものとは何なのか――
想像するだけで、胸が締め付けられた。
「こちらの部屋の中にございます」
弥太郎が静かに襖を指した。
五平は、ごくりと喉を鳴らす。
「私は外で待っております。
どうぞ……中へお入りください」
そう言って、弥太郎は一歩下がり、深く頭を下げた。
五平は、震える手で襖に触れ、そっと開いた。
木の香がわずかに漂う。
薄明の光に照らされた静かな部屋――
その中央に、何かがぽつりと影を落としていた。
その輪郭が目に入った瞬間、
五平の胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「……これは……!」
そこにあったのは、
蓮を光で包み、その世界へ帰した――
あの将棋盤だった。
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蓮との対局。
あの一局は、今でも――
昨日のことのように思い出せる。
角の鋭い睨みを利かせ、
桂馬との連携で攻勢をつかんだ、あの刹那。
優勢を手繰り寄せたと思ったその瞬間――
蓮は、迷いのない手つきで鮮やかな切り返しを放った。
あのとき初めて五平は知った。
将棋とは、こんなにも胸を震わせるものなのか――と。
……だが。
その歓喜が胸いっぱいに満ちたその瞬間、
この盤は突如、眩い光を放ち、蓮の身体を包んだ。
目を見開く間もなく、
蓮は眩い光の中へと消え――
自分の“帰るべき世界”へ戻っていった。
五平が伸ばした手は空を切り、
呼んだ声は光に溶けて消えた。
残されたのは、温もりの消えた盤と、
五平の胸に空いた、深い穴だけだった。
それから――
五平はその穴を埋めるように、
必死に修行を続けた。
師の教えにすがるように、
ひたすら駒を握り、
己の弱さと向き合い続けた。
しかし。
蓮との一局で胸に満ちた、
あのどうしようもなく熱い充実感は――
あれ以来、一度として味わえなかった。
そして、この盤が……
まるで告げるかのように、五平の胸を締めつける。
宗歩様も、蓮も。
もう、自分の手の届く場所にはいない――
将棋の高みへと共に歩むはずだった二人は、
まるで霧のように、消えてしまった。
自分はこれから、何を頼りに進めばよいのだ――
胸が一段と締め付けられ、呼吸が乱れる。
「宗歩様……!
私は……どうすればよいのですか!!」
張り裂けそうな声が、静かな部屋に響く。
「教えてくれ……蓮!!
私は、この先……どこへ進めばよいのだ!!」
そのとき――
ぽっ。
盤が、かすかな光を放ち始めた。
「な、なに……!? これは……!!」
そのかすかな光は、脈を打つように強まり、
瞬く間に部屋全体を白く染めていく。
(こ、これはまさか……!
蓮を包んだ、あのときの……!?)
あの日、蓮を包んだ光――
まさしく、それと同じ色だった。
五平の身体がふっと軽くなり、
足裏の感覚が消えていく。
光は五平だけでなく――
盤そのものをも包み込んだ。
「ま、待て……! 私をどこへ……!」
叫びは届かない。
光がすべてをさらっていく。
視界が白に溶け、
音が遠のき、
世界の輪郭がゆっくりと崩れていく。
そして、五平は光の向こうへと消えていった。
新たな運命に、飲み込まれるように――




