第12話 あの日の続きへ
遥へ手紙を送ってから、一週間が過ぎた。
(……ちゃんと、届いてるよな。)
あの便箋も、あの桂馬も、
遥の手の中にある――
そう考えるだけで、胸が少し軽くなる。
けれど同時に、
(元気でいてくれればいいけど……)
その不安だけは、どうしても拭いきれなかった。
だけど――手紙を書いたあの日から、
胸の奥に溜まっていた黒いモヤが、
ほんの少し晴れたような気がしていた。
自分の気持ちを言葉にできただけで、
少し前に進む力が湧いたような気がする。
遥も、病気と一生懸命闘ってる。
なら俺も――ちゃんと前を向かないと。
(……でも、部員5人って……
普通にムズいよな)
ふっと現実に引き戻され、ため息がひとつ漏れた。
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その日の夜。
「ごちそうさま」
夕食を終えて立ち上がったとき、
母さんがふと、思い出したように声をあげた。
「あっ、蓮。今日ね。
珍しくあなた宛てに手紙が届いてたのよ」
「……えっ?」
俺宛の郵便物なんて――
年賀状以外、ほとんど記憶がない。
母さんが差し出したのは、
淡いピンク色の封筒だった。
胸の奥が、きゅっと縮む。
封筒を受け取り、
裏の差出人へ視線を落とす。
そこに書かれていた名前は――
“矢野 遥”
息が止まった。
「蓮? どうしたの?」
「……いや、なんでもないよ。ありがとう」
母さんに、動揺を悟られないように、
できるだけ普通の歩調で部屋へ向かう。
部屋に入って、そっと扉を閉めた瞬間――
胸の奥で抑えていた焦りが弾け、
俺は机へ駆け込んでいた。
引き出しからハサミを取り出し、
震える手で封筒の端をそっと切り開く。
中から、
綺麗に折られた便箋が顔を覗かせた。
深呼吸をひとつ。
でも、胸の奥で跳ね続ける鼓動は、
全然止まってくれない。
便箋を照明の下へそっと広げ、
覚悟を決めるように、文字へ目を落とした。
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蓮君へ
手紙届いたよ。
ありがとう。
……本当に、本当に嬉しかった。
私、蓮君と会えなくなったあと、
どうしても体調が戻らなくて……
転院して、手術することになったの。
(……えっ? ……手術?)
衝撃的なその言葉に、
便箋を持つ指先が震えた。
この先に何が書かれているのかと思うと、
視線が次の行へ進むのをためらってしまう。
でも――
小さく息を吸い、
震える心を押し込むように、
俺は勇気を出して続きを読み始めた。
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その手術が終わったあと、
すぐに知らせたかったんだけど……
手術のあとは、
手にあまり力が入らなくて。
でも、どうしても自分で、
蓮君に手紙を書きたかったから、
書けるようになるまで遅くなっちゃった。
返事がなくて心配させてたら、ごめんね。
背中を切る、大掛かりな手術で……
本当に怖くて、怖くて……
何度も逃げ出したくなった。
でも、その手術の前の日に、
蓮君から手紙が届いたんだ。
蓮君の言葉と、送ってくれた桂馬。
読んだ瞬間、
胸の奥に小さな明かりが灯ったみたいで、
とっても勇気をもらえたよ。
本当にありがとう。
嬉しくて、
手に握ったまま、
手術室に持っていこうとしたんだ。
桂馬の駒。
最初はダメって言われたけど、
看護師さんが、特別に許してくれたの。
手術の間、ずっとそばに置いてくれてたんだよ。
ずっとそばにいてくれて――
飛び越える勇気をくれた。
蓮君……ありがとう。
蓮君の手紙と桂馬が、私を救ってくれたよ。
まだリハビリが必要で、
すぐに前みたいに体が動くわけじゃないけど――
でもね、
「いつか、あの日の続き、指そう」って言葉。
何度も読み返してる。
蓮君が私との対局をきっかけに、
将棋を好きだった気持ちを、
思い出してくれたって知ったとき……
胸がぎゅっと温かくなった。
私も、あの続きを指したい。
いつか本当に、また一緒に。
それまで……頑張るね。
ちゃんと前へ飛んでいけるように。
また手紙書くね。
遥
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文面を追いながら、何度も息が詰まった。
何度も涙で字がにじみそうになった。
そして最後の一行まで読み切ったとき――
視界がふっと揺らぎ、涙が一気にあふれた。
「……よかった……本当に……」
こぼれた声は震えて、
ほとんど音にならなかった。
書かれた文字ひとつひとつが、
遥の想いそのままで、胸に迫ってくる。
背中を切るような大きな手術。
どれほど怖かっただろう。
それでも遥は、自分の力で前に進んだ。
その背中を、俺の手紙と桂馬が
ほんの少しでも押せていたのなら――
そう思うだけで、胸が熱くなった。
便箋を胸にそっと押し当てる。
(よかった……本当に……よかった……)
涙を拭い、もう一度便箋を読み返す。
“私も、あの続きを指したい。
いつか本当に、また一緒に。”
その言葉が、深く、あたたかく胸に灯る。
気づけば、俺は拳を強く握っていた。
(……よし)
心のモヤは完全に晴れ、
胸の底から自然と力が湧いてくる。
俺は便箋を丁寧に折り、封筒に戻し――
机の端にそっと置いた。
胸の奥に、小さな灯りが静かにともる。
その小さな灯りが、
これからの道を確かに照らし始めていた。




