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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第11話 未来への跳躍

手術前の準備室。


「……矢野さん。大丈夫だからね」


昨夜、手紙を届けてくれた看護師の町田が、

そっと声をかけた。


遥はこくりと頷き、

胸の前で握った手にぎゅっと力を込める。


「……あれ?

 矢野さん……何か持ってる?」


「……うん」


遥がゆっくり手を開くと――

そこには、蓮から送られた桂馬の駒があった。


町田は一瞬だけ目を丸くし、

それから、少し言葉を探すように眉を寄せる。


「矢野さん……その木の駒はね。

 手術室には持っていけないの」


「……でも、これがないと……怖いの」


その声は、か細く震えていた。


町田はそばの麻酔科医と目を合わせ、

小さく頷き合った。


「じゃあ……こうしようか」


町田は透明の滅菌パックを取り出し、

桂馬をそっと中に入れて密閉した。


「これなら大丈夫。

 手術の間、

 矢野さんの近くに置いておくね。

 

 ……大切なおまもりだもの」


「……ありがとう……」


「うん。大丈夫。

 ここからは私たちに任せて。

 矢野さんは、

 勇気だけ持っていてくれればいいの」


遥は唇を噛み、

涙をこらえるように頷いた。


扉が開く。

冷たく白い光が、その先へと続いていた。



---



「深呼吸してね、ゆっくりでいいから」


麻酔科医の優しい声。

モニターのピッ……ピッ……という音。


手術台の脇に置かれた桂馬が、

滅菌パック越しに、力強くきらりと光った。


(……蓮君……)


遥のまぶたが、静かに閉じていく。


(飛び越えるよ……絶対に)


意識は、光の奥へと沈んでいった。



---



……どれくらい眠っていたんだろう。


ぼんやりとした影が揺れ、

遠くで機械の音が優しく響いている。


遥はゆっくりと目を開けた。


(……ここは……)


白い天井。

カーテン越しの柔らかい光。


そっと顔を横に向けると、

テーブルの上に置かれた、

ビニールパックが目に入った。


その中には――


桂馬。


小さく、けれど確かにそこにある。


「……あ……」


涙が頬を伝い落ちる。


病室のドアが静かに開き、

町田がそっと顔を覗かせた。


「あっ、矢野さん。気がついた?

 お疲れさま。

 ……手術、無事に終わったよ」


「……桂馬……ずっと……」


町田は優しく微笑む。


「うん。

 ずっとそばにいてくれたよ。

 本当に……頑張ったね」


町田はパックを開け、

桂馬の駒を遥の手のひらにそっと乗せた。


遥はその駒を胸に抱くように、

両手で包み込む。


「……蓮君……

 私……ちゃんと……飛び越えたよ……」


弱かった鼓動が、

確かに力を取り戻していく。


そして――


次の一手へ歩み出すための、

未来へ向かう涙が、静かにあふれ出した。

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