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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第10話 本当に伝えたいこと

夕食を終えて部屋に戻ると、

俺は、初めて自分で選んで買ってきた便箋を、

そっと机の上に広げた。


手紙なんて、

これまで片手で数えるほどしか、

書いた記憶がない。


書いては消し、消してはまた書き――

気づけば机の端には、

丸められた便箋がいくつも転がっていた。


(……違う。

 俺が書きたいのは、こんなんじゃなくて――)


“頑張って”とか“きっと大丈夫”とか、

そういう言葉じゃない。


ペンを握ったまま、

ふっと天井を見上げる。


明かりの白さがぼんやり滲んで、

思考だけが静かに沈んでいく。


俺が一番、伝えたいことは――


「遥とあの日の続きが指したい」


すべては、この一言に詰まっていた。


将棋部の部員を増やしたい気持ちも、

もちろんある。


でも、"部員を増やすこと”だけが目的なら、

将棋できる友達を探して、誘えばいい。


――だけど。


あの日の続きを指せる相手は、

世界中どこを探しても、遥しかいない。


遥と将棋を指して、俺はあの後――

江戸まで行った。


今思えば、あの対局こそが、

俺が“将棋の楽しさ”を思い出す始まりだったんだ。


(……また続き、指そうね……)


あの声。

あの指し手。

あの笑顔。


全部が、今も俺の胸の奥で、

静かに、でも確かに息をしている。


そのとき。

自然と視線が、机の端の駒箱へ向かった。


蓋を開けて、その中から、

"桂馬"の駒をそっと指でつまみ上げる。


ふと甦るあの日の言葉。


 「桂馬は、前に駒があっても、

  ぴょん、って飛び越えて――

  誰も行けない場所に行けるの――」


胸の奥に漂っていたモヤが、

ゆっくりと、ひとつの“決意”へ、

形を変えていくのが分かった。


俺は、迷いの消えた指先で、

再びペンを走らせた。


そして――


最後の一文字を書き終え、

便箋を丁寧に折り、封筒へ滑らせる。


封を閉じる前に、

“あるもの”をそっと忍ばせた。

封筒を胸の前で軽く握る。


(……遥に、届きますように)


目を閉じた瞬間、

部屋のざわめきがすっと遠のき、

静けさだけが淡く降り積もっていった。



---



静かな病室。


点滴の落ちる音だけが、

薄暗い空間に規則正しく響いていた。


遥はベッドの上で膝を抱え、

窓の外の街灯のぼんやりした光を、

じっと見つめていた。


(……怖いよ)


胸の奥で小さくつぶやいたその言葉は、

声にならないまま、暗い部屋に吸い込まれていった。


遥は、明日――

大きな手術を控えていた。


医師は「大丈夫」って言ってくれた。

何度も、優しい声で。


だけど、胸の奥の震えだけは

どうしても止まってくれない。


針の刺さった手の甲が、じんわりと痛む。

でも――


その痛みよりもずっと、

強く胸を締めつけているのは、


(蓮君……今、どうしてるかな)


ふっと静かに浮かんだ、その想いだった。


あの日の将棋の音が蘇る。

駒が盤を叩く、あの乾いた小さな音。

その音が胸の奥で、かすかに“とん”と響く。


――そのとき。


病室のドアを、控えめにノックする音がした。


「矢野さん? 起きてる?

 ……矢野さん宛に、お手紙が届いてるの」


看護師の柔らかい声。


遥が返事をすると、静かにドアが開き、

入ってきた看護師の手には、

小さな封筒がそっと握られていた。


“矢野 遥 様”


(え? 誰からだろう……)


そう思って、

受け取った封筒の裏へ目を移した瞬間――

心臓が、一拍だけ強く鳴った。


……蓮君から?


遥は思わず息をのむ。


震える指先で封を開き、

そっと便箋を光の下へ広げた。



---



遥へ


この前、遥のお見舞いに行ったら、

転院したって聞いて、本当にびっくりした。


転院先は教えてもらえなかったけど、

先生に相談して、この手紙を届けてもらえることになったんだ。


うまく言えないけど……

俺、あの後いろいろあってさ。


思い出したんだ。

昔、本当に将棋が好きだった頃の気持ち。


きっとあの日、遥と指した将棋が、

そのきっかけだったんだと思う。


退院した後、

ウチの学校にも将棋部があるって知ってさ。


顧問の佐久間先生は、かなり変わってるけど……

すごく強くて、すごくいい先生で。

毎日、部室の理科室で先生と将棋を指してる。


でも……将棋を指せば指すほど思うんだ。


俺が一番指したいのは、

あの時、遥と指した続きなんだって。


遥が元気になって、

この将棋部で一緒に指せたら、

どんなに嬉しいだろうなって。


今、遥は病気と戦っていると思う。

俺は何もできなくて悔しいけど……

ずっと応援してる。


きっと遥は、桂馬みたいに、

その病気をぴょん、って飛び越えていけるって信じてる。


いつか、あの日の続き、指そう。


待ってる。


蓮より



---



読み終えた瞬間、

視界がふっとにじんだ。


ぽたり、と涙が便箋に落ちる。


「……蓮君……」


名前を呼んだつもりなのに、

声は震えて、ほとんど音にならなかった。


そっと便箋を折り直して、

封筒に戻そうとすると、

指先が、封筒の底で小さな固いものに触れた。


ゆっくり取り出してみると、

それは――桂馬の駒。


「……あっ……」


遥の胸の奥で、何かが小さく揺れた。


思わず、両手でそっと包み込む。

胸の奥がじんわりと温かくなる。


怖さで固まっていた心が、

ゆっくり、確かにほどけていくのを感じた。


「……うん、蓮君。

 私……飛び越える。絶対に」

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