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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第2章 現代・高校将棋部編
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第6話 遥の桂馬

放課後。


俺が理科室に向かうため、

廊下を歩いていると――


ドン。

佐久間先生が、

壁に額を打ちつけたまま落ち込んでいた。


「……先生……どうしたんですか?」


「……部費10倍の申請が却下されたんだ」


(あ、ホントに申請したんだ……)


「しかもな、そもそも、

 “部員五人以上いないと部費は出ません”

 だと……!」


「……え?」


俺はそういえば、

将棋部に部員が何人いるのか、

聞いていないことに気づいた。


……なんとなく、予想はついているけど。


「先生、将棋部って部員、何人なんですか?」


「……ん? いないぞ?」


(……やっぱりな)


「君が久しぶりの部員だな!」


「いや俺、入部するとは……」

(まだ言ってないんだよな……)


「神矢君は誰か友達で、

 将棋できるやつ知らないか?」


「いや、そんな簡単に――」


そう言いかけたとき、

ふっと胸の奥がざわついた。


“友達で将棋が指せる人”


その言葉に、

心のどこかにしまい込んでいた記憶が、

音もなく浮かび上がってきた。


「また指そうね」


静かな病室。

白いシーツ。

細い体で笑っていた、あの少女の声。


俺は小さく息を呑んだ。

そして――


あの日の景色が、鮮やかに蘇ってきた。



---



入院していたときのことだ。


入院してから、

1週間ほど経ったある日。


俺は退屈して、

病棟の廊下をふらふら歩いていると、

ふと、開け放たれた個室の前で足が止まった。


そのベッドの横の机に置いてある四角い木の塊に、ふと視線が吸い寄せられる。


――将棋盤だ。


木目の深い色。

肌に吸いつくような艶。


その木の盤は、ずっしりとした厚みがあった。

上には、年季の入った駒箱がそっと置かれている。


一歩、前に出る。

さらにもう一歩。


気づけば俺は、

引き寄せられるように部屋を覗き込んでいた。


その瞬間――


「……誰か、いるの?」


弱々しい女性の声が、

静かな空気を揺らした。


(……えっ? 女の人?)


勝手に“将棋=おじいさん”というイメージで、

年配の男性がいると思い込んでいた俺は、

思わず声が裏返った。


「ご、ごめん!

 将棋盤が見えたから、つい……」


「えっ? 将棋、好きなの?」


その柔らかい声に、

胸の奥がふっとほどける感じがした。


引き寄せられるように、

俺はそっと個室の中へ足を踏み入れた。


ベッドに横たわっていた少女――

矢野 遥。


話してみると、俺と同じ高校の、

しかも同じ一年生だという。


けれど今は、

体を起こすことさえ難しいほど衰弱していた。


「神経が、言うこときかなくなる病気で……

 1か月くらい前から入院してるの」


遥はまるで他人事みたいに、

笑って説明した。


笑っているのに、声は驚くほど細い。

でもその目だけは――

不思議なくらい強くて、澄んでいた。


「ねえ……将棋、指そうよ」


「えっ?……」


つらそうに横たわる遥の姿が、

胸にひっかかった。

――本当に大丈夫なのか。


「俺、何年も将棋指してないし……」


できれば諦めてほしくて、

口をついて出た弱気な言葉。


「うん! それでもいいよ。

 将棋できるだけで、すっごく嬉しいから」


遥は、息が少し苦しそうなのに、

それでも弾む声で言った。


「……でも、本当に大丈夫なの?」


「大丈夫。盤は見えなくても、

 頭の中で全部見えるから。


 私が指し手を言うから、

 駒は蓮君が動かしてくれればいいの」


その本当に嬉しそうな声を聞いた瞬間、

俺の中のためらいが、ふっと消えた。


(……こんなの……断れるわけないよ)


俺は駒を並べ、

「よろしくお願いします」

と頭を下げた。


遥の声が静かに響く。


「よろしくお願いします。

 じゃあ、私が先手だね。▲7六歩」


「うん。じゃあ俺は……△3四歩」


駒を持った瞬間、俺の胸が震えた。


(……この感覚)


何かを思い出すような――

そんな少しの違和感を感じたまま、

遥に視線を向けると、

俺はあることに気づいた。


盤は、遥が顔を傾ければ見える位置に置いてある。


でも――

遥は天井を向いたまま。


いや、目を閉じている。


……盤を、まったく見ていない。


それなのに、

駒の位置を一度も間違えることなく、

迷いのない指し手が静かに響く。


まるで頭の中に、

もう一つの盤を広げているみたいに。


(……こんなの、どうやってるんだ?)


お互い、自分の玉を囲い終え、

中盤に差し掛かったそのとき――

遥が静かに告げた一手に、

俺は息を呑んだ。


▲2五桂。


いきなり桂馬が跳ねて、

俺の3三の銀を鋭く狙ってくる。


(……!?)


その瞬間――


「遥ちゃん、何してるの?」


振り向くと、

眉を寄せて立っている看護師さんがいた。

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