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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
【江戸・修行編】
27/30

第27話 取り戻した光と別れ

五平の▲2五歩――

取れば3七の桂が跳ねてくる。


そうなれば、こちらが受けきるのは難しい。

正しい対応が求められる局面だ。


俺は――△4二飛。

飛車で4四の金に紐をつける。


五平が2四の歩を取れば、

その瞬間に2六へ歩を打つ切り返しが入る。


ただ、五平にうまい手があれば――

俺の玉は一瞬で寄り筋に入ってしまうかもしれない。


(……どう攻めてくる?)


高鳴る鼓動を抑えきれずに――

それでも、不思議と胸が躍って、

俺は五平の次の一手を待った。


しばしの沈黙の後、

五平の指先がつまんだ駒は――王将。

▲8八王。


(……え?)


まさかの受け。

攻め合いに踏み込むと思っていたところで、

五平はあえて玉を深く潜り込ませた。


その静かな一手が、盤上の温度を変えた。


俺は△5五歩。

五平の角道を遮りつつ5六の銀を追いやり、

その隙に2五の歩をさらう。


(これで……少しは玉が安全に――)


そう考えた、その瞬間。

五平の右手が、迷いなく跳ねた。


▲同桂。


(……っ!? 角道を止めてるのに……ここで桂が来るだって!?)


俺は2四に銀をかわす。

すると――


五平の手が、さらに跳ねる。

▲3三桂成。

何もない空間に、桂を成り捨てた。


(……!? そうか……)


一瞬で理解が追いつく。

この成桂を取りつつ、

浮いている2四の銀に紐をつけるには――

同金か同玉しかない。


けれど、どちらを選んでも、

次に▲2五歩と叩かれれば――

銀の逃げ場が、ない。


(……っ。やられた)


流石の一手だった。


俺は仕方なく、△同金で成桂を払う。

すると五平は、ためらいなく▲2五歩打。

このままでは、銀と桂の交換になってしまう。


俺は一度、深く息を吸って読みを深めた。


(――次は俺の番だ)


俺の指し手は――

△3五桂打。


4七の銀と2七の飛車、両取りをかけるいわゆる“ふんどしの桂”。


もちろん、五平の陣には3六に歩があり、

この桂はすぐに取られてしまう。


けれど、2四の銀でその歩を取れば――

銀は手順に逃げながら、働き続ける。


(これで、まだ戦える……!)


五平の表情が険しくなり、

やがて――ゆっくりと口角が上がった。


「……一本取ったと思ったのにな。

 蓮……やっぱり、お前はすげえよ」


対局の最中とは思えないほど、どこか柔らかい声だった。

その響きに、思わず俺は顔を上げた。


「蓮……俺はさ……おいてかれそうな気がしてたんだ」


五平の視線は、盤面から離れ、

ただまっすぐに俺だけを見ていた。


「先生が蓮を見る目を見て……

 蓮が日に日に強くなっていくのを見て……

 気づけば、不安で……

 俺は先生の一番の弟子じゃなくなるんじゃないかって。

 そんなふうに思って……正直、怖かったんだよ」


その声には、恥じらいも照れもあった。

でも――紛れもない本心だった。


「だけどな」


五平は、溜めていた息をふっと吐き、

もう一度、俺をまっすぐ見据えた。


「……今、お前と指してたら、もうそんなのどうでもよくなった」

「え……?」

「おいてかれるとか、誰が一番の弟子だとか……

 そんなの、今はどうでもいい。

 蓮とこうして盤の前で向き合ってるのが……

 ただ、楽しいんだよ」


その瞬間――

五平の手が、鋭く盤に伸びた。


俺の3五の桂を駒台に勢いよく置き、

駒音高く――▲同歩。


「余計なことは考えない!

 俺がこの勝負に勝つ! 来い、蓮!!」


熱がぶつかった。

五平の本気が、真っ直ぐ胸に刺さる。


「……うん!

 俺だって負けない!!」


その歩を五平に負けない勢いで駒台に置き――

△同銀。


五平の目がわずかに見開かれ、

次の瞬間、くしゃっと笑った。


盤上に、二人の息が絡み合う。


俺の心臓が激しく脈打っている。

五平の笑顔が、眩しいほどに輝いて見えた。


「将棋って……やっぱり楽しいな!! 蓮!!」

「……うん! 五平!

 俺も……やっと思い出したよ」


喉の奥が熱くなった。

声が震えそうになる。


「五平のおかげで……

 将棋がこんなに楽しいってことに。

 ……ありがとう、五平」




そして――


その瞬間――


盤が、

目の前のこの盤が――


ふっと、

俺を包み込むような、

温かい光を宿し始めた。




(……え!?)


光は盤の角の傷から溢れ、

まるで呼吸するように――

ゆっくりと、優しく脈動し始めた。


「……蓮!? ……蓮!!……」


五平の声が、すっと遠のいていく。


宗歩先生が、一歩、静かに踏み出した気配がした。

その足音でさえ、光に溶けていくようだった。


(この光……まさか……!)


体がふわりと浮くような感覚。

視界が白く滲んでいく。


「――っ!!」


光が一気に広がり、

あたり一面が、眩しい白に包まれた。


五平が、何かを言いかけて手を伸ばす姿が――

遠く、ぼやけていく。


江戸の空気が、すっと遠ざかる。

けれど――胸の奥の熱だけは、確かに残った。


白い光が静かに揺らぎ、

ふっと、景色そのものがほどけていく。


――音も、匂いも、温度も。

すべてが静かに遠ざかり、目の前には真っ白な景色だけが残った。




そして――


気がつくと、

俺はおじいちゃんの部屋に膝をついていた。

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