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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: 一進(にのまえすすむ)
第1章 江戸・修行編
25/64

第25話 あの日の盤の前で

柱の陰に身を潜め、

五平と宗歩先生の話を聞いているうちに――


屋敷の中は、いつの間にか、

静かに夕闇へと沈み始めていた。


夕日に照らされた長い影が、

廊下の障子にゆらりと揺れている。


やがて、五平の声が途切れ、

襖の閉まる乾いた音だけが、静寂に落ちた。


俺もその場を離れようと、

向きを変えた、その時――


「……蓮」


(……!?)


背中に落ちた声は、

静かなのに逃れられない重みがあった。


気づかれていた。

俺がここにいることも、最初から。


「し、失礼します」


高鳴る心臓を抑え込むように、

呼吸を整えて襖を開ける。


先生は部屋の中央に座したまま、

ゆっくりと俺を見上げた。


その眼差しは穏やかでありながら、

奥底に鋭い刃の光が潜んでいる。


短い沈黙が落ち、

やがて先生が静かに口を開いた。


「……明日、五平との対局、

 楽しみにしておるぞ」


心臓が一度、深く脈動した。


さっきの五平の震えた声。

そこに宿っていた覚悟。


そして――

今の先生の言葉。


全てが胸の内で結びついていく。


宗歩は表情を変えず、

ただ一言だけ告げた。


「明日は……

 お前の将棋を、見せてみよ」


その言葉を置き残し、

宗歩は静かに部屋を去っていった。


俺はその場に立ち尽くし、

胸の奥で何かがゆっくりと、

熱を帯びていくのを感じていた。



---



次の日。


道場の前に立つと、

襖がほんの少し重く感じた。


この先に――

五平との勝負が待っている。


小さく息を整え、意を決して襖を開ける。


五平が、すでに待っていた。


「蓮! 待ってたぞ!

 今日のこと、先生に聞いているだろ?」


俺はしっかりと頷く。


五平の声は、いつも通り明るい。


しかし、その笑顔の奥には――

確かな勝負師の光が宿っていた。


「やっと対局できるな……。

 ……負けないぞ」


「……うん。やっとだね。

 ……俺も負けない」


奥には宗歩が立ち、静かに、

部屋の中央に置かれた盤を見つめていた。


そして――

俺はその盤を見た瞬間、

思考を奪われた。


足つきの古い盤。

見覚えのある木目。


そして――

指先に今も残る、あの日の感触。


この盤は、俺をこの時代へ導いた、

おじいちゃんの盤。


俺とともに江戸へ来た、

あの将棋盤だった。


(この盤で……対局? なんで?)


胸の奥で、何かがひとつ強く鳴った。


そうか……先生は――。


宗歩の昨日の言葉が、

静かに、しかし、確かな重みを帯びて甦る。


『……お前の将棋を見せてみよ』


あれは、俺の将棋を五平に見せろ、

という意味だけじゃない。


先生に見せろ、

という意味だけでもない。


――おじいちゃんにも。


宗一郎の笑顔が、

脳裏に鮮やかに浮かんだ。


(先生は……三人に見せろって、

 そう言ったんだ)


五平に。

宗歩に。

そして宗一郎に。


この一局が、俺の“今”そのものを示す。


(……見ていてくれ。

 おじいちゃん)


俺はゆっくりと盤の前に座り、

静かに深く息を吸った。

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