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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
【江戸・修行編】
25/30

第25話 あの日の盤の前で

柱の陰に身を潜め、五平と宗歩先生の話を聞いているうちに、屋敷の中は静かに夕闇へと沈み始めていた。

夕日に照らされた長い影が、廊下の障子にゆらりと揺れている。


やがて、五平の声が途切れ、

襖の閉まる乾いた音だけが静寂に落ちた。


俺もその場を離れようと向きを変えた、その時――


「……蓮」


(……!?)


背中に落ちた声は、静かなのに逃れられない重みがあった。

気づかれていた。

俺がここにいることも、最初から。


「し、失礼します」


高鳴る心臓を抑え込むように、呼吸を整えて襖を開ける。


先生は部屋の中央に座したまま、

ゆっくりと俺を見上げた。

その眼差しは穏やかでありながら、奥底に鋭い刃の光が潜んでいる。


短い沈黙が落ち、やがて先生が静かに口を開いた。


「……明日、五平との対局、楽しみにしておるぞ」


心臓が一度、深く脈動した。


さっきの五平の震えた声。

そこに宿っていた覚悟。

そして――今の先生の言葉。


全てが胸の内で結びついていく。


宗歩は表情を変えず、ただ一言だけ告げた。


「明日は……お前の将棋を、見せてみよ」


その言葉を置き残し、宗歩は静かに部屋を去っていった。


俺はその場に立ち尽くし、

胸の奥で何かがゆっくりと熱を帯びていくのを感じていた。



---



次の日――


道場の前に立つと、襖がほんの少し重く感じた。

この先に、五平との勝負が待っている。


小さく息を整え、意を決して襖を開ける。


五平が、すでに待っていた。


「蓮! 待ってたぞ!

 今日のこと、先生に聞いているだろ?」


俺はしっかりと頷く。


五平の声は、いつも通り明るい。

しかし、その笑顔の奥には――

確かな勝負師の光が宿っていた。


「やっと対局できるな……。負けないぞ」

「……うん。やっとだね。……俺も負けない」


奥には宗歩が立ち、

静かに、部屋の中央に置かれた盤を見つめていた。


そして――

俺はその盤を見た瞬間、思考を奪われた。


足つきの古い盤。

見覚えのある木目。

そして――指先に今も残る、あの日の感触。


この盤は――

俺をこの時代へ導いた、おじいちゃんの盤。

俺とともに江戸へ来た、あの将棋盤だった。


(この盤で……対局? なんで?)


胸の奥で、何かがひとつ強く鳴った。


そうか……先生は――。


宗歩の昨日の言葉が、

静かに、しかし、確かな重みを帯びて甦る。


『……お前の将棋を見せてみよ』


あれは、五平に見せろという意味だけじゃない。

先生に見せろという意味だけでもない。


――おじいちゃんにも。


宗一郎の笑顔が、脳裏に鮮やかに浮かんだ。


(先生は……三人に見せろって、そう言ったんだ)


五平に。

宗歩に。

そして宗一郎に。


この一局が、俺の“今”そのものを示す。


(……見ていてくれ、おじいちゃん)


俺はゆっくりと盤の前に座り、

静かに深く息を吸った。

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