第25話 あの日の盤の前で
柱の陰に身を潜め、五平と宗歩先生の話を聞いているうちに、屋敷の中は静かに夕闇へと沈み始めていた。
夕日に照らされた長い影が、廊下の障子にゆらりと揺れている。
やがて、五平の声が途切れ、
襖の閉まる乾いた音だけが静寂に落ちた。
俺もその場を離れようと向きを変えた、その時――
「……蓮」
(……!?)
背中に落ちた声は、静かなのに逃れられない重みがあった。
気づかれていた。
俺がここにいることも、最初から。
「し、失礼します」
高鳴る心臓を抑え込むように、呼吸を整えて襖を開ける。
先生は部屋の中央に座したまま、
ゆっくりと俺を見上げた。
その眼差しは穏やかでありながら、奥底に鋭い刃の光が潜んでいる。
短い沈黙が落ち、やがて先生が静かに口を開いた。
「……明日、五平との対局、楽しみにしておるぞ」
心臓が一度、深く脈動した。
さっきの五平の震えた声。
そこに宿っていた覚悟。
そして――今の先生の言葉。
全てが胸の内で結びついていく。
宗歩は表情を変えず、ただ一言だけ告げた。
「明日は……お前の将棋を、見せてみよ」
その言葉を置き残し、宗歩は静かに部屋を去っていった。
俺はその場に立ち尽くし、
胸の奥で何かがゆっくりと熱を帯びていくのを感じていた。
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次の日――
道場の前に立つと、襖がほんの少し重く感じた。
この先に、五平との勝負が待っている。
小さく息を整え、意を決して襖を開ける。
五平が、すでに待っていた。
「蓮! 待ってたぞ!
今日のこと、先生に聞いているだろ?」
俺はしっかりと頷く。
五平の声は、いつも通り明るい。
しかし、その笑顔の奥には――
確かな勝負師の光が宿っていた。
「やっと対局できるな……。負けないぞ」
「……うん。やっとだね。……俺も負けない」
奥には宗歩が立ち、
静かに、部屋の中央に置かれた盤を見つめていた。
そして――
俺はその盤を見た瞬間、思考を奪われた。
足つきの古い盤。
見覚えのある木目。
そして――指先に今も残る、あの日の感触。
この盤は――
俺をこの時代へ導いた、おじいちゃんの盤。
俺とともに江戸へ来た、あの将棋盤だった。
(この盤で……対局? なんで?)
胸の奥で、何かがひとつ強く鳴った。
そうか……先生は――。
宗歩の昨日の言葉が、
静かに、しかし、確かな重みを帯びて甦る。
『……お前の将棋を見せてみよ』
あれは、五平に見せろという意味だけじゃない。
先生に見せろという意味だけでもない。
――おじいちゃんにも。
宗一郎の笑顔が、脳裏に鮮やかに浮かんだ。
(先生は……三人に見せろって、そう言ったんだ)
五平に。
宗歩に。
そして宗一郎に。
この一局が、俺の“今”そのものを示す。
(……見ていてくれ、おじいちゃん)
俺はゆっくりと盤の前に座り、
静かに深く息を吸った。




