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棋聖の孫、江戸に立つ ~盤上の記憶譚~  作者: くろ
【江戸・修行編】
24/30

第24話 五平の想い

とうとう、俺が江戸に来てから――半年の月日が過ぎた。


日々の修行に明け暮れ、

町へ出れば子どもたちと遊び、団子屋では雫や五平と笑い合う。


そんな日々が、もう当たり前のように続いていた。


今でも、現代のことを忘れた日は一日だってない。

戻りたいという気持ちは変わらない。

けれど、それは――

この温かな日常と、大切な人たちとの別れを意味する。

現代への未練と、この江戸で得た居場所への愛着が、出口のない迷路のように胸の奥で渦を巻いていた。


---


いつものように修行を終え、部屋へ戻ろうと廊下を歩いていたとき。

ふと、奥の部屋から声が聞こえた。


(……これは? 宗歩先生と……五平の声?)


二人が話している。

思わず、俺は柱の陰に身を寄せた。


「先生。……私と蓮に、対局をさせていただけないでしょうか」


五平の声が、張り詰めた空気を震わせた。

俺は思わず、息をのむ。


「……何故だ?」


先生の声は静かだった。

だが、その静けさの奥に、わずかな興味が潜んでいるように感じた。


「……自分でも、うまくは申し上げられません」


一拍の沈黙。


それまで抑えていた感情が、言葉とともにあふれ出す。


「ただ、感じるのです。

 蓮は……私たちの“この世”の者ではない、と。」


心臓が跳ねた。

息を止めたまま、陰に隠れる俺の足がわずかに震える。


先生は、しばらく黙っていた。

やがて、口を静かに開いた。


「――お主が、そう感じる理由は?」


「……蓮の将棋です」

五平は、はっきりと言った。


「蓮は、明らかに私たちの知らぬ理の手を指している。

 先生、あの将棋は……どこから来たのでしょうか?」


しばし、沈黙が落ちた。

その静けさの中で、先生の息づかいがわずかに変わった気がした。


「……なるほど。五平、お主の目は確かなようじゃな。」


宗歩の声は、静かに――だが確かに、何かを認める響きを帯びていた。


しばらくして、畳を擦る衣擦れの音。

五平が身を正したのだろう。


「私は、あの将棋にまだ触れるべきではないかもしれません。

 ……それでも、私は対峙してみたいのです。

 今を逃せば、その時は二度と訪れないかもしれない。

 ……そう感じる時があるのです。」


先生が盤に手を伸ばしたのだろうか。

駒の触れ合う、乾いた音が響いた。


「――ならば確かめてみるがよい。

 盤上で、そなたが感じた真理に、触れてみるがよい。」


その声は静かだった。

だが、その静けさの奥に、確かな力強さがあった。


「……はい。必ず、確かめてみせます。」


五平の声は、震えていた。


扇子が閉じられる乾いた音が、部屋に響く。

「明日、道場に盤を用意せよ。――蓮にも伝えておけ。」


その言葉が終わると同時に、俺は息を呑んだまま壁に背を預けた。

(……俺と、五平が対局を……?)


胸の奥で、何かがゆっくりと熱を帯びていく。


恐れと興奮――その狭間で、ひとつの思いが形を成した。


“この一局が、俺の運命を変えるかもしれない。”


その確信にも似た予感だけが、静かに、確かに、胸の底に灯っていた。

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